両面宿儺の伝説
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 88-89p
高山市丹生川地区、乗鞍岳の伝説。
仁徳天皇の頃、飛騨に両面宿儺という鬼神が住んでいて、武振熊命に討たれた。その一方、両面宿儺は仏教寺院の開基や、乗鞍信仰を確立し、地元では英雄であった、という物語。
両面宿儺とは、どちらかといえば政治的に創作された人物だと思うし、だからこそ古代からの神のように見えて、仏教との関わりが深いのだと思う(仏教は古代日本では比較的新しい宗教概念なので。)。長野県側と比較するならば、八面大王とも、泉小太郎とも関連すると考える。中央と対立した神という点では八面大王と類似している。また、乗鞍の女神であると共に水と日輪の女神でもある乗鞍岳そのものを女神との何らかの潜在的な関わりで「祭祀者」となっている点、女神を押しのけて自らが主人公になっている点は泉小太郎的といえる。
参照:両面宿儺
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #女神 #太陽 #池 #怪物退治
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 88-89p
高山市丹生川地区、乗鞍岳の伝説。
仁徳天皇の頃、飛騨に両面宿儺という鬼神が住んでいて、武振熊命に討たれた。その一方、両面宿儺は仏教寺院の開基や、乗鞍信仰を確立し、地元では英雄であった、という物語。
両面宿儺とは、どちらかといえば政治的に創作された人物だと思うし、だからこそ古代からの神のように見えて、仏教との関わりが深いのだと思う(仏教は古代日本では比較的新しい宗教概念なので。)。長野県側と比較するならば、八面大王とも、泉小太郎とも関連すると考える。中央と対立した神という点では八面大王と類似している。また、乗鞍の女神であると共に水と日輪の女神でもある乗鞍岳そのものを女神との何らかの潜在的な関わりで「祭祀者」となっている点、女神を押しのけて自らが主人公になっている点は泉小太郎的といえる。
参照:両面宿儺
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #女神 #太陽 #池 #怪物退治
八百比丘尼の伝説
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 85-87p
高山市朝日地区・美女峠、辻の池(美女ヶ池)の伝説。
美女峠に美しい比丘尼が住んでいて、美女ヶ池の大蛇の化身とも言われていた、とのこと。子供を生んで、人間の女性に乳母を頼んだ、という伝説がある。また比丘尼は「よもぎ餅」や「きなこ餅」を作って旅人に売っており、評判だったとのこと。
山口町では水不足の年には「雨乞い平」というところで雨乞いの儀式を行っていた、とのことである。
八百比丘尼は水や池、雨乞いに関わる存在であると供に、稲の豊穣に関する女神の変化したものといえる。彼女が作る餅は、女神自身の化身(一部)ともいえる。竜蛇の化身、という伝承があること、子供を生んでも父親の存在が明らかでない点、穀物とその豊穣の女神である点から、縄文の母系の豊穣の女神の性質を強く残した伝承であり、縄文の女神の有り様を良くうかがい知れると考える。子供の父親の存在がはっきりしないのは、母系社会では通い婚が通常で「父」とか「夫」というものが社会的に存在しないからである。
美女ヶ池では今でも女神になぞらえて「美女餅」というおみやげ品を売っているそうである。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #女神 #乳母 #餅 #池 #雨乞い
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 85-87p
高山市朝日地区・美女峠、辻の池(美女ヶ池)の伝説。
美女峠に美しい比丘尼が住んでいて、美女ヶ池の大蛇の化身とも言われていた、とのこと。子供を生んで、人間の女性に乳母を頼んだ、という伝説がある。また比丘尼は「よもぎ餅」や「きなこ餅」を作って旅人に売っており、評判だったとのこと。
山口町では水不足の年には「雨乞い平」というところで雨乞いの儀式を行っていた、とのことである。
八百比丘尼は水や池、雨乞いに関わる存在であると供に、稲の豊穣に関する女神の変化したものといえる。彼女が作る餅は、女神自身の化身(一部)ともいえる。竜蛇の化身、という伝承があること、子供を生んでも父親の存在が明らかでない点、穀物とその豊穣の女神である点から、縄文の母系の豊穣の女神の性質を強く残した伝承であり、縄文の女神の有り様を良くうかがい知れると考える。子供の父親の存在がはっきりしないのは、母系社会では通い婚が通常で「父」とか「夫」というものが社会的に存在しないからである。
美女ヶ池では今でも女神になぞらえて「美女餅」というおみやげ品を売っているそうである。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #女神 #乳母 #餅 #池 #雨乞い
盗人神(加茂神社)の伝説
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 71p
高山市の加茂神社の伝説。
神様が盗人を助けてくれた、という物語。楽しい物語というよりは、個人的にはこれぞ「The 加茂」という気がして笑えない-;。
「盗み取る」から、「農家は五穀を取る」、「受験生は点数を取る」、「政治家は票を取る」という「何かを得る」ことに通じる信仰がある、とのことである。正当な努力の結果、何かを得ることは正しいことといえようが、それが誰かから「盗み取る」となるとどうなのだろうか。
よそ八は女神から生き血を盗み取る、須佐之男は大宜津比売を殺して蚕と五穀を盗み取る、泉小太郎は母女神を殺して女神が開拓した土地を盗み取る、と。これは、弥生の人々が縄文の母系の人々から、女神信仰の文化と農地と財産を盗み取った思想の正当化そのものではないだろうか。西部開拓時代のアメリカみたいな思想だー、と正直思う。このような思想が「加茂」の名の下にあることが非常に興味深いと思う。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #盗賊 #泥棒
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 71p
高山市の加茂神社の伝説。
神様が盗人を助けてくれた、という物語。楽しい物語というよりは、個人的にはこれぞ「The 加茂」という気がして笑えない-;。
「盗み取る」から、「農家は五穀を取る」、「受験生は点数を取る」、「政治家は票を取る」という「何かを得る」ことに通じる信仰がある、とのことである。正当な努力の結果、何かを得ることは正しいことといえようが、それが誰かから「盗み取る」となるとどうなのだろうか。
よそ八は女神から生き血を盗み取る、須佐之男は大宜津比売を殺して蚕と五穀を盗み取る、泉小太郎は母女神を殺して女神が開拓した土地を盗み取る、と。これは、弥生の人々が縄文の母系の人々から、女神信仰の文化と農地と財産を盗み取った思想の正当化そのものではないだろうか。西部開拓時代のアメリカみたいな思想だー、と正直思う。このような思想が「加茂」の名の下にあることが非常に興味深いと思う。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #盗賊 #泥棒
宇津江の滝の伝説
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 57p
宇津江川の滝に関する伝説。滝の由来譚。
新旧会わせた2つの思想が入り交じった興味深い物語である。
導入部に、沼や川(主に滝)には(竜)蛇体の女神がその化身である、という古い思想が見られる。女神には人を病気にする能力も、癒やす能力もあるようである。主人公が病に陥るのは、禁域に踏み込んで「見てはいけない神の正体を見たこと(禁忌を破ったこと)」の祟りかもしれない、と受け取れるが「祟り」の部分は明確にそうとは語られない。
中盤は女神が自らの身を削って主人公を助ける、というエピソードになる。これは「自己犠牲」といえる。禁忌を破ったものに対する罰(主人公の病気)を神が助けなければならない理由の方が、本来は「ない」と思われる。疫神が自ら実を削って人々を助ける、という思想は、原始キリスト教到来以後(私の私感としては)、あるいはおそくとも仏教到来以後の思想と思われるので、起源としてはせいぜい1世紀よりも後の思想と思われる。女神が「修行をする」という発想も仏教(修験道)的な考え方と思われる。
主人公の「願掛け」が女神を救うことになるので、この点も修験道的と思う。また主人公は女神(蛇)に劣らず水を操る力(通力とか法力と呼ばれるもの)を有していたと思われるので、自然界に働きかける特別な能力を持っていた、という点では主人公も「八卦」の伏羲に繋がるようなシャーマン的な性質の持ち主であったことを示している。名前にも「八」がつくし。この場合、主人公には「母なる水等の神」の特別な恩寵があり、女神と特別な関係だった、ともいえるし、その「特別性」が主人公を他の人々に対して、一段上の特別な人間にもしている、と思う。
主人公が川の女神と特別な関係にあって、人々の中でも特殊な地位にある、という物語は長野県の「泉小太郎」の物語にも似る。物語の起源としては近いのではないだろうか。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #川 #沼 #疫神 #修験道 #シャーマン #伏羲 #八卦 #女神
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 57p
宇津江川の滝に関する伝説。滝の由来譚。
新旧会わせた2つの思想が入り交じった興味深い物語である。
導入部に、沼や川(主に滝)には(竜)蛇体の女神がその化身である、という古い思想が見られる。女神には人を病気にする能力も、癒やす能力もあるようである。主人公が病に陥るのは、禁域に踏み込んで「見てはいけない神の正体を見たこと(禁忌を破ったこと)」の祟りかもしれない、と受け取れるが「祟り」の部分は明確にそうとは語られない。
中盤は女神が自らの身を削って主人公を助ける、というエピソードになる。これは「自己犠牲」といえる。禁忌を破ったものに対する罰(主人公の病気)を神が助けなければならない理由の方が、本来は「ない」と思われる。疫神が自ら実を削って人々を助ける、という思想は、原始キリスト教到来以後(私の私感としては)、あるいはおそくとも仏教到来以後の思想と思われるので、起源としてはせいぜい1世紀よりも後の思想と思われる。女神が「修行をする」という発想も仏教(修験道)的な考え方と思われる。
主人公の「願掛け」が女神を救うことになるので、この点も修験道的と思う。また主人公は女神(蛇)に劣らず水を操る力(通力とか法力と呼ばれるもの)を有していたと思われるので、自然界に働きかける特別な能力を持っていた、という点では主人公も「八卦」の伏羲に繋がるようなシャーマン的な性質の持ち主であったことを示している。名前にも「八」がつくし。この場合、主人公には「母なる水等の神」の特別な恩寵があり、女神と特別な関係だった、ともいえるし、その「特別性」が主人公を他の人々に対して、一段上の特別な人間にもしている、と思う。
主人公が川の女神と特別な関係にあって、人々の中でも特殊な地位にある、という物語は長野県の「泉小太郎」の物語にも似る。物語の起源としては近いのではないだろうか。
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #川 #沼 #疫神 #修験道 #シャーマン #伏羲 #八卦 #女神
人身御供(ひとみごくう)の伝説
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 32p
宮川村の人身御供伝説。
前半は八岐大蛇的な若い娘の生贄を求める大蛇の話。
後半は娘自身が大蛇を倒す話。蛇が金物(特に針)を嫌う点は三輪山伝説に類似している。蛇(化け物)退治の英雄は登場しない。
村の水田の開墾由来譚であり、お寺での断食供養の由来譚でもある。
女性の力が開墾(村全体の収入や生活の安定の元となる事業)を可能にしたり、悪者の存在を解決する点は、岩見の乙子狭姫 の伝承と似る。かつては女神が直接農作物の豊穣をもたらす、という伝承があり、それが崩れたものか。飛騨地方の縄文時代の信仰を知る上での資料となり得るような古い時代に起源のある物語なのでは、と思う。(生きているままの女神に対する信仰の片鱗が残っているから。)
お寺での断食供養はやや「犠牲的」な祭りといえるが、若い女性が女神(水や豊穣の神)の代理人あるいは祭祀者として神を祀っていた縄文時代の祭祀の名残かもしれないと思う。
宮川村は縄文時代のイノシシ、クマ、蛇などの動物をかたどった動物意匠紋土器が岐阜県で初めて出土した地とのこと。石棒も出土しているようである。(石棒を「金精様」と呼ぶのは岐阜県の習慣だろうか?)
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #こんにゃく #針 #怪物退治 #開墾
「ひだぶり街道物語 岐阜新聞社」 32p
宮川村の人身御供伝説。
前半は八岐大蛇的な若い娘の生贄を求める大蛇の話。
後半は娘自身が大蛇を倒す話。蛇が金物(特に針)を嫌う点は三輪山伝説に類似している。蛇(化け物)退治の英雄は登場しない。
村の水田の開墾由来譚であり、お寺での断食供養の由来譚でもある。
女性の力が開墾(村全体の収入や生活の安定の元となる事業)を可能にしたり、悪者の存在を解決する点は、岩見の乙子狭姫 の伝承と似る。かつては女神が直接農作物の豊穣をもたらす、という伝承があり、それが崩れたものか。飛騨地方の縄文時代の信仰を知る上での資料となり得るような古い時代に起源のある物語なのでは、と思う。(生きているままの女神に対する信仰の片鱗が残っているから。)
お寺での断食供養はやや「犠牲的」な祭りといえるが、若い女性が女神(水や豊穣の神)の代理人あるいは祭祀者として神を祀っていた縄文時代の祭祀の名残かもしれないと思う。
宮川村は縄文時代のイノシシ、クマ、蛇などの動物をかたどった動物意匠紋土器が岐阜県で初めて出土した地とのこと。石棒も出土しているようである。(石棒を「金精様」と呼ぶのは岐阜県の習慣だろうか?)
#伝説 #岐阜県 #飛騨 #蛇 #こんにゃく #針 #怪物退治 #開墾
味のつけ方 ATU1687+ATU1696+ATU1741
「シルクロードの民話 パミール高原」 316-319p
言うべき言葉を段階的に忘れてしまう愚か話。
#民話 #タジキスタン #愚か話 #忘れ話 #転倒 #名前 #忘れた言葉 #「何て言うべきだったの(何をすべきだったの)?」 #司祭の客と盗み食いされた鶏
「シルクロードの民話 パミール高原」 316-319p
言うべき言葉を段階的に忘れてしまう愚か話。
#民話 #タジキスタン #愚か話 #忘れ話 #転倒 #名前 #忘れた言葉 #「何て言うべきだったの(何をすべきだったの)?」 #司祭の客と盗み食いされた鶏
あきれた両親 ATU1341
「シルクロードの民話 パミール高原」 314-315p
愚か話。
#民話 #タジキスタン #愚か話 #愚か者たちが泥棒に何を盗んではならないか警告する
「シルクロードの民話 パミール高原」 314-315p
愚か話。
#民話 #タジキスタン #愚か話 #愚か者たちが泥棒に何を盗んではならないか警告する
足の化けもの
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 244-251p
前半は狡猾な男が天狗から姿の消える、いわば「魔法のアイテム」をだまし取る話。西欧では姿の消える魔法のアイテムは「ドワーフの宝」と考えられるが日本では「天狗のアイテム」のようである。男は北欧神話のロキにも似る。「怪物退治」が崩れた物語といえようか。
後半は中途半端に透明人間になった主人公が妻の叡智に救われる話。「姿が消える」ということは神話や伝承的には「死」も暗喩するといえるので、妻は夫を再生させるイシスのような女神的存在といえようか。
ただ、全体としては神話の崩れ、というよりは庶民的な面白い話、だと思うので、物語として確立したのは近世以降であり、修験道のプロパガンダとしての要素が強い物語だと感じる。
#昔話 #長野県 #中信 #天狗 #姿消える #魔法のアイテム #かくしみの #かくれがさ #ぼたもち #怪物退治 #叡智 #天狗 #修験道 #足
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 244-251p
前半は狡猾な男が天狗から姿の消える、いわば「魔法のアイテム」をだまし取る話。西欧では姿の消える魔法のアイテムは「ドワーフの宝」と考えられるが日本では「天狗のアイテム」のようである。男は北欧神話のロキにも似る。「怪物退治」が崩れた物語といえようか。
後半は中途半端に透明人間になった主人公が妻の叡智に救われる話。「姿が消える」ということは神話や伝承的には「死」も暗喩するといえるので、妻は夫を再生させるイシスのような女神的存在といえようか。
ただ、全体としては神話の崩れ、というよりは庶民的な面白い話、だと思うので、物語として確立したのは近世以降であり、修験道のプロパガンダとしての要素が強い物語だと感じる。
#昔話 #長野県 #中信 #天狗 #姿消える #魔法のアイテム #かくしみの #かくれがさ #ぼたもち #怪物退治 #叡智 #天狗 #修験道 #足
かしこい自然 ATU1689
「シルクロードの民話 パミール高原」 313p
笑話である。
#民話 #タジキスタン #胡桃 #メロン #「それが桃ではなかったことを神に感謝する」
「シルクロードの民話 パミール高原」 313p
笑話である。
#民話 #タジキスタン #胡桃 #メロン #「それが桃ではなかったことを神に感謝する」
足の毛がふさふさしたやぎ ATU123
「シルクロードの民話 パミール高原」 308-311p
個人的には、ギリシア神話のクロノスとレアーの関係を彷彿とさせる物語だと感じる。
#民話 #タジキスタン #山羊 #ジャッカル #オオカミと子ヤギたち
「シルクロードの民話 パミール高原」 308-311p
個人的には、ギリシア神話のクロノスとレアーの関係を彷彿とさせる物語だと感じる。
#民話 #タジキスタン #山羊 #ジャッカル #オオカミと子ヤギたち
善と悪のお値段 ATU133*
「シルクロードの民話 パミール高原」 295-296p
個人的には「因幡の白うさぎ」を思い起こさせる話である。
#民話 #タジキスタン #蠍 #亀 #ヤギがヘビを川の向こう岸に運ぶ
「シルクロードの民話 パミール高原」 295-296p
個人的には「因幡の白うさぎ」を思い起こさせる話である。
#民話 #タジキスタン #蠍 #亀 #ヤギがヘビを川の向こう岸に運ぶ
老婆とすずめ ATU715
「シルクロードの民話 パミール高原」 288-294p
身分の高い者(王)が鳥と一体化する物語。「鳥のみじじい」と併せてであるが、一体化した人間に対して、禍福を与えるのは鳥の方で、鳥の方が人間(王)よりも思想として地位が高いことが分かる。
本話では小鳥は「老婆」に仕える存在であり、更に鳥よりも地位の高い存在(老婆)がいる。「老婆」は「鳥に食事を運んで貰った」という西王母あるいは、その前身といえる、古い時代の長江文明の太陽女神といえる。本物語でも、雀は老婆の食料である葡萄を管理している。
そのような点では、「老婆とすずめ」の方が「鳥のみじじい」よりも本来の女神信仰の思想を色濃く残しているといえようか。
#民話 #タジキスタン #雀 #老婆 #鳥神 #葡萄 #半分オンドリ
「シルクロードの民話 パミール高原」 288-294p
身分の高い者(王)が鳥と一体化する物語。「鳥のみじじい」と併せてであるが、一体化した人間に対して、禍福を与えるのは鳥の方で、鳥の方が人間(王)よりも思想として地位が高いことが分かる。
本話では小鳥は「老婆」に仕える存在であり、更に鳥よりも地位の高い存在(老婆)がいる。「老婆」は「鳥に食事を運んで貰った」という西王母あるいは、その前身といえる、古い時代の長江文明の太陽女神といえる。本物語でも、雀は老婆の食料である葡萄を管理している。
そのような点では、「老婆とすずめ」の方が「鳥のみじじい」よりも本来の女神信仰の思想を色濃く残しているといえようか。
#民話 #タジキスタン #雀 #老婆 #鳥神 #葡萄 #半分オンドリ
ノック・グラフトンの伝説 ATU503
「妖精の誕生 トマス・カイトリー」 200-201p
いわゆる「瘤取り」譚である。
類話は「背中にこぶのある仕立屋の話」。
#伝説 #アイルランド #フェアリー #こぶ取り #オシリスとセト #こびとたちの贈り物
「妖精の誕生 トマス・カイトリー」 200-201p
いわゆる「瘤取り」譚である。
類話は「背中にこぶのある仕立屋の話」。
#伝説 #アイルランド #フェアリー #こぶ取り #オシリスとセト #こびとたちの贈り物
おとっとこよし
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 189-191p
イェンゼンのことは個人的には好きではないのだが、「芋といえばハイヌウェレ」というくらい(?)ハイヌウェレ型神話は有名な話である。この物語は一般的なハイヌウェレ型神話よりも更に古い時代の「ハイヌウェレ型神話」といえると考える。
西欧では「末子成功譚」が多いが、東アジアから環太平洋周辺地域のオーストロネシア語族の文化圏の中には「兄と弟」の組み合わせで、原因は様々だが、弟が唐突に死ぬ、というパターンの物語がままある。本物語もそのような国際的な物語の1つであって、台湾やポリネシア等に類話がみられる。
本物語に限っていえば、これはホトトギスという鳥の由来譚と、5月の端午の節句に芋汁を食べることの由来譚でもある。芋名月は日本では中秋の行事とされることが多いが、鬼無里では5月の節句の行事であったことが分かる。そして、兄が鳥の化身であり、弟が山芋の化身であることが分かる。これを動物神や植物神の擬人化、とみるのか、人を動物や植物になぞらえている、とみるのか、ということになるが、管理人は後者であると思う。
なぜ、人間を動物や植物になぞらえるのか、といえば、その理由は「階級」や「身分」というものを示し、誰が「上の身分」で、誰が「下の身分」であるかを示しているし、それぞれの社会的役割を示しているものとも考える。兄は「鳥」であって、木の枝の高いところに住み、弟たちを支配する。山芋は、地面の下に存在し、一番低いところに生息するものなので、それが「身分の低さ」を示すし、支配しかされない。そのような観点から見れば、本物語は「身分の低い者は上位の者の食べ物である」とか「上位の者は身分の低い者の生殺与奪件を握る」という階級社会の理論や思想を示す、社会学的な物語あるいは「説話」とすらいえると考える。
階級社会の発生は、父系文化の発生と一致し、良渚文化にまで遡る。本物語に暗喩される「身分的に上位の者は下位の者を食い物にして当然である」という思想が、父系文化と階級社会を支えてきた思想だと理解すれば、大国が小国を一方的に「悪者」と決めつけて理不尽に攻撃するようなことを正当化する根本的な思想が、5500年ほど前に長江下流域の水稲耕作民から発生したものであって、人類はそこから5000年以上たっても、「父系文化の根本的思想」から抜け出すことができないでいることが分かる。この思想の問題の根は山芋の根よりも更に深いところまで潜り込んでいるように思える。そして、鬼無里・長野市信州新町あたりには、古い時代のハイヌウェレ型神話に関係する民話・伝承が多く残され、独特な地域であるなあ、と思う。(今のところ信州新町はなんだか「泥棒村」みたいなノリになっちゃっていて、呆れかえるばかりである。まあ、ここのところ1600年くらいはそういうノリだったのかもしれませんがー;。)
参照:序列殺人
#昔話 #長野県 #北信 #鬼無里 #ほととぎす #鳥 #山芋 #植物 #ハイヌウェレ #序列殺人
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 189-191p
イェンゼンのことは個人的には好きではないのだが、「芋といえばハイヌウェレ」というくらい(?)ハイヌウェレ型神話は有名な話である。この物語は一般的なハイヌウェレ型神話よりも更に古い時代の「ハイヌウェレ型神話」といえると考える。
西欧では「末子成功譚」が多いが、東アジアから環太平洋周辺地域のオーストロネシア語族の文化圏の中には「兄と弟」の組み合わせで、原因は様々だが、弟が唐突に死ぬ、というパターンの物語がままある。本物語もそのような国際的な物語の1つであって、台湾やポリネシア等に類話がみられる。
本物語に限っていえば、これはホトトギスという鳥の由来譚と、5月の端午の節句に芋汁を食べることの由来譚でもある。芋名月は日本では中秋の行事とされることが多いが、鬼無里では5月の節句の行事であったことが分かる。そして、兄が鳥の化身であり、弟が山芋の化身であることが分かる。これを動物神や植物神の擬人化、とみるのか、人を動物や植物になぞらえている、とみるのか、ということになるが、管理人は後者であると思う。
なぜ、人間を動物や植物になぞらえるのか、といえば、その理由は「階級」や「身分」というものを示し、誰が「上の身分」で、誰が「下の身分」であるかを示しているし、それぞれの社会的役割を示しているものとも考える。兄は「鳥」であって、木の枝の高いところに住み、弟たちを支配する。山芋は、地面の下に存在し、一番低いところに生息するものなので、それが「身分の低さ」を示すし、支配しかされない。そのような観点から見れば、本物語は「身分の低い者は上位の者の食べ物である」とか「上位の者は身分の低い者の生殺与奪件を握る」という階級社会の理論や思想を示す、社会学的な物語あるいは「説話」とすらいえると考える。
階級社会の発生は、父系文化の発生と一致し、良渚文化にまで遡る。本物語に暗喩される「身分的に上位の者は下位の者を食い物にして当然である」という思想が、父系文化と階級社会を支えてきた思想だと理解すれば、大国が小国を一方的に「悪者」と決めつけて理不尽に攻撃するようなことを正当化する根本的な思想が、5500年ほど前に長江下流域の水稲耕作民から発生したものであって、人類はそこから5000年以上たっても、「父系文化の根本的思想」から抜け出すことができないでいることが分かる。この思想の問題の根は山芋の根よりも更に深いところまで潜り込んでいるように思える。そして、鬼無里・長野市信州新町あたりには、古い時代のハイヌウェレ型神話に関係する民話・伝承が多く残され、独特な地域であるなあ、と思う。(今のところ信州新町はなんだか「泥棒村」みたいなノリになっちゃっていて、呆れかえるばかりである。まあ、ここのところ1600年くらいはそういうノリだったのかもしれませんがー;。)
参照:序列殺人
#昔話 #長野県 #北信 #鬼無里 #ほととぎす #鳥 #山芋 #植物 #ハイヌウェレ #序列殺人
三人まま子
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 183-188p
これは継母が継子を虐め殺してしまう、という非常に残酷で陰惨な話。少なくとも子供に聞かせるような話ではないと思う。
民話や神話における「釜」というのは、尽きせぬ食料を出す「豊穣の大釜」と、地獄などで罰を与える「罰のための大釜」に分かれる、と個人的には思う。本物語の「釜」は後者である。また、幼い子供を人身御供に捧げた習慣、おそらく太古にはそれを食したであろう習慣が、かすかに垣間見える物語といえる。これは環太平洋周辺地域の海洋民族の食人文化に通じる思想が古代の日本にもあったのではないか、と思わせる。
このような物語はコンプライアンス的には、そのまま子供に聞かせるには向かないが、さりとて、古代の先祖の文化の痕跡を消し去って良いものとも思わない。民話や伝説は残酷な話が多いので、どうやって後世に伝え残していくのかを熟慮する必要がある典型的な物語といえる。
歌が秘密を暴露するところは、「王様の耳はロバの耳」的でもある。
この手の残酷な物語の取扱に気を遣うべきと考えたのは何も現代人だけではなく、「源氏物語」の中にも、光源氏が娘の明石の中宮を育てる際に、実母ではない紫の上に養育を任せたので、子供の目に「継子虐め」の物語が触れないように気を配った、というエピソードが出てくる。
#昔話 #長野県 #北信 #継子虐め #魔法の大釜 #歌 #秘密の暴露 #人身御供
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 183-188p
これは継母が継子を虐め殺してしまう、という非常に残酷で陰惨な話。少なくとも子供に聞かせるような話ではないと思う。
民話や神話における「釜」というのは、尽きせぬ食料を出す「豊穣の大釜」と、地獄などで罰を与える「罰のための大釜」に分かれる、と個人的には思う。本物語の「釜」は後者である。また、幼い子供を人身御供に捧げた習慣、おそらく太古にはそれを食したであろう習慣が、かすかに垣間見える物語といえる。これは環太平洋周辺地域の海洋民族の食人文化に通じる思想が古代の日本にもあったのではないか、と思わせる。
このような物語はコンプライアンス的には、そのまま子供に聞かせるには向かないが、さりとて、古代の先祖の文化の痕跡を消し去って良いものとも思わない。民話や伝説は残酷な話が多いので、どうやって後世に伝え残していくのかを熟慮する必要がある典型的な物語といえる。
歌が秘密を暴露するところは、「王様の耳はロバの耳」的でもある。
この手の残酷な物語の取扱に気を遣うべきと考えたのは何も現代人だけではなく、「源氏物語」の中にも、光源氏が娘の明石の中宮を育てる際に、実母ではない紫の上に養育を任せたので、子供の目に「継子虐め」の物語が触れないように気を配った、というエピソードが出てくる。
#昔話 #長野県 #北信 #継子虐め #魔法の大釜 #歌 #秘密の暴露 #人身御供