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固有名詞は可能な限りWikipediaに準ず

No.287, No.286, No.285, No.284, No.283, No.282, No.2817件]

住みかえ
「シルクロードの民話 パミール高原」 330p

 小話。笑い話。やや風刺的か?
 死後の世界をガチガチに決めつけられないで、自由にしたい、という願望も多少は含まれていないだろうか。

#民話 #タジキスタン #天国 #地獄 #イスラム教

by admin. 民話 <124文字> 編集

天国の橋
「シルクロードの民話 パミール高原」 329-330p

 小話。愚か話兼笑い話。風刺話でもあるか?
 「天国」とそこへ行く橋、というムスリム的な思想の上に成立している物語。
 「天国へ行くには正しい行いが必要である」というたとえ話を具体的に受けとって、天国に行くのに羊や鶏を駆使しようとする話。
 ジャーヒリーヤ時代の多神教の神々に対する信仰習慣の片鱗が投影されているのかもしれないと思う。

#民話 #タジキスタン #愚か #羊 #雄鶏 #橋

by admin. 民話 <228文字> 編集

3回の放屁
「シルクロードの民話 パミール高原」 327-329p

 小話。愚か話。「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開の物語。
 大元の話に潜在的に「ハイヌウェレ型神話」があったとすれば、放屁して死ぬのはロバで、再生されるのは(典型例では)芋類となるはずだがパロディー的な物語展開となっている。

#民話 #タジキスタン #愚か #ロバ #放屁 #ムチ #排泄神

by admin. 民話 <182文字> 編集

びわ池
「読んで 遊んで とっぴんぱらたからぎけのり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 81p、コラム

 木曽郡上松町にある「びわ池」の伝説である。

 怪物退治譚の一種なのだが、シャーマン(びわ法師)が自己犠牲を払って人々を助けた、という物語。
 昔の宗教関係者はかなり外国の宗教も研究していたようであるし、原始キリスト教神話を基にして、修験道関係者が作り上げた物語なのではないだろうか、と個人的には想像する。
 シャーマンが活躍して大洪水から身を守る、という説話は伏羲の物語にも通じる、と思う。

#昔話 #長野県 #中信 #竜 #龍 #びわ法師 #洪水 #怪物退治

by admin. 昔話 <290文字> 編集

世界の終わりにそなえて
「シルクロードの民話 パミール高原」 326-327p

 小話。騙そうとしたものが騙される物語。怪物退治の一種の変形かもしれないと思う。「世界の終わり」というムスリム的な宗教観が登場する。

(非常に余談だが、そろそろ「世界の終わり」というのは「世界の尾羽張」のことでは? って突っ込みが入れられるスキルが欲しい気がする今日この頃・・・。そういう名前のグループとか、そういう名前の人とかいそうな気がするわけですが-;。)

#民話 #タジキスタン #叡智 #怪物退治 #世界の終わり

by admin. <254文字> 編集

生妻の池
「読んで 遊んで とっぴんぱらたからぎけのり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 81p、コラム

 松本市中山にある「生妻池」の伝説である。

 毎晩やってくる娘の着物の裾に糸をつけて後をつけたら、娘の正体は池の竜蛇女神であった、というもの。同じような伝説が岐阜県高山市朝日地区の道の駅の看板に書いてあったので、中部地方の竜蛇女神伝説としてはポピュラーな形式のものなのか、と思う。

 生妻池の近くの弘法山古墳には「泉小太郎」伝説もある。小太郎の母の犀竜が、かつては広範囲に信仰されていた竜蛇女神であった証拠だと考える。

#昔話 #長野県 #中信 #竜 #龍 #女神 #池 #糸

by admin. 伝説,固有地名 <299文字> 編集

竜王権現
「読んで 遊んで とっぴんぱらたからぎけのり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 81p、コラム

 筑北村差切峡の竜神の話。竜神は『降り続く長雨で、修那羅にあった大きな池が崩れた際、主の大蛇も流されて、差切峡の「ドの渕(ぶち)」に住み着いた。(「差切峡の大蛇伝説と竜王権現様祭り 」)より』のだが、猟師が鳥を撃つのを邪魔したため、猟師が竜神を殺したところ、祟りが生じたため、仙人が供養というか調伏した、という話である。

龍と鳥が一体のものである、というごく古いオーストロネシア語族の「世界樹」の概念の片鱗が残されている物語。竜神を殺した猟師はさしづめ羿といえよう。羿が悪しき三足烏や河伯を倒したところで、世の中がそれで全てうまくいくとは限らなくて、人が何もしなくても様々な天災は起こり得る。それを「祟り」としてシャーマン(本物語では「仙人」)でなければ収集できない、としてしまえば、神職やシャーマンの地位にある者は、永遠に「唯一祟りを鎮める者」として人々の上に君臨できるのではなかろうか。シャーマンが「神を生贄に捧げなければ、戦争は止まらない(止めない)、小麦も手に入らない(入れさせない)」と言い出すようなことがもしあれば、祟っている諸悪の根源はシャーマン自身ともいえるのではなかろうか、とふと想像したりするわけです。

本物語は仙人の祈祷が重要な要素であるため、修験道の宣伝的な意味があると思う。また、本物語の竜神は鳥との一体的な立場が強く、水神女神とする要素が乏しいため、中国的な「世界樹」の概念の方が起源として近い物語と感じる。誰が持ち来たったものなのか、興味深く感じます。

参考サイト:差切峡の大蛇伝説と竜王権現様祭り

#昔話 #長野県 #北信 #竜 #龍 #仙人 #祟り #調伏 #鳥

by admin. <761文字> 編集

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