No.226, No.225, No.224, No.223, No.222, No.221, No.220[7件]
おとっとこよし
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 189-191p
イェンゼンのことは個人的には好きではないのだが、「芋といえばハイヌウェレ」というくらい(?)ハイヌウェレ型神話は有名な話である。この物語は一般的なハイヌウェレ型神話よりも更に古い時代の「ハイヌウェレ型神話」といえると考える。
西欧では「末子成功譚」が多いが、東アジアから環太平洋周辺地域のオーストロネシア語族の文化圏の中には「兄と弟」の組み合わせで、原因は様々だが、弟が唐突に死ぬ、というパターンの物語がままある。本物語もそのような国際的な物語の1つであって、台湾やポリネシア等に類話がみられる。
本物語に限っていえば、これはホトトギスという鳥の由来譚と、5月の端午の節句に芋汁を食べることの由来譚でもある。芋名月は日本では中秋の行事とされることが多いが、鬼無里では5月の節句の行事であったことが分かる。そして、兄が鳥の化身であり、弟が山芋の化身であることが分かる。これを動物神や植物神の擬人化、とみるのか、人を動物や植物になぞらえている、とみるのか、ということになるが、管理人は後者であると思う。
なぜ、人間を動物や植物になぞらえるのか、といえば、その理由は「階級」や「身分」というものを示し、誰が「上の身分」で、誰が「下の身分」であるかを示しているし、それぞれの社会的役割を示しているものとも考える。兄は「鳥」であって、木の枝の高いところに住み、弟たちを支配する。山芋は、地面の下に存在し、一番低いところに生息するものなので、それが「身分の低さ」を示すし、支配しかされない。そのような観点から見れば、本物語は「身分の低い者は上位の者の食べ物である」とか「上位の者は身分の低い者の生殺与奪件を握る」という階級社会の理論や思想を示す、社会学的な物語あるいは「説話」とすらいえると考える。
階級社会の発生は、父系文化の発生と一致し、良渚文化にまで遡る。本物語に暗喩される「身分的に上位の者は下位の者を食い物にして当然である」という思想が、父系文化と階級社会を支えてきた思想だと理解すれば、大国が小国を一方的に「悪者」と決めつけて理不尽に攻撃するようなことを正当化する根本的な思想が、5500年ほど前に長江下流域の水稲耕作民から発生したものであって、人類はそこから5000年以上たっても、「父系文化の根本的思想」から抜け出すことができないでいることが分かる。この思想の問題の根は山芋の根よりも更に深いところまで潜り込んでいるように思える。そして、鬼無里・長野市信州新町あたりには、古い時代のハイヌウェレ型神話に関係する民話・伝承が多く残され、独特な地域であるなあ、と思う。(今のところ信州新町はなんだか「泥棒村」みたいなノリになっちゃっていて、呆れかえるばかりである。まあ、ここのところ1600年くらいはそういうノリだったのかもしれませんがー;。)
参照:序列殺人
#昔話 #長野県 #北信 #鬼無里 #ほととぎす #鳥 #山芋 #植物 #ハイヌウェレ #序列殺人
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 189-191p
イェンゼンのことは個人的には好きではないのだが、「芋といえばハイヌウェレ」というくらい(?)ハイヌウェレ型神話は有名な話である。この物語は一般的なハイヌウェレ型神話よりも更に古い時代の「ハイヌウェレ型神話」といえると考える。
西欧では「末子成功譚」が多いが、東アジアから環太平洋周辺地域のオーストロネシア語族の文化圏の中には「兄と弟」の組み合わせで、原因は様々だが、弟が唐突に死ぬ、というパターンの物語がままある。本物語もそのような国際的な物語の1つであって、台湾やポリネシア等に類話がみられる。
本物語に限っていえば、これはホトトギスという鳥の由来譚と、5月の端午の節句に芋汁を食べることの由来譚でもある。芋名月は日本では中秋の行事とされることが多いが、鬼無里では5月の節句の行事であったことが分かる。そして、兄が鳥の化身であり、弟が山芋の化身であることが分かる。これを動物神や植物神の擬人化、とみるのか、人を動物や植物になぞらえている、とみるのか、ということになるが、管理人は後者であると思う。
なぜ、人間を動物や植物になぞらえるのか、といえば、その理由は「階級」や「身分」というものを示し、誰が「上の身分」で、誰が「下の身分」であるかを示しているし、それぞれの社会的役割を示しているものとも考える。兄は「鳥」であって、木の枝の高いところに住み、弟たちを支配する。山芋は、地面の下に存在し、一番低いところに生息するものなので、それが「身分の低さ」を示すし、支配しかされない。そのような観点から見れば、本物語は「身分の低い者は上位の者の食べ物である」とか「上位の者は身分の低い者の生殺与奪件を握る」という階級社会の理論や思想を示す、社会学的な物語あるいは「説話」とすらいえると考える。
階級社会の発生は、父系文化の発生と一致し、良渚文化にまで遡る。本物語に暗喩される「身分的に上位の者は下位の者を食い物にして当然である」という思想が、父系文化と階級社会を支えてきた思想だと理解すれば、大国が小国を一方的に「悪者」と決めつけて理不尽に攻撃するようなことを正当化する根本的な思想が、5500年ほど前に長江下流域の水稲耕作民から発生したものであって、人類はそこから5000年以上たっても、「父系文化の根本的思想」から抜け出すことができないでいることが分かる。この思想の問題の根は山芋の根よりも更に深いところまで潜り込んでいるように思える。そして、鬼無里・長野市信州新町あたりには、古い時代のハイヌウェレ型神話に関係する民話・伝承が多く残され、独特な地域であるなあ、と思う。(今のところ信州新町はなんだか「泥棒村」みたいなノリになっちゃっていて、呆れかえるばかりである。まあ、ここのところ1600年くらいはそういうノリだったのかもしれませんがー;。)
参照:序列殺人
#昔話 #長野県 #北信 #鬼無里 #ほととぎす #鳥 #山芋 #植物 #ハイヌウェレ #序列殺人
by admin. ⌚ 2022年04月18日(月) 06:21:35 昔話,起源・由来 <1281文字> 編集
三人まま子
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 183-188p
これは継母が継子を虐め殺してしまう、という非常に残酷で陰惨な話。少なくとも子供に聞かせるような話ではないと思う。
民話や神話における「釜」というのは、尽きせぬ食料を出す「豊穣の大釜」と、地獄などで罰を与える「罰のための大釜」に分かれる、と個人的には思う。本物語の「釜」は後者である。また、幼い子供を人身御供に捧げた習慣、おそらく太古にはそれを食したであろう習慣が、かすかに垣間見える物語といえる。これは環太平洋周辺地域の海洋民族の食人文化に通じる思想が古代の日本にもあったのではないか、と思わせる。
このような物語はコンプライアンス的には、そのまま子供に聞かせるには向かないが、さりとて、古代の先祖の文化の痕跡を消し去って良いものとも思わない。民話や伝説は残酷な話が多いので、どうやって後世に伝え残していくのかを熟慮する必要がある典型的な物語といえる。
歌が秘密を暴露するところは、「王様の耳はロバの耳」的でもある。
この手の残酷な物語の取扱に気を遣うべきと考えたのは何も現代人だけではなく、「源氏物語」の中にも、光源氏が娘の明石の中宮を育てる際に、実母ではない紫の上に養育を任せたので、子供の目に「継子虐め」の物語が触れないように気を配った、というエピソードが出てくる。
#昔話 #長野県 #北信 #継子虐め #魔法の大釜 #歌 #秘密の暴露 #人身御供
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 183-188p
これは継母が継子を虐め殺してしまう、という非常に残酷で陰惨な話。少なくとも子供に聞かせるような話ではないと思う。
民話や神話における「釜」というのは、尽きせぬ食料を出す「豊穣の大釜」と、地獄などで罰を与える「罰のための大釜」に分かれる、と個人的には思う。本物語の「釜」は後者である。また、幼い子供を人身御供に捧げた習慣、おそらく太古にはそれを食したであろう習慣が、かすかに垣間見える物語といえる。これは環太平洋周辺地域の海洋民族の食人文化に通じる思想が古代の日本にもあったのではないか、と思わせる。
このような物語はコンプライアンス的には、そのまま子供に聞かせるには向かないが、さりとて、古代の先祖の文化の痕跡を消し去って良いものとも思わない。民話や伝説は残酷な話が多いので、どうやって後世に伝え残していくのかを熟慮する必要がある典型的な物語といえる。
歌が秘密を暴露するところは、「王様の耳はロバの耳」的でもある。
この手の残酷な物語の取扱に気を遣うべきと考えたのは何も現代人だけではなく、「源氏物語」の中にも、光源氏が娘の明石の中宮を育てる際に、実母ではない紫の上に養育を任せたので、子供の目に「継子虐め」の物語が触れないように気を配った、というエピソードが出てくる。
#昔話 #長野県 #北信 #継子虐め #魔法の大釜 #歌 #秘密の暴露 #人身御供
by admin. ⌚ 2022年04月16日(土) 05:46:01 昔話 <622文字> 編集
早太郎
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 172-180p
「怪物退治」の一種。「猿神退治」といったら「早太郎」というくら有名な話。
光善寺は長野県駒ヶ根市赤穂にある天台宗の別格本山の古刹である。天台宗信濃五山のひとつに数えられた。
一方、静岡県磐田市見付には矢奈比賣神社(見付天神)がある。
早太郎は光善寺での名前で、見付では悉平太郎(しっぺいたろう)と呼ばれる。
光善寺には今でも早太郎のお墓があります。見付天神には悉平太郎を祀った霊犬神社があるとのこと。
駒ヶ根から見付まではおおよそ90~100kmの距離がある。古くからの南信と静岡との交流を忍ばせると共に、
傷つきながらも遠い道のりを故郷まで戻ってきた早太郎のことを思うと、感慨深いものがあります。
早太郎が通ったと思われる道は現在の国道152線号であり、「秋葉街道」という名があって、
南信から秋葉山に通じる道でもあります。かつての修験道の道でもあるので、やはり物語の発生と伝播には
修験道が大きく関わっているのではないか、と思います。
参照:猿神退治
#伝説 #長野県 #南信 #犬 #仏教 #修験道
「長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 172-180p
「怪物退治」の一種。「猿神退治」といったら「早太郎」というくら有名な話。
光善寺は長野県駒ヶ根市赤穂にある天台宗の別格本山の古刹である。天台宗信濃五山のひとつに数えられた。
一方、静岡県磐田市見付には矢奈比賣神社(見付天神)がある。
早太郎は光善寺での名前で、見付では悉平太郎(しっぺいたろう)と呼ばれる。
光善寺には今でも早太郎のお墓があります。見付天神には悉平太郎を祀った霊犬神社があるとのこと。
駒ヶ根から見付まではおおよそ90~100kmの距離がある。古くからの南信と静岡との交流を忍ばせると共に、
傷つきながらも遠い道のりを故郷まで戻ってきた早太郎のことを思うと、感慨深いものがあります。
早太郎が通ったと思われる道は現在の国道152線号であり、「秋葉街道」という名があって、
南信から秋葉山に通じる道でもあります。かつての修験道の道でもあるので、やはり物語の発生と伝播には
修験道が大きく関わっているのではないか、と思います。
参照:猿神退治
#伝説 #長野県 #南信 #犬 #仏教 #修験道
「妖精の誕生 トマス・カイトリー」 189-191p
「とりかえ子」への対応を「召使いの少女」が行うところは「とりかえ子(スカンジナビア)」と同じ。
本物語では「とりかえ子」は召使いの仕事を手伝ってくれたりして、家付精霊のような性質を持っており、全く役に立たないわけではない。それが本物語の特徴と思える。
類話は「とりかえ子(スカンジナビア)」、「とりかえ子(ドイツ)」
参照:取り替え子
#民話 #スコットランド #フェアリー #取り替え子 #家付精霊