本日の日誌

よくよく考えてみれば分かることですが、排水工事の完了届けを出すには、申込者の判子も必要なわけで。いくら測量なんかしようが、私達の了解のない完了届なんて出せないわけですが。


で、本日はMステがあったので、見たわけですが。亀梨君が、水浸しで出てた-;。しかも、滝沢君の演出とかで美少年も出てた。美少年も出てたんだーー、と思って。せっかくの生放送なのに、那須君に気がつかなくてごめんーー、と思う。どうもあんまり人の顔の区別がつかないもので-;。でも、さすがに滝沢君の演出というか、言いたいことはわかりやすい気がする、と思うわけで。親と、来週の対策とかもちょっと練ってみました。


で、後は書類が、予定より1日早く仕上がったので。終末は数をしっかり数えて仕上げをしようと思います。どうせ、みんなこちらが出した書類を見て、いろいろ次のことを考えるに決まってるわけで。


で、後はいざというときに、何て言って行政に責任をなすりつけようか、とかそういうことも少しは考えて。


で、少し前に、7番目の兄さんに、「「オペラ座の怪人」を自分のものとして送ることができるようになったので、映画版のDVDを買い戻すように」と言われる気がするわけで。で、買って見てみたわけです。割とその映画には、お味方が出てるっぽいです。で、今となっては、割といろんなことを話しかけられる気がするわけで。そして、クリスティーヌとラウルが、愛を交わす歌の時には、「こっちを見て見て」と言われる気がするわけで。みんな、「7番目の兄さんの気持ちが妻神に届きますように。」って言ってくれるわけです。「ラウルのような気持ち」って言われると、それも何だか不思議な気がするわけですが。


そして、特に女性陣から、「自分の気持ちに正直になるように」と言われる気がするわけで。クリスティーヌは、慕っていたファントムではなくラウルを選ぶけれども、特に映画版では、ファントムに対する憐憫の情をどこかに残している。「千と千尋」の千尋もそうだけれども、自分を殺そうとしたカオナシを、できる範囲で助けようとしてる。そして、最近の例としては、眞子ちゃんとどっかの某Kのように、周囲から見れば「本当に奥さんを幸せに出来るの?」というような話でも、当人同士は愛し合って(いるように見える、表向きはね-;)いるということもある。「愛」とは、そういうものではないのか? と言われる気がするわけで。結局、「自分の気持ちに正直に生きる」ことと、「自分の気持ちに正直になる」ということは違うでしょ、あなたが誰をどう選んで、どう結婚しようと、「自分が誰を愛しているのか」を大きな声で言えずに、自分自身にすら嘘をついているのなら、それは「女性には、愛している人のことを大きな声で「愛している」と言う権利がないということ、とあなたが考えているということ。女性にそのような権利がないと考えるということは、女性差別ではないのか。」と言われる気がするわけで-;。


え、じゃあ、なんですかね? 私は、本当は、心の奥底では2番目の子のことしか愛してないけど、死にたくないから、愛してもいない蛇の兄さんと結婚しようと決めてる、ってそういうことを大声で言えば良いってこと?? と言いたくなるわけですが、そうすると、「でも、それがクリスティーヌの本音でしょ?」と、某ディアーヌ女神に言われる気がするわけで@@。そういうことを、でかい声で言えることが、女性が「真に自由になる」ってこと??? と思うわけですが@@。むしろ、特に西欧のフェミニズムに傾倒してる女性ほど、こういうことを当たり前に言ってくる気がするわけで@@。でも、純粋に2番目の子のことを「好き」と言えた若い頃ならともかく、今はああいう気持ちで、その人のことを「好き」って言いたい気持ちもないんだけど?? と思う。


というか、Mステで、今日、May.Jが、デーモン閣下と、25年も前の「愛が生まれた日」とかを歌っていて。しかも、25年前の「スーパーライブ」の映像も流れていて。May.Jには、「別にあなたはこの歌に思い入れはないからいいでしょ?」と言われる気がするわけで。歌はともかく、あなたに生放送で会えてうれしいですよ、と思う。25年前のスーパーライブはですねえ、福山君、音楽家の兄さん、利兄さん、杉の木の兄さんと、年長組の兄さん達は総出演してますねえ、と今なら思う。でも、7番目の兄さんは15で、6番目の子は11で、二人ともまだデビュー前だし、と思う。「悪魔」のデーモン閣下と、「あなたとなら」「生きて」云々って歌うってことは、25年前に、誰に対してそう思ってたのか思い出せってことですよねえ? と思う。でも、そもそも、言いたいことがあるなら、自分が直接私の前に出て言えばいい、こういうやり方をする人は嫌い、と思うわけで。いくら愛している人でも、人を騙して裏切るような人は、しまいには信頼できなくなるし、結婚とか恋愛に本当に必要なのは、信頼の方なんじゃん? と思う。そっちを重要視しすぎるあまり、情熱の欠ける人間にはなっちゃってるかもしれんけど、クリスティーヌが、ファントムを蹴飛ばすときに言ったように、「あなたは私を騙したのね?」という言葉が一番の本音であるし、そういう相手とは一緒にいられないと思う。一緒にいられないのなら、元は愛していたとしても、それが時と共に形が変わっていくのは当然なんじゃないのかねえ? と思うわけですが。特に他に熱烈な求婚者が現れた場合には、と思う。というか、なんで私が「女性差別」とかって言われなきゃなんないんですかね、個人的なことで、と思うわけで-;。どんな時も、まずは生きていくことが大事、だということです。7番目の兄さんは、「自分には妻神の全てと向き合って、全てを受け止める覚悟がある。」って言ってくれるわけです。だから、頑張んなきゃー、と思うわけです。


蛇の兄さんは、人のことを研究し尽くして、「妻神には、ちょっと高カロリーのものを食べさせて、ボケーっとさせとけば、大抵のことは嫌がられずに押し通せる。」と思ってるらしいです。というか、大抵の兄さん達は、私のトラウマは、それで何とか乗り越えられると思ってる気がするわけですがー;。



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本日の日誌

どうも、なんで、水道工事についてだけ、図々しくくだくだと言ってきたのか分かる気がするわけで。要するに、工務店が、「申込人は自分ではない」と言いたいのだと思う。これにだけ言ってくるのは、申請に、申込人の印鑑がいらないからでもあると思うわけですが。


これについては、むしろ、「裁判官に言ってやりたいこと」があるとも言う。まあ、応用編を準備書面に書いて出すので、そっから悟って頂ければ、と思います。というか、民法には537条、538条というものがあるということに、ようやくたどり着いた、ということで。申込人に責任があるならあるで、尚のこと完成もしてない工事の申請なんかさせるわけもないでしょうが、ふざけるな、とかっていうのじゃいけないのでしょうか???



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本日の日誌

どうも、水道工事をやった業者が唐突にやってきて、「工期が大幅に延長しているから、完了届けを出せ、と行政から指導があった」って言ってきたわけです。しかも、来たのが全然知らない人だし?? いかにも、怪しいし、ブンブブーンでも光ちゃんがチェックの服着てたし、最近ではヘリも良く出てたし? だいたい、もう何年も上下水道共に、普通に料金払って使用してるのに、完了届けとか何? と思うわけで。


一応、「いくら工期が延長しようが、完了届けを出す前に、工事を完了させるように指導できないの?」とは聞いてみました。でも、長野市の水道行政は、良くも悪くも、あんまり強制力がないらしくてー;。たぶん、指導のことも嘘なんだろうな、と思う。問い合わせた水道局の職員が、口裏合わせっぽい嘘ついてたし。


だけど、とっくの昔に工事が終わってる気がするんだけど?? と思って、夕飯を食べながらテレビを見ていたら、廉君に「エコキュートの移設をしてなくて、申請できなかったんじゃないの?」と言われる気がするわけで。あー、こっちがやっちゃったからね、それ。向こうが、やらないから悪いんだけどね、と思うわけで。他人に工事をやらせておいて、終わった後にノコノコとやってきて、「完了届けだけ出させてくれ」ってどうなの、それ? と思う。ともかく、名前も名乗らない人間は信用ならない、と思うわけです。まあ、それだけのことです。



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本日の日誌

本日は、一応書証の見直しをして、証拠説明書の印刷をして。


で、中古で「日本の民話」全集を買ったわけです。全26巻で、1700円+送料というお値段であって。最新の新装版が1冊2200円で売っているので、2冊分にも足りないお値段で、全巻買えるので、お値打ち品で買ったわけで。しかも、斎宮の宮に「買え、買え」と言われるので買ったわけで。本の状態は、全体としては悪くございません。古い本だから、微妙にかび臭いけど、おそらく、読んでもいない、手のつけられていない巻もたくさんある感じであって。そもそも、読まれた気配のあるのは数冊であって、気配のあるものには、前の持ち主がいろいろと書き込んだ跡もあって。それで安かったんだなー、と思う。前の持ち主は、人文系の研究者ででもあったのか、それとも、民話とかを元にして脚本とか書く人だったのか? と思うわけですが。たぶん、こういう古い本は、「遺品整理」とか、老後に向けての「断捨離」とかで市場に出たんだろうなあ、と思うわけです。昭和49年出版の初版本だし。先日買った、「世界の民話」全集は、昭和51年の初版本だし。これらに先だって、「世界の神話」シリーズの入門書も買った。古い家には、「日本古典文学全集」の第1期配本がある、ということで。


「これだけあれば、世界に住む人々が、何を考えて生きているのか理解するのに困らないでしょ。」


と言われる気がするわけで。だいたい、昭和49年出版とか、昭和51年出版とか、最初から我が家に「買わせる」目的の本の数々でしょ、それ、と思うわけで。家に入るまで半世紀以上かかった。斎宮の宮や、その周辺の人々は、「天皇家の題が変わるまで果たせなかった。」と思ってるらしくて。代替わりしたら、あっという間に入りましたねえ? と思う。カビ臭さは、せっせとファブでごまかしておりますー;。まあ、少しずつ読んでいきたいと思います。


で、「信濃の民話」は第10巻、ということで、意味深な巻数なのですが。甲賀三郎の物語とか、泉小太郎とか、早太郎とか、雉も鳴かずば、とか、良く知っているところはだいたい網羅しているわけで。で、冒頭には、「ダイダラボッチ」の伝承が載っていて。ダイダラボッチでも、「太田坊」でもいいわけですが。要するに、それは「饕餮」の一番古い姿であると思う。かつては、彼も自由気ままに動き回れる神であったのに。


熊本の駅には、首だけの「くまもん」のオブジェがあるらしいです。権堂にも、首だけの「勢獅子」のオブジェがこれみよがしに飾ってある。「饕餮」も首だけの神だし、しかも、「皇帝」しか祀ることの許されない「祟り神」である。「くまもん」も「勢獅子」も「饕餮」も、「クマルビ」も、「クンバン」も、その延長の「スサノオ」もみんな「同じもの」だ。常に、露骨に「首だけ」になるような呪いをかけ続けられているのは、彼のせいではないけれども、何故、その姿は、それほどまでにゆがめられているのだろうか、と思う。淡路島は遠いけれども、須佐も遠い-;。まあ、今は今できることをやるしかないわけです。本持ちにはなったわけですがー;。



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本日の日誌

本日は、いよいよ宿題であった、「重複した書証のまとめ」をして。それ以外の書証も整理して。地中障害物のこともちょっとやって。夜に「NEWS ZERO」を見たら、4番目の子に、「仕上げを頑張ろ-」って言われて。頑張っているわけです。



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