今日はだいたい、次に出す書証も纏め終わった気がするわけで。あとは、おおまかに争点を纏めておけば、今回はやることがもうないかなあ、と思う。
で、朝から7番目の兄さんに、「釜爺なんてあり得ないでしょ。ハゲてるし。」と言われる気がするわけで。兄さんには、
「男だったら、好きな人には『かっこいい』って思って貰いたいものでしょ。」
と言われる気がするわけで。
それに対して、大名家のおっちゃんは、「ちゃんとヒントだって出してる。映画の中で、釜爺が千尋のことを、わざわざ『儂の孫だ』って言ってるでしょ。」と言う気がするわけで@@。それって、「釜爺」が「羌子牙の生まれ変わり」で、「千尋」が私ってことなのですかねえ? 3500年も昔のじいさんってこと?? と思うわけで。そんなヒントで分かるわけないでしょ、と思うわけですが-;。だいたい、劉備元徳だって、「三国志演義」の中では「高潔の士」なはずなのに、餃子をケチるせこいおじさんだし?? と思う-;。7番目の兄さんは、私のことを孫みたいに思ってるってこと?? と思うと、兄さんには、「それはあんまりでしょ。」と言われる気がするわけですがー;。
で、学生時代に、2番目の子と別れた後、意味不明につきまとわれて気味が悪かった、って書いたら、7番目の兄さんには、「それは、映画の中のカオナシと同じで、今度こそ、仕留める隙を探すために、自ら出張ってただけでしょ。」と言われる気がするわけで@@。カオナシも千尋のことを好きそう? ではあるけれども、基本的には食べて殺してしまいたいから、後をつきまとっているわけでー;。「それでつきまとってたんかい!!」と思ったわけです。だから私から見ると、なんでつきまとわれているのか分からなくて、意味不明に思ったのかー、と思う。本気のストーカーじゃん、それ、と思う。好きな人? を幸せにしたいんじゃなくて、害をなしたくて後をついて回ってるんだよねえ?? と思う。7番目の兄さんには、「あなたは、頭では、『結婚するなら、自分を守って支えてくれる人がいい』と考えているけれども、父親があんなんだから、『親しい男性に守って支えて貰う自分』というものが、実感としてイメージできていないでしょ。好きな人を守って支えていきたいと思う気持ちは、男も女も同じでしょ。」と言われる気がするわけで。そうなのかねえ?? と思う。でも、何でも相対的なもので、世の中にはお金もなくて、子供を食い物にするような父親だって一杯いるわけだから、金銭的に役に立つだけでも、まあましなんじゃないの?? と思うわけで。でも、そうすると、「それは頭でそう理解しているだけで、自分の心と感情で、自分が父親(一番親しい男性)に、理解されて愛され守られてる、と思ってないでしょ。」と言われる気がするわけで。愛されてない? とは思わないけど、ご当人が変な人すぎるから、愛情の向きがどこに向いてるのかも良く分かんないでしょ? というか、迷惑かけられないように必死なんですけど?? と思うわけで-;。
7番目の兄さんには、「男に対して、冷静で他人事みたいなことしか言わないのは、2番目の子とのことも関係するかもしれないけれども、父親との関係が影響している。女性に対する情緒の方が豊かだし、男の愛情を信じていないわけでもないし、その気持ちに寄り添いたい思いも持っているわけだけれども、そのやり方が分かってないし、他人事みたいに突き放すのは、そういう性格と言うよりも、そういう「癖」がついていると言うべき。」と「銭ゲバの師匠」がそう言ってる、と言われる気がするわけで@@。だから、2番目の子が、普通の男が取らないような行動を取っても、「何を考えているのか」ということは、本当の意味では、りかいしようとしていない。「変な人だけど、そういう人なんだろう。」で片付けちゃって、付き合う余地があれば、それに合わせて付き合っていけばいい、と思っているし、余地がなければ付き合わないだけって思ってるだけである。そういうところは、相手の気持ちに振り回されすぎて、傷つきすぎなくて良いけれども、普通の男の人に言い寄られても、その態度を「そういう人なんだろう」で片付けてしまうから、相手の気持ちを心から理解して応えることができてない、と言われる気がするわけで@@。
ともかく、兄さん達に何を言われても、私は「そういう人なんだろう」で片付けてしまう傾向がものすごく強いので、「愛してる」ってことを理解して欲しかったら、よくよくこまめにそういう態度を示したり、言ったりするしかないねえ、「頑張ってね」と7番目の兄さんは、銭ゲバな師匠に言われて、「いったい、自分に何をしろと言うのか?」と思ったらしくてー;。なんですかねえ、普通に「男」として、好きな女の人によくよくこまめさんなのは、亀の子であると思う。彼は彼で、そういうことが板についてるナイスガイなわけで。あとは、性格的な問題で、好きな女の人に、徹底して細々と世話を焼いて、「自分好みに飾り立てたい」タイプなのが6番目の子ですよねえ?? と思う。お人形さん遊びみたいに、というか、根っからのプロデューサー気質というか-;。7番目の兄さんは、その二人に比べたら、こまめという点では普通の男の人なので、勝てないのでは、と思う。というか、こういうところが、私も「他人事」って言われるのかね?? と思うわけで-;。だいたい、うちの父親みたいなのは、「そういう人なんだろう」で片付けて、適当に邪魔にならないようにあしらう以外に、「付き合う方法」なんてあるの? 考えてることはだいた分かるんだけど、それこそ、自分の世界以外何もない人なんだけど??? と思うわけで-;。7番目の兄さんは、私が何か悩んでいることがあるとこまめに話しかけてくれるし、一緒に考えてくれるし、兄さんは兄さんで、それで充分なんじゃないのかなあ、感謝もしてるし、仲良くしたいと思ってるのよ、と思うわけですが。
ようやく、「金勘定リスト」ができあがったわけで。計算式も、ちょこっと加えたところはあるわけですが、まあ、大きなところは何も変えていない、ということで。
Excelの使い方もなんとなく覚えたわけで、後は、出たゴミについて纏めて出せば、今回はそれまでかなあ、と思う。
色々と書類を書くようになってから、光一君のDVDしか見ていないわけで、7番目に兄さんにいろいろと教えて貰いながら書類を書いているわけで。結局どこかへ行ってしまったKinKi-KidsのDVDもまた買ったし、ついでに福山君のDVDも1個買って、更に、「そろそろ『千と千尋』も買い戻すように」と強く言われるので、結局それも買って。で、4番目の子に「ハウルよりも見やすいはずだから、1度は見ておくように」と言われたので、見ているわけで。
「仰天ニュース」で、群馬の昔のストーカー事件の特集をやっていて。その次の年には桶川のストーカー殺人事件があって、こういう事件が重なって、日本でもストーカー規制法とかできたわけですが。だいたい、こういう事件が重なっていたときは、自分は東京にいたわけで。今にして思えば、こういう事件が世間を騒がせたのは、「ストーカーに命を狙われているぞ」という警告だったんだなあ、と思う。
でも、こういうことは全く自分と結びついていなかったけで。2番目の子も、変な人ではあったけれども、少なくとも付き合っている時は、つけ回されたりした覚えもないわけで。でも、私が学生の頃には、「ストーカー」という概念とか、「モラルハラスメント」という概念はアメリカとかではもう存在していて、アメリカ製の若者向けドラマでは、そういう言葉も出てきてた気がするわけですが。日本ではまだまだ普及していなくて。でも、変だなー、と思ったのは、別れた後の方であって。普通は、付き合っている男女が喧嘩して別れたら、しばらくはお互いに顔も見たくない、というかそんな感じではないかと思う。少なくとも、私の方は必要以上に顔をつきあわしたりしたくない、と思っていたわけで。でも、別れたら途端に、向こうの方が私につきまとい始めたわけで。私が出かける国試委員の会合に、委員でもないくせに出席したりとか、それまでクラスの飲み会に顔を出すような人ではなかったのに顔を出して、私の近くの席に座るとか。でも、話しかけてくるわけでもないし、よりを戻したい、という感じでもないし、それは確かに「非常に気味が悪い」と感じてはいた。そのくせ、国試は何故かその人と、その友人だけ広島で受けたりとか、妙な奇行が増えていて。いや、でも、人の後をつけ回して殺そうとしてるとは思わなかった、というか、そもそも付き合ってた頃から死ねばいいと思ってたんじゃ?? と思うわけで。
だいたい、「千と千尋」の「ハクと釜爺と坊」が、「ハウル」の「ハウルとカブとマルクル」に相当する、と言われる気がするわけで。「その設定そのものがあり得んでしょ。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけですがー;。まあ、日テレと組んで大躍進したジブリは、大名家に近い人達なんですよねえ? と思う。でも、ジブリの人達も、7番目の兄さんの方が、精神的には蛇の兄さんよりも老成しているって思ってるんですねえ?? とも思う。
「千と千尋」は、最初にDVD化されたときに、色が全体に「赤い色」に修正されていて、非常に不評だったわけですが。でも、2014年に「デジタルリマスター版」が発売されたときに、色は元の映画と同じ色に修正された。だから、オリジナルの色の「千と千尋」を見るのは映画を見たとき以来なわけですが。そもそも、「赤い色」とは、「血の色」でもあるし、「夕暮れの色」でもある気がする。要するに、最初に発売されたDVDの「赤い色」も「赤信号が灯ってますよ」という警告の色ではなかったのか、と今では思うわけですが。それが修正されただけ、修正方向に我が家は向いているのではないか、と思う。千尋が寝る時に使っていた布団の柄をふっと見たら「椿」であって。古い家の私の部屋の壁紙の柄も「椿」だった。今でも、「千と千尋」を見て、まだ気がつくことがあったんだなあ、と思う。
7番目の兄さんは、「しばらくは裁判の参謀役と護衛に徹する」と言ってくれるわけで。だいたい、「敵の目」が多いものを見ると、妙な不安感とかがわいてきて、集中力が削がれるので。見るものは吟味しないといけないなあ、と思うわけです。「VS嵐」を見ていたら、「ふぉーゆー」の松崎君と、亀梨君が出ていて。「ふぉーゆー」って、そもそもKinKi-Kidsのコンサートでバックをやったりとか、「SHOCK」に出ていたりして、光一君と縁が深いわけで。今日の「VS」でも翔君が「Show must go on!」(「SHOCK」の有名な台詞)をわざわざ言っていたし、亀梨君と松崎君がKinKiのバックについていた頃の話をしていたし。今週も何かと「光一君づいていた」気がするわけで。どこまでやれるか分からなくても、しばらくはこんな感じが続くのだろうな、と思う。でも、今回の書類づくりは、まずまず佳境なのではないかな、と思います。争点は、事実上の「答弁書」が、まだ3つ出ていない以上、完全に整理はしきれないものであるし。時間的余裕が割とあって良かったのでしたー;。