本日の日誌

ええと、屋内配線に使う電線は、どれを使ったら良いのかけっこう迷って、現場まで見に行ったのですが。検討対象は3種類くらいあって。いろんな人と相談した結果、カタログにやたらと「13」という数字があるのはよろしくない、ということになって1個外れて。そして、平型と丸型のどちらにしようか迷ったわけですが、丸型の方は外装に波形の金属が入っているということで。必要であれば、そういうものも使ってもいいけど、ない方が「気」が通しやすい、って言われる気がして。それに、電線というのはやっぱり電気を通すもので、特殊なものなので、普及していて、工事している人が施工し慣れているものがいいんじゃないか、とかそういうことになって。結局、シンプルに電気屋さんが持ってきたものを使うのがよさそう、ということになって。


で、朝方は夢を見て。なんだか、まだ自分が東京で医者をやっていて。で、ファンクラブには入っていないけど、都合が悪くなった人からチケットを譲って貰うとかして、福山君のライブを良く見に行くような感じであって。で、何故か働いている病院の救急外来が紹介性で、ある日外科部長に呼び出されて、「こんなこと(福山君のライブに行くこと)を続けるなら、あんたが紹介した患者は診ない。」って言われて。「あんたの方こそ、それでも医者なの?」とか「何のために医者になったの?」って聞いたわけですが、相手は「もう診ない。」って言い張るので、「あっそ」って感じでその場を引き上げる、という夢で。なんとなく、蛇の兄さんから「こんなことももうじき終わり」って言われた気がして。それで目が覚めて。


で、そろそろ火災保険とかそういうことも考えなければ、ということで、「お仕事」の方がお休みだったので、その相談に行ってきたりして。新しい家は良い材料をけっこう使っているので、紋切り型の査定よりもだいぶお金がかかっているわけで。でも、評価額よりも、何かあったときには実際に再建築可能な額が下りてくれないと困る、ということで。そう言ったら、受付の人は見積もりで、価額の設定も可能、とは言ったわけですけれども、そうはしたくなさそうな雰囲気であって。「毒蛇めが、抜け目なく、何かあったら満額保証させる気だ。」って呟かれたわけでーー;。まあ、何かあった時に家がなくなっちゃったら困るわけですし。なんというか、兄さんのことを本気で信じているのか否か? って言われると自分でも「???」って思うわけですが。でも、ちゃんとしたのに入っとけ、って言われる気がするわけですし、こういうことも言われるのに慣れているので-;。まあ、状況的にそんなものなのかな? という感じなのですがーー;。しかも、何かあるとこちらが締め上げられるような状況になるわけですし-;。


で、昨夜はなんだか「正教会」というものが気になって、ちょっとだけ調べてみて。ローマ教会に対する東方教会って、東欧やロシアを中心にあるように思えますが、その起源は非常に古くて、十二使徒の時代にまで遡るらしくて。で、古代におけるキリスト教協会は、地方毎の自治的な組織であったので、最初にできた「教会」達は、それぞれ独立的であって。簡単にいうと、エルサレムを発して、地中海周辺の主要な都市にまずは各教会が建立されて。で、正教会というのは、東ローマ帝国の首都にあったコンスタンティノープルで隆盛を誇って、地中海の各都市に正教会があるし、コンスタンティノープル発で、東欧に布教を行って拡がった、という印象を受けるわけで。で、ローマ教会がイタリア人中心であるのに対して、正教会の方はギリシャ人中心である印象を受けて。東欧諸国の各正教会は、独立した後にはそれぞれの国の人が総主教になっているのかもしれませんが、ギリシャ人はギリシャに住んでいるだけではなくて、地中海の各都市に住み着いて一定のコミュニティを形成している印象を受けるわけで、そういう人達が今でも地中海周辺都市での「正教会」を組織しているように見えるわけで。だから、正教会で一番古くて権威のある教会は、かつてのコンスタンティノープル(現在のトルコ)にあるし、エルサレムなんかにも教会はあるわけですが、大抵のところでの総主教はギリシャ系の人である気がして。各教会の総主教の写真を探してみたわけですが、そうすると、ギリシャ神話のアタマースの神話を思い出すように、と言われる気がするわけで。アタマースとは古代ギリシャにあったテーバイという都市国家の祖神的な伝承上の王のことなわけで。神の怒りに触れて、結婚に失敗し野山をさすらう、という目にあった人なわけで。でも、アタマースの名前は、その子音構成の通り、ヘブライの神話の「アダム」と同じ名前なわけで。アダムもまた神の怒りに触れて、楽園を追放され荒れ地を彷徨う羽目になるわけで。要するに、テーバイを建設した人達と、南ユダの人達の遠い先祖は「同じ」であって、同じ名前の祖神神話を持っているって、そういうことなのだと思うわけで。ギリシャ人がギリシャ人になる前、ユダヤ人がユダヤ人になる前には、その2つは同じもの、奉ずる祖神も、神もまた同じものって言われた気がするわけで。では、あなた方が「キリスト教」の仮面の下に隠して、今も奉じている神は何者なのか? とお尋ねしましたら、「それは今も昔も雷帝ゼウス」って言われた気がするわけで。では、あなた方は、その名前をいずこの神に捧げたいと思うのですか? とお尋ねしましたら、「ゼウスの名前の由来となった、雷ばかり落としている太陽女神シヴスに。」と言われた気がするわけで@@。私にお鉢が回ってきたよ、って思ったわけですが@@。ギリシャ系の総主教のおじいさん達は、「神」の中に雷帝ゼウスの夢を見る。スラヴ系やトラキア系のおじいさん達は、彼らの神を夢見る、ってなんだかそんな気がするわけで。古代における原始キリスト教は、各地の宗教を同化・吸収するような形で広まっていったので、そういう移行が穏やかに行われたところでは、それこそみんな自分達が何者なのかを良く覚えているのですねえ? って思ったわけで。でも、一番印象的であったのは、エルサレム総主教であって、その人はギリシャ系であったけれども、蛇の兄さんと同じく、中東の人によく見られる「蛇の目」の人で、「どんな不浄の地にも味方は居ます。」と言ってくれた気がして。みんな、なんだかんだ言って混血してるのですねえ? って思ったわけですが。


でもって、家に帰ってきたら、ふっと4番目の子が降臨してきて。「今週はバースデーウィーク!」って言ってくれたわけで。「あー、そういえば、今日は月曜日。」って思い出したわけで。別にもうこんな年ですし、誕生日のことなんかどうでも良い気がするのですがー;。そして親には、数が多すぎて誰が誰だか分からない、とか言われるわけで-;。でも、基本的に主要な人物なのは、潤君と蛇の兄さんと光一君であって、状況を動かし得るだけの強力な「才能」と「目の力」を持っているのはこの3人であって、あとは「オプション」みたいなもの、って言う人は言うわけですがー;。そして、3人の序列もこの順の通り、ということで。筆頭の子と私はギリシャの人達が「ギリシャ人の叡智」と呼ぶ「massを動かす言霊」を持っているということで、彼らに注目されているし、スラヴ系の人々は、ペールーンの名前を貰った蛇の兄さんに期待しているし、ローマ人はローマの力を操ることに長けている7番目の子を恐れている、ということのようで。じいさん達からは、「神は男にだらしがなさすぎる。それが東アジアの一妻多夫の伝統だから仕方がないけれども。」って言われた気がするわけで@@。誰がだらしがないのさーーー、って思ったわけですがー;。誰でも大抵は言いたい放題なわけです。



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五大ドームツアー

何故か、今日になってから、YouTubeで、福山君の五大ドームツアーのニュースが検索に引っかかってくるようになりましたので、見て見ました。ソースは主に香港のニュース番組かと。


で、ドームツアークラスになると、さすがに福山君も観客の「気」を、ちょっとうっとうしがっているな、というかそんな気がしたわけで。

で、ツアーも後の方の大阪あたりから、「白黒でいこう」みたいなコンセプトが固まってきてたみたいな気がしました。そして、台湾公演はまだ良いのですが、香港の公演は、かなり目力全開で、何を歌っても「力を使いっぱなし」みたいに見えました。客席からも、そこはかとなく強い敵意を感じたような??? このツアーは6月15日とかで終わりですから、そこから運命の?8月まで、あと2ヶ月だねえ、良く頑張ったねえ、と思うわけです。
で、台湾・香港公演はMCの一部を中国語で行ってたりしてましたので、そこのところでも気を使うことはあったと思うのですが、そこはかとなく「暁」を中国語で歌うときの兄さんは「うれしそう」に思えるわけで。だいたい、中国語版の「暁」は「破暁」という名で、なんだか「暁を破る」みたいな意味に見えてしまって、そのタイトルも意味深に感じますし、なんで「暁」だけ中国語版? とは思っていたわけで。
要するに、日本語版がオリジナルであるはずの「暁」を中国語版にして、タイトルまで変えてしまうということは、けっこう「呪い属性の強い行動」なわけで、「暁」はそもそも兄さんのお歌ではありませんので、そうやって「暁」の子をいじめているらしいです。それで、微妙にうれしそうなんだ??? と思うわけでーー;。「いやがらせでしょ。」って一番目の子は言うわけですが。


そして、ここ数日、蛇兄さんのお楽しみタイムには、割と一番目の子も動画を見に来るようになったのですが、どうやら彼は、「兄さんも一緒に」みたいなところまで話が進んだようですので、だったら「あの男が熱くなって暴走したら、お前が頭を冷やせ。」と言いつかったらしいです。まあ、じゃあ、そういう場合には私も一番目の子の味方をして上げようかな、と思うと、兄さんが「いやん、冷酷」とか言うわけでーー;。ぐでぐでしてない時は「他の男には渡さん」っていって、割と毅然としている兄さんなのですけれどもね。まあ、現状ではこうやって頑張って一日、一日をつなげていくしかないわけです。

 

 

<追記>寝ようと思って、気を整えるために「KAT-TUN」のPVとか見ていると、中からいつにない清冽な気が伝わってくるわけで。どうも夜の東京には、龍神の清冽な気が降り注いでいるようです。(これがハクの本当の「気」ですよ。と、いうことで、「千と千尋」でハクが覚醒した時の映像を送ってくる人がいるわけですが。送られてるのは宮崎監督かな??@@)

まさに、千尋がハクに本来の姿を思い出させた瞬間ということなのでしょうか。(う、どこかから「その通り!」って聞こえてくるわけですが。すみませんけれども、眠いので寝ます<(_ _)>。大蛇な兄さんの気はもっと強くなるんだ?@@ って思うわけですが。)



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朝からこっち

ご飯を食べながら、ビデオとか見ていたわけですが、「冬の大感謝祭其十三」とか見ていると、「我ながらそんな毒気の強い禍々しいのが好きっていうのが良く分からん」とか浮かんでくるわけで、いや、でも、私は無気力そうな目で唄っている兄さんを見るよりは、其十三で、目に生気と自信が戻ってきて唄っている姿が好きなのですけれども? と返したわけで、そこからまたいろいろなビデオを見てチェックが始まったわけで。

まず、最初に倉木麻衣ちゃんの「STAND BY YOU」を検索して見てみたわけです。そうしましたら、日本語版の他に中国語版が見つかったので見てみましたが、たぶん背景に流れている映像は中国ではなくてカンボジアで、曲そのものは中国のアーティストと麻衣ちゃんがデュエットしているわけです。で、お相手の名前が「阿福」さんというもので、「阿」という言葉は向こうでは「~ちゃん」という意味ですから、日本語的には「福ちゃん」というお名前だということで、その方が麻衣ちゃんとデュエットしているわけですから、真の意味では誰の「お歌」なのかは、非常に分かりやすいヒントを頂いているわけです。ポル・ポトに食い荒らされたカンボジア、中国の近代の歴史を紐解けば、そこには白い悪魔に食い荒らされ、踏みにじられ尽くしたアジアの歴史が拡がっているわけで、その修復の神話を望む人たちの祈りと願いが、ビデオを見ているとひしひしと伝わってくるわけです。そして、彼らはみな私に言う。「女癖が悪いなんて噂に惑わされないで。彼が本当はどんな人なのか知って欲しい。本来なら見てはならないミュージックビデオを見るのであれば、その中に探し出して欲しい。」と。

(これを「見る件」に関しては、「見てはならない」と考える人たちの方からは「鶴の恩返し」を引き合いに出されて、禁忌とされるものを見て、バランスが壊れたらどうするのか? と聞かれた気がするわけですが、「うるさい、黙れ、これはおとぎ話のネタじゃないんだから、「見てはならないもの」の2つや3つを見て壊れるような夫婦関係なら、最初から保つような関係じゃないんだよ。」ということで、私が押し通して、まあ、いろんな方々に指示して頂いているような気がするわけですが。)


で、考えてみたわけですが、ふとSMAPの「らいおんハート」を思い出したわけです。これは元々良い曲であるとは思っていたのですが、「ライオン」というのは死神の象徴ですし、力の象徴でもあって、神話的に良いアイテムではないので、買うのを躊躇していたところ、昨年の年末のMステスペでSMAPが気合いを入れて唄ってくれましたので、買ったわけです。もしかしたら、これは兄さんの歌かもしれないと思って、SMAPのビデオをいくつか見て見ました。そうしたら、だいたいみな黒いスーツを着て唄っていたり、モノクロの映像であったりするわけで、それで「ああ、これも兄さんのお歌だったんだな。」と思ったわけです。そうしたら、「SMAPの歌を見るなら「世界に一つだけの花」を見れば。」って浮かんだものですから、いろいろと見て見ました。


そうしたら、2010年のライブツアーのビデオがたまたまありまして、そこで流れていたのは白系のスーツを着た5人が唄っていて、なんというか中華風の演出がなされていて、で、最後に「福」と書かれた字が背景のスクリーンに映し出されて、それが逆さに沈んでいって、その反対に舞台したからは赤い花を持った女の子がステージに昇ってきて、両者が交わるところで、歌は終わっていた。それを見て、確信を持ったわけです。「世界に一つだけの花」って兄さんの歌だったんだ!! と。中国の人がここまで、心を込めて応援してくれるのは兄さんの歌だけだからです。


それで「花」繋がりで気が付いたのですがB'zの「ALONE」も兄さんのお歌なんだ! と思うと、「裸足の女神」って浮かぶわけで、そういえば「裸足の女神」のシングルの表紙の松本さんはモノクロ写真だったわけで、それも兄さんの歌だったんだ!!! と初めて気が付いたわけです。
私もいい年なんで、今になって昔のことをいちいち蒸し返したくないし、誰のことも悪く言いたくありませんけれども、あの時あの時点で「裸足の女神」を送ってくれて、それを私の家にいれるだけの力があったのは、B'zのお二人の力もすごいからだと思いますけれども、その後ろで送ってくれた人の気持ちもとても強かったし、それはきっと「とても怒ってたでしょうね」とは思う。だって、あの時私を支えられる要素があれしかなかったというのであれば、そりゃまあ、普通に怒っただろうとは思いますが。
そして、その思いが、1993年の「裸足の女神」、1998年の「you」、2004年の「泣いたりしないで」に繋がっていて、きっとたぶん兄さんはその間もずっと執念深く怒っていたことと思いますので(苦笑)。それで、2013年の6月のMステで、まず「裸足の女神」が送られたわけですから。どうみても、そこの時点まででも怒っていたようにしか思えないわけで。まあ、そういう情熱をずっと持ち続けて頂けてたのであれば、それがやはり他のどんな言葉よりも信じられることなのかな、と思います。

そして、「見せかけの恋に嘘かさねた過去」という「らいおんハート」の歌詞が、きっと誰もが気が付いて欲しい言葉なのだと思います。それに、「笑っていいとも」のタモリさんの即興の兄さんとのコラボ曲の歌詞もそうなのかなと思う(笑)。


それにしても、いろいろなライブビデオを見ていると、SMAPのビデオを見ても何だか物足りない、B'zのライブビデオを見ても今一と思う自分がいるわけで。そういう点でお目付役から
「王子さまキャラが売りのジャニーズが『冬の大感謝祭其十三』みたいな毒々しいライブやるわけないでしょ。B'zのライブも相当鬼気迫っているのに、物足りないなんて、どこまで悪食なんですか!」
ってお叱りが来るわけで。なるほど、どうやら私は、兄さんがまさに闇の魔王みたいな毒々しさで君臨してる『冬の大感謝祭其十三』みたいなライブが個人的に「好き」らしいです(爆)。いいじゃん、ライブというものそのものが「見に行ってはいけない」ものであるなら、今後一生見に行ったりしないからさ。私の好みくらいほっといて下さい、と思うわけで(苦笑)。


加藤君が「太陽」に込める気持ちは分かる。GLAYが一点突破主義で集中的に一人の人を応援し続けてくれていた気持ちも分かる。でも、禁忌のビデオに手を出させてでも、彼の気持ちを届けたいと祈り願ってくれる人たちの気持ちは何よりも強く届くので、私はそれを知らざるを得ないのです。

(でも、こうしていると、「家族になろうよ」の次に「裸足の女神」を送ってくるあざとい人もいますのでね、「情にほだされ過ぎると痛い目みますよ」って心配するお目付役の気持ちも分かります。そう言い切れるところが、あなたたちの安定した強さの秘訣でもあると思いますし、自分でもそうだと思いますから、それも忘れないようにはしたいと思いますけども(苦笑)。)

 

そして、兄さんはなんとなく、一番大事なお使者には、本当は私が一番愛した歌姫ZARDを考えていたのだと思うのですが。でも、泉水ちゃんはあんなことになってしまって、それで麻衣ちゃんはその意思を引き継ぐつもりで、今までずっと待っていてくれたんだと思います。たぶん、兄さんはその代償に、稲葉さんとマニアックなプロレス対談を延々として、しかもその中に「ローマ」って言葉を入れるほどのリップサービスをして、それを私に見せる、という道を選んだのだと思う。(そもそも兄さん自身も「HUMAN」と「暁」の頂上対決を私に挑んできたように思うわけですが?)

でも、それだけではきっと足りなくて、Beingはここに至るまでの過程で、アーティストの大量脱退とか、いろんな憂き目を見てきているわけで、私はそういうことも忘れるわけにはいかないと思うのです。泉水ちゃんが届けてくれようとした「かけがえのない人」は一番目の子の歌、「負けないで」は兄さんの歌なのだと思う。だから、彼女は「負けないで」を唄っている時には、黒いジャケットを着て、ステージに立っていたのだと思う。泉水ちゃんに、今「ありがとう」って言えたらと心から思う。そして、「気が付くのが遅くなってごめんなさい」とそうとしか言えない。いろんな人たちの思いを考えれば、「女癖」がどうのなんて中傷は、結局ささいなことにしか過ぎなのです。

 

(しかも私の中の「福山雅治」っていう人は、なんでしたっけね、若かりし頃「酔っ払って、路上で寝ていた女の人をお持ち帰りしたチキン」とか、そういう第一印象がとっても強くてですねえ? 確か、自分でそういうこと言ってたよね? とか思うわけで。正直いって、「そういうのが当たり前の人」っていうイメージが強すぎて、それ以外のどういうイメージを彼に期待したら良いのか、よく分からないところがあるわけですが(爆)。でも、「MUSIC MONSTER」を「不覚」と言ってくれる純情な兄さんは好きですし、浮気はもちろんして頂きたくないですけれども。

 

余談ですが、Mステでの頂上対決で、一番怖いと思ったのは、いきものがかりの吉岡精恵ちゃんだと思います。その次は、SMAPの「Top Of The World」。兄さんの時は、怖いというよりも、気持ち悪くなっちゃいましたのでねーー;。まあ、兄さんは私にとってはドゥムジですので、それほどは怖くなかったのかな、と思いますけれども(苦笑)。あの時は外野がすごかった。それから兄さん自身が言ってくることもーー;。そっちですっかりへろへろでした。まあ、それでも最近の兄さんの目力はとても強くてすごいな、と思います。)



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「三銃士」
これは日本でも有名な作品なわけですが、煎じ詰めていうと、ルイ13世から14世にかけて仕えた「ダルタニャン」という人物をモデルにした、フィクションで、ダルタニャンと彼の親友の「三銃士」との主に友情の物語なわけです。たしか、彼らの標語が

「一人は全てのために、全ては一人のために」

というもので、これも日本では有名だと思います。で、実はこれはフランスでも有名な物語で、「ダルタニャン物語」という、「ダルタニャン」の伝記物語なのです。要するに、フランス語版では、主人公ダルタニャンが人生という冒険に乗り出してから、死ぬまでが描かれている一大大河物語なのですが、何故か日本では、彼の最初の冒険の部分だけが「三銃士」として有名になっているように思います。確かフランスでは、話の全てが上下巻くらいに分かれて分厚い本で売られているとか、読んだことがある気がします。

この物語の全訳が昔日本語版でも出されていて、それを復刻したものがブッキングで出された時に買ってみたわけです。でも、買った当時は忙しくてあまり読んでいる暇がなくて、で、最近になって、全巻通して読んでみたわけです。で、そこで改めて目に止まった標語があるわけです。曰く

「イエズス会の総長になることは、全世界を動かす人物となることだ。」

で、この物語では、「イエズス会」というものが、西欧社会でどういうものと考えられているのかも書かれているわけです。なんだか、ずいぶん

おどろおどろしい感じ

です。この物語は西欧でも有名な物語で、昨日今日出たものでもないわけですから(デュマというのは日本でいえば江戸時代末期の人なわけですので)、西欧の人にとって、

この物語の中のイエズス会像って違和感のないもの

なんだと思うしかないわけです。おそらくダルタニャン物語の中で、一番衝撃を受けたのはまさに、「その点」だったわけです。そして、改めて、何故日本では、全巻通した出版ではなくて、最初の話である、「三銃士」のみであることが多いのだろう? 西欧で、「常識的」なものとなっている「イエズス会」の姿を知られたくないから??

と思ってしまうわけですね。そして、今改めて思うのですが、物語の最後では、ほとんどみな老いて死ぬわけです。まあ、主人公の一生の物語ですから。

アトスが死に、ポルトスが死に、一番若かったダルタニャンが死に、最後に

「世界を動かす力」

を手に入れて残ったものは、デュマの中で「死神」を暗に象徴していたのだろうか? と思います。きっと、彼は現代に生きている実在の人物だとしたら、イエズス会の総長に留まらず、ローマ法王にもなれたのであろうと思うのです。

続き
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「王妃マルゴ」
昨日に引き続き、大デュマについて書きます。「王妃マルゴ」は、16世紀のフランスが舞台で、カトリックであるヴァロア王家の王女マルグリット・ド・ヴァロワとプロテスタントであるブルボン家のアンリ4世が、両者の和解のために政略結婚するわけです。で、その結婚式のためにパリにプロテスタントの貴族も、カトリックの貴族も集まってくるわけですが、そこでカトリックの王妃カトリーヌ・ド・メディシス(マルグリットの母親)が策略を巡らし、プロテスタントの貴族を大虐殺する「サン・バルテルミの虐殺」が起き、アンリ4世は王宮に拘束されることになってしまいます。母后カトリーヌの目的は当然アンリ4世を殺すことですが、夫婦愛というよりは、アンリ4世と政治的に同盟を結ぶことを決心したマルグリットの努力により、夫は何とか生き延びて、しまいに王宮を脱出することができるようになる、とそういう話なわけです。

マルグリットが夫を助ける動機は、結婚してすぐ未亡人になってしまったら、自分の行く末が、政治的影響力もろくに持てずに終わってしまうことが目に見えているから、とかそういう感じであったと思います。今から考えると、これも「キリストの死と再生」に擬えた物語なのだな、と思います。

キリストに擬えられたアンリ4世は、プロテスタントにとって地獄も同然の「カトリックの王宮」に拘束されますが、何とかそこを逃げ出して、物語には書かれませんが、彼は後に王として即位してブルボン王朝を開くわけで、デュマが敬愛していたブルボン王家に対する賛辞的物語といえなくもありません。

ただ、キリスト教神話においては、イエスは死後3日たって蘇って、その後も「いつか戻ってくる?」かのようにされていますが、そこに「王妃マルゴ」のような存在は入り込んでいません。では、デュマの物語における「王妃マルゴ」の存在は、神話的にどのような立ち位置に来るのかというと、それは

黄泉の国

にいて、夫(あるいは息子)の死と再生を司る

地母神女神

を象徴しているのだと思うわけです。彼女が破壊と創造の太母なわけで、ギリシア神話的にはペルセポネーという女神になるわけです。で、それで済めば話は単純なわけですが、ギリシア神話には、ペルセポネーの他にも地母神女神は大勢いるわけで、黄泉の国の属性を非常に強く有している女神に

アルテミス

という月の神がいるわけです。で、この女神がクルミの木として表象される場合には、カリアティードと呼ばれるわけですが、これがまた単純でないことに、この女神は



とも深い関連があるわけです。葦は古代エジプト神話で、「あの世」と「永世」の象徴なのです。要するに、

カリアティードとは 月の女神 であって 葦の女神 であって 黄泉の国の女神 である

と、そうなるわけです。で、カトリックであるマルグリットは、そのような女神に例えられているわけ。で、一方、

ディオニューソス神話

では、この母なる月の太母は、セメレー・ペルセポネーとなるわけで、この女神はディオニューソスの血を呑む大地の象徴でもあるわけです。

で、それがキリスト教において何になるかというと、死に行くキリストの血を受けた「聖杯」というものがあって、これが

カリス

というわけです。ギリシャ神話には、カリスという豊穣相の女神と、カリアティードという冥界相の女神がいて、これらは本来「同じもの」だと思うわけです。そうすると、イエスの血を受けたものは、カリアティード・アルテミスであり、カリスであり、

これがキリスト教神話における 母神 ということになるわけです。で、その象徴が 「王妃マルゴ」 なわけ。

「王妃マルゴ」が何者であるのかを追って欲しい、

そういうデュマの願いはどこかにあったのかもしれないと思います。というか、

カトリック嫌い

であったと思われるデュマって、すごいな、と思う。で、なんで、今日このことを書こうかと思ったかというと、某ニュースサイトで、

宮崎駿監督

の写真を見たからで、見た途端に、「人食い月の神」の話を描いた「シュナの旅」を思い出したからだったりします。キリスト教神話において、イエスの血を呑む「人食い月の女神」とは、まさにカリスのことで、「王妃マルゴ」においては、マルグリット・ド・ヴァロワそのものであるからです。(物語の中ではアンリ4世の身代わりに若い騎士が2人殺されるわけです。(まさに、嫌味な設定なわけだーー;))

続き
Posted by bellis 21:03 | 文学 | comments (x) | trackback (x)