本日は、住宅供給公社より契約書の写しが来て。いろいろと資料も揃ってきたな、と思う。私の方は、一日資料の整理をしていて。あんまり作業が進んでいない気もしますが、証拠説明書を1頁は仕上げたわけで。
お外組は、西側の真ん中の雨水枡の下から、かつてけっこう大きな「木のとっこ」であったものの跡を発見して。親に「空洞がある」と言われて見に、基礎の下に潜ったわけです。そうしたら、雨水枡の下辺りに、空洞があって、下の方に黒っぽい土みたいなものが溜まっていて。それは木が腐って、空洞化したものです。それみたことか、やっぱり腐ってるじゃん、と思うわけですが。で、その下にビニールのごみが埋まっていて、上にはコンクリガラが埋まっていて、で水がしみやすいように砂とかも埋まっていたらしい。木が腐ったのは、そのまま埋めたら駄目だと思うのです。元が何の木だったのかも分からないし。呪いの木だったら、また呪いを埋め戻すことになっちゃうから。
で、朝の9時頃とか、たいした量でもないのに、わざわざ草刈り機とか持ってきて、裏の用水の縁を草刈りしていて。空を見たら、飛行機雲で×が描かれていて。これは、言いがかりとかつけてくる気かもー、と思って、親にお願いして、土手の雑草を刈って貰って。組合のじいさんには、土手にカバーをかけるか、と聞かれたらしいのですが。「草刈ってるし、用水のどぶさらいもしているし」と言って断ったそうです。それほど強くは言ってこなかったらしい。まあ、あんまり強く言えば、「今度から随時どぶ掃除に来い」ってうちでも言うし、と思うわけで。とっさに撃退できたのかな、と思う。
で、夕方から雨になって。北信はあまり降らないらしいですが、でも明日いっぱい降るらしくて。
で、夜に「うたコン」を見る。キンプリも、あーやちゃんも、倉木さんも出るし。で、城田優という人が、「ファントム」という歌を歌っていて。クリスティーヌのことを「他の男には渡さない」とか「愛して、呪って、愛して」とかって歌ってた気がするわけで@@。それじゃ、丸っきりストーカー、と思ってドン引きする。女の子と仲良くしたかったら、親切に優しくしなきゃ駄目なんじゃん? と思う。だいたい、ファントムというのは、2番目の子のことだし、クリスティーヌというのは「キリスト」の女性形の名前なので。よくよく気味悪く思う。そうしたら、7番目の兄さんが、ラウルがクリスティーヌに送った歌を、ふっと送ってくれるわけで。頑張らなきゃな、と思うわけです。でも、住宅供給公社の資料を手に入れてから、敵の抵抗もものすごいと思うのです。
本日は、住宅供給公社より連絡が来たので、いろんな資料をもらいに行く。情報公開料は、1枚10円で、計300円なり。書類を貰って来て、午後は整理をして、さっそく一部をスキャンしてデータ化する。
で、土日はダラダラと24時間テレビを流していて。あんまり今まで24時間テレビとかチャリティーに興味がなくて。嵐の兄さん達が出ていなかったら、見ていないと思う。ハンディのある人が、生きやすい世の中であることは大事だし、そういう人達がいろんなことに挑戦できることも大切だと思うけれども、でも、例えば遠泳をやってた子達のように、「わざわざ遠泳すること」に何か意味があるのかなあ、と思ってしまう。当人達が、元々遠泳を目標にしていて、頑張ってきたからそれを助けてあげる、というのなら分かるけど、「遠泳しませんか?」みたいに持ちかけて遠泳して貰うのは、結局他人にお膳立てされてることで、自分で選んだ人生じゃないじゃんねえ?? と思う。しかも、お膳立てした上に、応援の歌を歌うとか、なんなのかなーと思ってしまうわけです。そもそも、当人達は本当に遠泳が人生の目標なの? それやって、応援して欲しいと思ってるの?? と思ってしまう-;。後は、高校生の一糸乱れぬ動きの吹奏楽部とか見て、自分が高校生の時は、ああいう風に、「みんなで頑張って一つのものを作り上げていく」とか、そういうことに興味もあこがれもなかった学生時代だったなー、とか思って-;。わざわざお金出して高校に行ってるのに、ああいう部活に入って、監督というか先生に厳しく指導されながら練習したい、とか全く思わないし、それで成果があったとしても、自分はそういうことに達成感を感じないタイプだなー、と思う。学生時代は、本屋と図書館をフラフラしながら楽しく過ごしていたわけで。学校へ通っていたら、勉強できないので、勉強は平日は一日せいぜい2時間もやればやった方であると思う。土曜日も授業があったし、今から考えたら、「いったいいつ勉強してたんだろう?」と思うわけですが。でも、当時の自分としてはやってた気がするわけで。でも、フラフラもしてました。部活を頑張る青春とか狂気の沙汰でしょ、いったいいつ自分のやりたいことをするのか? とそういう気がするわけですがー;。
で、昨夜はなんだか夢を見て。なんというか、自分が手や足のない人と付き合ってきて、その人に「二人は一つになろう」って言われて食べられそうになる、という夢で。取り殺されないうちに逃げなきゃ、と思って目が覚めて。「手や足のない人」とは饕餮のことで、2番目の子のことであると思う。その人は現実では、手も足もついているわけですが、でも自分では身動きできない饕餮であるらしくて。五体満足なのに、自分では自由に動き回れなくて、饕餮である、というのはどういうことなのだろう? といつも思う。で、7番目の兄さんには、「身体的にハンディのある人は、別にその人が悪いわけではないけれども、神話的には「欠けたところのある人」ということで、「欠けているもの=月」の象徴だからねえ」と言われる気がするわけで。そういう考え方は、本当は良くないことだと思う。そういう考え方を始めた人も良くない人達だと思う。でも、台湾の神話とか読んでいると、非常に古い時代、良渚文化に繋がる時代の「陰陽思想」というものが見えてくるわけで。だいたい、射日神話というものが、台湾の神話の中にたくさん出てきて。それは、ゲイが9個の太陽を射落とした、という話とは違って、元々太陽は2つあって、一つを射落としたら、落とされた太陽が死んで月になった、という話が多くて。で、太陽を射るために、二人が旅に出て、戻ってくるまでに一人は死に、一人は生きる、という話もけっこうある。だから、「太陽と月」も「生きている太陽と死んだ月」の組み合わせだけれども、それを射た人々の方も「生きた人と死んだ人」に別れるわけで。生きている人は陽だし、死んだ人は陰であって、陰陽の2つがあって世界は成り立っている。日本の神話も死んだイザナミと、生きているイザナギとの間で生者と死者の数の調整が語られる場面があるけれども、それも「陰陽の拮抗を保つための呪術」といえるかもしれない、と思う。でも、ともかく、私は「欠けている月」の欠けた部分を穴埋めするための道具ではないので。食べられて道具にされる前に逃げなきゃ、と思うわけです。
で、お外組はいつものように作業をして。今、廊下の下の奥を掘りつつあって、もう少しで廊下の下全体を掘れるようになる、というところで。土の硬いところと柔らかいところの差がはっきりしていて、場所によって「全然違う」と言われます。そして、タール土もたくさん詰まっているらしい。毎日、少数でもアスファルトのくずもたくさん出ますし。親は「土質は均一であるはずなのに」と怒っているわけで。
裁判用の書類は、ようやく地盤についてポチポチ書き始める。あとは土の分類についても書かなくては、だし。
まだちょっとぼけてるかも-;。
昨日は、いろいろな資料をかき集めて「地歴」について書いて。うちの裏には「六ヶ郷用水」という歴史と伝統ある用水が流れているわけで。で、市誌とかによると、たぶんそこを開いたのは平安末期から鎌倉時代初期に領家だか荘官であった八条院領の関係者の「和田氏」という人が中心であって、当時は和田氏、栗田氏、島津氏といった人々が、荘官等々として長野市に入り込んでいて、土地の開墾にもいそしんでいた記録があるわけで。和田氏は八条院領の荘官、栗田氏は清和源氏の末裔である在地の領主、島津氏は近衛家の荘官だから、上の方の名前はいずれも劣らぬ名門、名家である。八条院って言ったら、鳥羽天皇と美福門院の愛娘だし。で、たぶん平安末期に一番権力があったのは八条院領であったと思う。八条院は今で言うところの「愛子ちゃん」的な立場であって、鳥羽天皇にとっては最大の愛娘であり、お馬鹿さんと評判だった後白河天皇よりも、父親はよっぽど八条院の方を可愛がっていて、莫大な財産を彼女に残した。それが八条院領であって、大きな財力を握っていた八条院は、政治的には後白河天皇、清盛、頼朝も無視できない存在であったし、「打倒平家」について、陰で八条院が果たした役割は大きい。「打倒平家の令旨」を全国にばらまいて頼朝や各地の源氏挙兵のきっかけを作った以仁王は八条院の猶子だし。
だから、うちの近所は、元々は川の流域とか川の底であったわけだけれど、用水が整備されて開墾され、田んぼとしても千年近い歴史があるわけ。元の川底の地層なんて、どこまで掘ったら出てくるのさ? という感じなわけ。たぶん2mも掘れば出てくる。ゴミ掘りで、裏でちょっとだけ昔の川底も見たから。だから、その上の「基礎に係わる地盤」が、「扇状地の堆積物」なんて恥ずかしげもなく言ったら、裁判所でそれがまかり通っても、自分が死んだときに、あの世で開発領主だったご先祖様に会ったら合わせる顔がないぜ? と思うわけで。「てめえは誰よりも当地の地歴について周知していて当然の立場であろうが。ふざけんな。」って意見書を書いて出したい気持ちになったりする(まあ、やんないけど 笑)。
というわけで、当地の歴史には詳しくなりました。次は何について書くかな-;。
今週は色々と資料の収集と整理に費やして。どうも、相手方が「堆積物」がどうのこうのと言うので、地歴をしっかり詳しく書かないといけないらしい。ということで、長野県の住宅供給公社に行って、情報公開を求めてきたのが、木曜日である。うちの土地は「大分、昔に造成したものなので、工事を発注した記録は残っているけれども、工事の詳細な記録は残っていない」と担当のKという人から言われて。まあ、残っているものを見せて貰いましょう、ということで水曜日に出かけたらたらい回しにされて、担当が留守とか言われたので、木曜日に出かけて。で、見て見たら、代理人届、工程表、工事発注の契約書、見積もり、工事予定とか、「残っていた」わけで。必要な部分のコピーと公開はお願いしてきました。別に個人情報とかが欲しいわけではないので、個人名とかは黒塗りで全然構わないわけですが。埋め立ての土に何を使ったか書いてある資料には、「土の個人名」とか書いてないわけで。ともかく、資料があることは確認したので、情報公開を求めて出さなければ、文書提出命令か送付嘱託かを出すし、と思う。
で、造成時の様子が分かったら、「その前のことも調べるように」と言われる気がするわけで。「どうやって調べよう?」と思うけれども、我が家は裏に用水、ちょっと離れた南に用水があって、家の横に、北の用水から南の用水に水を流す水路があるの。これは昔田であった名残で、昔は水路から田に水を引いてた。なので、「長野市」と「用水」で調べて見たら、用水は裾花川の昔の流路を利用して作られており、用水が整備された後は、古くからの流路で土地の低いところは、昔でも宅地に向かないので、田として整備されたところだということが分かった。用水が整備されたのは、江戸時代初期であって、整備された後はずーーーーと地歴は田である。だから、用水が整備される以前は、裾花川にきちんとした堤防もなくて、不安定な流路が作りだす堆積物が溜まる扇状地であったところが、整備後は低地が田として開発されて400年近く田であったの。だから、元の地盤も、純粋な自然のままの堆積物ではないし、そうであったら、水はけの良い砂と礫からなっている地盤であったはず。おそらく、ある程度水持ちの良いように、粘度の高い土を入れて田を作り、その上に表層の余計なものを取り払って、最近宅地として造成したものだから、どこからが「400年前の堆積物」なのかははっきりしないわけですが、少なくともサンプリングして地質調査した範囲にはない。地盤調査を見るに、たぶん2mくらいより下なのではないか、と思う。ということを書かなきゃいけないわけだ。
で、おととい生理になって、この前が16日で来て、今回はその反動で28日で。間が空いた分出血が激しいし、おととい、昨日と貧血っぽくてふらふらしていて。今日はちょっと回復して、用水についてのコピーを取りに市立図書館へ行ったり、歯医者さんに行ったりしていて。そろそろ、資料も集まったので、本文が書き始められるといいなあ、と思うわけです。
今日は、調書のコピーを取りに行って。住宅供給公社にも、資料集めに行って。調書に何か変なことが書いてあって。建築士の方の準備書面で、抗弁する予定のない方のやつに、抗弁しろとかって書いてある。書記官の態度も変だから、わざとやってるんだろうな、と思う。まあ、なんか一言は書いておきます。後は、Tシャツにキュロットという気楽な格好で行ったので。「自由業、いいなー」と言われる気がする-;。
で、午後は雨が降って。資料の整理も少しして。今日はそんな一日だったのでした。