なんか、「訴状きたーー」ということで、若干の昔を思い出しつつ、いろいろと書面を書いております。というか、答弁書書く前に、いろいろと書くモノ多過ぎな感じであって。下書きをしつつ、「不法行為ってなんだっけ?」とかって、思いながら調べている感じであって-;。
どうにも、どうにも、これで裁判所はどうなんだろう? とか、思うわけですが-;。ともかく、「受けてたつ」と決めたら、応援してくれる人が多くて。お昼に、昨日の「ZERO」を見ていたら、珍しく立憲民主党のえだのんがでていて、「約款」について、いろいろとアドバイスしてくれるわけで@@。有働アナとか、えだのんとか、味方だけは増えた気がする。一番弟子は、「法廷でお師匠様に会える」とかって思っていそうですー;。「なんじゃそりゃ」と思うわけで。訴状の日付を書き間違えてますよ、と思う。そして、4番目の子からは、「みんなで一緒に考えて頑張りましょう」と言われる気がするわけで。
あとは父親に「弁護士を頼まなきゃ」って言われたり-;。どさくさにまぎれて何かばれた気がするわけですがー;。
そういえば、10月10日は利兄さんのお誕生日だったのでした。おめでとうございます<(_ _)>。遅くなってごめんなさい;。
そして、准ちゃんのところにも男の子が生まれたそうで<(_ _)>。なんかみんな割と「猫目の子だねえ」って言う気がするわけで。養子の子も、「お兄ちゃん」になる気満々らしいし。お母ちゃんもほのぼのと頑張るよ、と思ったのでした。
裁判だーーー
頑張るぞーーーー
昨夜は特に夢も見ず。作業の方はだいたいいつもの通りであって。なんだか、有刺鉄線とかがまた出てきた気がするわけでー;。そんなんばっかりである;。
で、いろいろと気になって、内容証明がきちんと配達されているかどうかをネットで確認したら、設計士の従兄弟の方が受け取り拒否していて@@。「あれー?」と思って、FAXを送ってみたら、うちの番号が着信拒否になっていてー;。色々と密に連絡を取り合う必要のある相手にそんなことをしたら、「やましいことがある」と自白したも同然なわけですが。で、もう一方の建設会社の社長の方は、受け取っていて。まあ、こちらは一応、一番弟子が代理人についているので、そこに送れば届くことは確実なので、逃げてもしょうがないわけですが。でも、内容証明は受け取り拒否しても「意思表示の到達」の法的効果は生じるそうなので、送り続けることが大事なんだな、と思って。別に受け取り拒否されても、他に方法はないとは言わないのでいいのですがー;。やっていることが大人げない、というか「馬鹿なの?」と思うわけで-;。
でも、事件の黒幕は、事態を収拾しようとした、土建屋の従兄弟が仕組んだことらしくてー;。「どうしよう、怒らせちゃった。お父ちゃん、ごめんなさい。」とかって言われる気がするわけで;;。どうにも、土建屋のおっちゃんは、私が怒ると、「自分の父親」に怒られてる気がするらしくてー;。私はあんたの父親ではないーーー、というか、その人に似てるのかよ、と思うのですが-;。どうも、事態を早期に収拾しようとして、何か企んだらしいー;。だいたい、裁判がまだ始まってもいないのに、「争点がどうの」とかって言ってくることそのものが変なわけで、訴状が出て、それを被告が読んで、答弁書を書いて、それで争点って決まるものなので。ということで、「受け取り拒否して、差し出したモノが帰ってきてショックを与える」作戦は失敗したらしい-;。えー、でも、ネットにはそういうときの対策法もいろいろとあるよ? というか、当事者のどちらかに届いていれば催告の効果はあるはず。建設会社に届けば、建設会社は通常は設計士に報告して、仕事の手配をしなければならないはずだし、その二つが連絡を取り合っていないはずはないし、取り合う義務があるわけだから。
で、親はモソ族のドキュメンタリーを読んでくれているらしい。でも、それは民話では無くて、現代のものなので。作者は曹さんといって、中国人だけど、国籍はシンガポールにある華僑の女性である。で、ヘッジファンドでばりばり働いていたのだけれども、途中でおそらくお金を充分に稼いでからリタイアして、旅行で訪れたモソの人達の生活に惹かれて、彼らの支援をしていくことになる。と、表面上はそうなっている。モソ族の人達は、太古からの「母系」の文化を色濃く残している人達で、その生活は素朴である。でも、読んでいけば分かることだけれども、彼らの文化は常に脅かされている。それは、経済的な問題や、教育的な問題、そして漢人の文化がテレビやメディアを通して入ってくるにつれて、そういうモノに憧れる若者が増えることからも起きる。若者が、経済的に成功するためには、教育は必須だけれども、漢人風の教育を受ければ、そこでまた父系の文化の影響を大きく受けざるを得ない、ということにもなる。そして、伝統的なお祭りなんかは、時に政府の援助が打ち切られて、存続できなくなりそうなことに追いやられたりする。そういう状況で、一流の経済家である曹さんは、お祭りを観光化してお客からお金を落として貰うことで続けようとしたり、モソの人達が作ったお米の販売ルートを確立して、彼らが経済的かつ産業的に自立できるように、資本主義の波に飲み込まれてしまわないように、力を尽くしているわけです。曹さんは、厳密にいえば、共産中国からみれば「外国人」です。それが何を意味しているのかといえば、中国国内には、曹さんのようにモソの人達の文化と生活を守ろうとしてくれる存在が「皆無」である、ということでもあると思う。彼女がそれができるのは、彼女の経済力もさることながら、中国国内からの政治的圧力を受けにくい立場でもあるからだと思うのです。要するに、言外なところで、モソの人達の生活と文化は、常に「政府の側から平和的な圧力を受けている」と知らなければいけないと思う。そして、彼らの生活を父系の方向、漢人の方向へと引きずりこもうとするでしょう。だから、彼らの生活を外部に紹介して、届けるべきところへ届ける、ということは、状況によっては、姉さん達は、より強力な圧力にさらされることを覚悟しなければ、できることではない、とも言える。そういうところまで読めないと、いけない、と思うわけです。そして、それだけの努力をして出した本であっても、本の中では彼らの「山の女神」が虎であること、あるいはその女神のお使いが虎であることは語られていない、と思うわけで。それは、別の資料から探し出してくるしかない。すなわち、それは曹さんにも「書くことは許されなかったこと」ということになります。それを明らかにすれば、分かる人には、モソの人々の「山の女神」とは「山海経」における「西王母」のことだとすぐに分かる。でも、父系が優位の今の中国社会で、父系の女神とされている西王母が、本当は母系の女神であって、それが西王母の「根源的な本来の姿」であることは、許されざることなのです。なぜなら、父系の人々からみれば、母系の人々は言外に「見下すべき差別の対象」だから、自分たちよりも劣っている人々の神が、自分たちが崇めているもの、だとは認めたくないことだから、なのだと思います。モソの人々のレポートは、そういう現代的な政治的問題を強く言外に含んでいるものだといえる。日本における狼の神は「大口真神」というそうです。なんでもガツガツ食べちゃう、まさに北欧神話のフェンリルのような神であるわけです。その神は、太陽を飲み込もうと常に追いかけ回している、そして、太陽を神としている人々も飲み込もうと付け狙っているわけです。私も戦っているのですけれども、曹さんも、モソの姉さん達も、そういう「狼」と常に戦い続けているのです。
で、どうも、お安く民話とかの資料が読めないかなあ、と思って、国会図書館とか漁ってみる。国会図書館は、著作権の切れた古い本をデジタルデータ化して、インターネットで公開しているので、戦前に書かれた「北欧民話」というものをダウンロードしてみる。一番最初の話は、「オズボルンの笛」という題で、いわゆる「3人兄弟」というか「末子成功譚」と言われるものである。それは、「3人の兄弟が、旅をして、一番末の弟がしまいに成功してお姫様と結婚する」、というのが一般的な筋書きであって。わりと世界各地に見られ、日本では「オオクニヌシ」の物語、兄達を差し置いて、彼だけが求婚に成功する、という話が有名です。で、ちょっと読んで見たわけですが、3人兄弟の名前は、ピーター、ポール、オズボルン・ブーリという。というか、これを見ただけで、それは「ヴェーとヴィリとオーディン」の神話の崩れたものでしょ、と思うわけで@@。戦前パワーすげー、とか思ってしまうわけで。「ヴェーとヴィリとオーディン」とは、この三兄弟が旅をして、ユミルという巨人を倒し、世界を創るという創造神話なわけです。これは、メソポタミアにおけるティアマトが倒される神話の変形版、カフカスにおけるワステュルジとゼラセの物語の類話、ということになります。でもなんで、同じ起源の物語が、神話だと「悪者を退治する話」になって、民話だと「お姫様と結婚する話」になるの? と思う。そうすると、それはイアーソンの金羊毛と同じ事で、イアーソンは金羊毛の持ち主であるメーディアを妻にすることで、彼女の財産も手にいれようとする。でも、手に入れてしまうと妻は邪険にして、結果妻は失踪してしまう。すなわち、妻は殺して片付けてしまう。要するに、父系の王が母系の文化を攻略したときに、女王と強制的に結婚して、彼女の財産を「自分のもの」として宣言した後に、殺してしまった、という歴史的事実を投影したもの、と言われる気がするわけで@@。だから、武勇さを好む支配者階級の「神話」では、それは化け物や悪魔を退治する話になる。一方、ハッピーエンドを好む庶民の「民話」では、若者が苦労の末に素敵なお姫様と結婚する話に変化してる、と言われる気がするわけで@@。「そういうこと?」と思う。
古代の日本は、通い婚であって、でもモソの人達のように完全な「走婚」ということではなくて、天武天皇が妃と同居していたように、飛鳥時代から夫婦が同居する例も出始めてくる。だから、平安貴族も通い婚で一生過ごす人もいるし、若いうちから夫婦で暮らしている人もいて。その差は何かというと、ライフスタイルの差もあるけれども、女性の側から見て、単なる「夫」というだけでなく、兄弟というか身内も同然の信頼できる存在、と認めてもらえれば同居もできる、とそんな感じであったらしくて。そういえば、清少納言も、単なる恋人が家に来ても、食事を出すのはみっともないこと、みたいに書いてなかったっけ? と思う。要するに、好きな人であっても、軽い気持ちで付き合っているだけの「恋人」はよその家の人なのだから、「ご飯は自分の家で食べてね」ということになる。女性が、家を訪ねてきた男性に食事を出して、世話を焼くのは、「あなたは私も家族も同然の大切な人ですよ」と言っているのと同じ事になる。その区別はしっかりつけなきゃいけない、と清少納言は言いたかったんだなあ、と思う。
日本神話の中で、オオクニヌシの物語は、黄泉の国に妻問いに出かけて、苦労の末に妻を連れ帰る話である。一方、スサノオや月夜見は、自分を迎えて歓迎してくれた女神達を殺してしまう。要するに、それは単なる「穀物の起源神話」にとどまらない。当時の常識からいえば、スサノオや月夜見のやったことは、自分を信頼して「夫」として認めてくれた女性を裏切って殺した、ということで、とても卑劣なこと、と言われる気がするわけで。オオクニヌシをよしとする富の王家を選ぶのか、スサノオや月夜見をよしとする狼の化け物を選ぶのか、けっして間違えないように、と言われる気がするわけで@@。ともかく、取引先の相手を、都合が悪くなると断りも無く着信拒否とか、「幼稚園児のやることなの?」っていうようなことをする方は選ばないと思うけど、と思うわけで-;。
で、なんだかんだ言って、北欧神話もちゃんと読んでみたいなあ、と思う。そうしたら、お勧めの本を教えてくれる人がいるわけで。例によって、それも強制的に買わされそうである-;。でも、北欧神話のユミルはあくまでも「男の巨人」なので。それは、北欧の人々が、大の男が3人がかりで女性を殺すような話を好まなかったから、すなわち、彼らの文化がそれだけ女性を大切なものとしている証拠、と言われる気がするわけで。だから、私を応援してくれてるんだなあ、と思ったのでした。
で、夜には「ZERO」と「ご参考までに」を見る。蛇の兄さんには、微妙に養子の子と仲が良すぎる、と言われる気がする-;。養子の子はイチゴが大好物らしくて。「お母ちゃんと二人で仲良くイチゴを食べたい」って言われたらもうメロメロでしょ、と思う。でも、母と息子がこんなにラブラブいちゃいちゃしていて、将来大丈夫だろうか、とか微妙なことは最近ちょっと思う。まあ、まだ2歳にもならない相手なわけですがー;。
昨夜は特に夢も見ず。作業の方はだいたいいつもの通りであって。どうも深いところに、灰とゴミを混ぜたものが入っている気がするわけで。灰だけなら、外に出せば肥料的に使えるわけですが、細かいビニールゴミがたくさん入っていて、拾いきれないし、捨てるしかない気がする-;。古い家の方でも、ゴミを汚く焼き散らした灰をたくさん入れられたしなー、と思う。今はそれが床下に大量に入っている気がするわけです。大きな石もけっこう出てきたのでした。
それにしても、建設会社の社長は、なんであんな変なことを言ってきたんだろう? と思う。そうすると、「送ってきたら訴えるぞ」って言いたかったけど、そう言うと「訴えれば?」って言われて突き返されるので、ああ書いたんじゃないの? と言われる気がするわけでー;。まあ、別に「訴訟の場で主張したい」と言うなら、あなたはそうすれば? って、どっちにしてもそう言うしかないじゃんねえ? と思う。私は、それでも、それ以外でもやりたいようにやります、としか言いようがない。それにしても、あれだけのことをやっておいて、まだこんなことを行ってくる図々しさがあるんだな、と思ったのでした。
でもって、土建屋の従兄弟は、また私が泣きつくかと思ったら、それがなくてつまらないらしい。というか、石がまた溜まってきたので、それを運び出させないためには、どうしたら良いのか困っているらしいー;。でもって、誰かに「狂って死ね」とかって言われる気がするわけで@@。「どっちもいやです」と思うわけですが。何だか、誰かに呪われている気がするわけでー;。
で、昼には「嵐にしやがれ」を見て、夜には健人君の新ドラマを見たのでした。で、寝る前に、以前録画したX JAPANのライブを見て。兄さん達には、「無理をしすぎないで、休むことも大切」と言われる気がするわけです。
そして、どんどんつまらなくなる「アマテラスの原像」を読む。言いたいことは分からなくもないけれど、無理がありすぎる、と思うのです。で、オセット族の伝承から述べると、マハーバーラタのパーンドゥー5兄弟の一妻多夫と同様、オセット族の伝承にも、父系的な印欧語族の伝承としては奇異な部分があるわけで。彼らの大母サタナは、実の兄(腹違いですけれども)と結婚するわけです。夫の方は、「こんなことをして世間にどう思われるだろうか」と心配するわけですが、結局サタナに押し切られます。これは、父系の習慣から見れば奇異なことですが、母系の習慣からみれば、奇異ではないのです。古代のバビロニアとか、日本の古代もそうですが、兄妹で結婚する例は、母系ではいくらでもあるのです。でも、その場合、子供の父親の種は余所から貰ってくることが多い。要するに、母系では「夫婦」というのは家を維持し、守るための形式であって、「子作り」まではその中の仕事ではないのです。サタナも結局養子にした二人の息子がナルト達の中での英雄になるわけで。父系の文化にあわせて、彼女の息子は「養子」という形になっていますが、実は彼女が夫以外の男ともうけた子供、ということになるのです。要するにオセット族の神話は、海神の話が出てきますし、彼らの先祖が中央アジアからもってきた草原地帯の神話だけではなくて、メソポタミアやバビロニアといった古代の中東の母系社会の伝承もずいぶん影響を受けているもの、といえると思います。まず、そういう基本的な土台をしっかり考察していないので、何を言っても変な考察になっている気がするわけでー;。資料としての伝承とかは面白いのですが。(本を読み進めると、ヘミッツという男が、自分の肩から子供を生む、という話が出てくるのです。ヘミッツって子音からいって、「マハーバーラタ」のクンティー王妃と同じ名前だー、と思う。おそらく、スキタイとインド・イラン系の共通の先祖に、何かそういう名前を持った「大母たる女性」がいたのだと思います。でも、スキタイではその存在が男性に変更されたので、「肩から子供を生む男」とか、そういう奇妙な存在に変えられてしまっていると思うのです。)
昨夜は特に夢も見ず。作業の方はだいたいいつもの通りであって。ゴミがたくさん出てきます。
で、思ったわけですが、なんで建設会社は、「工事の進行状況」を知ることを意図的に拒否してるのだろう? と思って。そうしたら、それは「建築請負契約の債務消失」を狙ってるんじゃないの? と言われる気がするわけで@@。なんというか、一般的に「債務を認めない」でいると、時効を援用して債務の時効取得を主張できるらしいです。でも、現場の状況を報告されたら、「債務を認めた」ことになっちゃうらしくてー;。でも、書類とか鍵の引き渡しもしていないのだから、それは向こうが把握している「債務」に入るでしょうが、工事の状況だけ「知らないこと」にしてどうするのか? と思う。どのみち、消滅時効を援用するとしても、訴訟を向こうから起こさなければならなくなる。しかも、時効にかかって債務がなくなっている、というのであれば、工事に必要な書類や鍵を握っている理由がなくなるわけで、それこそ窃盗でしょ、時効にかかる頃には、残代金なんて損害賠償額で吹き飛んでるし、と思う。(債務が消失すると、債権も消失するし-;)なんだか、もう回収の見込みがないので、時効を援用して逃げたいらしいー;。でも、建設会社が逃げたとしても、設計監理士は取り残されるよ?? 責任追及が全部そっちへ行くよ?? と思う@@。でもまあ、時効を援用するには訴訟を起こさないとならないし、詐欺未遂罪の時効の方が長いし-;。これは借金とかと違うので、意図的に「そこにある債務を認めない」となれば、それは悪意で犯罪になるし、それを目的としておかしなことを要求すれば、詐欺未遂罪なんだが@@。犯罪悪徳弁護士も「お仕事」がなげやりになるわけだーー、と思うわけで。公訴時効を主張したら、その時点で詐欺未遂罪を問われるわけだ-;。
で、「アマテラスの原像」の方ですが、マハーバーラタの次は、ナルト叙事詩ということで。カフカスのオセット族の伝説である。ナルト叙事詩に登場する荒ぶる精霊ワステュルジ(Uastyrdji)は、乱暴者で、3本足の馬に乗り、獰猛な犬を従えて、空を駆け回る。海神ドン・ベッテュルの娘ゼラセに懸想していたが、全く相手にされなかったことをいつまでも根に持っていて、ゼラセの死後、墓に侵入し、不思議な鞭で打ってゼラセの死体を美しく再生させ、これと交わり、さらに自分の馬、あるいは犬にも犯させた。この結果、娘サタナ、名馬ドゥルドゥル、犬シラムが生まれたとされる。ということで、ワステュルジという名前は基本的に、テシュブ、ゼウス、ユーピテルと同系統の名前で、そこに「Uas」がついた形といえます。ゼラセの方は、「d」で始まる女神である。要するに、これはローマ式「ユーノー&ユーピテル」と同じ組み合わせの名前であって、そこからサタナという美女であり、魔女が生まれるわけです。サタナというのは、ヒッタイト時代には太陽女神であったものの名前で、アテーナーとか、古代エジプトのアテン神と同じ子音であり、起源は蛙のヘケト女神であると思う。ただし、サタナの性質から見ると、「太陽のヘケト」ではなくて「冥界のヘケト」の気質が強いといえる。ナルトの世界は、印欧語族の世界らしく階級社会である。その内訳は、戦士階級、祭祀階級、庶民階級である。で、このサタナというのが、けっこうな魔女で、好きな人と結婚するのに、邪魔な先妻を死に追いやる。自分が年を取ると夫に若い妻を迎えるように薦めておきながら、いざそうなると自分は魔法で若返って夫を第2夫人に近寄らせない、という具合である。で、何故か作者はこのサタナが、アナーヒタ女神的である、と言いたいらしい-;。まあ、大雑把にいえばそうかもしれないけれども、大雑把過ぎる、と思う-;。サタナは、元は太陽女神であったものが、陰の属性に近くなった女神の崩れであって、そういうところはアナーヒタ女神と共通していると思う。年老いたのに、若い娘を犠牲にする形で若返るのは、冬至に老いて、犠牲を得てまた若返る「太陽」の性質そのものである、と思う。そして、興味深いのは、サタナが死においやった先妻はエルダ、すなわち「d」の名前である、ということ。すなわち、ナルト達の伝説でが、女神はすでに全員「陰」の存在なのだけれども、特にサタナが「陽」の側に近く、「d」とつく女神達は「黄泉」の存在だ、ということである。これは、メソポタミアのティアマト神話と同じで、死すべきは「d」のつく女神なのである。すなわち、ローマにおけるユーノー女神は、カフカスでは「黄泉」に近い女神とされている、ということになる。だから、カフカスの伝説は、スキタイの神話の末裔であっても、メソポタミアの神話の影響を強く受けている、といえます。サタナは死んだゼラセから生まれた大地そのもの、といえる。
だから、もっと大雑把にいえば、サタナ=アナーヒタ=アマテラスで良いのかもしれないけれども、ゼラセがユーノーであるなら、イザナミも「(i)d」で始まる「d」の女神でユーノーのことなんじゃないの? ということになります。夫のイザナギは、「(i)d」で始まるので、「偉大なる(i)d」ということになる。また、イザナギの持つ剣から建御雷神が生まれていますから、イザナギ=建御雷神とすれば、結局日本神話における系譜とは、ユーピテルとユーノーを始祖として、その娘がアマテラス(アナーヒタ)ということになるんじゃないの? と思う。ローマにおけるユーノー女神は「天の女神」なのに、日本神話ではメソポタミア式に「黄泉」の存在とされている。そして、同じ子音を持つ女神に、宗像氏の「イチキシマ女神」がいるわけです。彼女も「(i)t」で始まる女神で、天孫降臨の際に、ニニギに従って下りてきた女神と言われている。すなわち、天津神の中では「陰」に近い女神といえます。しかも、ゼラセやティアマトと同じく「海の女神」だし。
そこで、一つの「仮説」が生まれるわけです。日本の神話では、アマテラスも、建御雷神も「鹿」のトーテムが付加されて、「シカトする皇大神社」に祀られている。では、イザナミあるいはイチキシマ女神であるところの、ユーノー女神にも同じ「操作」がなされているとしたら?? ということになる。というわけで、「シカトする皇大神社」に祀られている神のリストが頭に浮かぶわけで。それは、主祭神アマテラス、配神に建御雷神、カグツチ、八幡神、イチキシマ女神である。あんな山の中になんで海の女神を祀ってあるの? と思う。というか、このリストが読める書物は、たぶんただ1種類しかないわけで。しかも、その下にあるお寺の中には「旭観音」というものが、丁重に祀ってあるし、本尊は薬師如来である。要するに、ゴミ捨て場のゴミなら適当に拾っても誰も文句言わないかもしれないけれども、本尊だの寺宝だのは「そこからは動かせない」ということになる。黄泉の国に何重にも閉じ込められた「旭」であり「九頭竜」であり、「日光」にも「月光」にもなれるユーノー女神をそこから動かすには、大枚はたいて「羽衣」を買わなければならない、そして彼女の「もう一つの名前」である「ヴァルナ」の権利をある程度手に入れなければいけない、と言われる気がするわけで。でも、その名前は私には向かない名前、と言われる気がするので、結局「大枚」というものが必要とされる、というオチがつくわけですが-;。というわけで、古い時代の印欧語族の主神であるヴァルナと、どちらかというと先住民の女神? 的なドゥルガー・ユーノーとどんな関係があるのか? ということになるのですが。それは、同じものであり、異なるものであり、「対を形成するもの」であるわけです。
古代メソポタミア文明はユーフラテス川とチグリス川のふもとに栄えました。ユーフラテス川とは、シュメール語で「ブラヌナあるはブラヌン」という言葉から発生したもの、チグリス川はシュメール語で「イディギナ」という「虎」を意味する言葉から派生したもの、ということで。英語で虎のことを「Tiger」といいますが、その語源が「イディギナ」であるわけです。シュメール語での「ブラヌナあるいはブラヌン」は、インド方面で同じ子音のヴァルナ、ブラウマン、ヴィシュヌ等に変化したものと思われます。イディギナの方は、北欧でイドゥン、古代エジプトでテフヌト、ローマでユーノー、インドでドゥルガー、チベットでドゥーマと変化しました、要するに、「ユーフラテス・チグリス」併せて「ヴァルナ・虎」という意味になるのです。でも、「ヴァルナ」って何? となる。ヴァルナの古い時代の神官は、極端に色白で、性的不能者でなければならないとされているそうです。要するに「ユーフラテス・チグリス」の語源は、中国語で言うところの「白天(バイテン)」あるいは「白帝(バイテン)」ということになります。「白天」とは「昼間」という意味です。「天」という言葉が、そのまま余所の国では「虎」の意味で使われている。だから、本来は「虎」は「天」で「昼(太陽)」で、「女神」だったのです、となるのですが。印欧語族の契約神であるヴァルナ・ミトラの「ミトラ」も「テフヌト」の変化した名前ですから、要は「ユーフラテス・チグリス」も「ヴァルナ・ミトラ」も、元は同じ「昼間」という名前といえます。でも、中国外に出ると、だんだんそういう意味が薄れて、「ヴァルナ」が「始まり」、ミトラが「終わり」という意味を持つようになってきます。要するに二つ併せて「初めと終わり」だし、契約神としては「契約を開始する神と終わらせる神」になる、ということで。二つ併せて、契約を履行する神、といえます。でも、私は契約を始めるのはうまくない、終わらせるときは破壊的威力を発揮する、ということらしくてー;。「初め」の名前は取りにくい、と言われる気がするわけでー;。でも、これで千と千尋の「川の神」である「ハク」が、何故「ハク(白)」なのかが、分かるわけで。彼が「ヴァルナ」ということになる。まあ、でも問題は「t」の字が着く「千尋」の方なので-;。
というわけで、イザナギはユーピテル、イザナミはユーノー、アマテラスはアナーヒタ女神でも良いし、「蛙」の名を持つサタナでも良い、ということになる。「アマテラスの原像」は日本神話の考察になると、政治的に意図的にグダグダさせまくりなので、全然面白くなくなるわけですがー;。でも、いろんなことを教えてくれたわけです。「シカトする皇大神社」には、ユーピテルと子神の八幡神と、アマテラス・ユーノー・ウェスタが祀られている。事実上、3人が押し込められてる。そして、自分の今までの人生を考えると、その3人の現実での「近さ」にも、いつも「呪い」のようなものを感じずにはいられないのです-;。