なんか、「訴状きたーー」ということで、若干の昔を思い出しつつ、いろいろと書面を書いております。というか、答弁書書く前に、いろいろと書くモノ多過ぎな感じであって。下書きをしつつ、「不法行為ってなんだっけ?」とかって、思いながら調べている感じであって-;。
どうにも、どうにも、これで裁判所はどうなんだろう? とか、思うわけですが-;。ともかく、「受けてたつ」と決めたら、応援してくれる人が多くて。お昼に、昨日の「ZERO」を見ていたら、珍しく立憲民主党のえだのんがでていて、「約款」について、いろいろとアドバイスしてくれるわけで@@。有働アナとか、えだのんとか、味方だけは増えた気がする。一番弟子は、「法廷でお師匠様に会える」とかって思っていそうですー;。「なんじゃそりゃ」と思うわけで。訴状の日付を書き間違えてますよ、と思う。そして、4番目の子からは、「みんなで一緒に考えて頑張りましょう」と言われる気がするわけで。
あとは父親に「弁護士を頼まなきゃ」って言われたり-;。どさくさにまぎれて何かばれた気がするわけですがー;。
そういえば、10月10日は利兄さんのお誕生日だったのでした。おめでとうございます<(_ _)>。遅くなってごめんなさい;。
そして、准ちゃんのところにも男の子が生まれたそうで<(_ _)>。なんかみんな割と「猫目の子だねえ」って言う気がするわけで。養子の子も、「お兄ちゃん」になる気満々らしいし。お母ちゃんもほのぼのと頑張るよ、と思ったのでした。
裁判だーーー
頑張るぞーーーー
昨夜は特に夢も見ず。作業の方はだいたいいつもの通りであって。なんだか、有刺鉄線とかがまた出てきた気がするわけでー;。そんなんばっかりである;。
で、いろいろと気になって、内容証明がきちんと配達されているかどうかをネットで確認したら、設計士の従兄弟の方が受け取り拒否していて@@。「あれー?」と思って、FAXを送ってみたら、うちの番号が着信拒否になっていてー;。色々と密に連絡を取り合う必要のある相手にそんなことをしたら、「やましいことがある」と自白したも同然なわけですが。で、もう一方の建設会社の社長の方は、受け取っていて。まあ、こちらは一応、一番弟子が代理人についているので、そこに送れば届くことは確実なので、逃げてもしょうがないわけですが。でも、内容証明は受け取り拒否しても「意思表示の到達」の法的効果は生じるそうなので、送り続けることが大事なんだな、と思って。別に受け取り拒否されても、他に方法はないとは言わないのでいいのですがー;。やっていることが大人げない、というか「馬鹿なの?」と思うわけで-;。
でも、事件の黒幕は、事態を収拾しようとした、土建屋の従兄弟が仕組んだことらしくてー;。「どうしよう、怒らせちゃった。お父ちゃん、ごめんなさい。」とかって言われる気がするわけで;;。どうにも、土建屋のおっちゃんは、私が怒ると、「自分の父親」に怒られてる気がするらしくてー;。私はあんたの父親ではないーーー、というか、その人に似てるのかよ、と思うのですが-;。どうも、事態を早期に収拾しようとして、何か企んだらしいー;。だいたい、裁判がまだ始まってもいないのに、「争点がどうの」とかって言ってくることそのものが変なわけで、訴状が出て、それを被告が読んで、答弁書を書いて、それで争点って決まるものなので。ということで、「受け取り拒否して、差し出したモノが帰ってきてショックを与える」作戦は失敗したらしい-;。えー、でも、ネットにはそういうときの対策法もいろいろとあるよ? というか、当事者のどちらかに届いていれば催告の効果はあるはず。建設会社に届けば、建設会社は通常は設計士に報告して、仕事の手配をしなければならないはずだし、その二つが連絡を取り合っていないはずはないし、取り合う義務があるわけだから。
で、親はモソ族のドキュメンタリーを読んでくれているらしい。でも、それは民話では無くて、現代のものなので。作者は曹さんといって、中国人だけど、国籍はシンガポールにある華僑の女性である。で、ヘッジファンドでばりばり働いていたのだけれども、途中でおそらくお金を充分に稼いでからリタイアして、旅行で訪れたモソの人達の生活に惹かれて、彼らの支援をしていくことになる。と、表面上はそうなっている。モソ族の人達は、太古からの「母系」の文化を色濃く残している人達で、その生活は素朴である。でも、読んでいけば分かることだけれども、彼らの文化は常に脅かされている。それは、経済的な問題や、教育的な問題、そして漢人の文化がテレビやメディアを通して入ってくるにつれて、そういうモノに憧れる若者が増えることからも起きる。若者が、経済的に成功するためには、教育は必須だけれども、漢人風の教育を受ければ、そこでまた父系の文化の影響を大きく受けざるを得ない、ということにもなる。そして、伝統的なお祭りなんかは、時に政府の援助が打ち切られて、存続できなくなりそうなことに追いやられたりする。そういう状況で、一流の経済家である曹さんは、お祭りを観光化してお客からお金を落として貰うことで続けようとしたり、モソの人達が作ったお米の販売ルートを確立して、彼らが経済的かつ産業的に自立できるように、資本主義の波に飲み込まれてしまわないように、力を尽くしているわけです。曹さんは、厳密にいえば、共産中国からみれば「外国人」です。それが何を意味しているのかといえば、中国国内には、曹さんのようにモソの人達の文化と生活を守ろうとしてくれる存在が「皆無」である、ということでもあると思う。彼女がそれができるのは、彼女の経済力もさることながら、中国国内からの政治的圧力を受けにくい立場でもあるからだと思うのです。要するに、言外なところで、モソの人達の生活と文化は、常に「政府の側から平和的な圧力を受けている」と知らなければいけないと思う。そして、彼らの生活を父系の方向、漢人の方向へと引きずりこもうとするでしょう。だから、彼らの生活を外部に紹介して、届けるべきところへ届ける、ということは、状況によっては、姉さん達は、より強力な圧力にさらされることを覚悟しなければ、できることではない、とも言える。そういうところまで読めないと、いけない、と思うわけです。そして、それだけの努力をして出した本であっても、本の中では彼らの「山の女神」が虎であること、あるいはその女神のお使いが虎であることは語られていない、と思うわけで。それは、別の資料から探し出してくるしかない。すなわち、それは曹さんにも「書くことは許されなかったこと」ということになります。それを明らかにすれば、分かる人には、モソの人々の「山の女神」とは「山海経」における「西王母」のことだとすぐに分かる。でも、父系が優位の今の中国社会で、父系の女神とされている西王母が、本当は母系の女神であって、それが西王母の「根源的な本来の姿」であることは、許されざることなのです。なぜなら、父系の人々からみれば、母系の人々は言外に「見下すべき差別の対象」だから、自分たちよりも劣っている人々の神が、自分たちが崇めているもの、だとは認めたくないことだから、なのだと思います。モソの人々のレポートは、そういう現代的な政治的問題を強く言外に含んでいるものだといえる。日本における狼の神は「大口真神」というそうです。なんでもガツガツ食べちゃう、まさに北欧神話のフェンリルのような神であるわけです。その神は、太陽を飲み込もうと常に追いかけ回している、そして、太陽を神としている人々も飲み込もうと付け狙っているわけです。私も戦っているのですけれども、曹さんも、モソの姉さん達も、そういう「狼」と常に戦い続けているのです。
で、どうも、お安く民話とかの資料が読めないかなあ、と思って、国会図書館とか漁ってみる。国会図書館は、著作権の切れた古い本をデジタルデータ化して、インターネットで公開しているので、戦前に書かれた「北欧民話」というものをダウンロードしてみる。一番最初の話は、「オズボルンの笛」という題で、いわゆる「3人兄弟」というか「末子成功譚」と言われるものである。それは、「3人の兄弟が、旅をして、一番末の弟がしまいに成功してお姫様と結婚する」、というのが一般的な筋書きであって。わりと世界各地に見られ、日本では「オオクニヌシ」の物語、兄達を差し置いて、彼だけが求婚に成功する、という話が有名です。で、ちょっと読んで見たわけですが、3人兄弟の名前は、ピーター、ポール、オズボルン・ブーリという。というか、これを見ただけで、それは「ヴェーとヴィリとオーディン」の神話の崩れたものでしょ、と思うわけで@@。戦前パワーすげー、とか思ってしまうわけで。「ヴェーとヴィリとオーディン」とは、この三兄弟が旅をして、ユミルという巨人を倒し、世界を創るという創造神話なわけです。これは、メソポタミアにおけるティアマトが倒される神話の変形版、カフカスにおけるワステュルジとゼラセの物語の類話、ということになります。でもなんで、同じ起源の物語が、神話だと「悪者を退治する話」になって、民話だと「お姫様と結婚する話」になるの? と思う。そうすると、それはイアーソンの金羊毛と同じ事で、イアーソンは金羊毛の持ち主であるメーディアを妻にすることで、彼女の財産も手にいれようとする。でも、手に入れてしまうと妻は邪険にして、結果妻は失踪してしまう。すなわち、妻は殺して片付けてしまう。要するに、父系の王が母系の文化を攻略したときに、女王と強制的に結婚して、彼女の財産を「自分のもの」として宣言した後に、殺してしまった、という歴史的事実を投影したもの、と言われる気がするわけで@@。だから、武勇さを好む支配者階級の「神話」では、それは化け物や悪魔を退治する話になる。一方、ハッピーエンドを好む庶民の「民話」では、若者が苦労の末に素敵なお姫様と結婚する話に変化してる、と言われる気がするわけで@@。「そういうこと?」と思う。
古代の日本は、通い婚であって、でもモソの人達のように完全な「走婚」ということではなくて、天武天皇が妃と同居していたように、飛鳥時代から夫婦が同居する例も出始めてくる。だから、平安貴族も通い婚で一生過ごす人もいるし、若いうちから夫婦で暮らしている人もいて。その差は何かというと、ライフスタイルの差もあるけれども、女性の側から見て、単なる「夫」というだけでなく、兄弟というか身内も同然の信頼できる存在、と認めてもらえれば同居もできる、とそんな感じであったらしくて。そういえば、清少納言も、単なる恋人が家に来ても、食事を出すのはみっともないこと、みたいに書いてなかったっけ? と思う。要するに、好きな人であっても、軽い気持ちで付き合っているだけの「恋人」はよその家の人なのだから、「ご飯は自分の家で食べてね」ということになる。女性が、家を訪ねてきた男性に食事を出して、世話を焼くのは、「あなたは私も家族も同然の大切な人ですよ」と言っているのと同じ事になる。その区別はしっかりつけなきゃいけない、と清少納言は言いたかったんだなあ、と思う。
日本神話の中で、オオクニヌシの物語は、黄泉の国に妻問いに出かけて、苦労の末に妻を連れ帰る話である。一方、スサノオや月夜見は、自分を迎えて歓迎してくれた女神達を殺してしまう。要するに、それは単なる「穀物の起源神話」にとどまらない。当時の常識からいえば、スサノオや月夜見のやったことは、自分を信頼して「夫」として認めてくれた女性を裏切って殺した、ということで、とても卑劣なこと、と言われる気がするわけで。オオクニヌシをよしとする富の王家を選ぶのか、スサノオや月夜見をよしとする狼の化け物を選ぶのか、けっして間違えないように、と言われる気がするわけで@@。ともかく、取引先の相手を、都合が悪くなると断りも無く着信拒否とか、「幼稚園児のやることなの?」っていうようなことをする方は選ばないと思うけど、と思うわけで-;。
で、なんだかんだ言って、北欧神話もちゃんと読んでみたいなあ、と思う。そうしたら、お勧めの本を教えてくれる人がいるわけで。例によって、それも強制的に買わされそうである-;。でも、北欧神話のユミルはあくまでも「男の巨人」なので。それは、北欧の人々が、大の男が3人がかりで女性を殺すような話を好まなかったから、すなわち、彼らの文化がそれだけ女性を大切なものとしている証拠、と言われる気がするわけで。だから、私を応援してくれてるんだなあ、と思ったのでした。
で、夜には「ZERO」と「ご参考までに」を見る。蛇の兄さんには、微妙に養子の子と仲が良すぎる、と言われる気がする-;。養子の子はイチゴが大好物らしくて。「お母ちゃんと二人で仲良くイチゴを食べたい」って言われたらもうメロメロでしょ、と思う。でも、母と息子がこんなにラブラブいちゃいちゃしていて、将来大丈夫だろうか、とか微妙なことは最近ちょっと思う。まあ、まだ2歳にもならない相手なわけですがー;。