昨夜は特に夢も見ず。本日はスーパーライブだったので、いつもよりちょっと早めに上がってテレビを見る。ジャニーズの兄さん達が集結する豪華な顔ぶれは特番でないと見れないので、楽しく見させて頂く。最後から2番目はYOSHIKIとhydeのコラボで「Red Swan」という曲で。なんだか、アニメの主題歌、とかってことは聞いたことがあったのですが。歌詞をなんとなく見ていると、「赤い白鳥」とは太陽のことなのかなあ、となんとなく思う。割と「太陽よ永遠なれ」という感じの歌、というか、そんな印象を受ける。太陽を言祝ぐ歌ではある気がするわけですが、でも音楽家の兄さんの趣味は割と刹那的だし、ちょっと兄さんの歌とは違う、という気がして。誰の「歌」なのだろう、と思う。そうしたら、「穂日が歌ってるんだから、千家の宮司からの歌でしょう。」と言われる気がするわけで@@。歌ってる方は「ついにこんな歌を歌わされるまで落ちぶれた」と言っている気がしたわけですがー;。千家かー、最近は兄さん達以外からもちょこちょことお歌を頂く気がするわけで。でも、「歌」というものは自分の気持ちを相手に伝えるのが本来のものだから、必ずしも恋の歌でなくても良いらしくて。
スーパーライブのラストは、星野源君であって。源君は、いつも蛇の兄さんの声を届けてくれるいい人なわけですが。でも、蛇の兄さんは私の顔を見ると、おパンツとかそんなことしか言わない人なので-;。なんとなく兄さんにそういうことを言われるとぞっとするようになってしまって-;。兄さんは、他の人達から「妻神の男嫌いをあおるようなことを言ってどうするのか。」と怒られるらしいですー;。他の兄さん達は、「中学生並どころか、小学生の恋愛くらいの気持ちでいろいろ言わないと駄目かも。」と思っているらしい;。別にそんな男嫌いじゃないもんーー、と思うわけですが、そちらの方面はなんだかえらく幼いと思われているみたいですー;。
昨夜は特に夢も見ず。昨日の日記を読んだ親から、「八幡神とミトラスの関係は?」というか、日本の国の「ミトラス」とは何なのか? というようなことを聞かれる。どうして、そんなに話が飛躍するのだろうか、という気もする。今、記紀神話で述べられている、神功皇后、仲哀天皇、八幡神(誉田別尊)の3神は、最終的にローマ式の原始キリスト教が優位を占めた結果形成されたもので、本来あった「神話」と比べて、ずいぶん書き換えられている、と見るべきだと思う。そして、ミトラスとキュベレー信仰は、当然その名前のまま入ってくるわけではないから、様々なものに名前を変えて入ってくる。だから、日本の国に「ミトラス信仰のままのミトラス」、「キュベレー信仰のままのキュベレー」なんて、最初から現在まで「あるはずがない」のである。あるのは、別の名前に形を変えて、でも、見る人が見れば、元がなんなのか、何を言いたいのかが分かる、と、そういうものなのである。分からない人が見れば「千と千尋」の「カオナシ」のごとく、本当はなんなのかが分からない、顔も正体も見えてこない、とそうなる。そして、そうやって敢えて変えることで、「分かる人は仲間」、「分からない人は仲間じゃない」みたいな暗号的な象徴としても使っているのだと思う。
おそらく、エフェソス初のミトラス・イエスとキュベレー・マリアの信仰の一番古い片鱗は、出雲国秋鹿郡にある佐太神社と秋鹿神社であると思う。伝承によると、「佐太大神は、神魂命の御子・枳佐加比売命(きさかいひめ、赤貝を神格化した女神)の御子。加賀の神埼で出産の時、弓矢がなくなった。枳佐加比売命が『この御子が、麻須羅神の御子ならば、弓矢よ出て来い』と云ったところ、水の中から角の弓矢が流れてきた。御子神に見せ、『これではない』と投げ捨てる。すると今度は金の弓矢が流れてきた。枳佐加比売命は、それを手にとり『暗い窟であることよ』と云って、射放つと、窟が貫通し光輝いたという。」ということである。このようにして、佐太大神は、自らが麻須羅神の子である証を立てたのである。この「麻須羅神」とは名前からしてミトラスのことであると思う。「金の弓矢」というのも、太陽神であるミトラスの化身であることをうかがわせる。一方、母親の枳佐加比売命は赤貝の女神であって、記紀神話によると大やけどをして亡くなった大国主命を蘇生した女神である。貝の女神が蘇生の魔力を持つ、というのは漁撈民の伝承的であると思う。一方、秋鹿神社には、秋鹿日女命という女神が祀られており、この女神が大国主命を生き返らせた女神とされている。秋鹿日女命が枳佐加比売命と同じものであるから、秋鹿日女命は佐太大神の母親であり、その夫は麻須羅神ということになる。佐太神社には、かつて天照大神の他に「天太玉命」とか「天赤女」という天照大神とは異なる鹿の太陽女神が祀られていた形跡があり、これがかつて佐太大神の母親であったのだろう、と思われる。でも、それは記紀神話として編纂される時代には、赤貝の女神に変更されざるを得ない事情があったのではないか、と思う。でも、本当の伝承のヒントは佐太神社と秋鹿神社に残されたのである。エフェソスのアルテミス・キュベレーの聖獣の一つは、「雄鹿」である。だから、キュベレーは両性具有の神だし、キュベレーが鹿、ということはその子供のアッティスも鹿、ということになる。母親であるキュベレーは大地母神であって、生け贄に若い男を求め、また彼を再生させる神でもある。「再生させる女神」の片鱗は佐太大神ではなくて、大国主命神話に残されている。要するに麻須羅神・ミトラス・イエス、秋鹿日女命・キュベレー・マリアと彼らの子神である佐太大神の神話が、出雲の大国主命神話と習合させられていた形跡がある。そもそも、ミトラスとは古くからの印欧語族の契約神であったものが、イランのアケメネス朝で発達したゾロアスター教の中で「救世の神」とされるようになったものであり、それが再び西方へ戻って原始キリスト教等と結びついたものだから、ゾロアスター教を知ってる人達が「救世の神であるところのミトラス」が、元々どのようなものなのか知らないはずがない。富の王家の先祖は、知っていて、わざわざ新興のエフェソス初のミトラス・キュベレー信仰と結びつこうとしたのであり、仲はそこそこ良好だったのだろう、と推察せざるを得ない。
そして、ちょっと余談、でも大事な余談なわけですが。潤ちゃんが「深山」という型破りの弁護士を演じた「99.9%」というドラマで、深山弁護士が働く法律事務所の名前は「斑目(まだらめ)」という。で、深山弁護士の上司は民事の得意な「佐田」センセイであって、所長は佐田先生を事務所の後継にするかもしれない、という話である。斑目とは麻須羅神・ミトラスのこと、佐田先生とは佐太大神のことだよねえ? とそれはだいたいすぐに分かる。では、「深山」とは何ですか? どこかの山奥に、斑目の「妻」に相当する「鹿の太陽女神」が隠されているという暗喩ですか? なぜなら、夫(深山)と妻は一体のものだから、彼は妻の影を演じているに過ぎない、とすればそういうことになる。でも、あの近戸皇大宮って、けっこうやばい神社ですよ? 知れば知るほど「呪詛って何?」と思うわけですが、山奥のローカルな神社すぎて、あの神社に関する情報はネット上にはほとんど出てこない。その詳細は「信州新町町史」くらいにしか載ってない。でも、それを見ると「うーむ」と思うわけです。近戸皇大宮とは、「千鹿頭皇大宮」と書き換えることが可能であると思う。要するに、そこに祀られている天照大神はトーテムが鹿に限定される。要するに、秋鹿日女命のことなのである。すなわち、麻須羅神・ミトラス・イエスの妻であるところの、秋鹿日女・キュベレー・マリアのことだよねえ?? と思う。結局、少しずつ名前も設定も変えるけれども、「分かる人には何のことなのか分かる」という古来よりのやり方を、あのドラマも踏襲している。そういうやり方は何千年も前から続けられているのです。
で、佐太神社のあるところの住所は、現在、「松江市鹿島町」となっています。「鹿島の神」といえば、現在では鹿島神宮の建御雷神が有名です。鹿島神宮では、「鹿島の神が白い鹿に乗って現れた」から、鹿が神のお使いとされた、とあります。でも、秋鹿日女の住まいの方が本来の「鹿島」であったのなら、本来は「鹿島の神」とは秋鹿日女のことであったはずです。それが、雷神であり武神である建御雷神に置き換わっています。建御雷神の前身が、ローマのユーピテルであるならば、本来は牛トーテムの神であったものを、わざわざ鹿トーテムに強引に置き換えていることになります。それは何故なのか、ということは伝承の仲にヒントがあるような気がします。
朝鮮半島のムーダンには、バリ公主(鉢里公主)の神話があります。鉢里公主は、親の病気を助けるために、弥勒菩薩の住む西域の国に出かけて、弥勒に妻として仕えて7人の息子を産み、その見返りに薬水を貰います。この場合の弥勒は、救世の神であったかもしれないけれども、医薬の神ともいえます。それは、原始キリスト教団のイエスが、医者としての仕事に拘ったことにもつながるように思えます。公主が戻ってくると、両親はすでに亡くなっていますが、貰った霊薬で彼女は親を生き返らせます。そして、その後一族郎党は栄えるのです。鉢里公主の「再生の女神」としての性質は、大国主命を再生させた秋鹿日女と重なります。そして、弥勒菩薩と鉢里公主という組み合わせは、祇園の八坂神社の古い神である武塔天神(牛頭天皇)と、その妻の頗梨采女(はりさいじょ)に移し替えられると思います。この場合武塔天神はミトラスであり、牛トーテムとして現されます。そして、本地垂迹では武塔天神は薬師如来として現されますので、「医薬の神としての弥勒菩薩」と同じ性質も持ちます。では、彼らの妻の鉢里公主と頗梨采女は元は何者だったのでしょう、ということになります。それはともかくとして、鉢里公主や頗梨采女が、秋鹿日女と同じ者であれば、彼らのトーテムは鹿であると推察されます。しかし、特に鉢里公主に顕著ですが、彼女は親のために異界(すなわち黄泉の国)に出向く存在であって、永遠の命を持つ大地母神ではありません。要するに、この辺りから、「絶対的な地母神であるキュベレー」から「誰かのために異界をさまよう鉢里公主」への変更がなされているわけです。それだけではなく、本来の東方密議では牛トーテムではなかったミトラスにも牛トーテムの性質が付加されています。牛トーテムのミトラスは、東方密議のミトラス、というよりは、ローマの牛トーテムの神であるユーピテルと習合したユーピテル・ミトラスといえます。例えば広隆寺の「牛祭」に登場する摩多羅神(まだらしん)は、天台宗の神とされ、牛に乗って登場して、広隆寺から出て薬師堂に入り、祭りは終わる。牛に乗っているということは、牛トーテムの神である、ということであり、摩多羅神という名前はミトラス由来のものと思われますが、弥勒菩薩ではなくて薬師如来と関連付けられている。要は、薬師如来であるところの弥勒菩薩です。鉢里公主の弥勒菩薩と同じものといえる。だから、出雲の麻須羅神はグノーシス主義的なミトラス、広隆寺の摩多羅神は牛トーテムのローマ的ミトラスで事実上ユーピテルかあるいはイエスのこと、となるのです。同じくミトラスを起源としていても出雲の麻須羅神は味方の神様、広隆寺の摩多羅神は敵の神、となります。しかし、誰が何のために、このような構図を作り上げたのか、ということになります。同じ事は、中宮寺の弥勒菩薩と広隆寺の弥勒菩薩にもいえると思う。聖徳太子は母系の支持者であり、推古天皇の宰相であり、エフェソス初の原始キリスト教を支持する人であったのだと思う。すなわち、彼が「弥勒菩薩」に中に見ていたのは、父なる神ミトラス・イエスであり、祖神であるグノーシス主義のミトラスであったと思う。でも、彼の側近の秦氏は、れっきとしたローマ人であり、秦氏の氏寺広隆寺で祀られていた「弥勒菩薩」は、牛トーテムのミトラス、すなわちユーピテル・ミトラスのことだったはずです。同じ「弥勒菩薩」でもその二つは異なるものだ。でも、秦氏は聖徳太子に「秦氏の弥勒菩薩こそが正統な弥勒菩薩だ」と認めるように迫ったでしょうし、その影響力が朝廷にまで及ぶのを恐れて、聖徳太子は朝廷から距離を置いたのかもしれない、と思います。でも、上宮王家がローマ人に対して、平和的な抵抗を試み続けた結果、彼らは一族郎党含めて皆殺しにされてしまうわけで、その後に来たのは、ローマを支持する天智天皇なわけだから。
だから、鹿トーテムの神の話を進める前に、ミトラスのことをまとめておかねばならない、と思う。ミトラスは、本来印欧語族の古い時代からの契約神でした。そのもっと古い形は、「モート」とか「モロク」という牛の神だったのだと思います。モーモー鳴く神様だから、その名前を持っているモー様系の神といえる。でも、その名前が広まったのはアケメネス朝のゾロアスター3神として、アフラ・マズダ(ヴァルナ)、アナーヒタ、ミスラに名前を連ねていたから広まったのです。ゾロアスター教は、動物のトーテムを廃して、神を観念的にし、ゾロアスターの神々を広い民族に受け入れられるように作り替えました。アケメネス朝は多民族国家であって、神のトーテムを特定することは、異なる神を擁する民族を差別することになるからです。そういう手法は古代のユダヤの十二枝族ですでに実行され始めていたのです。ゾロアスターにおいてはヴァルナが最高神とされて、その分彼は庶民からは遠い格の高い神とされました。その代わり、より下位の神であるミスラ(後のミトラス)が「世直しの神」「庶民の生活を守る神」とされて、広く人々の支持を受けることになったわけです。すなわち、当初のミスラは現世利益の強い神であって、現実の世界を救う、という点では「救世の神」と言えなくもないですが、末法に人間の世界にわざわざ降りてきて救う、というような弥勒菩薩のような性質は持っていなかったわけです。ただし、司法神としての性質から、「死者の行き先を決める神」ではあったのです。要するに仏教における「閻魔様」のような神でもあったわけ。ただし、ゾロアスター教には、末法あるいは終末において登場する「救世主」の思想がすでに登場していました。でも、この「救世主」は神ではなくて、人の中から現れることとされていました。当然神々の味方だから、アフラ・マズダやミスラの側の人間、とはされていたと思います。そしてミスラは人々にとても人気があった神であったので、ゾロアスター教の圏外にまで広まって、場合によっては主神扱いされることもありました。そうして、初期のミトラス信仰が形成されていったのだと思います。だから、救世主信仰とミスラ(ミトラス)信仰は、近い位置関係にありますけれども、ミスラが末法の世における救世主であるとか、あの世からこの世に降りてきて末法に人々を救う、という思想はそもそもなかったのです。で、その思想がまずどこに現れたのかというと、イエス・キリストのことを「末法における救世主」であると同時に、「その父神であるミトラスとも同じもの」と言い出した人達の中に現れたわけです。要するに、ミトラス・イエスが末法における救世主であると同時に、父なる神でもあるという思想を始めて作り出したのは、エフェソス初のグノーシス主義者達といえる。でも、このミトラスには妻なり神が存在していました。一方、大乗仏教の下生する救世神たる弥勒信仰とは、古くからあった弥勒信仰に紀元前後からつけ加える形で広まったものなわけです。というよりも、本来の仏教に「弥勒菩薩の下生信仰」が加わったものが大乗仏教といえる。大乗仏教の弥勒菩薩は妻帯していません。つまり、その弥勒菩薩が「作られた神」だとするならば、ローマ人が作った神、だと述べる他ない。ローマ人のイエス・キリストは妻帯していないからです。大乗の弥勒菩薩は、ローマのミトラス・イエスと相関関係があるように、最初から作られているのです。だから、遠いご先祖様であるところの金刺舎人が持ち帰った「大乗仏教」は何の目的で持ち帰ったものなのか、ということになります。まあ、それは置いておくとしても、そもそもゾロアスター教の末裔達の間で、彼らのミスラはどこに行ったのか、ということになる。富の王家の祖神の家、八束水臣津野命はヴァルナ、その女性形は「ヴァルナの乙女」と呼ばれるアナーヒタ女神のこと、と言われた気がするわけですが。ミスラはどこに行ったの? と思う。で、今日、木村君の回の「ニノさん」を見たわけですが。木村君から、「ミスラとは大国主命のことでしょ。それは、人々に現世の過福を与えた神だし、北東アジアの遊牧民向けにミスラを作り直したもの」と言われる気がするわけで@@。ということは、秋鹿日女が大国主命を再生させた神話というのは、偶然の産物では無い。キュベレーがその夫である死したるミトラス・イエスを再生させた神話が投影されている、と見るべきで、そもそも富の王家の大国主命神話は、ゾロアスターのミスラ神話とエフェソス初の原始キリスト教神話が習合してできたものなんだ?? と思うわけで@@。そもそも出雲風土記の大穴牟遅神(おおなむち)の「ナムチ」が「ミトラス」のことなんだけど、と言われる気がするわけで@@。だいたい、ミスラというのはそうやって人々に交じって、人々の生活を守り救う神と考えられていたもの、と言われる気がするわけで@@。中居君がわざわざ出雲まで出かけていって、でも暗くなって出雲大社の境内の中には入れなくて。それは、暗闇の奥にあるその神の正体が「まだ見えていない」ということを伝えるためのメッセージでしょ、と言われる気がするわけで@@。富の王家は、自分たちのあずかり知らないところで、ミスラが勝手に「末法における救世の神」にされて、いろいろに利用されてることにはけっこう困っているらしいのですが、だからこそ、誰を大国主命に任命するのかには神経質になる。その名前を持つ者は、聖徳太子と同じで、「自分たちこそを正統と認めるように」と、ローマの側からも、反ローマの側からも求められることになる。そういうことを乗り切れる者で無いと、その名前は与えられない、ということらしくて。で、結局最終的にその名前を貰ったのは、私と7番目の兄さんである。7番目の兄さんは、混血が進んで「蛇の目」を持っているけれども、その出身部族は宗像氏の末端に位置して、エフェソス初のグノーシス主義を支持する人達、と元々言われていた気がするわけで。だから、7番目の兄さんはグノーシス主義者から大きな期待を寄せられている人である。富の王家は、反ローマ主義のグノーシス主義者と、自分とこの王族扱いである私にその名前を分けなさい、と言ったわけだから、王家の反ローマ主義の思想もそこで透けて見える、ということで。
でも、記紀神話によれば、大国主命は2度死ぬことになっている。1度目は兄弟に殺されて。2度目は、いつの間にか黄泉の国に嫁取りに出かけることになっている。黄泉の須佐之男の元から連れ帰ったのが須勢理姫である。だいたい、そもそもミスラは契約神であって、閻魔様みたいな性質なんかなかったはず、と思う。富の王家は、元々印欧語族ではないので、印欧語族の神々を用いて神話を再編成する時に、自分たちの遠い先祖が古代エジプトから持ち帰ったオシリス信仰と習合させてるでしょ? おかげで、ミスラには潜在的に死んだり生きたりする性質が付加されているのではないの?? と思う。そう言うと、富の王家のおっちゃんが「ぐう」とかって言ってるから、そんなことなんだと思う。富の王家が勝手にオシリス的なミスラを作り上げたおかげで、それが原始キリスト教神話の勝手に死んだり生き返ったりするイエス・キリストに投影されている、と見るべきな気がする-;。だいたい、オシリスって何? と思うと、それは「アザゼルの山羊」だよ、と言われる気がするわけで@@。それはごく古い時代の神で、時代が下ると神としての地位が低下して「堕天」となる。すなわち、人界に下って、英雄となる、とそういうものである。だから、ゾロアスターのミスラは、人々に交じって現世利益をもたらす神になっている。「堕天」の性質は大国主命の先祖とされる須佐之男神話に受け継がれている、と思う。でも、須佐之男は起源的には、フンバン・クマルビと続く神々であるので。元々のトーテムは熊である。そして、大国主命は元々ミスラであるので、エフェソス初のミトラス信仰とは、けっこう習合していたのだと思う。出雲の神話の中で、大国主命の神話が一番多く生き残ったのも、それが関係しているのかもしれない、と思う。
昨夜は特に夢も見ず。昨日、歯の詰め物が取れてしまったので、急遽歯医者さんを予約して行ってくる。歯医者さんは、なんというか全体的にちょっと意地悪そうというか、不機嫌そうな感じであって。でも、「訴えられたくないよう」と言われる気がするわけで-;。どうやら、田舎では、いつの間にか訴訟マニアの法律マニアだと思われているらしくて-;。弁護士を詐欺罪で訴える人だと思われているらしいです。弁護士だろうが何だろうが、詐欺をやったら詐欺師でしょうがーーー、っていうとそういうことになるらしいー;。
で、家から風土記とか、「信州新町町史」とか「ローマ神話」とか取ってくる。ともかく、文献資料というのは、インターネットとかのどこにも載っていないことが書いてあるので勉強になる。そして、まず「古代ローマにおける東方密議の宗教」とは何だったのかを考察する。キリスト教は、そもそもユダヤの地で、古いユダヤ教では飽き足らない人達のための宗教として発生した。その目的は、ローマの支配に迎合する、というよりも「現実的に迎合せざるを得ない古くからの穏健な宗教」を打破し、ローマの支配も打破して、ユダヤの独立を勝ち取ろう、というものである。同様の目的の新興宗教は、当時のユダヤ社会に泡沫状にいくつも乱立していたのだと思う。でも、きっとそうやってローマを打破し、ローマの支配から独立したい、と思う人達はユダヤ以外にもたくさんいたと思う。「東方密議の宗教」と呼ばれるデュオニューソスの祭祀、ミトラスの祭祀、キュベレーとアッティスの祭祀、サバジオス・ザグレウスの祭祀は、すべからく「牡牛を狩る儀式」を伴っていたのだと思う。それも普通の狩りをする、というよりは信者は狂乱状態・トランス状態での祭祀を行い、その中で生きた獲物を引き裂いて殺したりする。そして、その場合、牡牛を狩る側の神は、すべからく「牡鹿」をトーテムに持っている。神の主体が女神の場合でも鹿の姿を取るときは「雄」となる。通常の状態ではあり得ない「両性具有の神」の誕生である。「牡牛」というのは、ローマの主神ユーピテルをはじめとして、それ以前からの地中海周辺地域での有力な神のトーテムであった。だから、特にローマの周辺諸国の支配が顕著になってくる時代の「鹿トーテムの神」とは、特にその発生場所であるアナトリア半島(現在のトルコ)周辺においては、明確な「反ローマ主義」の思想の元に作られたものであると思う。ローマは古来より、周辺地域の神々をローマの神々の秩序の中の取り込み、下位の地位に置くことで、周辺諸国の神々と人々を支配してきた。そういうやり方に対して、周辺地域の人々は、「反ローマ主義」の神々を意図的に作り出し、逆にそれをローマに送り込むことで、ローマの内側から「牡牛であるユーピテル」を捕まえて殺す、すなわちその権威を低下させよう、と考えたのだと思う。アナトリア半島の大地母神であるキュベレーは、本来定まった夫を持たない母系の女神であったのだけれども、ヒッタイトの時代には、すでにヘバトとしてテシュブという夫を持っていたし、「東方密議」の時代には、サバジオス・ザグレウス、デュオニューソス、ミトラスなんかが彼女の「夫」として組み合わされることが大流行していたのだと思う。キュベレー自身もギリシアのアルテミス女神と習合して、エフェソスに巨大なアルテミス神殿を有していたし。イエス・キリストが亡くなった後、死んだイエスの「反ローマ主義」を受け継いだマグダラのマリアはエフェソスに移動して、そこの宗教を研究し、キリストをミトラス、自らをキュベレー、そして彼らの子供をアッティスとする「原子キリスト教」を作り上げて、それを更に世界中に布教しようとしたのだと思う。キリストをミトラスと習合させたのは、ミトラスが「救世の神」とされていたこととか、東方にまで広く知られていて、布教するのに都合が良かったから、とかそういう理由だったのだと思う。
一方ローマに移動したペトロの方は、おそらくこれも伝統的な手法であるけれども、「ユーピテルとユダヤの主神は同じもの」と述べたと思う。要するに、イエス・キリストはユーピテルの息子である、と述べたと思う。彼のもくろみは「反ローマ主義」というよりは、「いかにローマに食い込むのか」ということである。そうやってローマ人の信者を増やそうとしただろうし、彼の考えを否定する従来からの信仰を持つユダヤ人を排斥しようとした。だから、ペトロの集団はあっという間にユダヤ人コミュニティからははじき出された。そして、ローマ人からも警戒されたけれども、次第にローマ人には浸透していくようになるわけで。そして、初期の幹部が殉教したり亡くなったりした後は、増えてきたローマ人の信者の中から幹部が出るようになって、ユーピテルを父、キリストを子とするローマ主義の「教会」が形成されていく。だから、同じ「原始キリスト教」といっても、ユーピテル、すなわち「牡牛主義」のローマ教会と、反ユーピテル主義「反ローマ主義」のエフェソス他の教会は、思想的にも政治的にも対立していくことになる。ローマ教会は「イエスの妻」としてのマグダラのマリアを存在ごと否定し、子供の存在も否定する。すなわち、「反ローマ主義」の教会を「嘘つき」と決めつけて、悪者にしているだけでなく、「神の代理人」としてのローマ教会の地位を正当化するようになる。そして、やがてキリスト教がローマの国教になると、すべての宗教はキリスト教に統合されることになり、「反ローマ主義」の思想もまとめられることになるから、それに反抗しようとするものは、今度は「一神教」の名の下に弾圧されることになる。こうして、ローマは、ローマとその支配地域から「反ローマ主義」の政治思想を一掃してしまうのである。そして、ローマ教会もせっせと各地への布教を繰り返すから、どこでも、ローマ派とエフェソス派は対立したのだと思う。ローマはローマでアナトリア風ではない単独神であるミトラスの神話を利用して、イエス・キリストとミトラスを同じもののように扱った。その結果、単独神であるミトラスと、妻帯者であるミトラスの2種類のミトラス信仰が各地で争われることにもなったのだと思う。
昨夜は特に夢も見ず。その代わりに善光寺のことをいろいろと調べていて疲れていて。古代における信濃国造であった金刺氏の拠点は、伊那とか、更級郡とか、水内郡にあったらしくて。そして、もちろん諏訪の下社もその一つであって。で、伊那とか更級郡の「麻績」と呼ばれる地名は、伊勢神宮に奉納するための麻布を作るところであって、そこを管轄していた人達が「若麻績」を名乗っていたらしいです。で、善光寺を作った本田善光というのは、それは法名であって、本当の名前は若麻績東人と言うらしくて。若麻績氏の活動範囲は、金刺氏の拠点と一致しますので、若麻績氏という人達は金刺氏の直系に近い同族であって、一族の中では責任の重い仕事を任されていた人達であると思う。要するに、今風に言えば、総本家にとっての某酒屋さんみたいな存在であったのだと思う。東人は、国造の供をして都に出かけた時に、難波の堀江で善光寺如来を広い、それを背負って信濃国の伊那にまず帰ってきた、とされている。大阪にも飛鳥にも「難波の堀江」と呼ばれるところがあるし、大阪には「小山善光寺」と言って、善光が泊まったとされるところにお寺があるそうで。で、伊那に戻って、如来を最初に祀ったところが、今の「元善光寺」であって、皇極天皇の時代にお告げで如来様が「自分を水内郡に移せ」と言われたことにして、移した場所が今の善光寺、ということらしくて。でも、その移設先には元々、彦神別神を祀る「水内大社」があったと言われている。「別神」というのが、八坂刀売のことであれば、それは元は下社が管轄していた神社、ということになるわけですが、伝承でも移設にあたって、下社の大祝金刺氏や、武井祝が力を貸した、とあるので、水内大社の上に善光寺を新たに作ることについては、金刺氏の有力者達の間での合意された出来事であったのだと思うし、彼らの中心寺社である善光寺が水内郡に移った、ということは金刺氏の主力部隊も水内軍に移った、ということなのだろうな、と思う。というわけで伊那には元善光寺と麻績神社が残されたわけですが、麻績神社にも八幡神は祀られている。金刺氏の拠点の一つであった更級郡にも武水別神社の名前を持つ大きな「八幡神」の神社が存在する、というか、だいたいその辺りが設計士の又従兄弟の拠点なんじゃん? と思う。そして、善光寺が阿弥陀如来に名を借りた八幡神を祀る寺院であれば、その人達はかなり古くから「八幡神」というものを祀って、かつ関わっていた人達、ということになる。そして、「八幡神」とは、元々宇佐八幡宮の祖神であって、応神天皇と習合しだしたのは、奈良時代から平安時代にかけてであろう、と言われています。それまでは、「中国からやってきた神様」とか、そういう扱いであったらしくて。金刺氏は、そういう「八幡神」にかなり古い時代から目をつけていたし、だいたい応神天皇と習合させる過程にももしかして関わっているのかも、と思う。そして、応神天皇と習合したことで、八幡神は「武勇に優れた勇猛な神」とされるようになったわけです。でも、本来の「八幡神」が原始キリスト教の神であったとすれば、それはイエス・キリストそのもの、ということになり、非業の死を遂げているのだから、「非業の死を遂げた悪霊」ということになる。要するに、金刺氏は、イエス・キリストのことを「非業の死を遂げて悪霊化した人」ととらえているわけで、それは本来の「死んで人類を救う」みたいな原始キリスト教などの西欧文化に特有の「自己犠牲を元にした救世神話」とも全然違う解釈なわけですが、ともかく金刺氏は東洋的な怨霊思想を元にしてイエス・キリストを解釈し、キョンシーみたいな扱いをして勝手に使役しているらしくてー;。そういう意味では、金刺氏の配下にある「原始キリスト教徒」は、それはそれで偽物の原始キリスト教徒なんだね? と思う-;。でも、なんだかんだ言って、ローマ人だって死せるイエスやペトロを好き勝手に使ってローマ教会を構成しているわけだから、「自分たちは自分たちで好き勝手に解釈して死したるイエスを利用して使役して何が悪い」って、うちの総本家の人達ならそういう図々しいこと言いそうである。それは、どっちにしても自分たちには関係のない余所の人達の神様だ、とかそういうこと思わないと思う。自分たちの管轄にのこのこと「布教」に入ってきたのなら、利用するのも自分たちの自由、ってきっと言うだろうなあ、というか私だったらそう言って平然としてる性格であると、自分でもそう思う-;。
ところで、諏訪とか松本には「千鹿頭神社」というものがあって、「ちかとじんじゃ」と読むわけです。この神は、一応諏訪神の子神ということになっていて、諏訪では狩りの獲物の鹿を、この神社の境内でさばく、みたいなそういう狩猟の神、みたいな扱いらしいです。そして、古来より諏訪の狩猟に関する神事では、神に鹿を奉納することも多かったわけで。でも、「死体の肉をさばく」という作業は、「穢れた仕事」に入るよねえ? と思う。母系社会のモソ族の人達の習俗でも、動物の死体を解体して肉にする作業は「穢れた仕事」ということで、男の人の仕事であって、女の人はやらないのです。でも、肉に仕上がったものを料理するのは女の人の役目だから、できあがった肉を料理することは「穢れていない仕事」なんだろうな、と思う。本来、神社の境内は神域ですから、いくら狩りの神様でも、そこで「穢れた仕事」をするのは少し変な話だと思うのです。神様には、できあがった「穢れていない肉」を差し上げればいいんじゃないの? と思う。そうすると、それは「対抗呪術」の一種だから、と言われる気がするわけで@@。鹿頭の神とは、日本の国では建御雷神のことを指すのだと思う。だから、わざわざ「千鹿頭神」という名前にして、一番穢れた仕事、すなわち「一番身分の低い人がやる仕事」をさせることで、「お前なんか一番身分の低い奴隷になっちゃえ」ってそういう呪いをかけてるんだけど、と言われる気がするわけで@@。確かに、日本の国では鹿は鹿島の神のお使いであって、建御雷神の化身も同然である。でも、建御雷神がローマのユーピテルと同じモノなら、本当はトーテムは牛のはずなのに、なんで鹿になってしまっているのだろう? と思う。で、そもそもなんで、鹿が建御雷神のお使い、なのかというと、鹿島神宮には「建御雷神が白鹿に乗って現れた」という伝承があるらしい。それで、鹿が神様のお使い、ということになったわけで。それで、飯縄山の「狐に乗った天狗」を思い出したわけですが、そもそも狐と天狗は同じモノじゃない、それと同じで、建御雷神と鹿も、みんな同じモノみたいに思っているけれども、「同じモノ」ではない。じゃあ、鹿はいったいなに? と思ったら、「それはケルヌンノスでしょ。」と言われる気がするわけで@@。それは、かつては中部から北部ヨーロッパにかけて広く「主神扱い」で信仰されていた鹿角の神である。でもローマが各地を征服してあるくと、次第に「ユーピテルと同じモノ」とみなされるようになって、まずユーピテルと習合してその姿と名前は次第に形骸化していく。そして、キリスト教がはびこってくると「異教の神」ということで、駆逐されてしまうので、今ではヨーロッパでも元はどんな神様だったのか、よく分からない神にされてしまっているのである。でも、「鹿角」ということは「三日月ではない狂った月」の象徴であって、ヨーロッパに古くから存在する「月の男」のことでしょう、と言われる気がするわけで。ヨーロッパでは、月の表面は人の男の顔で、それを「月の男」と見る思想が古くからあって。その「月の男」は人々に狂気をもたらす、とされている。しかも、昔のヨーロッパは、月の裏側に「黄泉の国」があると信じられていたので、その「月の男」は死神も兼ねているのだと思う。ケルヌンノスは名前的には、非常に古い神で、クヌムとかエンキと同じ系統の神なのだけれども、「鹿の角」を持ってるところが大きな特徴で、それ故に他の神々とは異なる「狂気の月の男」なのである。でも、そのケルヌンノスはかなり早い段階でユーピテルと習合して姿を消していくことになるので、東洋にやってくる頃には、「ユーピテル=鹿の神」みたいな図式ができあがっていたので、みんな「白鹿に乗った建御雷神」をユーピテルとして扱って、対抗呪術に使ったり、神としてあがめたりしているけれども、それは本来は、「ユーピテルとケルヌンノス」と言うべき物、と言われる気がするわけで。
で、全米オープンのグランドスラムの女子で、日本人のなおみちゃんが優勝した、ということで。彼女は、お母さんが日本人で、お父さんがハイチ出身のアメリカ人ということで、二重国籍の人らしい。でも、テニスプレイヤーとしては「日本人」として活動している、ということで、日本の選手、ということになっているらしい。我が家はあんまりスポーツとかには興味を持たないので、彼女を始めて知ったのは今週の「ZERO」なわけですが、「頑張ったから褒めて!」と言われたので、「あー、お味方の人だし、声が私に届く人だー」と思って。スポーツにはあんまり興味がないけど、自分のできることを一生懸命真面目にやる人は偉い人ーー、と思う。ともかく、アフリカ系で、お味方になりたい人達の悩みは私に声が届きにくいことであるらしくて。私は私で、割と露骨に「白い人達」の声が届きやすい人であって、それは生まれつきのものだから仕方がない、と言われる気がするわけですが、届かないのは困ってしまうので。それで、混血の彼女に白羽の矢が立って、声が届くことが期待されていたんだなー、と思う。彼女からは、表彰台での「I'm sorry.」についてどう思う? と聞かれる気がするわけで。お客さんがみんな感動してたからいいんじゃないの、と基本的には思うわけですが、彼女の行動はどちらかというとやはり「日本人的」なのかな、と思う。日本人は、何かあったら、「自分が悪いか、悪くないか」はとりあえず関係なくて、「自分が謝れば全てが円滑に進む」と思えば、気軽に「ごめんなさい」って言ってしまう国民性、というか傾向というか癖みたいなものがあると思う。逆に言えば、謝ったからって、本当に「悪かった」って思ってるの? ということもいくらでもあるわけですが、そういうところの「ごめんなさい」の意味がものすごく曖昧なのが日本の文化だと思う。でも、欧米では「I'm sorry.」というのはものすごく理論的な言葉であって、謝ると言うことは、謝った内容について、責任があると積極的に自ら認めたこと、とみなされるから、むしろ責任を過分に追及されかねない言葉、として人々はそう言わなきゃいけない場面でも、なかなかそう言いたがらない傾向がある。自分が悪いと認めたことは、それだけでもう負けたこと、みたいな思想もあると思う。でも、あの場面では誰が見ても悪いのはなおみちゃんじゃないし、フェアなプレイをした優勝者にブーイングを浴びせる観客の方が失礼で、謝るべきってみんな思うと思うので、そんな中で観客の気持ちを思いやって「I'm sorry.」と言ったなおみちゃんのことは、誰も非難しないし、不当に非難している相手の気持ちを思いやることができる優しい子であることに、みんな感動したのだと思う。だから、あれはあの場では立派な発言で、誇りにすべきだと思います。でも、欧米の人であったら、ああいう言葉はそれこそ素直になかなか出てくる言葉ではないと思うので、自然にそういう言葉が出てくるところがやっぱり日本人的だなあ、と思ったのでした。セレーナも良い人であったし、良かったな、と思う。でも、より純血に近いアフリカ系のセレーナに比べると、なおみちゃんの「目」はやっぱり日本人に近い目であると思います。まあ、だから私に声が届きやすいのかもしれませんが。なおみちゃんも感情的にならずに「我慢、我慢」と言ってるし、おばちゃんも言わなくてもいいことまでガミガミ言わないように我慢して頑張るよ、と思うのでした<(_ _)>。
昨夜はなんだか夢を見て。だいたい、昨日は雨っぽかったので、いろいろな資料の整理をしていたりして、夜ふと、安室ちゃんのDVDを見たくなったので、それを見て、その後「ZERO」を見て寝て。なんだか夢の中で、友達を家に招いてアイスクリームパーティーをしようと思っていたら、幼なじみの天之日矛が出てきて、なんだか親に言われた、とかで「高級ホテルでお泊まりデートをしよう」と言われて@@。でも、ご当人は親に言われてやっているだけで、全然嬉しそうでなかったし、私もそういうことには興味がないので、デートはお断りして、友達とアイスクリームぱーてぃーをすることにして。目が覚めて、なんで今頃、その人の夢を見たのだろうか、と思う。
で、最近「大塔物語」のことが気になるわけで。これは室町初期の北信濃での動乱を書いた「物語」であって、諏訪大社下社大祝金刺氏に伝わったもの、と言われているわけで。いつか、ちゃんと読んでみたい、と思っていたわけです。で、そのことをちょっと調べてみたくなって、調べたら戦死した人達を弔うのに、善光寺の妻戸衆が駆けつけた、とあって。妻戸衆って何? と思う。それで調べたら、中世の善光寺は、東向きに建っていて、建物の妻(端)が南を向いていて、そこにも戸がついていて、そこを妻戸といって。その辺りに奉仕していた下級僧侶の集団を妻戸衆といったらしくて。要するに、戦場とかおそらく疫病とか飢饉とか、そういう死者が大勢出たときに、現場にかけつけて後始末をするようなそういう穢れた下働きをする下級僧侶の集団が「妻戸衆」だったのではないか、と思うのです。そういう仕事はやんごとなき高僧はしないから。で、場合によっては、遺族に遺品を届ける、とかそういうことまでしたのではないか、と思うし、そうやった見聞きした現場のことを記録したり、上に報告する役目も負っていたのではないか、と思う。でも、善光寺の善光寺の前身は諏訪信仰の神社だし、建物の南面に位置する妻戸は、豊穣の太陽女神が出入りする聖なる戸口なんじゃ無いの? と思う。そこに、穢れた仕事をする人々が居座っているのはまずいのではないの? と思う。要するに、「妻戸衆」の真の目的は、神が出入りする出入口を穢して、神が出入りできないようにすることだよね? と思う。
で、善光寺の年中行事における彼らの役割は祈年祭にある。善光寺の祈年祭はちょっと特殊であるらしくて、年越しの祭祀であって、古くからあった彦別神の祭祀を引き継いだもの、と言われているらしいです。おそらく本来は、大晦日に近い時期に祭りが始まって、お正月中続けられるような祭りであったのだと思う。その間、本尊には特別な神饌が捧げられて、次の一年の良きことを祈るわけです。少なくとも表向きはそんななんだと思う。で、江戸時代までは、善光寺の後ろに「年神堂」というお堂があって、祈年祭はそこで行われていた。祭りの始まりは、お堂の扉が開け放たれて、神が外から招じ入れられ、何らかの祭祀や、神饌を捧げられたのだと思う。そして、最後にまた扉が開かれて、神は外へ出て行くわけです。そして、この祭りの一番嫌なところは、この祭祀は暗闇の中で行われ、人々は祭りの間家の扉を閉めてその中に閉じこもっていなければいけなかったという。(現在でも祭祀の本態は秘儀とされています。今では「無量寿供」といって、本尊である阿弥陀如来に何かお供えする、というような天台密教式秘法であるらしくて。)
でも、神が外から招き入れられるのなら、普段お堂の中には何がいるの? と思うわけで。甲斐善光寺に伝わる伝承によると、お堂の中には本尊である阿弥陀如来がいるけれども、この如来は祈年祭の間だけ八幡神に変化する、とあるらしいです。そして善光寺の「年神堂」も八幡宮とも言われていたそうで。でも、その年神堂が今どうなっているのかというと、明治の神仏分離で、善光寺から切り離されて、御霊は一応城山の彦神別神神社に移されたことになっている。でも、年神堂の建物そのものは、守田廼神社に移築されている。そういう経緯からいえば、祈年祭は本来、彦神別神に神饌を捧げて、次の年も頑張る元気を出して貰う祭祀だったんじゃないの? と思う。でも、人々が「見てはならない祭祀」とは死霊の祭祀だし、外からやってきた八幡神の祭祀にいつの間にかすり替わっている。だいたい、なんで八幡神が死霊なの? と思う。
そうすると、彦神別神とは、そもそも「別神」とは女神のことであり、「妻神」のことであるので、諏訪神の妃である八坂刀売のこと。そして、神に捧げる餅とは、稲作の太陽女神である八坂刀売の化身でもあるので、それを外から来た八幡神に食べさせる、ということは、八坂刀売を八幡神に食い殺させて、八幡神の力にする、ということ、と言われる気がするわけで@@。要するに、善光寺の「阿弥陀如来」というのは、一年のほとんどは八坂刀売の化身だけれども、祈年祭の間だけ、八幡神に食い殺されて八幡神になっていて、祭りが終わった後に外に出て行くのは八幡神、残されるのは次の年に食われるための死したる八坂刀売、ということになる。死霊の八幡神も死したる女神を食べるのだから、死者としての力は得るけれども、生者として再生はできない。要するに神有祭と同じで、死したる神に黄泉の国の食べ物を食べさせて死んだままにしておこう、という祭祀なのだと思う。そして、神有祭よりもさらに悪質なのは、食べさせているのが神の死体そのものだということなのだと思う。八坂刀売の方は、年神堂の外には出られない。なぜなら、南向きの妻戸を穢れた連中が塞いでるから。そのための妻戸衆だーー、と思うわけで。
でも、「死霊の八幡神」って何? と思う。そうすると、八幡神は「誉田別命」というので、一番古い宇佐式の進行によれば、本来はこれは女神のことで、朝鮮半島の伝承からみても、宇佐の信仰は「母神と嫁神」に対する信仰だったはず、と言われる気がするわけで@@。要するに、これは原始キリスト教的には聖母マリアとマグダラのマリアに対する信仰だったはず。だから、本来はその二人が死せる「誉田命」を生き返らせるために奮闘する話であったものが、もっと現実的に彼の子孫を天皇とするために奮闘する、という伝承に書き換えられている。でも、いつの間にか、ローマ式の原始キリスト教が入り込んできたので、「別神」は男性神に変更されて、そのまま「皇祖」になる、ということになってしまっている、と言われる気がするわけで@@。要するに記紀神話には出てこないけれども、本来は「誉田命」という、イエス・キリストに相当する夫神がいたはず。でも、ローマ式の原始キリスト教徒が、妻神をそのまま夫神に変更することで、マグダラのマリアの存在を消し去ってしまってる。だから、「八幡神」には二通りの意味があって、女神の時にはマグダラのマリアを指す。男神の時にはイエス・キリストを指す。だから、男神の時は、「死んでいて生き返ろうとしている悪霊」になる、と言われる気がするわけで@@。ということは善光寺が祀っているのは、男神の「誉田命」の方で、そこはローマ式の原始キリスト教の寺院、しかも八坂刀売の死体の上に建っているも同然の寺院なんだ? と思うわけで。7番目の兄さんには「本地垂迹」というものを甘く見てはいけない。本地垂迹説では、阿弥陀如来は八幡神の化身なんだから、神仏分離以前の善光寺は、れっきとした男性体の八幡神を祀る寺院だったの、と言われる気がするわけで@@。それと共に、善光寺は先住していた八坂刀売を封印している広大な「墓」でもある。彼女はそこから出られない、はずなのだけれども、もし彼女が穢れに強い軍神であって、外からやってきた八幡神を逆に食い殺すほどに強ければ、扉を開けて外に出るのは八幡神なのか、それとも八坂刀売なのか? と言われる気がするわけで。外からやってきた八幡神の先鋒は、家の外に追い出して、ぐうの音もでないようになってる気がするわけですが-;。戦って追い出す、とはそういうこと? と思うわけで-;。
で、善光寺関連で「八幡神」の名前が残っているのは、年神堂の建物を移築した守田廼神社だけである。そうやって、外に出してしまっているから、今の善光寺には形はあっても、本尊の「御魂」は存在していない。それは守田廼神社に隠されている。でも、そこは本来は守達神の神社であって、その神も八幡神に食い殺されてしまっている状態であったわけで。だから、味方は新たに守達神を立てて、神妃と二人の力で、一番押さえなければいけない「守田廼神社の八幡神」の力を押さえ込もうとしているわけで。だから、兄さん達には、善光寺には行きたければ行っても構わない、そこは形骸に過ぎないから。むしろ、絶対に手放してはいけないのは守田廼神社の方。そこは新年には必ず詣でて、誰がそこの「首座」であるのかを明らかにしておかなければいけないところ、と言われる気がするわけで。だいたい、そこは元々高田の地の産土神であるので、高田の地に生まれた「男性としての八幡神」とは誰のことなのかは、分かるでしょ。その人はなんで、あれほどなりたがっていた首席になれなかったんです? それは、八坂刀売を食い殺すことに失敗したからなんじゃないの? と言われる気がするわけで。で、今は、その恨みも重なって倍増しで私のことを憎んでるんだ?? と思うわけで-;。そういうのを完全に「逆恨み」っていうんじゃないの? と思うわけですが。
でも、「死霊の神」とはどういうことなんだろう? と思う。私も2番目の子も生きてるよね、実際には、と思う。そうすると、それは典型的な「人を支配する」ための手法だよね、と言われる気がするわけで。2番目の子は医者である。ついでにいえば、私を虐めてくれた「誉田別命」の名前を持ってる方も医者だし。でも、医者というのは本来は死者を取り扱う仕事であって、穢れた仕事である。要するに妻戸衆のように身分の低い人が仕方なくやるような仕事であって、たいていの場合、高確率で人肉中毒に陥って、まともな状態ではなくなる。でも、現代社会では表向きは高報酬であって、良い仕事のように見せかけられている。それは、「真の支配者」が、優秀で有能な人材をその世界に追い込むことで、廃人も同然にして、一生その仕事しかできないように追い込んで、人肉という餌で自由に操ろうとしているから。そうすれば、優秀な人が「世の中をこう変えよう」と思って実行するようなことはなくなる。すなわち、「医者」というのは、優秀な人を潰して「謀反」を防ごう、というシステムの上にあるもので、そうやって人々を支配するやり方は古来よりローマの得意とするところなのだけれども、蛙の王家はそれを良く学んで好き勝手にやってるよね、と言われる気がするわけで@@。だから、2番目の子も誉田別命の方も、人としては生きているけれども、まともな思考回路はもはや存在していない、まともな判断力もない。ただ、蛙の王家の言いなりに働いているだけ。そういうのは、生きていても死んだも同然、ということで、神話的には「死霊」として扱われる、と言われる気がするわけで。蛙の王家の代々の当主は、そうやって神々を何らかの中毒に追いやって支配して、奴隷のようにこきつかってきたわけだー;。でも、建御雷神は? あの人は医者じゃないよ? と思う。そうしたら、「その人は映画を撮るのにオーストラリアへ行ったでしょ。そこで、映画のため、と称して、メルボルン大学の医学部の協力を得ている。それは表向きのことで、そこで失策を咎められて強制的に「人肉食の刑」に処せられて、それで狂った。」と言われる気がするわけで@@。そういや、人の首のホルマリン漬を見たとか、そんな話は聞いたことある、と思い出すわけで。失策って何? と思ったわけですが、それは「八坂刀売が学生のうちに食い殺すことに失敗したこと」と言われる気がするわけでー;。それで、裏切らないように、彼女の方になびかないように人肉食の刑にかけられた。そういうこともよくある話、と言われる気がするわけでー;。だから、蛙の王家の方は、女神を解剖の方に追いやって、なんとか強力に人肉中毒にしようと頑張ったわけだけれども、何故か女神の方が人肉の毒によくよく強くて中毒にもならず、すなわち女神を食い殺すことにも、人肉中毒による廃人にすることにも失敗したあげくに、家からも追い出されてしまった、と-;。そういうことらしくて。そして、善光寺の秘密も、ディアーヌ女神の強力な「目の力」によってばれてしまったわけで。
そして、富の王家のおっちゃんからは、高市皇子とは、天武・持統天皇の政治を支えた人、と言われるだけで、その「業績」というものは歴史的にはあんまり残されていない人(なぜなら彼の仕事も歴史的には「天皇の仕事」にされてしまっているから)なのだけれども、でも、彼は幼い頃は北九州で育って、母方のローマ式の原始キリスト教ではなくて、皇祖である宇佐八幡宮のアンティオキア式原始キリスト教によく傾倒して育った人で、「女神信仰」の大切さをよく心得ていたので、伊勢に斎宮を常駐させることとか、水内大社に勅使を送って女神信仰をてこ入れすることとか、そういう宗教政策に非常に力を注いだ人、と言われる気がするわけで。だいたい、同じ「原始キリスト教」でも、ローマ式とアンティオキア式とではどう違うのですかね? と思う。そうすると、「父と子」の組み合わせは政治的には「独裁主義」、「母と子」の組み合わせは政治的には「連合主義」となる、と言われる気がするわけで。連合主義では、各部族の自治がある程度認められて、部族間の立場も対等である。だからこそ、人々は自分に合ったものを食べて、自分に合ったように生きられる。独裁主義ではそういうことは許されなくて、ただ一人の支配者以外は全て奴隷である。どちらが良い政治形態なのかは、一目瞭然で言うまでもないこと、と言われる気がするわけで。ようやく、ここまでのことが分かるようになったということのようなのですが。