どうでも良いけど、というか良くないけれども、私の書いた文章を読んで、役所の方が、「話の展開次第では、役所の方が悪徳設計士を20年も放置してたって訴えられることになりかねないじゃん。なんだかんだ言って、役所の方に責任転嫁をもくろむ方向に話を持っていく7番目の兄さんをなんとかして」と言っている? らしい?? でも、それも事実じゃん? と思う。というか、行政訴訟は勝ったら、取りっぱぐれがないからねーーー、って私もそんなことしか考えないし-;。
あとは、今日のまとめとして、「今の状況で、地盤が駄目になりかねないのなら、それは工務店の責任だから、工務店を訴えて損害賠償を請求します。そうしたら、『寛大』なんて言ってられないよねえ。」って言ってやれば良かったのに、と6番目の子から言われる気がするわけで。だいたい、なんでジャッキアップ方式で補修したらいけないのかが分からない(まあ、予定ではそういう予定でもないのだけれど)。どうせ、金は工務店持ちになるしかないのに、と思うわけですが。
それから、じいさんを見ていると私がニコニコしちゃうのは、じいさんがそういう「目の力」を使ってるからでしょ。いろんなことを言って私を怒らせたら、それこそ工務店と設計士を訴えることになるかもしれないわけだから、とキスマイの兄さん達からも言われる気もするわけで。かけひきってそういうものなんだなー、と思ったのでした。
昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、やろうと思っていたら、急遽意宇邑の村長さんが来ることになったので、渡さなければいけない文章をせっせと書くことにする。で、じいさんが来てくれたのはいいのだけれども、いろいろと妙なことを言い散らす。そして、現場が「側溝に水を流すように工事できている」とかって大騒ぎしたわけですが、その工事をしたのは、「私達ですから」と説明する-;。でもって、当面お願いしたことはお願いできたわけで、なんだかんだ言っても「俺は頼まれたことやるだけだから」ってぼそっと言っちゃうところがかわいいじいさんである。だから、何を言われてもニコニコしちゃうわけで、そうするとつられてじいさんも笑ってしまうし、結局は割と和やかな感じ? なわけで。しかも「目の力」で、「嘘つきじいさんの言うことは聞かないように」って念押ししてくれる気がするし、いい人だー、と思うわけで。でも、渡したお手紙には、敵に対してけっこうえげつないことを書いているわけで。(悪質な工事をしてぼったくりを企む常習犯だと疑っている、とかって書いているわけで)「なんだかんだ言って、あなたはお母さんに似てお人好しだから、そういうえげつないことを書けって言うのは、7番目の夫でしょ。」と言われる気がするわけで私に任せておけば、設計士と工務店は共犯でぐる、とは言わないと思う。私だったら、設計士はこっちの味方、工務店だけが嘘つきの悪、ってすると思う。そういうところに、私と7番目の兄さんとの「センスの違い」が出てくる気がするわけですが。しかし、いずれにしても、完了検査の工事監理報告書には、地盤の確認や調査をしっかりやったのか、問題があったらどう解決したのか、ということを書かなければならない、ということは、それは設計監理士の仕事、ということなので。瑕疵があることを証明できる、工務店は嘘をつきまくり、設計士も何の対応もせず、では、「誰が悪いのか」疑いの余地がないわけで。
裁判を起こされれば、こちらからは設計士を訴える、かつ、大規模な反訴等などを起こすことは必須であるので、とりあえず訴訟の必需品であるホチキスを100円ショップで買ってきたわけで。あとは、自分の住んでいる県のHPから、完了検査に何が必要なのか、工事監理報告書に何を書かなければならないのか、を落としてきたのでした。でもって、7番目の兄さんの「民事のもめ事」の解決の方法は、「えげつないくらいの物言いをしても、法律に照らし合わせて、要点をつけるだけつけ」ということなんだなあ、と思って。さすがに、裁判制度もきちんと整っていない中世で、尊氏の私的機関で判官をやってた記憶のある人は違う、というか、何かにつけて立てる作戦が剛腕だと思うわけで。じいさんは、「あんまり色々と言い過ぎると、その二人(6番目の子と7番目の兄さん)に怒られちゃう」と言う気がするわけで。
だいたい、じいさんの言うことは高飛車だったりするけれども、工務店と設計士を庇う発言であって、しかも法的なことではなくて、情的なことに訴えているから、いくら強行に言っているように見えても、「取りなし」の範疇は超えてないよね、と言われる気がするわけで。しかも、こちらが簡単に反論できる要件ばかり取りそろえているわけで。そういうところはわざとやってるとしか思えないので、思わずこちらもニコニコしてしまうわけで。だいたい、じいさんには4番目のことかまっすーの声が良く届くので、じいさんの監督はその二人がする、と言われる気がするわけでー;。だいたい、完了検査を申請するためには、工務店はもうほとんど必要なくて、必要なのは設計士なわけです。でも、従兄弟はそれこそ満額近い金を払ってあるんだから、切ったって文句言わないでしょ、それこそ、と思う。それよりも工務店と連座で、大金を請求されたいですかね? ということで。村長夫人には法的なことで具体的にいろいろと助けて貰ったし、最近の7番目の兄さんはけっこう目が据わってる気がするし、4番目の子もはりきってるし、いろんな人から「6番目の子も縁の下の力持ちで頑張ってるから忘れないでね」と言われる気がするし。いろんな人に助けて貰ってる気がするわけです。でも、万が一の訴訟の準備は全部自分でやるから、100均を活用する手作り訴訟になってしまうわけです。まあ、でも、それが本来の「民事訴訟」の姿なのですけれどもー;。
そして、じいさんは、妙なこと言ってるときに私にニコニコされると、子供の頃悪さをして、親とか親戚の叔父さん叔母さんに怒られたことをどうしても思い出すらしくて-;。私は知らなくても、けっこう私に似ている親戚もいっぱいいたんだよ、と言われる気がするわけで。そういう人達が好きだったかどうかって言われたら、さして好きでもなかったけれども、でも、もう会えない人ばっかりだし、年を取ると子供の頃のことが懐かしく思い出されるってそういうことってあるんだよ、と言われる気がするわけで。そして、私のことは「H代さんに似てるよね。」と言われる気がするわけで-;。その人は、父親の一番上のお姉さんで、相当性悪であった叔母さんである-;。似てるのかね? というか、そう言われてもあんまりうれしくない相手ではあるわけですが。じいさんから見ると似ているように見えるらしいです。まあ、誰も彼もが親戚ですしねえ、と思う。ともかく、余計な石が1個でも減ってくれれば、満足なわけです。
昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、普通。昨夜、資料の整理を頑張り過ぎたので、今朝はちときつかった。で、買った電球が最初から切れていたので、交換して貰おうと思ったら、メーカーのサイトで、製造してから5年保証しているのを見つけて。交換して貰うことにしたのでした。
昼には「ニノさん」を見て、夜には「ぼくらの時代」を見る。家の周りはだいたい普通な感じで、隣家の敵意がちと強かった気がします。
そして、昨日ははっしーのお誕生日だったのでした。おめでとうございます<(_ _)>。
昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、わりと良くやった方。
昼には昨日の「嵐にしやがれ」を見る。今週の「VS嵐」では、二宮君が尼神インターの渚に「今までどうもありがとう」と何度も言っていたし。「しやがれ」の方は、ゲストの長島一茂が、「テレビの仕事があるのに、ハワイに行っている」とかって話していて。潤ちゃんに「『明日から来なくて良い』って言われないんですか?」とかって言われていて。仕事に来たり、来なかったりするやつは、もうそういう感じで追っ払っちゃっていいし、仕事に来ないんだから、金も払う必要なし、って言いたいんだろうな、と思う。でも、どうせそんな感じになるのではないか、と思います。もうそういう流れになってるのだと思う。でも、万が一に備えて、資料の整理整頓はしています。
昨夜は特に夢も見ず。作業も少しするけれども、皇足穂命神社巡りをしなければ、ということで、中条と芋井に行ってくる。飯縄神社(里宮)は、「飯縄山を祀った神社」といえば、ものすごくわかりやすい山岳信仰の神社のように見えるし、聞こえるけれども、そんな単純なものではないところがミソなわけで。「飯縄山」という名前の山はけっこうあちこちにあって、元々は「人々の食料源の山」というような意味で、固有名詞ではなかったのだと思う。で、飯縄山は遙か昔に、山頂に「大戸道命、大戸辺命」という神を祀って、飯縄大明神とした、とある。で、千年くらい下って中世に、山頂に飯縄大権現を勧請する、とあって、この「飯縄大権現」とは、「白虎に乗った烏天狗」として現される。要するに、太古に祀られた「飯縄大明神」とは天の神とされて「夫婦神」であったけれども、中世に祀られた神は異形の神であって、しかも白虎(ダキニ)に乗った邪法の神であって、「飯縄大明神」と「飯縄大権現」は異なる神なわけ。だけども、今では「同じもの」として祀られている。しかも、飯縄大権現を勧請したのは荻野(信州新町)の地頭伊藤某と言われている。信州新町と芋井ってけっこう離れてない? と思うわけで。
そして、飯縄神社とは、皇足穂命神社とも言うわけで。「皇足穂命」とはなんぞや、というと、いろいろと説明はあるわけですが、これは元は信州新町にある皇足山の神様のことで、皇足山にあった神社を山崩れか何かを機に、里に下ろしたのが、信州新町穂刈にある皇足穂命神社なわけ。だから、「飯縄神社」といったとき、その本山は飯縄山であって、本宮は飯縄山にあるけれども、「皇足穂命神社」というときは、その本山は皇足山にあって、本宮は信州新町里穂刈にある、という二重の神性を持っている妙な神社なわけ。なんで? と思うわけですが、そうすると、「大戸道命(おおとじのみこと)、大戸辺命(おおとべのみこと)」というのは、名草戸畔(なぐさとべ)と同じで、本来は神の名前というよりは、「村長」という意味だから、と言われるわけで@@。要するに、昔、「意富斗能地」という村長さんがいた、すなわち、「意富(おう)」村の村長、という意味だー、と思って。富の王家は出雲の国意宇(おう)郡の人々であるので、その名前を貰って、昔「意宇邑」という王家直轄の村を作り、そこの村長さんに、地元の有力者であって「皇足穂命」の名前を持っている人を任命したから、西山地区においては、「大戸道命(おおとじのみこと)、大戸辺命(おおとべのみこと)」と「皇足穂命」は同じもの、と言われる気がするわけで。だから、昔、蛇の目の人達がやって来たときに、地元の神様の名前を貰っている人を、「意宇邑」の村長さんに任命して、地元の聖地に「皇足穂命」を祀ったのが、飯縄神社の始まり、と言われる気がするわけで。でも、中世に敵方の人間が、烏天狗とダキニをそこに持ち込んで、昔ながらの「大戸道命、大戸辺命」を押さえ込んで封印し、逆に彼らをこき使うようになった、と言われる気がするわけで。そこで、当代は神がわざわざそこに乗り込んで、命をかけて勝負をして、封印されていた「大戸道命、大戸辺命」の御霊を持ち帰って、時が至ったときに、「大戸道命、大戸辺命」に会いに行って御霊を渡し、逆に当代の「大戸道命、大戸辺命」の霊力を持ち帰って、各「皇足穂命神社」に納めた、ということらしくて。要するに、富の王家の大国主命が、直接「大戸道命、大戸辺命」を後見して、敵の力を押さえ込もう、とそういうことですねえ? と思う。
で、ちょうど家に帰ってきて、「音楽の日」を見ながらいろいろと考えていて。ちょうど石井が歌っているときに、その横で、「ダキニ天は誰だか分かるけれども、名前のない烏天狗とは何者?」と思っていて。そうしたら、「ダキニの上に乗っかって子供を作った人」と言われる気がするわけで@@。「そこで歌っている人ね」と思ったわけですがー;。ユーピテルの名前を持っている神に、地方のローカルな皇足穂命が「目の力」で勝てるわけがないなー、と思って。今日はそんな一日だったのでした。