本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業も少しするけれども、皇足穂命神社巡りをしなければ、ということで、中条と芋井に行ってくる。飯縄神社(里宮)は、「飯縄山を祀った神社」といえば、ものすごくわかりやすい山岳信仰の神社のように見えるし、聞こえるけれども、そんな単純なものではないところがミソなわけで。「飯縄山」という名前の山はけっこうあちこちにあって、元々は「人々の食料源の山」というような意味で、固有名詞ではなかったのだと思う。で、飯縄山は遙か昔に、山頂に「大戸道命、大戸辺命」という神を祀って、飯縄大明神とした、とある。で、千年くらい下って中世に、山頂に飯縄大権現を勧請する、とあって、この「飯縄大権現」とは、「白虎に乗った烏天狗」として現される。要するに、太古に祀られた「飯縄大明神」とは天の神とされて「夫婦神」であったけれども、中世に祀られた神は異形の神であって、しかも白虎(ダキニ)に乗った邪法の神であって、「飯縄大明神」と「飯縄大権現」は異なる神なわけ。だけども、今では「同じもの」として祀られている。しかも、飯縄大権現を勧請したのは荻野(信州新町)の地頭伊藤某と言われている。信州新町と芋井ってけっこう離れてない? と思うわけで。


そして、飯縄神社とは、皇足穂命神社とも言うわけで。「皇足穂命」とはなんぞや、というと、いろいろと説明はあるわけですが、これは元は信州新町にある皇足山の神様のことで、皇足山にあった神社を山崩れか何かを機に、里に下ろしたのが、信州新町穂刈にある皇足穂命神社なわけ。だから、「飯縄神社」といったとき、その本山は飯縄山であって、本宮は飯縄山にあるけれども、「皇足穂命神社」というときは、その本山は皇足山にあって、本宮は信州新町里穂刈にある、という二重の神性を持っている妙な神社なわけ。なんで? と思うわけですが、そうすると、「大戸道命(おおとじのみこと)、大戸辺命(おおとべのみこと)」というのは、名草戸畔(なぐさとべ)と同じで、本来は神の名前というよりは、「村長」という意味だから、と言われるわけで@@。要するに、昔、「意富斗能地」という村長さんがいた、すなわち、「意富(おう)」村の村長、という意味だー、と思って。富の王家は出雲の国意宇(おう)郡の人々であるので、その名前を貰って、昔「意宇邑」という王家直轄の村を作り、そこの村長さんに、地元の有力者であって「皇足穂命」の名前を持っている人を任命したから、西山地区においては、「大戸道命(おおとじのみこと)、大戸辺命(おおとべのみこと)」と「皇足穂命」は同じもの、と言われる気がするわけで。だから、昔、蛇の目の人達がやって来たときに、地元の神様の名前を貰っている人を、「意宇邑」の村長さんに任命して、地元の聖地に「皇足穂命」を祀ったのが、飯縄神社の始まり、と言われる気がするわけで。でも、中世に敵方の人間が、烏天狗とダキニをそこに持ち込んで、昔ながらの「大戸道命、大戸辺命」を押さえ込んで封印し、逆に彼らをこき使うようになった、と言われる気がするわけで。そこで、当代は神がわざわざそこに乗り込んで、命をかけて勝負をして、封印されていた「大戸道命、大戸辺命」の御霊を持ち帰って、時が至ったときに、「大戸道命、大戸辺命」に会いに行って御霊を渡し、逆に当代の「大戸道命、大戸辺命」の霊力を持ち帰って、各「皇足穂命神社」に納めた、ということらしくて。要するに、富の王家の大国主命が、直接「大戸道命、大戸辺命」を後見して、敵の力を押さえ込もう、とそういうことですねえ? と思う。


で、ちょうど家に帰ってきて、「音楽の日」を見ながらいろいろと考えていて。ちょうど石井が歌っているときに、その横で、「ダキニ天は誰だか分かるけれども、名前のない烏天狗とは何者?」と思っていて。そうしたら、「ダキニの上に乗っかって子供を作った人」と言われる気がするわけで@@。「そこで歌っている人ね」と思ったわけですがー;。ユーピテルの名前を持っている神に、地方のローカルな皇足穂命が「目の力」で勝てるわけがないなー、と思って。今日はそんな一日だったのでした。



Posted by bellis 23:18 | 日記 | comments (x) | trackback (x)