本日の日誌

昨夜からどうも頭痛がして気分が悪くて。冷や汗とかが出るので、自律神経失調症だー、と思って早く寝てしまって。で、今朝もなんだか頭が痛くて。で、嵐がSNS解禁と言うことでTwitterもやることになったので、それだけ見てるわけですが。昨日相葉君が投稿していて、今朝7時頃に潤ちゃんが投稿していて。朝早くから働いてるなー、お疲れ様ー、と思う。潤ちゃんの動画を何回も見ていたら、6番目の子に「鼻水が止まらないということは、寒いということなんだから、セーターを着て、ストーブを焚いて暖かくしてましょう。もう11月なんだから冬の支度で十分ですよ。」と言われる気がするわけで。気を遣ってくれてありがとー、と思う。それで、今日は朝から暖かくしていて。昨日ほど具合は悪くなりませんでした。寒い中、じっとしてると気分が悪くなってしまうのよねー;。


で、状況と分布を書いて、木くずについて半分くらい書いて。要するに、基礎の施工がなってないから、基礎を作った段階から履行遅滞に陥ってる気がするわけで。建築基準法施行令第38条3項、93条、おまけに49条とかが引っかかってくるわけです。というか、相手方はそれを「認めて」いるので。主張さえすれば自白が成立して入れ食い状態な気がするわけで。後は履行遅滞と占有権を軽く書けば、という感じかも。


で、お外組はいつもの通りであって。


で、昼は「夜会」を見て、夜は「少年倶楽部」と「Mステ」を見て。オザケンに「世界の民話」が忌々しい、って言われた気がするわけで@@。その人は、ある意味我が家にとって無縁の人ではない。その人の父親は小沢俊夫というドイツ文学者で、「世界の民話」という全25巻くらいのドイツ語から翻訳した民話集を出してるのである。(なんで「くらい」がつくかというと出版社では「全24巻」って明記してるから。今のところHPではね。)でも、これは民話学をやる人には、けっこう基本的なテキストなんじゃん? ということで、最初の12巻が、私の卒業した中学にもあった。それを読んだところから、民俗学と歴史学の探究という私の人生は始まったわけだから、敵が忌々しく思うのは当たり前であるー;。私が持っている台湾の民話集と、「パプア・ニューギニアの民話」と古事記を読めば、良渚文化の思想の比較研究ができるし、と思うわけで。


で、親は「唐古と纏向」が面白いらしです。で、唐古が衰退して、纏向が立ち上がったので、唐古の勢力がどこかに追い払われてしまったのか? みたいに言った気がするわけで? それは間違いであると思う。唐古・西王母信仰があって、そこが別の勢力、纏向・新興宗教に攻撃されたのであれば、負けた方は宗教ごと消えてしまうはずであるので。実際には西王母信仰は、「桃の実の祭祀」として纏向に受け継がれているし、「機織りの女神」であった西王母は、もっと時代の下った「天照大神」まで受け継がれているので。新しい勢力にとって変わられたわけではないので、別に負けてどこかに追い払われたわけではないです。言い方はあれだけれども、要はカトリックのお題目をプロテスタントに変えたら、それは「変わった」って言えるの? 「変わった」のはお題目だけで裏ではメーソンとか何とか会で繋がってんじゃないの? それを真の「敵対」と呼ぶ? ってそういうことである。じゃあ、なんでカトリックをプロテスタントに変えなきゃならなかったの? その必要性がどこにあったの? カトリックが腐敗しすぎて、誰から見てもばかばかしくなりすぎてたから、「真面目そうなもの」を作る必要性があっただけなんじゃないの? ってそういう見方すらできる。


で、なんだか親は狗奴国がどこにあったのか、とか興味がある? らしくて。私はあんまりそういうことには興味を持たない。たぶん、親は「百余国に別れて争っていた」ということにとらわれすぎているのだと思うわけです。だいたい、弥生から古墳初期の「国」なんていっても、そもそもそういう概念を縄文系の人達は持っていないので、弥生系の外国人が勝手にそういう概念を持ち込んで、「自称国家」を作ってただけとも言う。で、高句麗とか扶余の実際の歴史を知れば分かることだけれども、彼らも最初は同族内の「連合国家」から出発して、互いに戦ったりして勝ち残った人達が王になったりしているので。日本の国が百余国で争ったっていっても、結局は「親戚同士が、誰が一番になるかで喧嘩してた」程度の意味しか持たないと思う。縄文系の人々にはそもそも「国家」なんて意味も良く分かっていなかったはず。だから、「普通の王族」同士は「誰が一番」になるかで争う。だけど、唐古遺跡だけは特別な「神権遺跡」であって、みんなに銅鐸を作って、それを拝むように配ってた。この場合、唐古の人々にとって、国が「百余国に別れて争っていた」ことに意味なんてあるの? ということになる。銅鐸を配って誰からも、お礼に「お布施」を貰えるのであれば、国同士が喧嘩してようが、してまいが唐古の人々にとってはどうでもいいことである。というか、むしろ、「下同士が喧嘩していて、誰かが強力な政治的な権力を持たない」方が都合がいいよね? その方が、唐古の人々は「神サマ」を振りかざして好き勝手に権力を振るえる。古代の中国の皇帝は、そもそも「天帝(黄帝)の子孫のシャーマン」でもあったわけだから。倭国に国がいくつあろうとも、「銅鐸」を作って配って、「神の言葉を伝えられる皇帝」は一人しかいない、ということになる。皇帝にとっては、下が「百余国に別れて争っていた」ってどうでも良いことなわけですよ。自分がそれをコントロールできていて、自分の権力さえ維持できていれば。だから、その状態は、「国が百余国存在した状態」とは言わない。真の「神の王国」は一つしかなく、皇帝も一人しかいないわけだから。


だから、こうして「表向きの事実」と「本当の真実」の2つが別れるわけ。結論から申せば、天照大神、月夜見、須佐之男の三神は、西王母、饕餮(頭と体)を焼き直したものに過ぎない。すなわち、彼らの父であるイザナギも「天帝(黄帝)」の焼き直しに過ぎない。だから、唐古の西王母思想は、そのままお題目を変えただけで、応神・仁徳朝に受け継がれているわけで。応神・仁徳はそこに、建御雷神(ユーピテル)を持ち込んで、イザナギの臣下に加えているのみである。唐古の思想がそのまま形を変えただけで受け継がれているわけだから、「唐古の権力」もそのまま次の次の王家まで受け継がれている。だから、応神・仁徳朝の世も争いだらけである。「神の代理人の皇帝に操られるままに」ということである。


考古学者は、唐古を知っているのに、そこにあった「信仰」の実態を語らない。それが、どういうもので、どこにどう引き継がれているのか、ということも語らない。文献歴史学者は、古事記の中を意味不明にさまようか、それに飽きれば「魏志」のことしか語らない。「百余国」のどの国は、どこにあったとか、そんなことに意味はない。「西王母がなぜ天照大神に変貌した」のか。それが、その過程だけが、この国の一番最初の「政治史」なわけです。それ以前に住んでいた人々には「政治」というものは存在しないから。だから、唐古と纏向の「宗教史」をきちんと考察しない連中は、みなさま単なる「御用学者」なので。書いたものは、デュマ以上に内容がフィクションだと思って楽しまないといけない。でないと、大切なことを見失うことになるからです。少なくとも、私はそう思っているわけ(笑)。



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本日の日誌

ともかく甲13までたどり着いた。もう20頁になっちゃったので、あとは木が腐ることを書いて、地中障害物の量とか、分布を書いたら30軽く超えそうである。まあ、そこまで行かないように努力はしてみる(棒読み)。細かいことは2頁くらいで片付く。地盤の状況も書かないとならんし。木くず2頁、状況2頁、量に2頁、分布に3頁くらいでいくかね?(笑)みたいな感じ。まあ、そんなにかからないでしょ。


で、お外組はいつもの通りであって。


で、昼は「仰天ニュース」を見て、夜は「VS嵐」を見て。


親と「唐古・纏向」の話をするわけですが、よくよく考えてみるに、私は普通の考古学とかにあんまり興味がなくて、「宗教史学」とか「民俗史学」というようなものにしか興味がないらしい-;。唐古で西王母信仰があって、纏向で祭祀に使われた桃の実が出てくるのに、何故古事記の中で桃がイザナギのアイテムに変貌して、西王母信仰がそのまま後世に受け継がれなかったのか、ということに興味があるのである。そして、高句麗には「太陽の中に烏(八咫烏)」の図像があるし、紀州には八咫烏の伝承があって、高句麗と日本の古代文化には連続性があるのに、唐古にそのような「北東アジア的」な要素がない点も興味深いと感じる。唐古の方がずっと「中国的」なのである。しかも「首だけの龍神」なんて噴飯モノである。古代中国では「先祖の死霊に願いを叶えてもらうために生け贄を捧げた」から、「生首」信仰は生け贄を肯定する信仰である。しかも、「豚の死霊の太陽神」は、本来の「虎の太陽神を殺して食い尽くした太陽神」であるので。それは殺すだけの神である。人々は殺されないために、彼に生け贄を捧げる。「殺されたくなかったら金を払え」じゃなきゃ「言うことを聞け」ってそういう神サマだからー;。恐喝でしょー;。


で、色々と調べていたときに、高句麗の初期の壁画とか見て、「太陽を掲げて支えて飛ぶ神人」の図像を見つけた。太陽自身が鳥であっては駄目なわけです。太陽女神を支えて飛ぶ男性神の図像こそが、ヒッタイト以来の「連合と融和」の象徴の図像だから。それを見て、KinKi-Kidsの「ボクの背中には羽根がある」という歌を思い出して。富の王家は私と7番目の兄さんに、そのようにあれと望むだろう、と思う。彼らのヘバトとテシュブのように。そういうことは図像に残っているものなので。それで、私は学者の「書いたこと」はあんまりまじめに読まないわけです。昔の人の考えていたことは、彼らの残した図像から直接読むのが一番だからです。



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本日の日誌

昨夜はなんだか夢見が悪くて。父親が死んで、死んだら蛇の兄さんと結婚する、という夢で。また、どこかの市民病院が癌の薬を勝手に止めるとか、おかしなことを企んでいるのだろうか?? とか思ってしまう。もしかしたら、「父親」というのは、総本家のことで、蛇の兄さんと結婚する、というのは「親を殺すようなもの」っていうことなんだろうか? と思って。大きなお世話である。総本家より自分の幸せの方が大事に決まってる-;。で、今日は礫を捨てに行って。1回行くごとに100kg出してると思う。で、お手紙も出して。そのせいか疲れて。書面はあまり書けませんでした。盛土について書いて、経過は清掃作業の直前くらいまで書く。


で、お外組はいつもの通りであって。廊下の基礎の下から、またまた波トタンが出てきたので、それを掘っているらしいです。


で、昼は「ため旅+」と「ブンブブーン」を見て。光一君が細かい十字が一杯のシャツを着ていて気になって。で、午後気にしながら書面を書いていたら、7番目の兄さんに「地盤の分類をもう一度見直すように」と言われて見直して。なんで今まで自力で気が付かなかったんだろう? と思う。ゴミを掘って本を買わないと気が付かないのが不思議だ-;。夜は、「10万円でできるかな」を見て。今日はそんな一日でした。



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本日の日誌

だんだん朝晩が寒くなってきました。本日もせっせと書類を書いて。そろそろ盛土材料のこととか書いてます。ガラだと沈下するところとか。


で、お外組はいつもの通りであって。今日は鋼管の一部とか土管だか瓦だか? みたいなものが出ていて。


で、昼は昨夜の「ZERO」を見て、夜は、「10万円でできるかな」を見て。生放送の「うたコン」を見忘れてしまいましたー;。まだ頭がぼーっとしているし、涼ちゃんごめんー、と思う;。


で、今月のお小遣いで本を買って。唐子・鏡遺跡と纏向遺跡の本は、母親が読みたがるだろうなー、と思ったけれども、喜んで読んでます。唐子遺跡では、西王母信仰をやっていた形跡があって、纏向でも大量の桃の実が出土していますし。2世紀の「西王母信仰」は果たして、現代で考えられている「西王母信仰」と同じものであったのだろうか、と思ってしまう。西王母というのは機織りの女神でもありますし、天照大神も天上界での機織り小屋を持っているわけで。纏向からは鶏型木製品が出土していますし。西王母信仰が鳥トーテムと縁が深いのです。鳥は、西王母の召使いという扱いだから。だから、突き詰めていえば、天照大神とは西王母のことで、稲作を持ってきた人々が信仰していた「西王母的女神」とは太陽女神であり、かつ「稲をもたらす女神」でもあったのだと思う。でも、中国的「西王母」が「天帝の娘」に位置づけられてしまって、「天帝の下」の位置づけられているのと相関して、天照大神も「イザナギの娘」の位置づけられるわけで。河姆渡の母系の太陽女神がチベット系の虎の太陽女神であったとすると、そこから発生した「西王母」は中国と日本で別々の進化を遂げて、中国ではどちらかというと漁撈民の太母的な「蛇の女神」「月の女神」の方向へ分化していると思う。一方、虎のいない日本では完全に虎トーテムの姿を失って、「太陽女神」としての性質だけを残したといえる。でも、そこにいる「太陽女神」は、「生きて唯一絶対の虎の太陽」として君臨している太陽女神なのか、それともゲイに射落とされて、結果貪欲な豚に「食い殺されてしまった太陽」なのか? 死んだ太陽の幽霊なのか? ということになるわけで。「イザナギ」を父とする限り、太陽の幽霊にしかなれない。なぜなら、それが天帝までもを食い尽くそうとしている「豚」の神だから。要するに、和魂のイザナギ、荒魂のスサノオであって、その二つは表裏一体のもので、どっちも「豚」ということですよねえ? と思う。唐子・鏡遺跡では「首」だけの竜神も信仰されていた形跡がある。でも、「首だけの竜神」って、要は饕餮のことじゃんねえ? と思う。すなわち、姉である西王母と、弟である饕餮の和合が豊穣をもたらす、という信仰。文姜と襄公に象徴される関係、スサノオと奇稲田姫とに象徴される関係である。だいたい、唐子・鏡遺跡の思想が良渚由来のろくでもないものなんじゃん? と思う。でも、そう考えると、「女王卑弥呼」というのは、太陽女神そのものというよりは、むしろ斎宮のような存在だったのか? と思う。私も読むのを楽しみにしています。でも、自分用には「図解 世界史」とか買って読んでいます。



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本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日は、割とさくさくと書類を書いて、施工前の地盤調査のことまで書く。で、施工後について、どう書こうかな、と考えを練る。けれども、月のものになって、頭がぼーっとしてちょっと眠いので、「今日はゆっくり休みましょう。」と言われる気がするので、細かな書類だけあれこれ作る。


で、お外組はいつもの通りであって。相変わらず、アスファルトガラとか出るわけで。


で、昼はいままでの細かい録画をいくつか見て。夜は、「10万円でできるかな」を見て。



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