だんだん朝晩が寒くなってきました。本日もせっせと書類を書いて。そろそろ盛土材料のこととか書いてます。ガラだと沈下するところとか。
で、お外組はいつもの通りであって。今日は鋼管の一部とか土管だか瓦だか? みたいなものが出ていて。
で、昼は昨夜の「ZERO」を見て、夜は、「10万円でできるかな」を見て。生放送の「うたコン」を見忘れてしまいましたー;。まだ頭がぼーっとしているし、涼ちゃんごめんー、と思う;。
で、今月のお小遣いで本を買って。唐子・鏡遺跡と纏向遺跡の本は、母親が読みたがるだろうなー、と思ったけれども、喜んで読んでます。唐子遺跡では、西王母信仰をやっていた形跡があって、纏向でも大量の桃の実が出土していますし。2世紀の「西王母信仰」は果たして、現代で考えられている「西王母信仰」と同じものであったのだろうか、と思ってしまう。西王母というのは機織りの女神でもありますし、天照大神も天上界での機織り小屋を持っているわけで。纏向からは鶏型木製品が出土していますし。西王母信仰が鳥トーテムと縁が深いのです。鳥は、西王母の召使いという扱いだから。だから、突き詰めていえば、天照大神とは西王母のことで、稲作を持ってきた人々が信仰していた「西王母的女神」とは太陽女神であり、かつ「稲をもたらす女神」でもあったのだと思う。でも、中国的「西王母」が「天帝の娘」に位置づけられてしまって、「天帝の下」の位置づけられているのと相関して、天照大神も「イザナギの娘」の位置づけられるわけで。河姆渡の母系の太陽女神がチベット系の虎の太陽女神であったとすると、そこから発生した「西王母」は中国と日本で別々の進化を遂げて、中国ではどちらかというと漁撈民の太母的な「蛇の女神」「月の女神」の方向へ分化していると思う。一方、虎のいない日本では完全に虎トーテムの姿を失って、「太陽女神」としての性質だけを残したといえる。でも、そこにいる「太陽女神」は、「生きて唯一絶対の虎の太陽」として君臨している太陽女神なのか、それともゲイに射落とされて、結果貪欲な豚に「食い殺されてしまった太陽」なのか? 死んだ太陽の幽霊なのか? ということになるわけで。「イザナギ」を父とする限り、太陽の幽霊にしかなれない。なぜなら、それが天帝までもを食い尽くそうとしている「豚」の神だから。要するに、和魂のイザナギ、荒魂のスサノオであって、その二つは表裏一体のもので、どっちも「豚」ということですよねえ? と思う。唐子・鏡遺跡では「首」だけの竜神も信仰されていた形跡がある。でも、「首だけの竜神」って、要は饕餮のことじゃんねえ? と思う。すなわち、姉である西王母と、弟である饕餮の和合が豊穣をもたらす、という信仰。文姜と襄公に象徴される関係、スサノオと奇稲田姫とに象徴される関係である。だいたい、唐子・鏡遺跡の思想が良渚由来のろくでもないものなんじゃん? と思う。でも、そう考えると、「女王卑弥呼」というのは、太陽女神そのものというよりは、むしろ斎宮のような存在だったのか? と思う。私も読むのを楽しみにしています。でも、自分用には「図解 世界史」とか買って読んでいます。