台風が近いとかで、本日も午後を中心にポタポタと雨が降って。外で仕事ができる内は、お外組は外仕事をしていて。
私の方は、金勘定について、ちょこちょこと書いていて。提出する書面もちょこちょこと纏めて。
で、「イギリスの神話伝説」という4巻セットの本を買ってみて。なんというか、そうすると、私だけではなくて、うちの親も、じいさんが何をやって、何を企んでいるのか、とか分かるようになる気がするわけで@@。元の定価もけっこうなお値段ですけれども、なんだか硬化がすごい気がするわけです。
で、オーストロネシア語族と豚の伝播について調べてみるように、と言われる気がするわけで。豚そのものは、紀元前8000年くらいから中国南部で家畜化され、あっという間に黄河流域まで拡がっているわけです。オーストロネシア語族は、台湾を本拠地として、中国大陸と交流があり、おそらく長江最下流域と直接の交流があり、一部はそこから中国の内陸に拡がったと思われます。黄河文明にも、魚に対する信仰のようなものが認められます。
豚は紀元前3000年ちょっと前くらいに、中国南部から台湾に渡り、オーストロネシア語族は豚を連れて、まず一部がフィリピンに移動し、その後インド洋と太平洋の各地へと豚と共に拡散します。おそらく、最終的には南米にまで到達したのだと思う。紀元前3000年頃、長江最下流域にあったのは良渚文化でした。だから、オーストロネシア語族の先祖は、直接良渚文化と交流していたし、そこから豚を手に入れたし、それだけでなくて、文化や思想も影響を受けている、と言われる気がするわけで。オーストロネシア語族の、異様な人肉食の習慣と、残虐な祭祀は、良渚文化から手に入れたもの、と言われる気がするわけで@@。
元々の漁撈民の文化は、嬰児の一部を祭祀として魚の神に捧げるし、自分達でも食べてしまう、というものでした。でも、水稲耕作が始まると、食料の供給が増え、人口は増加します。古代の水稲耕作は、長江の水に依存しているから、川の流れが安定していると困らないけれども、治水や灌漑がうまくいかないと、人口が増加した分、広範囲に大規模な飢饉が生じます。良渚文化が開始される前、河姆渡遺跡が長江の氾濫で衰退した後には、人々は余剰な人口を調節するために、嬰児ではなく、成人を生け贄にするようになっていたし、同族以外の人を捕まえて生け贄にする習慣があったはず。人肉食が祭祀ではなく、普通の食事に近いものになっていったのも、そういう背景があるはず、と言われる気がするわけで@@。それで、長江文明そのものが内から弱体化するし、他部族を生け贄にして食べるような習慣が嫌われるので、黄河文明の側から征服されてしまいました。征服した側は、結局被征服者に対して、圧政を敷き、自らが「生け贄」の祭祀の主催者になることで、支配を行うようになって。こうなると、政治的に気にいらない人を、どんどん生け贄にして食べるようになるので、反抗する可能性があるとみなされた人は殺されるし、後には反抗する気もなくて、いいなりになる人しか残らない、ということで。余剰な人口は、こうして、「祭祀」の名を借りて、政治的にどんどん殺されるようになる。オーストロネシア語族は、豚と共に、こういう政治的思想や文化をも取り入れたので、ハイヌウェレの祭祀のように、彼らの祭祀は残虐なものとなっている。その狂気の原因は、良渚文化の狂気です、と言われる気がするわけで@@。気に入らない人間は、「生け贄」にしてどんどん殺してしまえばいいらしいです。
だから、オーストロネシア語族は、今でも良渚文化の後継者の王を、「自分達の王」だと思っているし、白人にどんなに酷い目に遭わされても、「王が定めた運命には従うのが当然」と思っている。だから、女性や孤児といった弱者は反故されるべき、と考えている私のことは、彼らは大嫌いである、と言われる気がするわけで@@。彼らこそが、良渚文化の「純粋な子供達」なんだ? と思う。だから、彼らを知ることは、どっかの山奥の総本家を知ることになるらしいです。
で、ケルトもそうですし、古い北欧の神話もそうですが、「略奪文化」を否定しない、というか、彼らの「冒険物語」は「暴力物語」でもあって。宝は、相手を襲って奪い取れ、みたいなことが、賛美されるわけで。「どうして?」と思う。そうしたら、彼らにそうやって、そういうことが「正しいこと」だと教えて、各地を略奪して歩くことが正しいことだ、と教えた者がいるからでしょ、と言われる気がするわけで@@。それは誰? と思う。そうすると、それは「神」でしょ、と言われる@@。彼らの神は、親を殺して喰う「人食いの豚の饕餮でしょ?」と言われる気がするわけで@@。それが、印欧語族の主神の「天の父神」でもある。すなわち、それは良渚の王が「代理人」を務める神である。自分では表にも出ないくせに、他人には「暴力で人を殺すことは良いことだ」と教えるの? と思う。で、そうやって洗脳されない人は、大嫌い、ということでー;。そういうことなんだなー、と思う。でも、内心、そういうことは良くないことだと思っている人も大勢いると思うわけです。
昨夜は、雨が降らなくて、今日はけっこう地面が乾いたのですが、今日はまた夜に夕立があって、雨が降って。昼間は、お外組の作業は普通にできたのでした。
私の方は、書証でまだ手を入れなければならないところがあるのを発見して、手入れをして。そして、金勘定についても、少し書き始めて。落ち着いて、必要なことを簡潔に書くように、と言われる気がするわけで。
で、要請が来るので、やむなく中古本を大量に買ったわけで。だいたい、すでに絶版になった文庫本とかが主なわけで。人文系の本は、需要が限られているので、すぐに絶版になるし、それだけでなくて出版社もろとも消えてしまったりするので-;。最大手の岩波は買えないし。あちこち必要なものを探し回って。しばらく、民話の比較研究には困らないと思う。
で、お犬サマの「槃瓠(ばんこ)」についてちょこちょこと調べていて。槃瓠を男系の先祖とする神話あるいは民話は、中国南部の少数民族にいくつかあるわけで。後漢書にも「南夷伝」に書かれているわけで、昔から中国南部の話であったようです。でも、犬(狼)トーテムは、黄河文明よりも更に北の遊牧民の思想ですので、なぜ中国南部に狼トーテムの話があるのだろうか、と思う。そうすると、それは「黄帝」の話でいいんですよ。黄帝の子孫達のうち、良渚の階級社会と人食いの思想に迎合しない人達が、良渚からの分離・独立を図ったものが、槃瓠説話を持つ人達、と言われる気がするわけで。
中国の学者の間では、槃瓠と盤古は同じもので、盤古が少数民族の神話から中国全体の神話へと変遷する過程で、槃瓠先祖の話ができたのだろう、と言われているらしいです。でも、私は違って、槃瓠の話の方がオリジナルで、盤古の話は紀元後にプルシャの影響とかでできたものだと思う。槃瓠の民話の中には、「槃瓠を蒸したら人間になった」という話があり、「何かを蒸すと、別のものに化生する」という神話は、ハイヌウェレ型芋文化の思想であるので。稲作よりも古い話なんじゃん、それ? と思う。稲作よりも古い時代の、「犬のハイヌウェレ」の神話が、特定の犬トーテムの英雄の活躍を経て、具体的な「槃瓠」の神話に変わったものなのだと思う。それが更に神格化されたものが、盤古であると思う。槃瓠神話を持つ人々は、だいたい父系であるので。父系であっても、良渚に合流しなかった人達である、と思うわけです。
昨夜は、ちょっと雨がポタポタ降っていて。で、朝には止んで。お外組は、家の西側の雨水の管の周囲にも、玉石がゴロゴロしているのを発見して。そこにも、石がたんまり埋められているんだろうな、と思う。
で、私の方は、なんだか夢を見て。古本屋で、なんだか読めそうもないボロボロの本を買って、自分が嬉しそうにしているわけで。ともかく、絶版になっているような中古本を買って、勉強しなさい、ということなのだと思う。だいたい、そういうものを読んで、「文章を良く読むくせ」もつけなさい、ということなんだろうなあ、と思う。しかも、ある程度は買わなければいけない、ということで。
作業の方は、書証が一通り揃ったので、出さなきゃいけない書類を2,3作らなければいけない。あとは、今まで、誰が何を書いてるのかもチェックしなければ、ということで。なにが、「後発的完成不能」なの、工事を業者がやらないんだから、いつまでたとうが完成しないに決まってるでしょうが、と思う。だいたい、書証を読むのに忙しくて、主張書面に何を書いたのか忘れちゃったし、と思う-;。
で、神話系の方は、「中国の神話伝説」という本と、カイトリーの解説本と、「トゥレンの子たちの運命」という「アイルランドの三大悲劇」の一つと言われる伝承を読んでいるわけで。「トゥレン」はおそらく17世紀頃に今の形に完成したとみえて、16世紀に巷に流行したアーサー王の伝承とか、ギリシア神話とかちょこちょこと含まれているアイルランドの英雄物語である。アイルランドは9世紀に、北欧からの侵入者の侵攻を受けた歴史があるとのことで、そういう歴史も投影されて、善玉はアイルランドの神々であるダーナ親族であり、悪玉はノルウェーからの侵略者であるフォモール神族である。でも、トゥレンは、ダーナ神族の中での、殺人とそれに対する賠償の物語でもある。トゥレンの子たちであるブリーンとその兄弟は、同族の豚のキアンを殺してしまい、キアンの息子ルーに対して、賠償のために様々な冒険をして各地から財宝をかき集めてこなければならない。ルーは、父親の死を「賠償」であがなえば許す、と口では言うけれども、本心で望んでいるのは復讐である。だから、ブリーンとその兄弟(といっても、この兄弟は犬なので、ブリーンの飼い犬と言う方が正確なわけなのですが)が、冒険の途中で死ねば良いと思っている。そして、その思惑の通り、ブリーンは賠償を果たしても、道中の傷が原因で死んでしまうので、それで「悲劇」なわけですが。でも、冒険の内容は、各地へ押しかけて「宝をよこせ」と言って暴れる、という分かりやすい、というか単純率直に冒険物語と言うよりも、暴力物語であるので。その暴れん坊ぶりと、悲劇に繋がる弱々しさとのギャップがなんか独特だー、と思うわけですが。でも、西方の刑罰には、「同害復讐法(眼には眼を)」というやつと、「贖罪法(賠償法)」の二種類があって、現代社会では死刑という制度もあるけれども、基本的には「賠償法」が原則である。特に民事では。これは印欧語族由来の法制度でもあるので、17世紀当時のアイルランドは、制度的には「賠償法」が当然となっているけれども、古い時代の「同害復讐法」の精神もまだ幅を効かせていて、「同害復讐法」と「賠償法」が矛盾のないように整合性を保ちつつ、「すりあわせ」が模索されていた時代だったんだな、と思う、というか、そういう社会的、歴史的考察もできるわけです。
で、中国の神話伝説の方は、微妙に赤っぽい序文とかあるわけですが、内容が豊富で面白いわけで。著者は、「黄帝は最初から神である」という考えの人であるので、そこは私と違うわけですが。ともかく、伝承では、黄帝とは「頭が4つあった」ということらしくて。それは「四方に眼を配れる人であった」ということなのかなあ、と思うわけですが、かの有名な孔子先生は「それは黄帝が四方に兵を送って、各地を平定した、ということだ」と述べたらしくて。孔子先生の言うことは、「崇神天皇の四道将軍の元ネタなんじゃないの?」と思う。頭が4つあったら、それはブラフマーでしょうが、と思うので、インドの方には孔子先生の影響は及ばなかったらしいのですが。
それから、西晋(三国志の後の国、女王卑弥呼が死んだ後くらいの時代の国)頃の書物には、「黄帝は死んで昇天し、死体が消えた」とかってあるらしくて。西晋は3~4世紀の国であるので。そのくだりは、キリスト教の影響でしょう。で、それがもっと時代が下ると、霊異記の聖徳太子の話に繋がるんじゃないの? と思う。というか、3世紀には、イエス・キリストの伝記が当たり前のように中国にまで到達していて、人はなんで、そんな大昔に世界のあちこちを歩き回ってたんだろう、と思う-;。だって、ほとんど自分で歩くしかないような時代じゃん? と思う。
それから、神武天皇は、兄が長髄彦に殺されて、そして王になった、と言われている。でも、これはロムルスとレムスと同じで、「兄弟の片方が死んで、王権を手に入れる」というパターンです。そして、このパターンは西欧で発達した物語だから、いきなり「神武の東征」に唐突に現れることが不自然なのであって。西方の文物に明るく、「二人兄弟」の話を知っている誰かが、この話を作った可能性が高いと思うわけです。しかも、神武は、熊野の山の中で、熊に出会って、気を失って、目が覚めたら特別な剣を手に入れたことになっている。これは、神話的には、「熊に喰われて熊として生き返った」という話な気がするわけで。食べられたものに化生するのは、漁撈民の神話ですが、熊はそもそも北方民のトーテムであって、「不自然さ」を感じるわけです。しかも、そういう死と再生の過程で、特別な武器を手に入れるとか、西欧の神話ですか、近くてもゲイ神話ですよね? と思うわけで。しかも、中国の神話を読むと、黄帝は「有熊氏」と名乗ったとかで、熊トーテムの人であったことが示唆されている。しかも、南北朝時代に書かれた「神道集」には、「神武の子である綏靖天皇には、食人の趣味があり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く火の雨が降る」との虚言を弄し天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという」と、あるとのことで。ザッハークですか? と思うわけで。
結局、洋の東西の「故事」に詳しい何者かが、神武を黄帝になぞらえ、綏靖をその子になぞらえ、そういった「物語」を残そうとしてますよね? と思う。しかも、単純に「神武=黄帝」とする伝承が自然発生的に発生しているのであれば、その「熊トーテムである」という精神よりも、事績の方が普通に「英雄神話」として伝播するはずであるので、「精神的なもの」だけが不自然に移植されている、ということは、「神武の熊野を通った東征」そのものが、何者かの「創作」ですよね? そもそも、大規模な戦闘なんてなかったでしょ、考古学的にもそういう証拠は出てきてないし、と思う。7番目の兄さんには、「神武の熊化生の話は、自分が書いたんで」って言われる気がするわけで@@。「うへえ」と思う。「神道集」にも関わってるでしょ、南北朝って高師直が活躍した時代だし? と思う-;。
で、思うけれども、紀元前2世紀ぐらいに、この国にやってきた弥生の人々は、単なる田舎者ではなくて、当時としては文明の最先端の中国からやってきた一級の武人であり、文化人であった人達であって、単に武力で押さえつけて人を支配する、とかそういう単純な人達ではなくて、政治的な駆け引きとか、交渉術とか、現代人と変わらず、したたかに抜かりなくできる人達であったのだと思う。自分達の神話とか伝承も、「政治的にどう利用したら良いのか」って追求できるような人達だったのだと思う。というわけで、7世紀の「したたかまみれ」で、政治的な意図が満載の「古事記」と、17世紀の単純に「同害復讐法」と「賠償法」との間で揺れ動く暴力物語との、精神的な成熟度としたたかさの「差」は何? と思う。まあ、それはともかく、古代中国の故事というのは、私達が思っているよりも、古事記とかの中にパクられていると思うわけで。そういうことを読み解くためにも、中国の古典の勉強は大事なんだなあ、と思ったのでした。
後は、古代中国のゲイの伝承の中には、河伯を射て、その妻と結婚した、みたいな話があって。古代中国の河伯とは、河の神に、毎年娘を「妻」として生け贄に捧げて、治水を祈るという人食いの神であって。その祭りは、大規模に、支配者が好んで行うものであったわけです。何故、支配者がこの祭祀を好むのか。そういうことは、綺麗事だけの神話では決して語られない、赤っぽい学者様でも、中国の文化を愛する人だと書きたくない事に入るのかもしれませんが。漁撈民の伝承には、娘は生娘のままでは、まともな「妻」とはなれない、とされている。正式な結婚の前には、誰かが破瓜しなければ、正しい結婚生活は行えない、とされているわけで、「夜這い」とかの習慣もその延長上にあるわけだから。河伯の妻にされる前の娘が、祭祀の中で、殺される前にどんな悲惨な目に合わされたのか、何故男性の為政者がこの祭祀を好んだのか、ということは、「赤」がお好きな現代の学者サマでも公然と書けないことなんだ? 内容がろくでもなさすぎて? と微妙に毒が出るわけですが。
でも、くだらん生け贄の祭祀を止めさせて、娘を助けたゲイはさながら英雄ですよねえ? というか、ペルセウスそのものではないの、と思う。それなのに、結婚生活はあまり幸福ではなかったんだ? と思う。誰かさんには、「頭の悪い、話の分からない馬鹿な女はうんざり」と言われる気がするわけでー;。兄さんより、頭の良い女の人は、滅多にいないから、それは高望みが過ぎるってもんじゃないのですかねえ? と思うわけですが-;。
おとといは「音楽の日」であって。一応タイムテーブルを確認したら、深夜帯の部にABC-ZとジャニーズWESTが出ると書いてあったので、2時まで頑張って見て。そうしたら、朝になって、ふっと「自分達の描いた手書きの設計図も出すように」と言われる気がするわけで。それを言いたくて、兄さん達は昨日がんばってたのかー、と思って。のんちゃんと良ちゃんも、ちゃんと最後まで見て良かった、と思ったのでした。で、それ以外では、KinKi-Kidsの二人が、一部の最後まで残っていたわけですが、なにげに光一君の後ろに、手越くんとまっすーが張り付いていて、「立派だ-」と思うわけで。
で、昨日の作業は、雨が降ってぐちゃぐちゃしていたので、お外組は庭の整備をしていて。庭の南西の隅から、バケツ5杯分のタール状のものが混じった汚い土とか、アスファルトの小さな塊とか出てきて、「いつ入れたんだろう? フェンスを貼った直後かも。」と話していて。それ以外にも、砕石をためておいたところに、砕石しかないはずなのに、いつの間にか土がたまっていたりして、不審であって。
で、昨夜はなんだか冷えたらしくて、今朝、朝ご飯を食べたら、吐いたり下したりしてしまってー;。暑いので、電気毛布の温度を下げたら、寒かったらしくてー;。カイロを入れて、暖かくしていたらすぐに回復しました。
午前中は、家人は買い出しに出かけて。作業はバケツ4杯くらい貼り付けであって。私は、手書きの資料を整理して。で、例によって、家人の言動が変であって。原因は裁判が近いことと、買え、と言われた本を私がせっせと買ってるからだと思う。要するに、西欧の多神教の神々の中には、黄帝に相当する神を重要視するところもあるけれども、長江文明由来の人食いの男性の豚の太陽神を重んじるところも多くて、そういうところほど、根源的には「人食い」とか「人の生け贄」をなんとも思っていないのだと思う。西欧では、上流階級は農耕を行わないので、本来であれば農耕に関わるはずの「豚の太陽神」への信仰は、武力による豊穣、例えば、馬とか武器とか金銀財宝とかの豊穣に変化して、その後、特にキリスト教化で、古い時代の神々を信仰することが禁止されると、中世には古い神話が騎士物語とかに変化して、詩人の詩とか文芸の場で盛んに「物語」として語られて、あちこちで流行するようになるわけで。そうなると、古い時代の「豚の太陽神」は、主君を裏切ったり、若い英雄を死に追いやったりして、「悲劇」を引き起こす「立役者」みたいな地位で語られるようになる。これは、この太陽神が「怒りにまかせて気まぐれに祟りを起こす神」であり、起源を損ねると相手が君主でも祟るし、元は若者を生け贄にした神でもあることの名残なのだと思う。それが、アーサー王の王国を滅ぼす王の甥モリガン、シャルルマーニュ大帝のお気に入りの騎士ローランを死においやるオジエ、英雄ジークフリートを殺してニベルング族滅亡の原因を作るハゲネとかに投影されているのだと思う。彼らは大抵、王の近親であって、裏切り者である。「シャルルマーニュ伝説」では、大帝の息子もけっこうぼんくらなドラ息子だしー;。これだから、中世の騎士物語も読んで勉強するように、って言われるんだなー、と思う。黄帝の「ぼんくら」のドラ息子で、混血の「ルーグ」が、良渚文系の基盤を築いて、自ら「豚の太陽神のシャーマン」として君臨し、人食いでお馬鹿さんになってる農耕民を専制君主として支配したわけだ。でも、黄帝を尊敬している人達も大勢いたから、印欧語族には、黄帝に相当する神も、ドラ息子に相当する神もいっしょくたに伝播して、各氏族がどちらを選ぶかで、「神」としてどちらが優位なのかが分かる。だから、西欧における「キリスト教化」の意味とは、なんでも「天の父なる神と、その子キリスト」に纏めてしまって、本当は人々がどちらを選んでいるのかを、区別がつきにくくしてる。特に「よそ者」からは全然分からなくなるので、性格の悪い方は、それにつけこんで悪いことをやりやすくなる。
西欧の騎士物語とか読んで、うちの家系の「性格の悪さ加減」を勉強しろってことですかねえ、と思う。そして、西欧の多神教には、小人とか、トロルとか、神とはいえないけれども、人でもないような風変わりな存在が公然と出てくるけれども、そういうものは、黄帝が出現する以前の、漁撈民の信仰、あるいは、北方の狩猟民の信仰での神々が、良渚と黄河文明の思想が拡がるにつれて、その地位が低下して変化したものなのだと思う。彼らの一部は「王権」を伴う神々と習合して、上流階級にも取り入れられたけれども、多くは被支配者である庶民の側にとどまり、超自然的な精霊的存在に変化して、庶民の生活を助けてくれたり、意地悪したりするようになったのだと思う。でも、基本的には「良渚文明」で出現した神々と「同じもの」であるので、なにがしかの犠牲を捧げられて、機嫌が良ければ、恩恵を授けてくれる性質は変わらない。
でも、まだ「二人兄弟」の謎が残っているのです。ロームルスとレムスではないけれども、双子の片方が「死ぬ」というのは、一方を犠牲に捧げることで、他方の豊穣を図るものだと思う。だいたい、ポリネシアの民話の中に、すでにその気配は萌芽してる。彼らは、「生と死」の境界が曖昧であって、そもそも「存在」として「生きている人」だけでは「完全」ではない、と思ってるのだと思う。人は「生と死」が対になって存在して、それで「完全」なのだと考えている。だから、「生きている人」というのは「生」の状態が強いから生きているのであって、「死」が強くなる死ぬ。だから、「生きている人」というのは、常に「自分の死霊」と共にいるのであって、生きていても「自分の幽霊」というものは常に存在しているわけです。そして、生きるために、自らの悪霊と常に戦ってるのかもしれないと思う。だから、「二人兄弟」というのは、「自分の生き霊を克服した人」が、生きた王となるべき英雄である、という考え方かもしれない、と思う。あるいは、自分に近い大切なものを神に捧げると、より大きな見返りが得られる、という考えもそこには含まれるのかもしれない(困窮した際に、我が子を生け贄にしたりするのは、こういうことだと思う)。あるいは、両方が混在した考えといえるかな、と思うのだけれど、しっくりとした答えが、自分の中で、まだ見つからない気がするのです。長男だけを大切にしたり、あるいは末子だけを大切にしたり、というのも、他の兄弟を「犠牲」にしているわけだし。古代の人々の「家」とか「相続」という概念も関係してるのかもしれないし。
ともかく、今日はNHKで潤ちゃんのドラマがあったから見たわけです。ええと、北海道150年記念とかで。ちょっとメロドラマ風味であったかな、と思う。まあ、でもNHKですし。潤ちゃんは、お芝居も上手ですし。真面目なお話だったんじゃないでしょうか。
本日は、一日外仕事ができて。昼間は割と夏のように暑かったです。でも、今(夜)は、少し雨が降っています。
で、私の方は今日も書証の整理をして。だいたい、明日か明後日くらいには終わるだろう、と思うわけです。で、印刷の合間に、せっせと読んで。7番目の兄さんには、「ヨーロッパの西の端のアイルランドのケルトの古層には、漁撈民の神話の古層が残っているので、良く勉強するように、と言われる気がするわけで。で、「ジェイコブズから始めよう」と言われるので、「ケルト魔法民話集」を読み出して。
で、ケルトには、「長腕のルー」という太陽神がいるわけで。その父親はキアンといって、「豚」に変身することができるわけです。というか、豚の姿で敵に捕まって殺されてしまう、というか、そんな感じであって。で、息子のルーは、海神の養子でもあって、養父から特別な剣とか馬とかを貰ったり、借りたりしていて。要するに、「ルー」とは、「豚の太陽神(男性)」ですよねえ? と思う。そういう神はどこから来たのだろうか、と思う。
そして、ルーは普段は特別な槍を武器に使っていて。で、たまたまカイトリーも読んでいたわけですが、北欧神話のロキは、自分のした悪さの償いに、小人に特別な槍とか、船を作って貰うわけです。「ロキの宝」って、ケルトの「ルーの宝」と同じものなんじゃないの? ロキも太陽神なの? 子音からいって、ロキとはルーのことなんじゃないの? と思う。でも、ケルトのルーが普通の太陽神であるのに対して、北欧神話のロキは、トリックスターというか神々の中ではちょっと変わっていて、嫌われ者の存在であって。「何故なんだろう?」と思う。
そうすると、豚は長江文明で一番古く飼いだした動物であって。長江文明は、チベット系の虎の太陽女神を母神とする母系の人々と、やや父系の漁撈民の混血の文化であるので。母系の人々は「太陽=虎女神(水稲耕作としては蛙)、月=虎の獲物の男神(古い順に鹿、牛、豚など)」としてる。一方、月神を食べる「やや父系」の人々は「太陽=豚男神、月=植物(穀物)」としてる。だから、豚は、状況に応じて、月にも太陽にもなり得る。ルーやロキは「ルドラ神群のシヴァ」のことなので。インドには、「太陽=ドゥルガー、月=シヴァ」と、「太陽=シヴァ、月=サティー」という長江文明の形式が残されてる、と言われる気がするわけで@@。シヴァの持つ武器も槍である。要するに「豚の太陽神」の武器である「槍」とは、猪とか豚の牙のことなんだ? と思う。
でも、ルーはケルトでは、普通の神様で、悪神ではないです。ということは、古い時代のアイルランドは、漁撈民の文化が強くて、長江文明の「人食いの神」が「良い神様」になってるんだ? と思う。そうすると、「ルーは、祖父である邪眼のバラーを殺すでしょ。バラーとは、メソポタミアのバアルのことで、アイルランド以外では良き天候神とされてる。バラーは、ケルトでは北方からやってきた、悪神の一族の一人です。でも、バラーの娘は、アイルランドの神であるキアンの子供を産んで、それがルーです。バラーは「B」の子音で始まるから「狼」のことです。北方からやってきたバラーは、近親であるルーが敵の側についていて、そのルーに殺される。要するにバラーは黄帝のことで、ルーはその後継者のことです。ケルトの人々は本来的には印欧語族ではないので、印欧語族に文化は似ているけれども、漁撈民に近い伝承を持っている。北欧神話のロキが、特殊な悪い存在なのは、他の神々が黄河文明由来の神であるのに対して、ロキだけが長江文明由来の神だから、ロキだけ毛色が違う。」と言われる気がするわけで@@。ルーとバラーの伝承は、長江文明の側から見た黄帝の伝承なんだ? と思う。
でも、そういう「豚の太陽神」が強く信仰されているところほど、「人の犠牲」が盛んであったところですよ。ケルトの人々も良く生け贄を捧げた。北欧もそうだし、インドのサティー(寡婦殉死)もつい最近まで行われていた、と言われる気がするわけで@@。
で、中国の神話の方では、河の神を鎮めるために、毎年若い娘を「妻」として生け贄に捧げる祭祀のことが書いてあって。で、しかも祭祀を行う費用を、庶民から巻き上げて集める、ということをしていたから、この祭祀は評判が悪かったわけです。それって、あれだ、お祭りにかこつけて、庶民から金品を集めたら、それは「お布施」の始め、ということだよねえ、と思う。お祭りが主催者のお金儲けの道具に使われるようになっていて。そのあたりから、神々に対する畏敬の念も消えていったのではないか、と思う。
で、今日は午後から「音楽の日」を見ていて。大勢の兄さん達に結縁できて良かった、と思うのです。