本日の日誌

ええと、一昨日、7番目の兄さんに、「黄帝」の長江文明側の子孫が良渚文化の王や、苗族の人達であるとすると、黄河文明側の子孫は? と聞かれる気がするわけで。さあ? と思う。


で、お外組は毎日仕事をしていて。私は昨日は書類の枚数をせっせと数えていて。で、思い切って、バートン版の「千夜一夜物語」を全巻買えと言われるので買って。


で、親と一緒に夜中過ぎまで頑張って寝て。朝、ご飯を食べながら「ブンブブーン」を見ていたら、7番目の兄さんに、ふっと「ケサル大王伝」だけ買っておくように、と言われる気がするわけで。それはチベットの英雄伝説らしいです。で、追加で注文して、どういう物語なのか調べていたら、ケサル大王という英雄が、人食いの王とか悪者を倒して仏教を各地に伝える、という話らしくて。で、中央アジアには、広く、「優れたところを示して高貴なお姫様と結婚し、人生の大部分を人食いの悪者との戦いに費やし、異民族の王女を伴って国に帰ってくると、奥さんは他の男に言い寄られて困っている」という話の英雄譚があちこちにあるらしくて@@。ケサル大王伝もそういう話の一つである。だいたい、文献的な古代ペルシャの英雄達が、イスラム教化以前の英雄であることは明らかなので、中央アジアに分布する英雄譚が全て同起源で同じくらい古いものであることは明らかである。そういう英雄達は特定の氏族の先祖であることもあるし、そうでないこともある。何故? と思うと、中央アジアの遊牧民は、個々の氏族だけでは血統を維持できなくて、遺伝子だけ旅人のものを貰う、ということがままあるので、一族の中の誰かが「英雄」の子孫であるかもしれない、ということはままある。そういう曖昧さは代が下るほど曖昧になるので、中央アジア全体に、「先祖であったり、先祖であるかもしれない英雄」の話が分布することになる、と言われる気がするわけで@@。


そういう物語は、中央アジアに住んでいた印欧語族の先祖も持っていて、彼らはそれを西欧にも持ち込んで、ペルセウスやテーセウスといった英雄神話になっているんだなあ、と思う。そして、キリスト教化が始まると、「先祖の神」に対する信仰が禁じられるし、「先祖が犬だの馬だのあり得ないでしょ」とトーテムを否定されれば、それも事実であるので反論できない。だから、神格化された先祖の英雄の物語は、再び「人間の英雄」の物語として焼き直され、アーサー王物語とか、ニーベルンゲンとか中世の騎士物語へと移行する。「英雄」に相当する「登場人物」は架空の人のこともあるし、実在の人物を元にしてることもある、と言われる気がするわけで。そういう物語の主題は、英雄が優れた資質を示すことと、二人の女性との三角関係である。キリスト教化された後は、ヨーロッパでは一夫一妻制が理想とされるので、太古の一夫多妻の英雄は、「理想の英雄」であるために一夫一妻の英雄に焼き直されるけれども、元のモデルが「奥さんが二人いた英雄」だから、この「三角関係」をどうやって表現するのかが、作家の腕の見せ所になる、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの騎士物語はこのように発展してきたものだから、中世から近代の作品まで、古代の英雄譚を投影したものはいくつもあり、「黄帝」の事業を褒め称える作品は味方のもの、そうでないのは敵のもの、とみな区別していたらしくて。でも、中央アジアの英雄譚は我が家からは、「読んではいけない本」にあるのがほとんどであって。要するに、なるべくその物語を私が知らないように仕向けてあるらしくて。仕向ければ、槃瓠とゲイと黄帝は同じ者で、それが一体となった伝承が中央アジアからヨーロッパに移動している、って私に分かりにくくなるからなのだと思う。要するに、黄河文明側の黄帝の子孫は、良渚文化が拡がるにつれて圧迫され、中央アジアに流出している。長江文明側の子孫で、良渚文化に迎合しない人達は中国の南端に追いやられて、東南アジア方面にも流出している、ってそういうことね、と思う。長江文明側の子孫は犬の英雄先祖の伝承を残したけれども、黄河文明の側の英雄は正義と平和のために戦い続けて、家庭生活にあんまり恵まれなかった英雄譚を山ほど残している、ということらしくて。「兄さん、なんだか女運には恵まれてなかったのね;」と思う。


で、郵便を出しに行って、帰って来てお昼に「ブンブブーン」を見ていたら、某イングランドのおばあちゃんが、ブスブス怒って「ケサル大王伝」まで行き着いたら、すぐに「アイヴァンホー」を思いつくのが普通、って言ってくるわけで@@。アイヴァンホーって言ったら、身分の高いロウイーナ姫と結婚しようと頑張るウィルフレッドが、一生懸命働いて、異民族の娘のレベッカが悪い男に食い物にされるのを命を賭けて助け出して、まさに、「近代の黄帝譚の最高傑作じゃないの、婚約者に対して「女運に恵まれてない」とか嫁入り前の小娘が生意気なこと言ってるんじゃない」と怒られる気がするわけで@@。はい? というか、おばあちゃんは「アイヴァンホー」が好きなんですね? 要するにねえ? と思う。あんまり怒らせて国際問題に発展するとまずいので、早急に注文する-;。


で、FNS歌謡祭を夜に見ていたら、相変わらずのミュージカル特集であって。「レ・ミゼラブル」とかやっていて。これも昔は持ってた。捨てちゃったけど。で、ぼーっと見ていたら、登場人物の中に「エポニーヌ」という女の子がいた。「レ・ミゼラブル」の後半は、フランス革命とその狭間で揺り動かされるマリユスとコゼットの恋物語である。マリユスはお金持ちのお坊ちゃまで、コゼットは養父のジャン・バル・ジャンに大切に育てられた賢い女の子だけれども、結局はただの孤児である。エポニーヌは、コゼットの幼なじみで、貧乏で教育も躾もうけていない下層階級の娘である。でも、純粋なところがあってマリユスのことを本気で好きになるけれども、相手にして貰えない。革命に参加したマリユスは、銃に撃たれて殺されそうになるけれども、エポニーヌが彼を庇って代わりに死んでしまう。重傷を負ったマリユス君はジャン・バル・ジャンに助けられて、結局コゼットとめでたく結婚できる。そして革命も成就する。ぎくっと思うけれども、「エポニーヌ」とは「エポナ」のことである。要するに、エポナを生け贄に捧げて、マリユスとコゼットの愛は成就する、そしてフランス革命も成就する、ってそういう話だよねえ、これ? と思う。だから、これは「敵の物語」なんだ、「生け贄を肯定しているから」と気がつく。西欧の文学とは、こうやって敵と味方に分かれて発展してきたんだなあ、と思う。だから、味方の物語を選んで家にいれないといけないらしい。そして、そういうものを読んで、「生け贄反対」の精神を自然と学ばなければいけないものらしい。


で、FNSを見て、寝る前にふっと「ジプシー民話集」という本が目に付いたので、読んでみたくなった。第1話は、「牛飼いの若者が真面目に勇敢に働いて、竜の生け贄にされそうになっていたお嬢さんを助けて結婚する」という話だった。これは、オズボーン・ブーツとオーディンのユミル退治が分離する前の物語だし、女性が一人に纏められてしまっているけれども、中央アジア由来の英雄譚の流れを組む話である。


私だったら、「貧しいけれども、勇敢な羊飼いの若者が狼や猛獣から主人の羊をよく守ったので、働きが認められて婿に迎えられた。今度は隣の家の娘が、人食いの竜の「妻」という名目の生け贄にされることになったので、娘を気の毒に思った若者は、竜と戦って竜を倒し、こちらの娘とも結婚した。竜の体は硬くて、役にたったので、若者はこれを家の材料にしたり、境界の柵にしたりして、人々のために使った。若者は第一夫人の家と第二夫人の家を行ったり来たりして、どちらの家も子供に恵まれたが、第二夫人の実家の者は身分の低い若者のことを嫌っていた。そこで、孫が大きくなると、孫息子をそそのかして父親を殺させた。孫息子は、「自分こそが父親の正当な跡継ぎだ」と言って、第一夫人のところにいる兄達の財産も奪って、兄達を追い出してしまい、一帯の王となって君臨した。」という物語を書くと思う。


この物語の中に、オズボーン・ブーツも、オーディンのユミル退治も、槃瓠も、ゲイも牽牛織女も黄帝も全部収まる。アイヴァンホーなんてメロドラマでしょ、って言ったらものすごく怒られたわけですがー;。でも、「七夕の王子様」に選ばれてなんだか嬉しそうな4番目の子と、あんまり嬉しそうじゃない7番目の兄さんを見てると、「今生でも女運があんまりよろしくないかもー;」と思うあたくしがいるわけですがー;。こういう性格でごめん、と思う。でも、まあ、お勉強はできる範囲で頑張りたいと思うわけです-;。



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本日の日誌

本日は、お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。午後、3時頃にけっこう激しい夕立が来て。で、書類はだいたいできあがったので、後は印刷して纏めるだけ、ということで。


後は、買った本が数冊届いて。「へロドトス」を勧められて買ったわけです。ヘロドトスといえば、世界最古の歴史書である「歴史」です。真面目に読んだら、勉強になるだろうな、と思う。でも、うちの父親に「これを買って欲しい」というのは無理だろうな、と思って-;。ヘロドトスどころか、聖徳太子がどこの誰なのかも分かってないのに? と思う-;。


ケルトの民話とかを読むと、アザラシと人が結婚する話が目立つわけです。というか、あちこちで、羽衣とか天人女房とか、鳥の羽を盗んで妻にする話が多いわけですが、ケルトでは何故か鳥と似ても似つかぬアザラシが、妻になっていることが多くて。なんでなんだろう? と思う。で、ちょうど今、カイトリーの「妖精の誕生」という本を読んでいて。西洋における、フェアリー(妖精)という言葉はけっして大昔からのものではなくて、精霊的な存在は昔からあったけれども、それらが「妖精」と呼ばれるようになった過程を、各地の民話を折り混ぜながら考察していて。それによると、「フェアリー」という言葉の起源は、古代ペルシャの「ペリ」という言葉にあるらしいです。「ペリ」というのは、いわゆる「天人」のことです。男性形も女性形もあるけれども、「天人女房」的な物語があったらしくて。天の良き精霊のことです。「王書」という本の中に、ロスタムという英雄の奥さんであるタハミーネという女性が「ペリのように美しい」と書かれているらしくて。


でも、古代ペルシャっていったら、古代インドとは兄弟のようなものですから、インドの側にも似たような話があるはず、と思う。というか、インドでは天人のことをアプサラスというらしくて。その意味は、「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」ということらしくて。なんで「天人」が「水の中で動くもの」なの? と思うと、「それは古代の印欧語族が天とは大きな水瓶のようなものだと考えていたから」と言われる気がするわけで@@。「雨」という時も、空の腹が破れて水が降ってくる様を現してるから、その考え方の起源は古代中国にある、と言われる気がするわけで。


一方、古代メソポタミアの一番古い時代には、大地の奥底にあるとされた淡水の海のことをアプスーと呼び、川はそこから流れ出してくる、と考えられていました。そして、神々もそこに住むと考えられていた。要するに、古代の漁撈民は、大きな海のような聖域があって、そこに神々が住むと考えていたし、魚とか亀とかウミヘビとかそこからやってくる、と考えていました。アプスーは聖域全体を指すし、神々のすみかも指します。要するにいわゆる「竜宮」のことです。でも、内陸に住む古代の中国人と印欧語族の先祖は「天も水の塊である」と考えました。だから、アプスーは「天の国」に変化してしまった。天人達は「天の湖」の住人であり、白鳥とかの水鳥がそこと地上を行き来していると考えたのです。だから、アプサラスとは、古くは海の姫である人魚姫とか乙姫のことで良いのだけれども、古代中国で天の姫である織姫とか天女に変更されて、それが印欧語族の拡散と共に各地に伝播しました。だから、人後姫とかアザラシの女房とかは、アプスーが「水の住人」であったころの姿をそのまま残しているのです。アプスーが「天女」に変更されると、今度は「天の住人」に変化しますが、それは広い意味で「中国文化圏」の思想といえます。


だから、フェアリーの語源が、ペリであるなら、それはアプサラスとも同語源であり、古代メソポタミアのアプスーまで遡るもので、古代ギリシャの太陽神アポローンとも同語源なのです。「天人女房」の原型は、アプスーが「天人」になる以前にまで遡るので、アザラシとかの水生生物が妻になる話と、天人女房の2種類に、「全く同じような」話があるのです。「羽衣」と「浦島太郎」は元は同じ話であったものです。と言われる気がするわけで@@。


でも、私が思うに、「牽牛織女」のように、単なる「浦島太郎」ではなくて、「天人女房」の中には、明らかに、特に妻側の実家が夫のことを歓迎していない、というパターンが東洋を中心にありますよねえ? と思う。それは何で? と思う。そうしたら、それは「誰か特定の若者が、身分の高い女性に婿入りして、妻の実家側の人々から猛反対された」という「事実」が、古くからの「浦島太郎伝説」に付加されたものでしょ、と言われる気がするわけで。人間のお姫様に婿入りして苦労した犬の婿さんのことなのですかねえ、それ? と思う。西欧の方の民話とかでは、結婚は最後は「めでたしめでたし」で終わることが多いけれども、東洋ではその逆が多いわけで。なんだか、複雑そうな話があった感じ、と思うわけですが。でも、自分が舅になったときに、自分がやられたのと同じ事を婿さんにやったら駄目なんじゃん?? 6番目の子とか、と思うわけで-;。ということで、「フェアリー」という言葉の起源は「アプスー」にあるらしいです。天女というのは、人魚姫か亀の乙姫かアザラシのことであるらしいですー;。



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本日の日誌

本日は湿気が高い一日で。お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。出せ、と言われたものは明日にはできそうです。でも、それをやったら、次の準備書面の準備も始めるように、と言われる気がするわけで。


後は、買った本が数冊届いて。神話の本も2頁くらい読んで。


ケルトの神話を読みながら、やはり北欧神話と近縁性が強いと感じる。それから、古代ペルシャの伝説上の英雄に、ロスタムという王がいるわけですが。このロスタムって西欧の神話では誰に相当するのだろう? と思う。そうしらた、オーディーンでしょ、と言われる気がするわけで@@。オーディーンとバルドル、クー・フーリンとコンラ、ロスタムとソフラーブ、みんな同じものでしょ、と言われる気がするわけで。遊牧民の英雄ですねえ、と思う。


今朝方は夢を見て。なんだかまだ学生で、学校に行ったら、何故かプールみたいな巨大なお風呂があって。そこに入っていたら、光一君がいて。でお風呂から出たら、光一君が学生相手に講義をするから、「終わるまで待っててね」と言われたので、「寝て待ってる」と言って寝てしまう夢で。今日は夜はZEROの選挙速報を見て。そんな一日だったのでした。



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本日の日誌

本日も降りそうな降らないような雨っぽい一日であって。お外組はだいたいいつも通りに外の仕事をしていて。


私の方は、だいたい明日にはいろいろと書き上がりそうで。まあ、間に合うかな? と思う。


で、買った本も続々と届く。「中国の神話伝説」も2頁くらいは読む。で、今回はともかく、ブルフィンチと呉茂一はギリシャ神話の基本だから読むように、と言われるわけで。ブルフィンチはアメリカ人だけれども、若い人向けに西洋の古典の案内ともいえる入門書を何冊か書いているので、ギリシア・ローマ神話、中世騎士物語、シャルルマーニュ伝説を手に入れる。呉茂一はギリシア神話に関する著述の草分け的な人である。で、解説を更に読むために、ヘシオードスとアポロドートスを買っちゃったから、これ以上のものはないでしょ。ホメロスとか買う? とか思うわけで。ともかく、7番目の兄さんは、「人食いの話だけ削除して上辺だけ綺麗にした神話なんか読む価値がない」と言うわけで。呉茂一にはメーティスの話も、ザグレウスの話もあるからご満足では? と思うわけで。


で、世界には、「牡牛を退治する話」はいくらでもある。黄帝と蚩尤もそうだし、ギルガメシュとか、ミトラとか。でも、良渚文化では、豚もずいぶん神格化されていたから、「豚を退治する話」があっていいように思う。ケルトの中にはある。で、「インドネシア民話集」という本を買ってみて、ちょっと読んでみたら、「犬が豚を退治して人に変化して妻をめとる」という話があって@@。ちょっと形は崩れているけど、これは槃瓠神話の崩れですよねえ? と思う。おそらく、古代に苗族の一派が、国境を越えてタイやベトナムに移動したときに、一部が更にインドネシアまで移動して、槃瓠神話を伝えたのだと思う。何でも貪欲に食べてしまう「饕餮」というのは、やっぱり豚のことなんじゃん? と思う。


そうしたら、7番目の兄さんに、「人食いの化け物を退治する犬」とは「光善寺の早太郎」のことでしょ? と言われる気がするわけで@@。今昔物語には「美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。ある年に中山近くの少女が生贄に指定され、家族が嘆いていると、そこへ訪れた若い猟師が事情を聞き、少女の身代りとなってサル退治の訓練を施した犬とともに櫃に入り、生贄に差し出された。やがて身長7,8尺(約2メートル以上)の大ザルが100匹ほどのサルを引き連れて現れたので、猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々に倒した。残るは大ザルのみとなったが、1人の宮司に猿神が憑き、二度と生贄を求めないとして許しを請うたので、猟師は大ザルを逃がした。以来、生贄が求められることはなくなったという」という話がある。


伊那の光善寺という古刹には「昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産んだ。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してやった。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻ったが、子犬のうちの1匹を寺に残していった。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼われた。ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行った。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがあった。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのだ。

延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かい身を潜めていると、現れた怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていった。僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、和尚から借受けた。そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治した。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であった。 」という伝説があり、早太郎の墓がある。伊那は、金刺氏の重要な拠点の一つであり、光善寺の創建に金刺氏が関わっていないわけがないでしょ、と言われる気がするわけで@@。


金刺氏の子孫は「大」の字を珍重して、自分達は「大神(狼)」であると暗に言っている。そして、お寺というのは、そもそも先祖を祀るところでしょ。狼が、犬(狼)をお寺に祀ってたら、その犬は大神の先祖でしょ? と言われる気がするわけで@@。それは、暗に金刺氏が、「早太郎は自分達の先祖である」と言っているということ? 人食いの猿退治の早太郎とは、黄帝であり、槃瓠であり、ゲイのこと? ということは、今昔の猟師と早太郎も「同じもの」ですよねえ? と思う。要するに金刺氏は、自分達の先祖が人食いの神を退治した早太郎、すなわち槃瓠であり、黄帝であるものだと示してる。そういうことを言うのは、苗族、ヤオ族、ショオ族といった一部の少数民族と金刺氏だけである。みんな、5500年前に枝分かれした、契約ではない、本物の「兄弟達」なんだ? と思う。日本の伝承で猿退治をするのは、良渚文化の人々が猿を食べていたから、食べ物であった猿は神でもあったんだ? と思う。(というか古代の日本人も犬や猿は食べたわけですがー;)


そして、7番目の兄さんに、「これで金刺氏と黄帝が繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで。それを探り当てるまでに、何十年もかかったんだけど? と思う。で、7番目の兄さんに、「ついでに自分の飼っている犬は?」と聞かれる気がするわけで@@。「パンちゃんでしょ?」と思う。というか、それも「槃瓠」のことなんだ? と思う。そして、「これで槃瓠と自分も繋がったでしょ?」と言われる気がするわけで@@。


私がまだ東京にいたときに、クリント・イーストウッドという人が、「グラン・トリノ」という映画を作って。これは、白いトラックがトーレドマークだったアメリカ人のおじいさんが、近所に住むモン族(ベトナムに住む苗族)の姉弟のティーンと仲良くなって。でも、お姉さんの方が不良に目をつけられてレイプされてしまって。家族は不良達が怖くて、何も言えないわけです。で、白馬の王子様ではなくて、白トラックのおじいさまであるイーストウッドが不良のたまり場へ乗り込むわけですが、丸腰で行ったのに不良に殺されてしまって。それで不良達は逮捕されてしまったので、地域は一時的には平和?になったわけです。弱虫だった男の子は、おじいさんの死を目の当たりにして、そうやって身を呈してでも大切な人を守れるような強い男になりたい、と思う話である。要するに、モン族の姉弟が、実の祖父のように慕う「白トラックのおじいさん」とは、「白馬の王子様」である黄帝のこと、モン族にとって、女性をレイプして生け贄にするような儀式を止めさせるために戦った遠い先祖の盤王の暗喩ですよねえ? と思う。槃瓠は同族に殺されてしまったけれども、その意思を受け継いでいる者もいます、ってそれはそう言いたいための映画ですよねえ? と思う。遠い、とても遠いけど、「本物の身内」からのメッセージだったんだなあ、と思う。しかも、イーストウッドはこの映画で、俳優業は引退する、と言っていたけれども、その後また映画に出てたはず。要するに、一度「俳優」として死んだけれども、また生き返ったっていう暗示だよねえ? と思う。でも、映画のことを思い出したから言うけれども、「黄帝」というのは、故人であって、そもそも金髪の人だったんじゃないの? と思う。中華思想の中で、その本当の姿が失われがちになっているけれども、たぶん白人であったのだと思う。だから、白人の印欧語族の中にも「英雄」としてその姿が残っているのではないでしょうか。


で、後は気になったのは、某三太郎のCMである。「大きくなった親指姫の鬼退治」って何? と思う。そうしたら、「親指姫」は乙姫、かぐや姫、織姫の母親でしょ。要するに「西王母」でしょ。現代の西王母とはイエス・キリストのことでしょ。イエス・キリストがいろいろな仲間を引き連れて鬼退治をする、ってそれは「イエス・キリストと彼の戦士達」の暗喩でしょ? とディアーヌ女神に言われる気がするわけで@@。でも、それは「黙示録」ってことでしょ? やばいんじゃないの? と思う。キリスト教にかぶれてる人は、すぐに「黙示録」とか「千年王国」とか言いたがるんだよね;、と思う。そうすると、別に彼らの考えに巻き込まれすぎる必要はないけど、あなたのことをそういう風に見ている人が大勢いるということも知っておくべき、と言われる気がするわけで。何が黙示録なのさ、細かな金勘定で必死なのに;、と思う。でも、CMの通り、「あなたは鬼がどこにいるか知ってるでしょ?」と言われる気がするわけで-;。さあ、そういうものは人の心の中にいるのではないのですかねえ? と思うわけですが-;。


そして、「世界の神話伝説体系」というすごい本があるわけですが。だいたい、日本の民話とか、1970~80年代に出版された本はものすごく多いわけで。それは私のための本であった気がするのですが。「神話伝説体系」は昭和2年に出版されたものであるので。本来は誰に読んで貰うための書物であるのか分かるはず、と言われる気がするわけで。それは、じいさんのことですねえ? と思う。見つけ出そうと思えば見つけ出すことはできたのかもしれませんが、能力のない者は結局は、自分が誰であるのかすら見つけ出すことあたわず、ということで。小学校の時に、今昔や霊異記を手にした。中学で「世界の民話」を見つけた。そして、じいさんの負債を代わって払うまでに、40年もかかりましたよ、と思うわけで-;。まあ、元はといえばじいさんの金だ、私は貧乏人ーー、と思うわけで-;。せいぜい頑張って金勘定したいと思います;。でも、読んでる暇は当分ないはずー;。



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混沌とはなんぞや?

雨がしとしとと降るような,晴れるような天気であって。午前中は、雨が降らないうちに買い物に出かけて、梱包用のテープとか買ってきて。お外組は、午後を中心にずっと作業していて。


私の方は、雨樋とか細々と書いていて。


本関連の方は、もうちょっと親にお願いして、追加で買う。私が買い戻さなければならない本の中で、「千一夜物語」は良い本、と言われる気がするわけで。なんで? 中東の人達の民話だから? と思う。「千一夜物語」は、妻に浮気されて女性不信になった王様が、若い女性を毎日召し上げては、一夜妻にして,殺して腹いせをするところから始まる。街中の人が困ってしまうわけですが、シェーラザードという賢い女性が、自ら志願して王の妻になり、寝物語に面白い話を聞かせるので、王様は続きが聞きたくなってシェーラザードを殺せなくなり、千夜それが続いたので、ついに妻を殺す気がなくなってしまった、という話で、物語の中に物語が入れ子のようになっている話である。なんで、これが良い話なの? と思うと、「それは、ハイヌウェレ型の信仰が基盤にある物語で、一人の賢くて勇気ある女性が、自らの知恵で残虐な祭祀を止めさせ、自らが助かるだけでなく、犠牲になるかもしれなかった多くの女性達を救う物語であるので。そのように、賢く生き抜いて、自ら生きるだけでなく、多くの弱者を救って欲しい、という願いが込められた物語だから。」と言われる気がするわけで@@。そのようにあれかし、という願いがこもってるんだなあ、と思う。


で、「中国の神話伝説」という本に取り組んでいるわけですが、序章だけで100頁もある大作なので。本文に入っても、一日に2頁くらいしか読めない-;。まあ、作業の合間に読むのだから、そんなに読んでばっかりでは困るわけですが。で、古代中国には、「渾沌」という怪物がいて、これが「中央の天帝であった」とされることから、「黄帝のことである」と著者は言い張るわけで。その論理の展開が良く分からないので調べて見て。「渾沌」とは、「混沌」のことである。この怪物が、他の本に出てくる「帝江」という怪物に似ていること、また別の本に「鴻(江)氏(黄帝)に渾沌という子あり」と書いてあったことから、「渾沌とは黄帝あるいはその近親である」という説があるらしくて。


「荘氏」という書物に「渾沌は、目、鼻、耳、口の七孔が無い中央の帝である。南海の帝と北海の帝と仲が良く、渾沌は彼らをよくもてなしていた。何回の帝と北海の帝は、渾沌の恩に報いるため、渾沌の顔に自分達と同じになるように、と七孔をあけたところ、渾沌は死んでしまったという。」とあるらしくて。「孔をあける」というのは、「破瓜をしないと一人前の女性になれない」という漁撈民の信仰を思わせるわけです。しかも、もてなした神々に殺されてしまうというのは、オオゲツヒメですよねえ? 「渾沌」というのは、中国版のハイヌウェレのことなんじゃないのですかね? サトイモ(あるいは月)だから、目、鼻、耳、口がないんじゃないの? と思う。


で、ふと気になって、親に「サトイモって分蘖して増えるのか?」と聞いてみたわけです。そうしたら、「親芋から子芋が別れて出てくるので、収穫したらバラバラにして、食べたり、一部を次の年に植えたりする。」と言われて。そうやって、勝手に分けつして増えるサトイモは、古代の人にとってよっぽど神秘的な存在だったのですかね? と思う。蚩尤が殺されて、バラバラにされる、というのは、子芋を分けることを、「手や足を切り落とす」って表現したんだよねえ? と思う。


きっと「破瓜をする」ということも、「子芋を分ける」ということと関連しているのだと思う。だけど、ハイヌウェレとオオゲツヒメなら、その関連性も分かりやすいのに、ハイヌウェレと天帝? と思うわけで。サトイモが天帝になってしまう、古代中国の壮大な神話に愕然とするわけですが。まるで、なぞなぞのようだ、と思う。そんなにサトイモが大事なの? 米よりもよっぽど重要だった? と思うわけで-;。


ということで、古代中国の神話を私に解説されたら、孔子サマに負けないくらい、独自の解釈ができそうである。でも、やっぱり古代中国の神話と、日本の神話は近縁性が高くて、比較研究出来得るなあ、と思ったのでした。渾沌とは、結局ハイヌウェレであり、オオゲツヒメなんである。黄帝が生きた人だとするならば、その子供とかが、「自分は渾沌の神のシャーマン(代理人)である」と言って政治を行った可能性はあると思う。今でも、サトイモの代理人の気分なんだろうか、とかふと思ってしまうわけですが;。


で、夜にはMステを見る。ジャニーさんの追悼特集ということで、亀ちゃんを筆頭に、キスマイ、Hi Hi JET&美少年で、最後にはSixTONES、Snow Man, Travis JAPANとJrのお歴々が総出演であって。滝沢君らしいというか、何かにかこつけて、大勢の直轄の味方を「生放送で結縁させようとする」手腕は見事であると思う。一応正式な婿候補の亀の子と、メンバーの中に王族が2人もいるSnow Manと、将来の幹部候補のゆうちゃんですかねえ? と思う。これからもお世話になります、と思うのでした。でも、番組が終わって、トイレに行こうとしたら、「セクシーなおっぱい万歳」って言われる気がするわけでー;。頑張って薄着して良かったよ、というか何というか-;。明日も頑張りたいと思います。



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