本日は、夕方に晴れているのに、夕立があって。お外組の仕事はそこで終わり、ということで。
私の方は、せっせと印刷をして。ともかく、書証の整理と言うことは、印刷して整理、の繰り返しなので、印刷の待ち時間が速度に大きく影響して。頭脳の方は、あまり使わないのですが。
で、中古の安い本を大量に買ったので、次々と届く。で、南洋の「ウナギの悪霊」に関する本もいくつか届く。印刷の待ち時間のお供に、「中国の神話」とかカイトリーとかちょこちょこと読んで。で、「中国の神話」には、ゲイ神話が詳しく書かれていて興味深く思う。ゲイとは、弓の名手で、太陽が10個登った時に、9つを射落とした、という「射日神話」の主人公である。ゲイは太陽を射た後も、中国各地の化け物退治に転戦する。そして、妻に逃げられて(というか死別か?)、後継者とみなされていた者に殺される。で、カイトリーも、丁度、古代ペルシャの英雄ロスタムの項を読んでいて。ロスタムとは、人の脳を喰う蛇王ザッハークを倒した、古代ペルシャの英雄である。でも、その最後は実の息子と戦って、殺してしまい、ロスタムは悲劇の内に死ぬ。そして、ロスタムもゲイも晩年は「不老不死」の薬を求めてさまよう。一方、ブリテンのアーサー王は、その最後は、息子(あるいは甥)と争って、「妖精の国」に治療のために連れ去られる。しかし、人々はイングランドに危機が起これば、アーサー王は戻ってくると考えていた。
だいたい、ロスタムっていうのは、アケメネス朝の「英雄先祖」のことですよねえ? ヒッタイト神話の、イルヤンカ退治のテシュブのことなんじゃん? と思う。でもって、ロスタムとは、ゲイのことですよねえ? どちらも、武術の名手で、たぶん弓の名手で、最後は悲劇である。要するに、こう考えるしかない。
蚩尤を倒した「黄帝」とは、中国の王朝の「英雄先祖」といえるけれども、元々の中原の人間というよりは、北方の遊牧騎馬民族出身の若者であって、武勇と知略に優れて、中原の名家に「婿入り」して、長江文明を滅ぼして、王となったけれども、おそらく、妻とはあまりうまくいってなくて、後継者とみられる男子と争って、殺されている。この「後継者」というのは、はっきりしないけれども、直系の息子、とうよりは、父親とは疎遠に育った庶子の息子、あるいは甥、あるいは弟、であると思う。黄帝は、良き王であったけれども、その近親の後継者は、長江付近の「人食い」の悪癖に染まって、かつ、暴君だった。「庶子の息子」というのは、そっちに生まれ育って子供、ということで。
要するに、「黄帝」というのは、印欧語族にとっては、精神的な「英雄先祖」であって、「黄帝」は中国本土では、神である「黄帝」、悲劇の英雄である「ゲイ」、お犬様の英雄「盤瓠」に別れたのだと思う。(なぜなら、狼トーテムの人間だから)その英雄先祖が、印欧語族と共に各地にばらまかれたから、黄帝も、ロスタムも、テシュブも、アーサー王も、「みんな同じ人」なんじゃないの? と思う。
だから、黄帝が、南方の思想に染まった「息子」と対立した時に、印欧語族全体も二つに分裂した。「父」の側につく人と、「息子」の側につく人と。要するに、「富の王家」は「父」の側についているし、「ローマ人」は「息子」の側についているのだと思う。でも、「黄帝」とは、魂の力が強くて、何度でも生まれ変わる人なので、昔の人風にいえば、「殺されても死なない不老不死の人」である。だから、「父と息子」は今でも戦い続けている。
要するに、私に対して、いろんな民話や神話を読んで、お勉強しろ、ということは、まずは東洋と西洋における「KB」の女神、「蛙の女神」の役割を知ること。それと同時に、もう一つ、「黄帝」を知って、何度生まれ変わっても結局「悲劇的な死」を迎えてしまうその青年の運命を変えて欲しい、それが亡くなった人の遺言です、と言われる気がするわけで。それは富の王家の悲願でもあるし、「世界の半分」の悲願でもあるのだと思う。えー、でも、持って生まれた性格は死ななきゃ治らないから、死ねなかったら治らないんじゃないの? とか、ごく冷たいことを言う私がいるわけだがー;。その兄さんは、あれこれ考え過ぎちゃわないで、もっと自分の気持ちに普通に素直になった方がいいですよ、あんまり6番目の子に焼き餅焼かないで、と思うわけでー;。
だいたい、私如きに何ができるでしょうか? ということもあるし、私の方が10も年上だから、どちらにしても私の方が先に死ぬし? と思う。でも、「父」と「不肖な息子」のどちらにつくのか? と聞かれたら、7番目の兄さんの方につきます。というか、もう一方についたら、殺されちゃうんじゃん?? ということで-;。できることがあれば、できれば良いなあ、と思うわけです。今日はなんだか、水曜日にお風呂に入っているときに、ふっと7番目の兄さんに「喪服は好きじゃないけど、こういうときはやむを得ない」と言われた気がして。それを思い出したのでした。
本日は、夕方から雨が降って。午前中は主に、お外組が買い物とごみ捨てに出かけていたので、外の仕事は少ししかできなかったのでした。昨日は、家人が歯医者に行ったので、同じ感じでした。
私の方は、月のモノが3日めになったので、やっと意識がはっきりしてきて。(1日目と2日目はぼーっとしてるので-;)で、裁判用の「お仕事」の方は、追加の書証の整理をしたわけですが、有象無象な資料が多すぎて、出したいモノがとっちらかってしまっているので、探すのに大変で-;。あとどのくらいで仕上がるかなあ? と確認中です。まあ、次は金勘定のことしか出す気がないから、あんまり書くことはないわけですが。書証が大量にあるのです。
で、どうも家人がイライラしている感じなので、裁判が近いということと、再び民話・神話学に片足を突っ込みつつあるから、いろいろと調べられることが嫌な人達がいるのだと思う。裁判の方は、例によって、「締め切りまでになんとかなるかなあ?」というところである。
民話・神話の方は、「女性差別と、その最たるものである寡婦殉死についての歴史を調べるように。」と言われるのであって。女性差別や階級差別の原因を探って、将来的にはその解決方法を探れるように、ということなのではないかと思うわけですが。そもそも、オーストロネシア語族の植物の豊穣の神話は、男女の性差があまりなくて、地上から上のものは男性、根菜は女性、(丈の低い植物も女性?)という感じであって。それを取り上げるのに、ハイヌウェレだけを取り上げて、「須佐之男とオオゲツヒメ」とか、そういう「女の人が殺される」ことばかりを取り上げて強調するのが、現代の「女性差別」なのだと思う。でも、西欧の方では、ドゥムジ、アドニス、オシリスと、男性が殺される神話もたくさんあるわけで、元は「女神だけが死なねばならない神話」ではないことは、各地の神話を見ればすぐに分かることなのです。
台湾あたりが発祥であり、漁撈民であるオーストロネシア語族の文化が、世界に伝播するには2つの系統があって、一つはインドネシア方面に拡がって、沿岸沿いにインド、中東、地中海と拡がったもの。もう一つは、中国沿岸を北上して、中国東北部辺りで、農耕や栽培が行われなくなった辺りの住人に、「豊穣の祭祀」のみが取り入れられて、遊牧民である彼らが馬に乗ることを覚えて、そこから中央アジアの草原地帯を馬と犬と共に西走してヨーロッパ方面に拡がったものである。シルクロードとしては「天山北路」とかに相当する道だと思うのだけれど、ここを通って印欧語族がクルガン文化を伴って、西欧に拡がっていくのに、2000~3000年くらいかかるわけで。おそらく、その「馬の道」の発祥は、遼河文明あたりだと思う。「竜」の発祥の地である、中国東北部に栄えた遼河文明は、ヒスイで作った「猪竜」が特徴で、これは猪の頭、蛇の尻尾を持っており、かつ馬のたてがみを持っていたりする。豚と蛇信仰は、遙か遠く長江流域に起源があるものですが、馬はそうではないと思う。農耕を行わない彼らは、牧畜が主な生活源であり、男性は、自らの富貴と豊穣のために、馬と女性を殺す祭祀を行っていたと思われます。特に、馬と女性が強く結びつけられていて、その辺りの民話や神話には、「女性が何の豊穣ももたらさず、(でも男には得になるような)男の都合で死ぬ」という傾向があるように思う。なんというか、個人的には「みんなのために死ぬハイヌウェレ」の方がまだマシ、というか、なんで個人的に男の都合に振り回されて、女の人が死なねばならんの? と思う。
オーストロネシア語族の文化の、ごく局地的な伝播経路として、台湾→沖縄→日本列島とあるわけで。でも、私が思うに、このミニ伝播経路で伝わった文化は、あんまり残虐ではないわけです。沖縄には、ウナギが悪霊とされるけれども、ウナギの機嫌を取るために誰かが死ぬ、という話は、おそらくあまりないのではないかと思う。日本で、このミニ伝播経路で伝わった伝承で、一番色濃く残っているのは、「ウナギを食べたら祟られて目が見えなくなった」という話があるので、これは「悪霊のウナギに頭を食べられた」とか、そういう神話の名残なのかなあ、と思う。でも、本土は、後に中国から入ってきている思想が混在しているので、「ぶつ切りにされて赤飯に変化するハイヌウェレ(ウナギ)」とか、いいんだけれども、そんな感じになっているわけで。どちらかといえば、ウナギとは、神というよりも「地震を起こして祟る神」というのが、本来の思想であって、「生け贄」は、その機嫌を取るためのもの、として後から付け加えられたものな気がします。
「馬と遊牧民の道」の方ですが、遼河文明には「緑色の目をした女神」の頭が祭られていた廟がありました。これは、その「頭」が守護の役割も果たしたのだと思います。しかも「緑色の目」をしてるのだから、モンゴロイドじゃなくて、白人の女神なわけです。そして、古代のギリシャ人は、神殿の守護として、「メドゥーサの首」を神殿に飾りました。目の色は分からないけれども、白人の神様ではある。そして、メドゥーサの切り落とされた首からは、ペガソス(天馬)が生まれた、とされており、その父親は海神ポセイドーンでした。要するに、メドゥーサとは、海神に馬の豊穣を願って殺された「女性」ということになります。ギリシャ人は馬の神話が好きで、ポセイドーンは、他にもデーメーテール女神に馬の姿で交尾を迫り、無理矢理馬の子を産ませて、それを怒った女神が隠れてしまった、という神話があるわけで。その一方で、北欧のワルキューレは空飛ぶ白馬に乗って戦場を駆け巡り、戦死者の魂を天上世界へ連れて行く役目を負っていましたし、ケルトの馬の女神エポナは、死者の黄泉路の案内人でもあったので。また、トラキアでは妻は夫の死後殉死して、夫と共に天上世界へ行くとされていて。要するに、印欧語族では、男性(特に戦士)が、死後天国に行くためには、女性と馬が必要であった、という思想があったと示唆される。だから、「馬に関する犠牲」と「寡婦殉死」は、密接に結びついているわけです。でも、ヨーロッパには、「馬のために女神が殺された」という話はあまりありません。そういう話は、痕跡を残して神話や伝承の上からも消えてしまっているといえます。その代わりに、ギリシャには、父親であるアガメムンーンの都合で、生け贄にされてしまう王女イーピゲネイアの物語があります。イーピゲネイアって誰のことですか? 「エポナのことでしょう。」と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。そりゃそうだ、同じ子音だ@@。と思うわけです。エポナとは「馬の泉」という意味もあるそうで、エポナは水に関する女神でもあります。
しかも、もっと大きな問題がある。印欧語族の神話の中で「神性」があるとして好まれるのは「白馬」だけれども、それは地中海周辺地域に到達して、そこで「より重要」と考えられている「牛」に変更されてしまった。「テュロスの王女として生まれたエウローペーは美しく成長した。あるとき、彼女を見たゼウスは一目で恋に落ち、彼女を誘惑するために自身を白い牡牛に変え、エウローペーが侍女と花を摘んでいるときに近づいた。そして白い牡牛を見つけたエウローペーがその背にまたがると、白い牡牛は海を渡ってエウローペーをクレータ島へと連れ去った。エウローペーが海を渡った西方の地域は彼女の名前から「ヨーロッパ」 (Europa) と呼ばれるようになった。」という神話があるでしょう。「白い牡牛」とは、本来「白馬」であったものです。エウローペーとは、エポナのことだ。「ヨーロッパ」全体が「馬頭娘」だぜ? と言われる気がするわけで@@。
馬と、女性の死が豊穣をもたらし神話の最たるものは、蚕の起源に関する「馬頭娘」であって、中国では明確に、女性の死と馬の関連がはっきしているわけで、女性は「蚕の豊穣」のために殺される「ハイヌウェレ」といえる。中国には、他に神話上の皇帝舜が亡くなった際に、二人の妻が湖飛び込んで殉死した、という話がある。
でも、蚕の話は、日本に「霊異記」に蛇との関連が示唆される伝承があるので、本来は馬ではなく、蛇と関連する話であった可能性が高い。馬頭娘は馬を飼うようになって、馬が重要視されるようになってから後付けで馬が加えられたものです。また、日本武尊の東征の都合で、海に飛び込んで死ぬ弟橘媛の伝承がある。東洋に伝わる、4つの伝承を考察する限り、ハイヌウェレ型の神話が古代中国に伝播し拡がる過程で、「物産の豊穣に関して女神が死ぬ神話」「夫に殉死して女神が死ぬ神話」「単に夫の都合で女神が死ぬ神話」の3つのパターンが東洋で発生しており、それが遼河文明を経て、印欧語族の西進と共に、馬と共に西欧に伝播し、遊牧民にとって馬が重要な動物であったことから、馬と強く関連付けられることになったもの。そして、この女神の名が「エポナ」とされたので、その名が「ヨーロッパ」という地名になるほどに、強く深く拡散したもの、と言われる気がするわけで@@。あまりにも、古い時代に拡散したから、ヨーロッパにおける神話は散逸してしまったけれども、原型に近い話が東洋に残っている。だいたい近所に「望月の駒」っていう話があるでしょう。女性を食らう「月の馬」ですよ、オオゲツヒメを殺す須佐之男か月夜見でしょ? と言われる気がするわけで@@。
これが、世界にはびこる、差別社会と階級社会の根源にある「神話」らしいのですが@@。「望月の駒」?? とか思うわけで。でも、西欧における、馬の神話を探るには、辺境の地である、アイルランド、スコットランド、イングランド、北欧と特例的にギリシャの神話・伝説を洗って学ぶしかない。エポナこそが、ヨーロッパで最大の「月の女神」なのです。ヴァティカヌスですら、その名前を消し去ることができなかった権威ある太母です、と言われる気がするわけで@@。女性が馬の犠牲にされる祭祀は、印欧語族ではごく早い時期に廃れてしまって、むしろ「白馬」の方が犠牲とされることの方が多い。男尊女卑が著しいインドにおいてすら、馬の供犠は古代からの重要な儀式でした。特に王権を支えるための儀式として重要だった。しかし、この「白馬」とは女性なのか? それとも男性なのか? と問われる気がするわけで。女性であればエポナ、男性であればその夫である海神、ネプトゥーヌスかマナナン・マク・リールとかになるのですかねえ? と思う。
しかし、ともかく、ヨーロッパの馬の太母エポナは、ゾロアスターの世界では、アナーヒタ女神へとその性質が大きく取り込まれるわけで。「だいたい、アルテミス・ディアーヌの名を持つ者はエポナの名前を取れないんだよ。そもそも、エポナの男性形の名前が、何だか分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。それは、「シヴァ」では? と思う。シヴァの乗り物も、「白い牡牛」だし@@、と思う。「エポナにシヴァっていったら、蛙黽の名前を持つ者にしか、取れない名前でしょ。だいたい、だからエポナは小さな泉の女神なんじゃないの。蛙黽の女神は、小さな泉の中でケロケロ鳴いているのがお似合い。」と言われる気がするわけで@@。
要するに、エポナ・アナーヒタとは馬乗りの印欧語族にとっては、根源的な太母であるけれども、東洋では単なる「生駒姫」に過ぎない。くだらない夫に殉じていないで、自分達の方に出てくるように。あなたの「夫」である海竜王が待っている、と。西欧の人達はそう言いそうである。そして、階級差別と女性差別がはびこる世界をどう変えていったら良いのか、考えて欲しい、と言われそうな気がする。でも、まずは自ら「馬頭娘」の呪いを解かないといけなわけだ。だから、「絹」がそもそも、我が家には危険な代物なんじゃないの? と始めて思うわけですが。
本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。でも、午後は天気予報の通り雨が降っていて。
私の方は、書証のまとめに入って。あとは、設計関連のものをいくつか出す予定であって。今日は、A3に印刷しなくてはならなくて、大変なものを纏めていて。なんだか、日記の印刷ばっかりで、書証の纏め方とか忘れちゃったし、と思うので、思い出しながらのんびり作業して。
で、朝方はなんだか夢を見て、なんだか蛇の兄さんと二人で仲良くご飯を食べている夢で。で、目が覚めて、なんとなく6番目の子のことを思うわけですが。7番目の兄さんには、「須佐之男と大国主の神話ではないけれども、舅である自分の反対を押し切ってでも大事な娘と正式に結婚したいというのであれば、それ相応に働ける男であることを見せて貰わなければ。」と言う気がするわけで@@。どうも、なんだか、「ワイルドスワン」の中に、中国の農村で、婿をこき使って意地悪して自殺に追い込んだ舅の話があった気がするわけですが、どうも、それを思い出すわけでー;。もうちょっと丸いやり方はないのだろうか? と思うわけですが-;。
で、昼寝している時にも夢を見て。なんだか人が大勢いるところをうろうろしていて。うろうろしていたら、ソファーみたいな所に、JUMPの有岡君が座っていて、その隣が空いていたので座らせて貰って。で、有岡君が何か食べていて、「これ、食べる? カレーがおいしいよ。」と言って、食べているものを渡してくれたのですが、それがカレーじゃなくて、ラーメンであって。私の隣に座っていた知らないお姉さんが、それを横取りしておいしそうに食べていたわけですが、「言っていることと実際と違う??」と思って。目が覚めたら、ふっと、「いろいろと思ってもいないことを言っても、一番妻神のことを狂おしい思いで思っているのは、7番目の兄さんです。」と言われる気がするわけで。
で、午後作業をしながら、嵐の宮城でのライブのDVDを見ていたら、6番目の子に同情している人達が多い気がして。大野君とかには、「目の力が強いというだけで、何をしても許されると思うのか?」と言われる気がするわけでー;。4番目の子には「失敗からなに一つ学べない者は、同じ失敗を何度でも繰り返す。」と言われる気がするわけでー;。それが、4番目の子が、7番目の兄さんと組まない理由なんだろうなあ、と思う。大名家の関係者は「高師直の失敗」に対して批判的な人が多いから。実際、7番目の兄さんの考え方は、中国人が伝統的に「婿を取る」ときに考える考え方なんじゃないか、と心配になるわけですが、「7番目の兄さんが中国人的な考え方をしているわけではない。多くの伝統的な中国の文化が、その人の思想を基盤にして成り立っているだけ。」って言われるだけだから、手もつけられない気がするわけでー;。
で、今日の「うたコン」には、キスマイの兄さん達が出ていて。最後に玉ちゃんに「結局、政治的な丁々発止の駆け引きができる者は7番目の兄さんと、4番目の子しかいないので、最後には何でもその二人が協議して決めることになるでしょ。そして、4番目の子は、決して6番目の子のことを見捨てないでしょうから、あまりいろんなことで気に病みすぎないように。」と言われる気がするわけで。まあね、私は結局無力だ;、と思うわけで。
で、印刷作業が多かったので、印刷しながらパプア・ニューギニアの民話を真面目に読む。で、どこを読んでも割と人が死ぬばっかりでちょっと辟易とするわけですが、中に「祭祀の時には、昔は、兄弟でも妻でも、当たり前のように殺して食べた。」とあって、その平易さに戦慄するわけで。でも、いろいろと調べて分かったことですが、彼らはたぶん一番古い時代には、魚を神としていたと思う。それが、蛇へと変わり、一部では亀とか水性の生物にも変わるけれども、更に「ウナギ」へと変わっているわけで。ウナギを食べると大津波が来る、という話がバヌアツにある。フィリピンには、ウナギが地震を起こす、とある。また、ハイヌウェレ神話では、ウナギとハイヌウェレが同じものである、ともされているという。また、インドの神話では、大洪水の際に人を助けるものは魚の神である。古代メソポタミアでも人類を大洪水から救うのは、半人半魚の神エンキである。台湾では、大洪水を逃れた人類から最初に生まれたのは蛇や蛙であった、とされている。要するにあれだ、魚や蛇やウナギは漁業の豊穣に関するだけでなく、地震と大津波を起こす神でもあるわけだ。怒らせると、大洪水を起こすけれども、そこから人類を救うことができる「神」でもある。でも、これが内陸の話になると、「大洪水」の原因は、地震ではなくて大雨ということになる。だから、大雨をもたらすものが、大洪水をもたらす神となる。だから、海の洪水をもたらす神が、そのまま内陸に適用されて、魚や蛇やウナギが洪水をもたらす「天候神」とされている。だから、もう分かると思うけど、富の王家が「セグロウミヘビ」を祖神としているのは、それがそのまま彼らの「大洪水を起こし、かつ人類を大洪水から救う神」と同じものだって知ってるからでしょ。「神聖四字」の正体は「ウナギ」でしょ、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで@@。(古代の日本人はウナギのことはウミヘビだと考えていたわけで)
で、日本の民話を見てみても、ウナギを食べようとしたら祟りがあった、とか、ウナギを食べようとして腹をさばいたら、そこから赤飯が出てきた、とかそういう話があるわけで。赤飯を産み出すハイヌウェレがウナギなんだ?? と思うわけで-;。だから、ウナギを聖なるものとみなして、食べてはいけない、とする地方もいくつかはあるわけです。そういうところでは、だいたいウナギは「水神様の使い」とされているわけで。ウナギをせいぜい、「水神様の使い」としておくのと、「天なる父神」とするのとでは、どちらが正気だと思うか、と7番目の兄さんに言われる気がするわけで-;。だいたい、こういう思想が変だと思うから、その「狂気」を正すために人々は研究を重ねてきた。そして、「生と死」の区別もつかず、親兄弟でも平然と食べ物としかみなさない「狂気」が一番著しいのは、「ウナギ」と「芋類」と「タケノコ」と「人肉」を食べる地域、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの民話集もいくつか手に入れたわけですが、特に「生と死」の区別がつかず幻想的なものはフランスに多い気がする。また、イタリアは、生け贄の儀式が「人道的ではない」という理由で、生け贄用の奴隷を互いに殺し合わせて見世物にしていたわけで。生け贄というのは、本来は聖なる儀式のはずで、生者の豊穣を得るために、死にゆく者に敬意が払われなければならないものであるのに、それを娯楽にするということは正気の沙汰ではない。古代ローマの享楽と退廃の狂気の様子は、あなたも知っているはず、と言われる気がするわけで。人が、最低限他者に持つような敬意を失ってしまい、欲望にのみ貪欲になり、生と死の見境もなくなるような状態になる狂気、そういう地域は「ウナギ」を食べる、と言われる気がするわけで@@。食べれば食べるほど、欲望に貪欲になり、他のことを顧みられなくなる「食物」というものがある。「ウナギ」も危険だし、芋類は、ヤムイモ、タロイモ(サトイモ)、サツマイモ、キャッサバの順に危険、と言われる気がするわけで@@。それで、そういうものを食べちゃいけないんだ?? と思う。
で、夜に、ふっとDVDを見ようと思ってテレビをつけたら、ちょうど「NEWS ZERO」をやっていて、有働さんに呼び止められて。とある人の訃報のニュースが流れてた。どうも、最近ちょっと気になっていたわけですが、ジャニー喜多川氏が亡くなったら、事務所はどうなるんだろう? と思って。若くて、新社長の下で働いている人達はそのまま残るかもしれないけれども、古くからの人で新社長にあまり義理のない人達は独立してしまうかもしれない、と言われているし。嵐の5人は、「新社長の子飼い」と表向きには言われているから辞めたりはしないと思う。でも、ジャニーさんに直接指導を受けて、今の地位を築いたKinKi-Kidsはどうなる? 特に剛君は健康状態も心配であって、社長が替われば、事務所に強く義理立てしてまでバリバリ働く必要がない、と言えば言えるかもしれないし、と思う。ニュースにちらっと、東山さんが出て「もし、7番目の兄さんが事務所を離脱することになれば、自分の命と引き換えにしてやっているような危険な仕事からは手を引くことができます。」と、本当にふっと言われる気がするわけで。まあ、私には先のことは分からないわけですが。でも、6番目の子のことで、7番目の兄さんに対して、あまり強いことを言いたくない、言えない気持ちの中には、7番目の兄さんこそが、妻神の再側近の地位を得るために、誰よりも命の危険が高い仕事を日々当たり前のように引き受けているからだって、目の当たりにして知ってるからですよ? と思う。それは、やる方も、見る方も、正気の沙汰の話ではないと、個人的には思う。7番目の兄さんには、「そう思うのであれば、鈍感と飽食の狂気を誰がもたらしているのか考えるように。そもそも、タピオカ(キャッサバから作るもの)なんて、日本人には食べる必要がないものなのに、わざわざ流行らせて、人々を意図的に狂気に陥るように裏で糸を引いているものは誰なのか?」と言われる気がするわけで。我が家もまだまだ石だらけで、正気を保つには厳しいわけですがー;。とっといた方がいいものだけとっといて、出しちゃおうかな-;。まあ、土建屋の従兄弟がなんて言うかですが-;。
本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。昼間、家の近くでアスファルトの工事をしていて、ちょっとうるさかったのでした。
私の方は、日記関連のまとめが終わって、他の証拠なんかを確認して、整理して。今日はのんびりと作業していました。
で、「高校の時に持っていた本、持っているべきだった本を、早急に買い戻すように。」と言われる気がするので、あちこちの中古の本を買って。で、古栽培民であるところの、オーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、太平洋)の神話や民話をちょっとずつ読んで、「ウナギ」がけっこう重要な存在であることを発見する。そして、「ウナギ」が神になる以前は蛇が重要であったらしくて。そして、ニューギニアの民話の中に、「尻尾を切られた蛇が、女性器の中に潜り込んで、月経が始まった」という話があって。月経というのは、女性の生殖の豊穣と関係があって、これがあって「一人前の大人」といえます。これもないのに、結婚しても、子供はできない、というか、そういう点では月経が来ないうちに性交しても、意味がないといえる。だから、普通は肉体的にも「一人前の大人」になってから結婚するわけですが、でも「蛇」というのは男性器の暗喩でもありますから、「蛇」が潜り込んで、女として一人前になる、ということは、そうなってから結婚する、ということ。すなわち、「婚前交渉」の存在が暗喩されますよねえ? と思う。要するに、夫以外の「特定できない相手」との関係が示唆されるし、この場合、その正体は「神」とされて、人間の個人としては特定されないことを現すのだと思う。「人間の夫」は、それとは別に存在するわけだから。そして、この場合の「婚前交渉」とは、「女性が一人前になるためのもの」とみなされるから、一般的な浮気というよりは、儀式的なものとみなされますよねえ? と思う。ハイヌウェレ型の神話とは、単に「若い娘を芋の豊穣のために生け贄にする」だけの話ではないですよねえ? その儀式には性的な側面が必ずあるはず。若い娘は、「一人前の大人」になってから殺されるのでなければ、豊穣をもたらす存在とはなり得ないはず、と思う。そうしたら、7番目の兄さんに「だから、西日本には「夜這い」の風習が強いんでしょ。」と言われる気がするわけで@@。漁撈民の文化が強いところでは、婚前交渉は、風俗として当たり前、というよりも、神話的に「なくてはならないもの」なのですかねえ?? と思う。それで、日本霊異記に「若い娘が桑の木に登っているときに、蛇に犯されて、蛇の子供を身ごもり死んでしまった」という話があることを思い出して。桑の木が出てくる、ということは、桑と蚕の豊穣の神話のなごりであることが示唆されますが、生け贄の娘は殺される前に神(蛇)と交わらないと、桑や蚕の豊穣はもたらされない、と、そういう話の崩れですよねえ、これ、と思う。(霊異記そのものは、仏教説話集だから、生け贄を肯定するような生臭さの極みの物語からは遠く内容が改変されてはいるわけですが-;。)これは、そのまま黄河文明での、馬と娘の物語の「馬頭娘」につながる話であると思う。本来の「蛇の神」が「馬」に置き換わったのみで、「馬の皮」が大活躍するのは、「蛇の脱皮」を意味してるのだと思う。だから、「馬頭娘」もれっきとした「ハイヌウェレ」ですよねえ? と思う。
昨夜もなんだか夢を見て。蛇の兄さんが結婚の申込みに来る、とかで挨拶に来て。それで、なんだかうちの親にひっぱたかれていて@@。「あれー」と思ったのですが、なんとか無事に挨拶が済んだら、最後に7番目の兄さんが登場してニコニコしながら「結婚おめでとう」と言うわけで。6番目の子の姿が見えないので。「6番目の子は?」と聞いたら、「その人には外回りの仕事をして貰ってるから。」と7番目の兄さんに言われる、という夢で。「これはもう、妻神のそばから徹底して6番目の子を排除する気だー。」と思ったわけですが。7番目の兄さんは「身分違いの結婚をしたいと言い出さないだけ、4番目の子の方がまだマシ。」と言う気がするわけで-;。「NEWS ZERO」を見たら、嵐が出ていて、潤ちゃんがなんだか、とても悲しそうな顔をしている気がして。「ごめんーー」と思うわけですが、7番目の兄さんに首根っこをつかまれて「絶対に逃がさへん」と言われる気がするわけで@@。4番目の子と「その人、妻神のそばから徹底して6番目の子を排除する気だー。」と言い合ったわけですが-;。
本日も天気は晴れで、お外組は外で作業していたのでした。親は今日も砕石の整理をしていて。最近はオナガがちょくちょく姿を見せるようになりました。
私の方は、あんまり作業が進まなかったかも-;。でも、資料の整理も、あと少しです。で、設計関連をもう少し足せば、残りは主張書面を書くだけ、となります。
昨夜は、寝ようとしてウトウトしたら夢を見て。なんだか、4番目の子と、薄暗い部屋で、2人きりで仲良くHする、という夢で。目が覚めて、「今日9時間も生放送で、翔君を見たしなー。」と思う。4番目の子とだったら、お互いにあんまりうるさいことを言わないで、のほほんとした夫婦になれる気がするわけですが。後の人達は、いい人達だけれど、個性的過ぎて、気性が激しすぎる気がするわけで-;。で、なんだかだるいような一日であったので、作業はあまり進まず。夕ご飯の時に「アオハルTV」見ていたら、勝利君にふっと「七夕に良い夢見たでしょ?」と言われた気がして。そう言えば、7月7日かー、1年に1度、離ればなれになった夫婦が再開して睦まじく暮らす日ですねえ、と思う。それで、みんなで気を遣って、4番目の子と仲良くする夢を送ってくれたのかな、と思う。なんだかんだ言って、みんな、私が4番目の子のことを一番好きだと思ってるのですねえ、と思う。なんだか、嬉しかったです。どうも、ありがとうー、と思う。
で、寝る前に、もうちょっと買い足しておいた方が良い民話とかの本がある、と言われてチェックしていて。そうしたら、いつの間にか「デカメロン」とかチェックしている自分がいるわけでー;。蛇の兄さんには、「そういうのを読んで、もうちょっと頭を柔らかくした方がいいよ。」と言われる気がするわけで。デカメロンかー、ちょっと創作が入りすぎていて、「民話」とは言い難い気がするわけですが-;。暇があったらね、と思うわけです。