本日の日誌

ええと、文章を出し終わったと思ったら、またまた「あれも書け」「これも書いとけ」と言われる気がするわけで@@。


法律に疎くて、至らない素人で申し訳ございません、というか、本訴の準備書面は、どちらにしても出します。なぜなら、「訂正しなきゃならない誤字がけっこうあるから」ってそういうあんまり褒められない理由なのだけれどもー;。


あとは、「将来の給付」がどうたら、とか言われる気がするわけで。ダンディなおじさまに、色々と言われる気がするわけで。なんというか、事実上、担当裁判官が弁護人も兼ねてるの? という気もしないでもないわけで。ともかく、大名家のおっちゃんが異様にはりきってる、と言われる気がするわけで。いろんな人から、むしろ、「大名家の思惑に乗りすぎないように」と言われる気がするわけで。


大名家のおっちゃんの思惑はだいたい分かるわけでー;。その人は、蛇の兄さんを廃して、私に単独で諏訪神の名前を取れ、ってお腹の奥底では思っていそうである。そうすると、東国での富の王家の力を削れるだけ、削れるから-;。どうりで、富の王家のおっちゃんから、「何が何でも蛇の兄さんを貰ってくれ」って泣かれるわけだ、と思う-;。立場は富の王家のおっちゃんの方が上なのだけれども、誰がどう見ても、気が弱いのは富の王家のおっちゃんの方だから。私の同類項の大名家のおっちゃんには、ほっとくと押しまくられてしまうらしくてー;。どこの家も、本家と分家の仲は悪いようで。自分ちのことも、人んちのこともあんまり言えないわけですが。最近は同族外から応援してくれる人達も増えてきたので、新参の人達からは「上が揉めると、下の自分たちが困る」と言われてしまうしー;。7番目の兄さんからは、「どちらにも加担しすぎないように。大名家にも富の王家にもしがらみの少ない、蛙の目の臣下をもっと側近に登用するように。」とか「家中にもめ事は起こさせない」と言われてる気がするわけで。


だいたい、思うわけですが、嵐には日テレがついてる。一方、7番目の兄さんが、妻神に強力にアプローチしようとしたら、NHKとフジを使わざるを得ない。なぜなら、日テレの上の方には、大名家の息がかかってるから、富の王家よりの7番目の兄さんは、少なくとも6番目の子よりも優遇はされない、とそういうことだよねえ? と思うわけで-;。訴訟におけるブレーンも、大名家の側から4番目の子、富の王家の側から7番目の兄さん、ってなってるんでしょ? と思う。ともかく、吉と出ようが、凶と出ようが、蛇の兄さんと結婚するのが、「家内安全」的には鉄板なんじゃないの? と思う。というか、大晦日にはジャニーズカウントダウンじゃなくて、感謝祭の方を見るんで。要は結局、そういう問題でしょ? と思う。そして、「蛙の目」の人達であるまっすーとか、ABC-Zの良ちゃんの中立的な意見を大事にするように、ということなのだと思う。


まあ、金は取れなくて、却下されても良いわけですが。家内安全は大事ですー;。6番目の子は可哀想だけど、家内安全の維持は7番目の兄さんの役割だからねー;。そちらが優先です。


でも、「将来の給付」たって、部分的でしょ? 純粋な遅延損害金は既に派生している。瑕疵担保について、何をどう書くか、でしょ? と思う。それだけのことです。



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本日の日誌

ええと、また裁判所に行ってきました。これで、訴状関連も出そろった、ということになります。私を当事者から外したがった皆様、嫌がらせ、お疲れ様でした、みたいな感じであって。そもそも、敵の弁護士が出してきた、書証とかが中身も出鱈目だけれども、そもそも体裁も証拠としてなってない、というか出鱈目なわけで。書記官が、こちらの出す証拠の出し方とかにはいろいろとイチャモンみたいなことを言ってくるのに、証拠の出し方をしってるはずの弁護士のやることはスルーという、例によって「最初から再審請求モノ」の裁判なわけだから-;。再審のことを考えて、「苦情は準備書面で書くべき」という主義のあたくしですので(東京で、こういう技だけは覚えてきたともいうわけですが(汗))、一言書いておいたら、大分書記官がおとなしくなりました-;。だいたい、そもそも、書記官が「当事者の出す証拠」について、「あれがいる」とか「これがいる」って言うこと自体、不当裁判でしょ、と思うわけで。しかも、記録の閲覧についても、大嘘を平気でついていたし。


というわけで、言うべきことをちょっこっとだけ書いて出したわけで。で、担当の裁判官が「足立」という人なわけです。あんまり、長野県では見ない名字かも?? と思う。まあ、ああいう人達はいわゆる「転勤族」だよね?? と思うわけで。そうしたら、7番目の兄さんに「家の近所に、その名前の神社があるでしょ。」と言われる気がするわけで。「そういえば、あったね。」と思う。というわけで、そこの祭神を調べてみたら、「五十猛(いそたける)」という名前の神様が出てきて。木の神様、というか植樹の神様であるらしくて。紀州が本地であるらしいのですが。林業全般の神様でもあるらしくて。「安達の守が五十猛だから。」と言われる気がするわけで@@。だから、地裁へ行ったら、その帰りにそこへ寄って、Holgaで撮ってくるように、と言われる気がするわけで。まずは、裁判所で安達の守と勝負したわけですが、嫌がらせに負けずに準備書面に異議申立をしたためて出したので、「勝った」ことになって、相手の正体がばれたらしくて@@。「そういうこと?」と思う。でも、長野県では、五十猛は諏訪神と縁が深くて、だいたい一緒に祀ってあることが多いので。むしろ、東国に名高い関東武士の名家であって、大名家の配下の安達氏の関係者だよね、その人?? と思う。というわけで、例え味方でも、相手の正体を見破るには、勝負しないといけないらしくて。夕方になったら、ふっと、担当のお姉さんから、「書類に係属係が抜けてる」と言われた気がするわけで@@。そういえば忘れてた、というか、事件番号だけ書いておけば識別できるでしょ、というか、「早く言って」と思うわけで-;。次からはちゃんと書かせていただきますとも?? と思う。今回は証拠の体裁を整えるのに、全精力を使ったので。それが最大の「嫌み」だと書記官室では思ったらしいです。まあ、そうなんだけれどもー;。訴えの内容そのものは、まあ、認められても、られなくてもいいのだけれども、最終的に「今現在も工事中であって、その工事の内容の責任は工務店と監理設計士にある。」という主張に包括的にリンクしていければ良いわけです。というか、そう言われる気がするわけで。「いつか、どっかに書いておきます」と思う。


というわけで、一息つける間に年末の準備、ということで。ともかく、「録音資料」を証拠に出さなきゃ、ということで、提出までにさんざん苦労したわけですが、ともかく、「裁判所関連のものは全部送ってよこせ」と言われてる気がするわけでー;。「それを送って貰わなきゃ年が越せない」とかってせっつまれる気がするわけでー;。そうすると、録音したものも送ることになる。そうすると、兄さん達は晴れて「生まれて初めて妻の声を聴くことができる」ということらしくて。それで証拠として出せ出せって言われたんだ? というか、敵からは「出すな」ってさんざ意地悪されたわけでー;。別にそんないいものじゃないよ? と思うわけですが。今年は、自撮りが出来るカメラも買ったし。まあまあ、頑張って送ろう、と思うわけです。


で、最近は地裁に行くときに、権堂を歩いて通り抜けて、徒歩で行っているわけで。権堂は今では長野市随一の歓楽街、みたいになっているわけですが、古い町ではあるのです。そもそも、その地名の由来は、平安末期から鎌倉時代初期にかけて、戦乱で焼けてしまった善光寺を再建するために、源頼朝が本尊を権堂にあるお堂に移して、「仮のお堂」のことを「権堂」と言ったのが始まり、ということで。そのお堂の横には、「九頭竜弁天」を祀った神社があるので、元々そのお堂があった場所も地元の人の聖地であった、と思われるわけです。


そもそも、善光寺周辺の、今の長野市街地のかなり広い範囲を昔は「水内郡芋井」と呼んだわけです。現在の「芋井」という地名は、善光寺の北西の山間部の一部を示すわけですが、古代にはその地名はもっと広い範囲を指していたわけ。で、芋井の更に奥の戸隠にも「九頭竜社」があるわけで、そもそも「九頭竜弁天」とは中世における戸隠信仰のご神体でもあるので、おそらく縄文往古の古い時代、竜神の化身の勾玉なんかが尊重されていた時代には、善光寺平に住む人々は、女神である九頭竜を祀っていたのだと思うわけです。それは、犀川・千曲川という二つの大河があって、しょっちゅう氾濫を起こすから、ということもあったと思う。そこに、水稲耕作を行う人々が八坂刀売信仰を持って入ってきて、灌漑、治水、開拓を行って田んぼを作ったから、先住の龍神信仰と八坂刀売信仰が一体化して、戸隠的「九頭竜信仰」ができあがったのだと思う。「芋井」という地名の「芋」は「妹」という言葉に通じるのだと思う。諏訪神の「妹」である八坂刀売に対する信仰です。だから、戸隠だけでなく、そもそも善光寺平の広い範囲で九頭竜が信仰されていて、そこに八坂刀売信仰が習合しているのだと思う。そこに、再後発である「善光寺信仰」が加わっているわけです。だから、仮のお堂といえど、元々地元の人々の聖地であった「権堂」にご本尊が移された、というのはちゃんと意味があることなわけ。そこもまた、「善光寺平の信仰の中心となる聖なる場所」だったのです。


で、林業の神様「五十猛」には妹の女神がいて、「大屋津姫命(おおやつひめ)」というわけです。これも植樹の女神であって。でも、「屋(や)」という言葉は「八(や)」にも通じますよね、大屋津姫命というのは八坂刀売のことなんじゃないの? と思う。それで、芋井にある神代桜のことを思い出したわけで。これは、神話の時代に、須佐之男命が全国に桜の木を植えて歩いた桜の生き残りで、ご神体は八坂刀売である、と言われているわけで。一方、植樹の神々である五十猛と大屋津姫命は、須佐之男命の命を受けて、全国に木を植えて歩いた、という神話があるわけで。大屋津姫命と八坂刀売が同じものなら、神代桜は須佐之男命が直接植えたもの、というよりは須佐之男命神話に関連した八坂刀売が直接植えたもので、八坂刀売(あるいは大屋津姫命)の化身、ということですよねえ? と思う。では「五十」というのは何? と思うわけで。そうすると、それは水とか、植樹に関する神の数字で、「八」が軍神を象徴する数字だとすると「五」というのは、それよりも格下で、産業に関する数字になる、と言われる気がするわけで@@。だいたい、「伊勢」という言葉が「五十」ということでしょ? と言われる気がするわけで。「いせ」とか「いそ」ってそもそも、「五十」のことなんだ?? と思う。だから、同じ太陽女神でも、産業(機織り)とかに関わる時の数字は「5」になる、と言われる気がするわけで@@。逆に、太陽女神でも、軍神のときは「8」なんだ? と思う。それで、生きた木を植える木の女神が、大屋津姫命であるところの八坂刀売であるとすると、家の地下に埋まっている「死んだ木」は「死んだ八坂刀売」のことで、「お前が死んで家の基礎になってしまえ」ってそういうことなの? と思う。


話を権堂に戻すと、今権堂で有名なのは、通りの一番東にある秋葉神社の勢獅子(きおいじし)であると思う。この暴れ獅子の獅子舞は、江戸時代辺りから始まったわけですが、今では商店街の象徴みたいにもなっていて、のぼり旗にも刷られてる。そもそも秋葉神社自体が、死んだ「太陽神」の神社であって、縁起があんまりよろしい神社ではないわけですが、何故かこの神社では獅子舞がないときでも獅子頭がこれみよがしに飾ってあって。それを見てると、首だけしかない饕餮と、体だけしかない蚩尤のことを思い出す。獅子舞の獅子の如く、二人とも「中に入っている人」に操られて、踊らされて暴れてるだけだ。首だけの獅子頭を見て、色と欲と金にまみれた歓楽街を見て、そこを通る度にいつも思う。そこは、元々九頭竜の聖地であったはずなのに、誰が汚くて穢れた街に変えてしまったのか、饕餮も蚩尤も元々は神であったのに、誰が首だけの化け物と体だけの化け物に変えてしまったのかを思う。そして、神とは何なのか、医者とは何なのか、とも思う。私はそのどちらでもあるはずなのに、その二人ですら救えない。彼らに何が必要であるのかは、学生時代から分かってたはずなのに、と思う。それどころか、自分のことで手一杯であって、私もまだ呪いの全てからは逃れきれていない。裁判用の書類の体裁を整えることですら、一つ一つ勝負に勝っていかないと、自分からは気がつけない始末だしー;。


ともかく、今掘っているところの土が汚すぎるわけです。土にアスファルトが砕いたものが混ぜてあって、目立つところは捨ててしまうしかないけれども、全部は捨てきれないし、どうしようもない。結局、「ある程度」で妥協するしかなければ、その代替として、「今以上に家に木を増やさないように」と言われる気がするわけで。ある程度大きくなる木は、今以上に植えられない。生きるためにはそうするしかない。でも、植えてはいけないのは、草花よりも大きくなる木、ということで、実は家の中に「木」はたくさんあるわけで。ヒソップとかタイムとか、「木」なわけです。実は。だから、兄さん達に「私の木」とは何ですか? と聞くと、家の外では「桜」、家の中では「ダビデの花」と南の人達が呼ぶ「ヒソップ」と言われる気がするわけで。それは、抗炎症作用のあるハーブで、慢性関節リウマチの薬としても使われたことがあるらしくて。軽度のものであれば効果は期待できるかもしれない、と思う。ダビデの名前は「饕餮」にも通じる名前だし、紫色の花は、軍神の象徴だよねえ? と思う。では、九頭竜は? と思うと、「家にsnap dragonって、竜の名前の花があるでしょ?」と言われる気がするわけで。金魚草かー、それも半草半木の植物なんだよねえ、と思う。


というわけで、夜には「NEWS ZERO」を見る。4番目の子には、「係属係を書き忘れるくらいいいでしょ、どうせ田舎の小さい裁判所で、民事部も1個しかないんだから。」と慰めて貰ったわけで。まあ、そうなんだよね、東京地裁は民事部だけで10以上あるからねえ、と思うわけですが。兄さん達は、私には甘くていいなあ、と思う。裁判も、これからが本番なので、頑張りたいと思います。というか、録音の証拠を出したので、それを聞いた人は、私は「猫なで声を出しているときほど、怒っててやばい人間」だと思ったらしくて-;。大名家のおっちゃんとそっくりな性質って言われる気がするわけで-;。まあ、親戚だからね、一応ね? と思うわけですが。だいたい、性格のど悪い親戚ばっかり目白押しなのに、私だけとってもいい性格の人になるわけないじゃん、遺伝の力は恐ろしいのだ、と思うわけです-;。



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本日の日誌

少しずつ文章を書いております。


年末は歌番組の特番が多いのであれこれ見ているのです。だいたい、日テレの番組があって、FNSがあって、Mステスーパーライブがあって、紅白というのが例年の流れな気がするわけで。で、ちょっと前に「SONGS」で、光一君のミュージカル特集をやっていたわけです。で、ナイツ・テイル(騎士物語)の曲を何曲もやっていて。どうやら、「ナイツ・テイル」というのは、アーサイト(光一君)とパラモン(井上という人)という二人の従兄弟同士の騎士が、余所の国のお姫様であるエミーリア姫に恋してしまい、争う、という話らしくて。「SONGS」で、光一君が


「偽りの姿で、どうしたら愛を語れるのか」


とかって、歌っていたあたりから、「意味深だー」と思っていて。で、最後はアーサイトがお姫様と結ばれて、パラモンは他の娘が好きになってそちらと結ばれて、めでたしめでたし、という話なのだと思う。で、パラモンの相手役の女の子が、上白石萌音という子で、この子と、井上という人と光一君が「FNS」にも出ていて。「FNS」の方は、年末の歌番組に相応しい華やかな感じで、光一君と井上という人だけではなくて、最後に萌音ちゃんもステージの上に呼ばれて歌っていて。それを見て「こちらにはお姫様役の人がいませんねえ」と思う。


7番目の兄さんには、「この演出がどういう意味か分かるでしょ?」と言われる気がするわけで。要するに、アーサイト(光一君)が好きなお姫様はその場にいない、ってことですよねえ? と思う。なぜなら、お姫様は、「桃太郎をやれ」って言われて忙しいから、と思うわけで(苦笑)。助けに来てるれる正義の味方のマリオを待ってるピーチ姫じゃないんだ?? と思うわけですが-;。


ともかく、7番目の兄さんの言いたいことは分かる。そこにいる、「偽りの姿」でも、好きな人と愛を語りたいのだと思う。でも、ナイツ・テイルは今年の舞台なので、準備とか合わせたら2年くらいかかったものなんじゃないの? と思うわけで。7番目の兄さんは、「FNS」をやりたくて、この舞台を頑張ってきたんだなあ、と思う。なんだか、兄さんのやっていることが物語のようだ、と思ったわけです。で、兄さんからは「恒例のお手紙に、自分が何て書いて貰いたいと思ってるか分かるよね?」と言われる気がするわけで。朝から兄さんが「今夜が楽しみ」って言ってたのが分かるよー、と思ったのですが。


これで、「桃太郎」とか言われてなければ、と思うわけです(苦笑)。しかも、そう言ってるのは味方だけで、敵からは「お前が一番鬼のようだ」とか「家を建てさせておいて、金をのしつけて全額返せ、って言ってる」とかって言われる気がするわけで@@。真面目に働かない方が悪いんじゃん? と思う。あたくしは、ちっとも悪くないと思うわけです。



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本日の日誌

親とかに、せっせと民話とかを読んで貰っているわけです。で、その中でも草分け的な存在であるグリムとか読んで貰っているわけで。だいたい、民話とか神話には一定のパターンがあって、「三人兄弟」あるいは「末子成功譚」というものがあるわけです。三人の兄弟が、生家を出て冒険して、末子が一番成功する、というパターンの物語であって、それは西欧を中心に各地に分布しているわけです。日本だと、大国主命の物語とか、甲賀三郎の物語がそれに相当するわけで。


で、利兄さんのカバーアルバムが出たので買ったわけで、今日それをけっこう聴いていて。だいたい、この「三人兄弟」の物語が東洋起源のものであるとすると、「兄弟」というのは、年功序列にとどまらず、「身分の序列」も示すわけです。で、民話や神話というのは、部族全体の祖神神話でもある(民話は祖神神話の崩れでもあるわけです。)だから、「末子が成功してそれを褒め称える」という民話は、その部族の祖神が、もっと広い世界全体では、「末席の身分の者である」ということであり、そういう神話や民話を持っている人達は、世界全体からみれば、「(成功していても)一番下の身分の人達の子孫」ということになる、と言われる気がするわけで@@。大国主命や甲賀三郎は、富の王家に関わる民話(あるいは神話)なので。彼らもご多分に漏れず、「身分の低い人達」となるわけです。だいたい、富の王家の先祖は、ゲルマン系の人々に近いことろから出ているれっきとした印欧語族なので。良くも悪くも、血筋的にはその序列から抜け出せない、ということらしくてー;。


ということには、広い世界のどこかには、仲良くしたいか、したくないかは別として、彼らの「兄」に相当する目上の部族がいる、ということになるわけで。それは、誰? ということになる。そうすると、それは「長男が成功している民話を持っている部族」と言われる気がするわけでー;。ちょっと変則的だけど、人間で長男的存在が成功してる「桃太郎」とか? と思うわけで-;。だいたい、日本の民話の「三人兄弟」は二つに分岐する。すなわち、富の王家の「末子成功譚」と、「長男が成功する物語」に。ということで、「長男が成功する」っていうのは、蛙の王家の物語なんですよねえ? と思う。東北とかにけっこう見られる「長男成功譚」は、特に「旅に出た長男が泥棒の技を覚えてきて成功する」というが多い気がするわけで。西欧にも似たような話はあるけどさあ? とは思う。あからさまに「泥棒はいい仕事、みたいに言うかね?」と思う。


というわけで、泥棒根性の激しい「父系」の思想を持つ人々の中には、厳然とした「序列」があるらしくて。「兄が成功する」という物語を持つことが許されているのは、ただ一つの部族、ただ一つの家系だけ、ということらしいです。でも、それで、世界の誰もが、その民話を聞いただけで、その出自が知れるようになってるらしくて。そもそも、「女の子と父系の家の関係」をどう説くのか、という問題になるわけですが。だいたい、中国的な思想からいえば、それこそ家の跡をとるのは絶対男子、ということになるわけで。中国の歴代皇帝を見ても、女帝はただ一人だけ、という歴史があるわけだから(しかも、武則天は漢人ではないし)。だから、総本家から見れば、「女の子が跡取り」なんてことは、よっぽどの事情がない限り、そもそもあり得ざること、としか本音では言わないと思うし、たとえそうであっても「中継ぎ」くらいの意味しか持たせないと思う。


でも、一方、大名家の方からいえば、古来よりの東国の武家の文化の通りに、女子であっても男子と同等に戦える者には、家督を継がせるに然るべき、と言うと思う。ということで、「兄」の部族の中では、完全に内紛状態だし、世界中に散らばる多くの「末子達」は、大江山の酒呑童子みたいな「兄」ではなくて、桃太郎のように弟たちの戦闘に立って、悪者と戦ってくれる「兄」につきたいと思っている、と利兄さんのお歌を聴いていると、そう言われる気がするわけで。それで私が桃太郎みたいに鬼退治しないといけないらしいのですがー;。要はやってることは「内ゲバ」なんじゃないの、って自分で突っ込んでどうするのか、という気もするわけですがー;。


日曜日に「ドロ警」を見たら、大友康平ちゃんがゲストに出ていて、「情け容赦なく敵を狩り出すように」と言われる気がするわけで@@。だいたい、いろいろと書いた書面を裁判所に出したら、4番目の子には評判が良かったらしい。今朝、昨日のブンブブーンを見ていたら、7番目の兄さんには「今夜が楽しみ」ってふっと言われる気がするわけで。「FNS歌謡祭」にKinKi-Kidsも出たっけ? と思ったわけで。まあ、なんとなく、「大名家のおっちゃんが笑いが止まらない状態」とかって言われる気がするわけで-;。「鬼退治」って、要は上社と下社の争いだよね? とか微妙なことは思うわけですが-;。まあ、兄さん達に言われれば、言われたことしかやりませんがー;。だいたい、誰でも、4番目の子と7番目の兄さんに書けって言われてることを書いてるだけでしょ、と思っていそうな気がするわけで。まあ、だいたいそんなところなわけですが。だいたい、大名家の特殊なところは、富の王家の中では、分家筋で格下の家柄なのですけれども、蛙の王家と強力に混血集合していて、いわゆる「高貴な血」が、富の王家よりも多く入っている、ということらしくて。私は私で、富の王家や大名家の血も引いているのでしょうけれども、男系的な家柄からいけば「高貴な家」の人なわけで。母系の人々からは「母系の大母たれ」と言われる気がするわけですが、男系の人々から見れば、折衷的に「男顔負けの軍神になれ。そうして、家長として君臨しろ。」と言われる気がするわけで-;。世の人々は、饕餮と蚩尤と建御雷神と、3人の神となる資質を持った人々を、「兄」なる者が、狂気に追いやって利用して、将来ある若者の未来を潰しただけでなく、彼らを利用して「末子達」を食い物にしてきたことに憤っているのです。だから、別の「兄」を立てようとしてるのです。立てられそうなのが、女の子しかいないわけだから、男系の人々にとっても苦肉の選択というべきなのですなー;。(でも、こういうちょっと変則的で強引な流れの中心にいるのが、大名家と4番目の子なのだと思う。ただ単に「母系の神」であるだけでは、けっして総本家に勝てない、ということをその人達は良く良く知っている、ということで。彼らは「男系」の勢力の中から、多くの味方をできるだけ得ようとしているわけなのだと思う。)


でも、親とグリムの話をしていたら、「上巻は残酷な物語が多くてあまり面白くなくて、下巻はそうでもないのでけっこう面白い」みたいに言われたわけで-;。だいたい、何故私が民話の世界にはまったのかといえば、モラル感が最初から存在しないような残酷な話が、平板的に語られるところに惹かれたわけで。なんというか、例えば人間だって動物だから、もし飢饉とかがくれば、他の動物と同じように仲間だって平気で食べて生き残ろうとするだろうし、なんというか、それが動物の本来の「あるがままの自然な姿」なのではないだろうか、ということを感じさせてくれるところに惹かれたわけで。民話というのは、庶民的な、昔でいえば、文盲であって、「語る言葉」しか知らないような、教育もあんまり受けてない、その結果のモラル感もあんまりなくて、まさにあるがままに本能的に生きている人々の文化であって、「あるがままの動物的な人間の姿」が投影されているところが魅力なのだと思ってきたので。グリムは、かねてより、前半はけっこう面白いけど、後半はあんまり面白くないと思ってきてたので、親の話を聞いて、「私とまるっきり逆だー」というところにちょっとショックを受けるわけですが(苦笑)。まあ、西欧の方は「戦う人」を尊重する文化なので。神話の方が民話よりももっと「きてる」と思わないでもないわけですがー;。グリムはドイツのゲルマン系の人々の民話なので。その文化の最古層は、富の王家の最古層に繋がる。だから、まずグリムより始めるべき、と思うわけです。



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本日の日誌

裁判所から、「訴状を書き直せー」という通知が来たので、せっせと書き直しています。むー。



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