葛城国造

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動

国造(かずらきのくにのみやつこ・かずらきこくぞう・かつらぎのくにのみやつこ・かつらぎこくぞう)は葛城国(令制国の大和国南西部)を支配した国造。葛木国造とも言う。

概要

『先代旧事本紀』「国造本紀」では葛城国造とある。

祖先

『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば葛城直の祖である剣根命が神武天皇朝に初代葛城国造に任命されたとある。『新撰姓氏録』によれば剣根命は高皇産霊尊の5世孫、天押立命の4世孫とされる。

剣根命の娘に賀奈良知姫(かならちひめ) という女神がいたとされる。尾張氏の祖・天忍男命と結婚し、瀛津世襲命、世襲足媛、建額赤命をもうけた、とされる(『先代旧事本紀』)。

氏族

葛城(かつらぎうじ、姓は直)。天武天皇12年(683年)に連を、14年に忌寸を下賜された。5世紀に繁栄した葛城氏は武内宿禰の子孫で、姓も臣で別系統だが、婚姻関係によって同系統化している。

葛城剣根命の後裔氏族

  • 大和国神別 葛木忌寸 高御魂命五世孫剣根命之後也
  • 河内国神別 葛木直  高御魂命五世孫剣根命之後也
  • 和泉国神別 荒田直  高御魂命五世孫剣根命之後也
  • 未定雑姓左京右京 大辛 天押立命四世孫劒根命之後也
  • (未定雑姓摂津国 葛城直 天神立命之後也)(『新撰姓氏録』より)

本拠

支配領域

国造の支配領域は当時葛城国と呼ばれた地域で、のちの大和国葛城地方(葛上郡・葛下郡両郡)にあたる。現在の奈良県御所市・大和高田市。

高尾張邑

高尾張邑に土蜘蛛がいて、身の丈が短く、手足が長かった。侏儒に似ていた。皇軍は葛の網を作って、覆いとらえてこれを殺した。そこでその邑を葛城とした[1]

氏神

不明。同地域には葛城御県神社・葛城坐一言主神社など延喜の制の名神大社・大社が連立。

為志神社

為志神社(爲志神社、いしじんじゃ)は、奈良県葛城市林堂の神社。主祭神は伊古比都幣尊[2]。伊古比都幣命については、「神名帳考証」に記される「伊毘比都幣命(イヒシツベノミコト)」の誤りとする「式内調査報告」の説がある。「神名帳考証」には和泉国の火雷神社(現在の愛宕神社)と石津太神社のご祭神であり、「出雲国風土記」に記されるとある。按食神・稚産霊神(ワクムスビノカミ)と同神であろうとしている。火雷神社は陶荒田神社に合祀されていたのが、現在は愛宕神社として復社されている。愛宕神社、石津太神社ともに現在は祭神ではない。出雲国の方は飯石郡(現在は雲南市)に鎮座する飯石神社のこと。伊毘比都幣命が最初に降臨したとされる磐石をご神体とする社。こちらでは天夷鳥命と同神としている。

出雲国飯石郡は鍛治製鉄が盛んであった地。和泉国の陶荒田神社は膨大な量の須恵器を作製した地。また当社の鎮座地は葛城氏が束ねていた渡来系技術者集団の居住地である[3]

私的推察

陶荒田神社(和泉国)の祭神であったのは、当地から和泉国へ移動した葛木氏が祀ったものかもしれないと考える。出雲の飯石神社は、その地から葛木氏の先祖が大和葛木にやってきたか、あるいはその逆であって、その際に伴ってきた(あるいは伴っていった)神なのではないだろうか。葛木氏とは葛木・鴨・尾張系の氏族の中でも、渡来系の人々を束ねていた人々なのではないだろうか。

伊毘比都幣命(イヒシツベノミコト)あるいは伊古比都幣尊(イコシツベノミコト)は、本来は「井日比戸部」のような意味で、女神だったのではないかと推察する。剣根命の配偶神とされていたかもしれない。吉野の井氷鹿女神に類する女神だったのではないだろうか。伊毘比都幣命(イヒシツベノミコト)から井氷鹿が、伊古比都幣尊(イコシツベノミコト)から坐摩の神が派生した可能性があるように考える。

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)は、奈良県葛城市笛吹(旧新庄町笛吹)にある神社である。式内社(名神大社)。通称笛吹神社。主祭神:火雷大神、天香山命。配祀:大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊・伊古比都幣命。葛木坐火雷神社の元々の祭神は火雷大神で、天香山命は笛吹神社の祭神である。火雷大神は、雷神とも言われるが、ここでは火の神として信仰されている。延喜式神名帳では「大和国忍海郡 葛木坐火雷神社二座」と記載される。

私的考察

おそらく、葛木・鴨氏系の古社で、火雷大神を直接祖神として祀っていた主な人々は、尾張氏と共に当地を去ったのではないか、と推測する。その後、葛木氏の神が須佐之男命年神へと移行するにつれて、衰退したのではないだろうか。

葛城坐一言主神社

葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社。式内社(名神大社)。祭神は葛城之一言主大神(かつらぎのひとことぬしのおおかみ)、幼武尊(わかたけるのみこと)(雄略天皇)。

一言主は、凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神とされ、現在も一言で願いを叶えてくれる神として信仰されている[4]。記紀に系譜は記されていないが、『先代旧事本紀』[原 1]では一言主神を素戔烏尊の子とする[5]。『古事記』、『日本書紀』によれば、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神(一事主神)が現れ、天皇と狩猟を競ったという[6]

797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。(高鴨神は、現在高鴨神社に祀られている迦毛大御神こと味耜高彦根神であるとする説もある。)

822年の『日本霊異記』では、一語主(一言主)は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。なお、この使役の時に一言主神は自らの顔の醜さを隠して昼は働かず夜のみ働いたとされる[7][8]

管理人は、個人的に「夜のみ働いた(顔を見られないために)」という点から、これは年神あるいは年獣といったものを想起させるように思う。これを「高鴨神」とすることは

へと変更あるいは習合をもくろんだものではないだろうか。

葛木御歳神社

葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ/かつらぎみとせじんじゃ)は、奈良県御所市東持田にある神社。式内社(名神大社)。中鴨社と称される。祭神:御歳神(みとしのかみ、三歳神/御年神)、相殿神:大年神(おおとしのかみ)(御歳神の父神)、高照姫命(たかてるひめのみこと)。

管理人は、鴨氏の神社とされるが、葛城氏の神社でもあるとして良いのではないか、と考える。御歳山の本来の祭神は高照姫命であったものを御歳神に置き換えたのではないだろうか。高照姫命は鴨系の太陽女神かもしれないと思う。近い女神は竹野媛かもしれないと考える。

葛城御県神社

葛城御県神社(かつらぎみあがたじんじゃ)は、奈良県葛城市葛木にある神社である。式内社。本来の祭神は天津日高日子番能瓊瓊杵命。

生玉兄日子命

社名の葛城縣主(葛城主殿縣主)の祖神は劔根命の兄にあたる生玉兄日子命である[9](?)。

生玉兄日子命については、剣根命の兄とされる。鴨氏関連の系図は祖神が複数あるのだが、高御産巣日神を祖とする系図に名が見える。鴨県主、賀茂県主の祖とされる[10]。葛城と賀茂氏の近縁関係を示すものではないだろうか。

人物

子孫

  • 葛城磐村
    古墳時代の人。娘の広子は用明天皇の嬪となった。
  • 女(名称不明)
    蘇我稲目の妻(蘇我馬子の母)は葛城氏の出身と考えられている。
  • 葛城山田瑞子
    欽明朝の人。稲目と共に児島郡へ田令として派遣された。
  • 葛木直安倍
    年代は不明だが、平城宮跡出土木簡に「越前国江沼郡々里葛木直安倍」と名前が見える。

参考文献

  • Wikipedia:葛城国造(最終閲覧日:25-01-15)
    • 『國史大辭典』(吉川弘文館)
    • 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
    • 『日本古代人名辭典』(吉川弘文館)
    • 『日本史広辞典』(山川出版社)
    • 『神道大辞典』(臨川書店)
    • 舎人親王『日本書紀』
  • 葛城の古代、神奈備(最終閲覧日:25-01-15)

関連項目

  • 八十梟帥:葛城に赤銅色の者がいた、とされる。

原・注釈

  1. 『先代旧事本紀』「地祇本紀」。

脚注

  1. 葛城の古代、神奈備(最終閲覧日:25-01-15)
  2. Wikipedia:為志神社(最終閲覧日:25-01-15)
  3. 爲志神社 (改定)、かむながらの道 ~天地悠久~(最終閲覧日:25-01-16)
  4. 一言主神社(平凡社), 1981年
  5. 一言主神社(平凡社), 1981年
  6. 一言主神社(平凡社), 1981年
  7. Wikipedia:葛城一言主神社(最終閲覧日:25-01-15)
  8. Wikipedia:一言主(最終閲覧日:25-01-15)
  9. Wikipedia:葛城御県神社(最終閲覧日:25-01-15)
  10. カモ系図考察(最終閲覧日:25-01-15)