月夜見尊(海部氏)

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日本神話には3柱の「月夜見尊」という男性形の月神がいるように思う。

  • 記紀神話の月読命
  • 賀茂系の神と思われる天月神命
  • 丹後半島海部氏の伝承的人物「浦嶋子」の祖神とされる月讀命(宇良神社の表記による)

である。海部氏の月神は、豊受大神との関係が深く、豊受大神が伊勢の外宮に祀られた際にも、外宮の北側に別宮として月夜見宮がもうけられ、月夜見尊(つきよみのみこと)が祭神とされている。月夜見宮(つきよみのみや)と外宮を結ぶ「神路通り(かみじどおり)」の中央は、夜更けに月夜見尊が白馬に姿を変えて外宮へ通う神の道とされ、真ん中を歩くのは避けるのが習わしである。いかにも月夜見尊が豊受大神の夫のように受け取れるが、それを示す神話がない。本項ではこの謎めいた「海部氏の月夜見尊」について述べてみたい。

厳密にいえば、浦嶋子は日下部首の先祖と言われている。しかし、伊勢神宮外宮における月夜見尊と豊受大神の関係からみて、彼らの関係は丹後半島に神々が座していたときから続いているものであり、宇良神社の月讀命と籠神社奥宮・真名井神社の豊受大神との間にも何らかの関係があったと考えるのは自然なのではないだろうか。

一目連

 
猪紋黒陶鉢
新石器時代(河姆渡文化)、1977年浙江省余姚河姆渡文化遺跡出、陶器、高さ11.7cm、口径21.7cm、底径17.5cm、浙江省博物館所蔵[1]
 
図1、馬のたてがみを持つ玉竜。紅山文化の出土品。

犬神から豚神へ、更に馬神そして竜神へ

伊勢神宮と同じ三重県にある多度大社は、名前からして海部氏の神社であり、海部氏とは台湾原住民アミ族タバロン社と神話的に連続性のある氏族と考える。なぜならタバロン社には海の向こうにある女人島から魚に乗って生還したというチマチウチウという青年の話があり、浦島太郎の物語と良く似ているからである。アミ族と海部氏(あまべ)の名前も似ているし、ヒッタイトにアルマという男性形の月神、古代エジプトにクヌムという男性形の月神がいるので、そもそも「アミ」とか「あま」という言葉が彼らの中では「男性形の月神」を指す言葉だったのではないか、と考える。アミ族の神々にはチマチウチウにあるように名前に「T」音がつく場合が多く、多度大社の名も例に漏れないように思う。

そして、中国語で豚のことを上代語で「トン(およそ***dun**(*tən)に近い音)」と呼んでいたので、チマチマチウがそもそも「豚神」であり「月神」だった可能性があるように思う。またこの名の子音を辿ると海部氏の祖神「倭(やまと)直」に類する名と考えるので、台湾のアミ族の伝承にまでさかのぼると、倭直と浦島太郎は同起源のものだったことが分かる。

犬神から豚神へ

河姆渡文化の猪紋黒陶鉢はこれは「月神」のことと考える。中国の「桂男」の伝承は、「呉剛伐桂」といって呉剛という男が妻と浮気した相手を殺して、その罰に月に追放され、月の桂の木を切り倒さなければならなくなった、とされる。これは元は、呉剛という男が妻と間男を殺して、罰として呉剛も殺されたので、殺された妻を桂の木、間男を月神とした、という話と考える。そもそも「二人の夫を持つ女神」の神話は母系社会にさかのぼるものと考えられるので、多夫多妻的な結婚生活が当たり前であって、男が自分以外の男と関係を持ったからといって、嫉妬心から妻と相手の男を殺してしまったら、そちらの方が許されざる事態である。

おそらく、呉剛が月の神とされた二人の後を追いかけて月に昇り、木と化した妻神に暴力を振るい続ける、という神話は中国社会で父系が確立してきた後に付加されたもので、最初から呉剛のエピソードはついておらず、少なくとも河姆渡文化では付加されていなかったと思われる。

河姆渡文化でこの豚型の月神がなんと呼ばれていたのかは定かではないように思うけれども、チマチウチウの名から見て「トン」と呼ばれていたかもしれないと思う。豚神だから、単に「豚」なのである。では、アミとかアマという言葉はどこから来ているのだろうか。それは犬(quǎn)から来ているように思う。台湾の伝承にラオン(おそらく犬の意)という人物が犬獅子に変身して人妻と関係を持ち、その夫に殺されたという伝承がブヌン族にあるので、呉剛の原型は河姆渡文化の近隣の馬家浜文化では既に登場していると考えるが、河姆渡文化の方では異なる神話が語られていたと思われる。だいたい氏族の祖神として扱われるくらいの犬神なのだから「間男」なんてとんでもなく失礼な言い草であろう。

私的解説

上記にもあるが、おおまかには「太陽女神と月男神」を1セットとする中国雲南省の少数民族にみられる神話に類する神話と、伊邪那岐命・須佐之男を頂点とする中国的な父系の神話の2パターンの神話系統があり、これを1つに纏めた際に、「太陽と月」を組み合わせた神話を削除して「太陽と須佐之男」を組み合わせた神話を多く残したために月読命は非常に影の薄い存在になってしまったと考える。彼の本来の姿は穀物などの豊穣に関する神であったことが、日本書紀のわずかな記述や「月の輪田」といった風習に残されているように思う。

『古事記』

上巻では、月讀命は伊邪那伎命右目を洗った際に生み成され、天照大御神や須佐之男命とともに「三柱の貴き子」と呼ばれる。月讀命は、伊耶那伎命から「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降の活躍は一切ない。夜を治める月は「日月分離」(後述)後の満月を現すと考えられる[2]

『日本書紀』

神代紀

日本書紀・神代紀の第五段では、本文で「日の光に次ぐ輝きを放つ月の神を生み、天に送って日とならんで支配すべき存在とした」と簡潔に記されているのみであるが、続く第一の一書にある異伝には、伊弉諾尊が左の手に白銅鏡を取り持って大日孁尊(天照大神)を生み、右の手に白銅鏡を取り持って月弓尊(月読命)を生んでいる。日と並ぶ月は日月分離前の新月を現すと考えられる[私注 1]

月読命の支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかある。その一方で、「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もある[3][4]。これは潮汐と月の関係を現すと考えられる。

女神殺し

書紀・第五段第十一の一書では、天照大神から保食神(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物他の起源となった。天照大神は月夜見尊の凶行を知って「汝悪しき神なり」と怒り、それ以来、日と月とは一日一夜隔て離れて住むようになったという。これは「日月分離」の神話であり、月が新月になるのは太陽との黄経差が0度、即ち見かけ上太陽と並んだ時であって、満月になるのは180度、即ち見かけ上太陽から最も離れた時であることを説明した神話と考えられる。

一方、古事記では似た展開で食物の神(大気都比売神・おほげつひめ)が殺されるが、それをやるのは須佐之男命である。この相違は、元々いずれかの神の神話として語られたものが、もう一方の神のエピソードとして引かれたという説がある[5][私注 2]

『続日本紀』

日本書紀に続く六国史の第二にあたる続日本紀には、光仁天皇の時代に、暴風雨が吹き荒れたのでこれを卜したところ、伊勢の月読神が祟りしたという結果が出たので、毎年九月に荒祭(あらまつり)神にならってを奉るようになったとある[6][私注 3]

私的解説

月読命が祟りを起こす「怨霊」的な神であったり、生贄として「」を求める神であったことが分かる。馬というのは中国神話では「馬頭娘」や「河馬」「龍」に関係するトーテムであって、伏羲を指すことが多いと考える。月読命が「伏羲型神」を生贄に求める神であるならば、伏羲を頂点とする父系的な神話と対立する神の名残である可能性があるように思う。

『風土記』

山城国風土記

逸文だが「桂里」でも、「月読尊」が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えている。月とを結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており[7]、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌がある(「桂男」、「月読神社 (京都市)」参照のこと)。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から天若日子のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦が挙げられる。

出雲国風土記

千酌(ちくみ)の驛家(うまや)郡家(こおりのみやけ)の東北のかた一十七里一百八十歩なり。伊佐奈枳命(いざなきのみこと)の御子、「都久豆美命(つくつみのみこと)」、此處に坐す。然れば則ち、都久豆美と謂ふべきを、今の人猶千酌と號くるのみ。

ただし、都久豆美命は渡津の守護の月神で、古くから千酌を守る土着神だったが、朝廷の支配が強まったため土地の人々が伊佐奈枳の子としたのであり、月読命とは関係ないとする説がある[8]

『万葉集』

万葉集の歌の中では、「ツキヨミ」或いは「ツキヨミオトコ(月読壮士)」という表現で現れてくる。これは単なる月の比喩(擬人化)としてのものと、神格としてのものと二種の性格が読みとれる。また「ヲチミヅ(変若水)」=ヲツ即ち若返りの水の管掌者として現れ、「月と不死」の信仰として沖縄における「スデミヅ」との類似性がネフスキーや折口信夫、石田英一郎によって指摘されている[私注 4]

なお、万葉集の歌には月を擬人化した例として、他に「月人」や「ささらえ壮士」などの表現が見られる。

『その他の文献』

皇太神宮儀式帳

月讀命。御形ハ馬ニ乘ル男ノ形。紫ノ御衣ヲ着、金作ノ太刀ヲ佩キタマフ。

と記しており、記紀神話では性別に関する記述の一切無い月読命が、太刀を佩いた騎馬の男の姿とされている。

花喜山城光寺縁起・慈住寺縁起

天照大神が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の御装束を銜えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消した。白兎は月読尊のご神体で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという[9]

ツクヨミの表記

一般的にはツクヨミと言われるが、月読を祀る神社はツキヨミと表記している。 古事記では「月讀命」のみであるが、日本書紀・第五段の本文には、「月神【一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊】」と複数の表記がなされている。万葉集では、月を指して「月讀壮士(ツキヨミオトコ)」、「月人壮士(ツキヒトオトコ)」「月夜見」などとも詠まれている。逸文ではあるが山城国風土記には「月讀尊」とある。

なお、「ツクヨミ」の上代特殊仮名遣を表記ごとにまとめると、以下のようになっている。

『古事記』
  • 月読 ヨ乙・ミ甲
『日本書紀』
  • 月読 ヨ乙・ミ甲 .月弓 ユ―・ミ甲 .月夜見 ヨ甲・ミ甲
『万葉集』
  • 月読 ヨ乙・ミ甲 .月夜見 ヨ甲・ミ甲 .月余美 ヨ乙・ミ甲

以上のように、『記紀万葉』においてツクヨミの「ミ」はいずれも甲類で一致しているが、ヨの甲乙は両方にまたがり、「ユ」の例すらある。

ヨ、ユ音に着目して表記例をまとめると、

  • ヨ乙 月読、月余美 .ヨ甲 月夜見 .ユ 月弓

に分かれる。

ツクヨミの名義

ツクヨミの神名については、複数の由来説が成り立つ。

まず、最も有力な説として、「月を読む」ことから暦と結びつける由来説がある[4]。上代特殊仮名遣では、「暦や月齢を数える」ことを意味する「読み」の訓字例「余美・餘美」がいずれもヨ乙類・ミ甲類で「月読」と一致していることから、ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる。例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち「日数み(カヨミ)」である[10]のに対して、ツキヨミもまた月を読むことにつながる。

「読む」は、『万葉集』にも「月日を読みて」「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると、月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生した。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、暦を司る神格であろうと解釈されている[4]

その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある[11]

このようにはっきりと甲乙の異なる「ヨ」や、発音の異なる「ユ」の表記が並行して用いられていること、そして『記紀万葉』のみならず『延喜式』などやや後世の文献でも数通りの呼称があり、表記がどれかに収束することなく、ヨの甲乙が異なる「月読」と「月夜見」表記が並行して用いられている。

『万葉集』におけるツクヨミを詠んだ歌

  • 巻四・六七〇 月讀の 光に来ませ 足疾(あしひき)の 山寸(やまき)隔(へ)なりて 遠からなくに
  • 巻四・六七一 月讀の光は清く 照らせれど 惑へるこころ 思ひあへなくに
  • 巻六・九八五 天に座す 月讀壮士 幣(まひ)はせむ 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ
  • 巻七・一〇七五 海原の 道遠みかも 月讀の 明(ひかり)少なき 夜は更けにつつ
  • 巻七・一三七二 み空ゆく 月讀壮士 夕去らず 目には見れども 因るよしもなし
  • 巻十三・三二四五 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉りて をち得てしかも
  • 巻十五・三五九九 月余美の 光を清み 神嶋の 磯海の浦ゆ 船出すわれは
  • 巻十五・三六二二 月余美の 光を清み 夕凪に 水手(かこ)の声呼び 浦海漕ぐかも

ツクヨミを祭神とする神社

皇大神宮の別宮・月讀宮や[12]、豊受大神宮別宮・月夜見宮に祀られる[13]。また、京都の月読神社[注釈 1]は壱岐市の月讀神社から勧請を受けたものである[14]。日本百名山や出羽三山で知られる月山(ガッサン,1984m,山形県)の名称は、山頂に鎮座する神社(月山神社,旧社格:官幣大社)の祭神である月読之命に因んだものとされる。

月讀神社・鹿児島市

鹿児島市桜島横山町にある神社。祭神は月読命(ツキヨミノミコト)、邇邇芸命(ニニギノミコト)、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 。

創建年代は不詳であるが、和銅年間とも伝えられる。安永八年九月岳上に三体の月が現れ、翌二十九日の夜明け頃から噴火がおこり、被害が甚大であったので、その後毎年日を決めて御祭神の嫌い事を住民が行わないように努め、神楽を奏して神慮を慰めていた、とのこと[15]

私的解説

月の神は、単なる天体の神ではなく、暦や時間とも関連する。そのため年神とも関連するように思う。また桜島に関する月讀神社の例にあるように「火山の神」としての性質があるように思う。そこから発展して「火の神」「竈神」「火から作りだす器の神」とも関連があるように思う。おそらく古代の人は流星を「月の欠片が流れている」と感じていたし、それが隕石となって地上に到達したときにもたらされる衝撃と、火山活動を関連づけて考えていたのだろう。火山の神が穏やかで鎮まり、暦による季節の変化にも問題がなければ、農作物の収穫の安定が得られる。山から降りてきて、山に戻っていく「田の神」信仰にも月神の存在が感じられる。

月神とは、どこかから「降りてくる」もので、祭祀も含め正しく扱えば人間の役に立ってくれるが、正しく扱わなければ災厄を起こすものであり、かつ人身御供を求める神だったと思われる。中国の竈神は、年末に天に戻り、新年にまた戻ってくる。彼の機嫌をとらないと、災いを持ってくるようである。

また年末・正月行事として「除夜除夕)」という概念がある。中国では大晦日に「夕」という人身御供を求める化け物がでるので、これを除く習俗が必要とされる。「夕」とは「月の出の時間」のことも意味し、大晦日には疫神である月神の「夕」が地上に餌を求め降りてくる、という概念があったかもしれないと思う。降りてきたものは天に返さねばならない、ということで火を燃やしたり、大きな音を鳴らした、とのことで、日本ではこれが「除夜の鐘」となったと考える。韓国の正月行事には「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」)という、月の出に火を燃やす行事がある。これも元は除夕の行事であって、月神を天に戻すことに関する祭祀だったのではないだろうか。

月読命と須佐之男命について

月読命と須佐之男命は「同じ神」と考える。そもそも日本の年神とは須佐之男命の別形態といえるのだが、暦に関する神でもあるとすれば、月読命の別形態ともいえる。また、月読命も須佐之男命も「妻殺し」の神で性質が一致している。

月読命と天目一箇神について

天目一箇神の別名を天御影大神という。産業に関する火の神ともいえ、月読命の別名と考える。

月読命と月の女神について

「火山の神」が「月神」を兼ねるのであれば、女神に関してもそのように述べることができるのではないか、と考える。鹿児島市の月讀神社には木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀られており、この女神は富士山の女神として有名である。そして富士山も火山である。これを「桜島の女神」として捉えた場合、神阿多都比売とした方が相応しいと考える。木花咲耶姫命、神阿多都比売は「月の女神」としての性質が強い女神かと考える。

籠神社では豊受大神が月の女神にもなる、としており、保食神豊受大神と同一視されるのであれば、豊受大神と似た性質の女神達にも「月女神」としての要素が含まれると考える。月読命は保食神を殺すのだから、月の女神は、月の男神に倒される存在といえる。そして、火山の女神とした場合には、「疫神」としての性質もあるように思う。女神を「月の女神(火山の女神)」としてしまうと、時に彼女は倒されなければならない存在になってしまうし、夫の「月神」に倒される、ということになってしまうようである。

参考文献

  • Wikipedia:ツクヨミ(最終閲覧日:22-10-10)
    • 大林太良、吉田敦彦監修, 青木周平ほか, 日本神話事典, 大和書房, 1997-06, isbn:978-4-479-84043-5
    • 大林太良, 日本神話の起源
      • 角川書店〈角川新書 151〉、1965年7月。全国書誌番号:61010386、NCID:BN03329074。
    • 学研編集部, 神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界, NEW SIGHT MOOK ブックス・エソテリカ2, 学研マーケティング, 1992-02, isbn:978-4-05-106024-4
    • 桂令夫ほか, 山北篤監修, 東洋神名事典, 新紀元社, Truth In Fantasy事典シリーズ 7, 2002-12, isbn:978-4-7753-0123-4
    • 河合隼雄, 中空構造日本の深層, 中央公論社
      • 中央公論社〈中公叢書〉、1982年1月。ISBN 978-4-12-001090-3。
    • 戸部民夫, 八百万の神々 - 日本の神霊たちのプロフィール, 新紀元社, Truth In Fantasy 31, 1997-12, isbn:978-4-88317-299-3
    • 戸部民夫, 日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ, 新紀元社, Truth In Fantasy 63, 2003-10, isbn:978-4-7753-0203-3
    • 新村出, 広辞苑 第五版, 岩波書店, 1998-11, isbn:4-00-080111-2
    • 三浦茂久, 古代日本の月信仰と再生思想, 作品社, 2008-10, isbn:978-4-86182-205-6

関連項目

  • 天月神命:賀茂氏系の月の男神と考える。
  • 細烏女:本来は賀茂系葛城氏の女神葛姫を「月神」として祀っていたのではないだろうか。その起源がこの女神と考える。
  • 祝融型神
  • 桂男:月にある桂の木を切り続ける男のこと

起源

  • 嫦娥;不老不死の薬を持って逃げた月の女神である。

注釈

  1. 松尾大社(京都府京都市西京区)摂社

私的注釈

  1. 日月を分離する前はなぜ新月なのだろうか?
  2. 管理人の注釈として。古代日本は妻問い婚であり、女性が尋ねてきた男性に「食事を出す」という行為は、相手が家族も同然の非常に親しい相手である、という前提をまず知って、この神話を読むべきであると思う。記紀神話では、このようにして月読命と須佐之男命が「同じ神」とみなされるように意図的に記述しているのだと考える。
  3. 月読命が馬と関連すると考えられていたのではないだろうか。天候神としての性質もあるとみなされていたようである。
  4. 中国神話では「不老不死の薬」は西王母の持ち物である。嫦娥はこれを盗んで月に逃げ、月の女神になった、とされる。中国神話では、月の不老不死の薬は兎が桂の木の葉を杵でついて作る、とされており、「月の不死の桂の木」と月読命との関連性が示唆される。

参照

  1. 猪紋黒陶鉢、考古用語辞典、07-07-09
  2. 月読命が伊邪那岐命の右目から誕生するという点は、中国神話のうち、盤古神話と一致する。
  3. 『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ』44頁。
  4. 4.0 4.1 4.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「八百万の神々」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
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  6. 『古代日本の月信仰と再生思想』276頁。
  7. 村上健司編著, 村上健司, 日本妖怪大事典, 角川書店, Kwai books, 2005-07, page95, isbn:978-4-04-883926-6
  8. 武光誠, 出雲王国の正体 - 日本最古の神政国家, PHP研究所, 2013-04, isbn:978-4-569-81218-2, pages29,32
  9. 月読命には兎のトーテムがあるようである。また、道祖神的な機能もあるようである。
  10. 『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』53頁。
  11. 『広辞苑』1779頁。
  12. http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/tsukiyomi.html, 月読宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日
  13. http://www.isejingu.or.jp/about/geku/tsukiyomi.html, 月夜見宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日
  14. 笠井倭人 「葛野坐月読神社」『式内社調査報告 第1巻』 式内社研究会編、皇學館大学出版部、1979年。
  15. 月讀神社、鹿児島県神社庁(最終閲覧日:24-12-22)