天月神命
天月神命(あめのつきのみたまのみこと)は、『先代旧事本紀』などに現れる神。月読命とは異なる系統の、壱岐の信仰に由来する月神とされる[1][私注 1]。
概要[編集]
『日本書紀』巻十五の顕宗天皇紀では、遣任那使の阿閉事代に「月神」が憑依し、「我が祖先の高皇産霊命は鎔けあっていた天地を創造した功績がある。民地を私に奉れ。私が請うままに献上するならば、福慶があるだろう」と宣託をし、阿閉事代は京に帰って天皇に詳しく申し上げると、山城国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)が月神のために与えられ、壱岐県主の祖の押見宿禰が祭祀を行ったという。「歌荒樔田」は現在、京都市西京区松尾大社の境外摂社の月読神社と考えられる[1]
これが山背国の月詠神社の由来であり、宣託された壱岐には月詠神社が存在し、山背国の月読神社の元宮と言われている。が、これは現在では橘三喜の誤りで、宣託された本来の式内社月読神社は男岳にあった月読神社とされる。今は遷座され箱崎八幡神社に鎮座している。[2]
この話に登場する「月神」は天月神命であると考えられている。
『先代旧事本紀』「天神本紀」によれば、高御魂命の子で、饒速日命に従って天降った32人のうちの1人とされ、壱岐県主の祖であるとされる[3]。
天月神命を祀る神社[編集]
- 月読神社(京都府京都市西京区松室山添町15)
- 月読神社(長崎県壱岐市芦辺町国分東触464) - 式内社の論社ではあるが、延宝年間に橘三喜が当社を「『延喜式神名帳』に記された月読神社である」と比定する以前に本当に月神が祀られていたかは不明であり、むしろ月神を祀る社ではなかったとする見方の方が有力である[4]。
- 箱崎八幡神社(長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触823) - 『延喜式神名帳』に記された月読神社の流れを汲むとされる[4]。
私的注釈[編集]
松尾大社は秦氏が関連する神社なので、天月神命も秦氏関連の神と考える。山城国の桂川と合流する綴喜郡の木津川流域には、強固な月神信仰があり、「桂」という地名と結びついている。中国神話には、月に月桂樹が生えており、その葉から不老不死の薬が作られる、という逸話があり、いわゆる「月の兎」は中国では月桂樹の葉から薬をついて作っている、とされている。山城国で月桂樹のことを「桂」という表記に固定されるまでは、日本では「カツラ」の地名の表記に「葛」や「楓」をあてていたとのことである。「楓」は中国神話では黄帝に殺された蚩尤が化生したもの、とされているため、秦氏が到来する前から、山城国では楓(蚩尤)を月神とする男性形の月神信仰があり、秦氏の天月神命はその上に立脚して成立した汎用性の高い「祖神ではない」月神だったと考える。この信仰が盛んだったために、中国神話で「月の女神」とされた嫦娥は日本ではその地位を外されてしまい、日本の月の神は男性形とされたのではないだろうか。管理人は、天月神命は、「前(pre)月読命」というべき神であったと思う。
秦氏は賀茂氏と結びつきの深い氏族であったので、天月神命と月読命の成立には賀茂氏も関わっていた可能性があるのではないだろうか。天月神命は拝する人に恩恵を与える「汎用神」だが、元々山城国には、蚩尤を祖神かつ月神と考える賀茂系の氏族がいたのではないか、と考える。