下光比売命

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下光比売命(したてるひめのみこと/したでるひめのみこと)は、日本神話に登場する神道の女神である。

概要[編集]

『古事記』では本名を高比売命(たかひめのみこと)、亦の名を下光比売命下照比売命(したてるひめのみこと)、『日本書紀』では下照姫下照媛、亦の名は高姫稚国玉(わかくにたま)、『先代旧事本紀』地神本紀では下照姫命と記述される。三輪氏族の系図では阿陀加夜怒志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめのみこと)の別名を伝える。

「勘注系図」には「天道姫命 亦たの名 屋乎止女命(ヤヲトメノミコト)、亦たの名高光日女たこひめ命(タコヒメノミコト)、亦たの名 祖母命也」とある(豊受大神参照のこと)。

『古事記』および『日本書紀』正伝によれば、葦原中国平定のために高天原から遣わされた天若日子が、大国主神に取り入ってあわよくば葦原中国を自分のものにしようと目論み、その娘である高比売命と結婚した。天若日子が高天原からの返し矢に当たって死んだとき、高比売命の泣く声が天(『古事記』では高天原)まで届き、その声を聞いた天若日子の父の天津国玉神や天若日子の妻子らは葦原中国に降臨し、天若日子の喪屋を建て殯を行った。そこに阿遅鉏高日子根神が訪れたが、その姿が天若日子にそっくりであったため、天津国玉神や妻子らは天若日子が生き返ったと喜んだ。阿遅鉏高日子根神は穢わしい死人と間違えられたことに怒り、喪屋を大量で斬り倒し、蹴り飛ばして去って行った。高比売命は、阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌を詠んだ。この歌は「夷振(ひなぶり)」と呼ばれる(夷振を詠んだという記述は『日本書紀』正伝にはない)。『日本書紀』の第一の一書では、天稚彦の妻の名は記されておらず、夷振を詠んだ者の名としてのみ下照媛の名が登場し、味耜高彦根神の妹であるとしている。

天若日子の項より[編集]

天若日子は大国主神の娘下照比売(シタテルヒメ)と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大御神高御産巣日神(タカミムスビ)は雉の鳴女(ナキメ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。すると、その声を聴いた天佐具売(アメノサグメ)が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に勧め、彼は遣わされた時に高皇産霊神から与えられた弓矢(天羽々矢天之麻迦古弓)で雉を射抜いた。

その矢は高天原まで飛んで行った。その矢を手にした高皇産霊神は、「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とす。すると、その矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、彼は死んでしまった。

天若日子の死を嘆く下照姫の泣き声が天まで届くと、天若日子の父の天津国玉神は下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をした。下照姫の兄の阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)も弔いに訪れたが、彼が天若日子に大変よく似ていたため、天若日子の父と妻が「天若日子は生きていた」と言って抱きついた。すると阿遅鉏高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、大量を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。

系譜[編集]

『古事記』では大国主神(『日本書紀』では顕国玉)と多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神の妹としており、『先代旧事本紀』地神本紀でも『古事記』同様に大己貴神と田心姫命の娘で、味耜高彦根神の同母妹とする。

祀る神社[編集]

  • 比賣神社(富山県南砺市高宮):主祭神 下照比賣命、が下照比賣命の神使とされている。
  • 玉津岡神社(京都府綴喜郡井手町):主祭神 下照比賣命
  • 大穴持御子玉江神社(乙見社とも。出雲大社荒垣外摂末社):主祭神 下照比賣命
  • 比売許曽神社(難波 大阪市東成区東小橋)[1]:主祭神 下照比賣命(江戸時代までは牛頭天王)
    『延喜式神名帳]』では下照比売社が比売許曽神社であると記す。なお、比売碁曾社の主祭神は明治以降は牛頭天王から下照比売命に代わっている。
  • 売豆紀神社:主祭神 下照比賣命
  • 売布神社:主祭神 下照姫神
  • 倭文神社(鳥取県)
    現在は建葉槌命が主祭神となっているが、社伝にはシタテルヒメに関するものが多く、大正時代まではシタテルヒメが主祭神であると考えられていた。倭文神社内の塚がシタテルヒメの墓であると考えられていたが、発掘により経塚であると判明した。
  • 高野宮(内神社)(島根県松江市):主祭神 下照姫命
  • 諏訪大社 上社 御射山社、大四御庵(大四御虚社)の祭神は大物主命、事代主命、下照姫命、建御名方命である[2]
  • 小坂鎮守神社(長野県岡谷市湊):主祭神:下照姫命。『諏方大明神画詞』では、御神渡りの一つを「佐久新開神社と小坂鎮守神社の祭神が会った跡」と書いてある[3]

高比売命系の神社[編集]

  • 蚊屋島神社:鳥取県西伯郡日吉津村日吉津にある神社。現在の祭神は天照皇大神、高比賣命。過去に天照高日女神という女神が祭神だったとのこと。
  • 飛騨一宮水無神社:岐阜県高山市にある神社。祭神は御歳大神(水無神)、配神に高降姫命、高照光姫命がいる[4]。こちらの神社には天若日子は祀られていない。御歳大神(水無神)を阿遅鉏高日子根神と同一視しているか?
  • 水無神社:長野県木曽郡木曽町福島にある神社。祭神は高照姫命[5]
  • 先宮神社:長野県諏訪市大和にある神社。祭神は高光姫命(たかてるひめのみこと)。建御名方命よりも前に諏訪に先住していたと伝わる。一説には、稲背脛命が祭神と言われる[6]

水無神社・由緒[編集]

弘安年間に飛騨一の宮水無神社を御勧請奉斎したものと伝えられる。現存する記録によると、延文二年(1357年)6月、越後守藤原家有(木曽領主、木曽家有)によって社殿の再興がなされたんを始めとして木曽氏代々の守護神として木曽総鎮守と称された御嶽神社と共に深く崇敬されて来た事が知られる。天正年間木曽氏は下総へ移封となり、木曽は尾州藩の代官山村氏の統治するところとなったが、山村氏も又代々崇敬厚く、木曽氏と同様に、社殿の修築、神領の寄進等もサイドに留まらず、近郷十一ヶ村をして奉仕せしめた[7]

水無神社の例大祭は毎年7月22~23日に行われる。毎年地元の山より伐り出した赤松材(樹齢70~100年)にて新調した約百貫(約400キロ)になる神輿を、地面に投げ落とし横に縦にと転がし、バラバラに壊すまで続けられる「みこしまくり」が特徴的である。木曽福島が誇る天下の奇祭として知られている。

平安時代の戦乱で、岐阜県高山市の水無(みなし)神社に火が放たれとのこと。そこで木曽福島から出稼ぎに来ていた惣助と幸助という者が神様を助けようと、御神体を神輿に載せて80キロの道のりを故郷の木曽福島にお連れした。その途中、彼らは谷底に転げ落ち、「惣助」「幸助」と互いの名前を呼びあってお互いを励ましあったとか。祭りは神輿が山を転がり落ちたという故事の再現とのことだ[8]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. 『古事記』では、天之日矛(アメノヒボコ)、『日本書紀』では都怒我阿羅斯等が逃げた妻(阿加流比売神)を追って渡来し、逃げた阿加流比売神が身をひそめたという記述がある。『延喜式神名帳』では阿加流比売命の赤留比売神社は住吉郡にあるとする。
  2. 諏訪大社 上社 御射山社、諏訪大社探究(最終閲覧日:25-01-22)
  3. 小坂鎮守神社、from八ヶ岳原人(最終閲覧日:25-01-22)
  4. Wikipedia:飛騨一宮水無神社(最終閲覧日:24-12-28)
  5. Wikipedia:水無神社(最終閲覧日:24-12-28)
  6. Wikipedia:先宮神社(最終閲覧日:25-01-22)
  7. Wikipedia:水無神社(最終閲覧日:24-12-28)
  8. 水無神社例大祭みこしまくり、日本の祭ネットワーク(最終閲覧日:24-12-28)