方位盤:巴蜀文字と甲骨文字

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巴蜀の盤

ここで、三星堆遺跡より出土した円形の盤に描かれた文字を解読してみたいと考える。この盤の中央に描かれた文様は、甲骨文字の「蜀」である。三星堆遺跡の存在した地方(あるいは国)の名前といえる。その周囲を円形に8つの文様が取り囲んでいる。

「西」に関連する文字

ここで「蜀」という文字のすぐ下にある文様に注目してみたい。

図2は甲骨文字の「西」である。甲骨文字の「西」は不純物を濾す「籠」の形をしており、籠から水が濾過されて流れ出るように、日の気(陽気)が流れ去ってしまう方向、という意味で描かれていたようである。一方、巴蜀文字(図1)を見ると、上半分は甲骨文字の「西」と似た形であるが、下半分はいったん収束して流れ去った陽気が、砂時計を落とすかのように反対側にまた流れ出して広がっている図で描かれている。個人的には、この上半分が甲骨文字の「西」と類似しているため、これが巴蜀文字の「西」ではないかと考える。
一方、トンパ(東巴)文字の「西」は、太陽十字の下に、更に小さい円が描かれた形である(図3)。三星堆遺跡より出土した手の神像には、西王母と思しき神の口から川が流れ出している図が描かれている。この女神が祖神である「太陽神」であり、かつ「水源の女神」で、口から水を吹き出しているのだとすると、トンパ文字の「西」は、「太陽とその口」の図ということで、西王母の記号化されたものだと思われる。類似した文字は甲骨文字にも存在し、その文字では太陽を意味する「目」の上に「口」が書かれている(図4)。この甲骨文字も、おそらく「西」という意味を持っていたのではないだろうか。
以上のように考えると、古代中国における「西」という文字は、いずれにしても太陽信仰に関連した文字であり、

  • 太陽が沈む方向、あるいは
  • 水源としての太陽(これは古代中国においては「西」に位置している)

が起源となっているようである。甲骨文字の「西」は、太陽が沈んで、陽気が収束してそれで終わり、という意味合いの文字であるように思われるが、巴蜀文字は類似していても、

  • 沈んだ太陽は、地下に拡散して陽気は地下に無限に広がっている図

として現されており、もしかしたら沈んだ太陽の陽気は、地下世界を通って水として流れ出、東の果てでまた陽気の塊となって空に昇ってくる、と考えられていたのかもしれないと思う。水源の女神が地下に水を吐き出すと言うことは、新しい陽気を吐き出すということでもあり、それが順調に地上に湧き出て川となって流れ下るからこそ、東の果てで正しい陽気の塊となることができる、と考えられていたのかもしれない。それが巴蜀文化における「太陽の循環の思想」であったのであろう。

「南」に関連する文字

図9は甲骨文字の「南」であるが、草の象形と、入り口の象形と、風の象形が組み合わさって、「草木の発芽を促す南風」の意味から「南」という方角を示す文字になったとのことである。南から吹く暖かい南風が草木の発芽を促す、という発想であるが、その風が出入りする「口」が南の方角にあると古代中国の人々が考えていたことが覗える。
一方、トンパ文字の「南」を見ると、植物の象形であることが分かる(図10)。おそらく「南風」が植物の発芽を促す、という発想は甲骨文字と共通しているのであろうが、植物のみが強調されて「口」が省略されていることが分かる。
巴蜀文字の盤を見ると、図8は一見しただけでは、甲骨文字、トンパ文字の「南」という字のいずれにも似ていないように見える。その代わりに、甲骨文字の「卯」という文字と類似していることが分かる(図13)。甲骨文字の「卯」は、二本の縦棒の両側に、外側に向かって三角形や半円形、あるいは角の丸い四角形の構造物が突出しているように見える(図13~15)。また、その上に「太陽」と思われる象形が描かれる場合もあるようである(図14)。 漢字における「卯」という文字にはさまざまな意味合いがあるようである。『史記』や『漢書』によると「茂る」や「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされているそうであるが、日本人の研究者の間では、神に捧げる犠牲の肉を両分する形で、卜辞に犠牲を卯(ころ)す意として使われている、とのことである。また「卯」は「卵」という文字(図16)の原型ともされており、産まれたり、育ったりするという意味にも関連があるとのことである。産まれることと、死ぬことは、生死という両極の意味があるように思われるのだが、「卯」や「卵」には、どうやら本来両方の意味が含まれていたようである。また「卯」という文字は、方角を現す場合には「東」を意味する。これらの意味に、関連性はあるのであろうか、ということになる。
巴蜀文字の図8は「卯」という甲骨文字の他に、トンパ文字の「門」(図11)という文字にも類似していることが分かる。これを甲骨文字の「門」(図12)と見比べると、「家の門」というように通常の「出入り口」を示す場合の「門」というのは、「閉じている門の象形」からできあがっているが、図8の巴蜀文字や「卯」という文字は「開いている門」の形なのではないか、ということに気付く。また、図14にあるように、太陽にも関係がありそうである。
甲骨文字の「南」(図9)に戻るが、生命を育てる暖かい南風が、空の上のどこかに「口」があって、そこから吹き出しているというのであれば、その「口」は風が吹き出す「門」ともいえる。「生命を育む風を吹き出す門」という点では「生み育てる」という意味での「卯」や「卵」に通じる思想である。図14は太陽の下半分が開いて、そこに風が吹き出す門が存在するという図ともとれる。太陽が「南」の空にある時は、「天の一番高い所に太陽が存在する時であり、そこから暖かい風が吹いてくる」という意味から「南」という文字は派生したのではないかと思われる。要するにそこは、天上の国であり、古代中国の人々にとっては祖神である太陽神が治める「天国」といえる場所であったのではないだろうか。太陽が鳥に例えられるとき、鳥神はそこから舞い降りてきて、またそこへ戻っていくのである。そう考えれば、その「門」は生命の源となる魂が舞い降りてくる場所でもあるが、生命が死んだ時に、またそこへ戻っていくための「門」でもあるのではないのだろうか。また、通常の人の家の「門」とは異なる神話的な概念の門であるため、それは閉じる必要は無いのである。そのため、「門」という漢字とは逆に「卯」という文字は「開いた門の象形」となっているのであろう。
何故漢字における「卯」という文字が「東」の方角を示す文字となるかといえば、それは「来世」が「東の果ての海の中にある」という思想によってそうなっているのではないかと思われる。東の海の向こうに、竜宮城があって東海龍王がそこを治める、という思想である。「龍」という架空の動物は遼河文明で誕生したものであるので、おそらく「東の海中に冥界が存在する」という思想は遼河文明的な神話なのであろう。遼河文明の人々にとって、太陽は東の海から昇るものであるので、そちらの方向に「太陽の国」への出入り口があるという考えがあっても不思議はないように思える。
一方、巴蜀文化においては、「太陽神の治める天国」は、まさに天において太陽が一番高いところになる「南」の空に存在すると考えられていたのであろう。そのため、遼河文明の影響が強い地域では、来世への門が存在する方向である「卯」は東を指し、巴蜀文化の影響が強い地域では南を指す文字となったのであろう。要するに図8は「南」という意味の巴蜀文字であり、意味するところは「太陽神が治める天国への門」であったと思われる。そこからは風や様々な天候ももたらされるのであるから、門は常に開かれているのである。

「東」に関連する文字

「西」という文字と「南」という文字が、おおよそ見当がついたことで、この盤は方位を書いたものではないのか、ということが推察される。

図18は、甲骨文字の「東」である。これは「ふくろの両端をくくった形」と言われているが、中央の楕円形の中に十字が描かれているため、中央にあるものは「昇る太陽」の象徴ではないかと思われる。その上下にあるものは、太陽によって芽吹いた草木の芽ではないのだろうか。
図19はトンパ文字における「東」である。太陽が開いている門から昇る図で描かれており、甲骨文字の「卯」(図14)と類似している。このことから、トンパ文字の「東」という概念は、巴蜀文化というよりは、漢字の文化に近いものであることが分かる。そして、「東に存在し太陽が昇ってくる門」とは、天上にあるのではなくて、地下世界と現世との境界の門であると考えられていた点も漢字の文化と同じであろうと思われる。
一方、巴蜀文字(図17)は、植物が3本生えている図で現されている。この図は甲骨文字やトンパ文字の「東」と比較した場合、どちらにも類似点が乏しいように思われる。では、どの文字に一番近いかというと、甲骨文字の「斉」に近いと考えられる(図20)。「斉」とは穀物が生え揃っている象形から発生した文字であると言われている。植物が太陽の息吹で発芽し、育つものであるとすると、この植物が生え揃っている文字も「太陽」を示す別の象形と思われる。「神に仕える」という意味の「斎」という文字は、この穀物が生え揃った姿に、犠牲を捧げる台を組み合わせた図で描かれており(図21)、神に捧げられるのが穀物でもあるが、神もまた穀物をもたらす穀物神であることを示しているのであろう。
そのように考えると、おそらく甲骨文字の「東」とは、特に「穀物の生育をもたらす昇る太陽」という意味を持っており、意味としては巴蜀文字の図17も同じもののように思える。後に漢字の「斉」となった言葉は、巴蜀文化においては「穀物の生育をもたらす昇る太陽」という意味で「東」の方角を示す言葉であったのではないだろうか。

「北」に関連する文字

図23は甲骨文字の「北」であり、図24はトンパ文字の「北」である。三星堆遺跡の盤で、「北」と思しき文字を見ると、トンパ文字に近い形であることが分かる。「目」があって、その下に3本の線があるのは、「目に小という文字を組み合わせた形」であるので、「目」すなわち「太陽」の力が小さくなる方角のことを「北」としているのではないかと思う。どうやら甲骨文字の「北」とは文字の意味の由来が異なるように思われる。
一方、「目の下に小」という文字は、甲骨文字では「妙」という言葉となる。おそらく、これが巴蜀文字とトンパ文字においては「北」を指す言葉であったのであろう。

まとめ

三星堆遺跡から出土した盤に描かれた巴蜀文字は上記のように解読可能と思われる。巴蜀文字は甲骨文字と類似しているものもあり、「蜀」という文字はそれに当たる。「西」という文字は類似しているが、意味するところは甲骨文字とやや異なるようである。「東」と「南」という文字は思想的に甲骨文字やトンパ文字と類似している点もあるが、最終的な文字の意味が甲骨文字とは異なっているようである。
「北」という文字は甲骨文字ではなく、トンパ文字に類似している。また、巴蜀文字の「北西」の文字に使われている「米」様の記号は、トンパ文字の「順」という文字の一部と類似している。トンパ文字の「順」も基本的には「川」と「頭」の組み合わせであることを考えれば、「米」様の文字は特に水源である「川の太母の頭」を指す文字かもしれないと考える。長江の上流域で、水源のある山と考えられていた崑崙山脈は、三星堆遺跡からみて北西の方向に存在するため、「北西」という方向そのものが「川の太母(すなわち西王母)」を示す文字で現されていたのではないだろうか。
これらの点を考えると、巴蜀文字は甲骨文字、トンパ文字のいずれにも類似している点があり、後の「漢字」の起源となる文字も存在しているが、意味的には後の時代とは異なって使われる場合も多いようである。また、方位に関しては古代中国の「太陽信仰」を基にした文字が、巴蜀文字、甲骨文字、トンパ文字のいずれにも多いことが分かる。
また、天上にある太陽神の国とはまるでいわゆる「天国」のことのようであるし、太陽が地下世界から地上へと昇ってくる門とは逆に「地獄」という地下世界からこの世へと交通する門のようにも思える。このように地面の下と、天上世界に「死後の国」ともいえる「異世界」があるという神話的概念が古代中国にも存在していたことが、文字からも分かる。例えば、東の地平線(あるいは水平線)の果てに存在する「夜明けの門」は古代エジプトにおける「暁の門」である「アケル」の本来の意味と良く似た概念といえよう。

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