巴蜀の目:甲骨文字

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巴蜀文化が人間の頭部、特に「目」を強調する文化であった。では、古代中国における「目」、そして巴蜀文化における「目」とはどのような意味を持つのであろうか、ということになる。

古代中国における「目」

古代中国における「目」とは、主に「女性の目」とされていたようである。例えば甲骨文字において、目の象形の下に三本の縦線が入っているものは漢字の「妙」に相当する。三本の縦線は「小」あるいは「少」という文字に相当するため、上部の目の象形が「女」に相当することが分かる。(図1)
一方、甲骨文字における「女」という文字は「人が座っている図」から変化したものとされている。「座っている人」が「女性の象徴」とされていることが分かるが、頭部や目は特に強調されておらず、「女性」を示す文字にも頭部を強調するものと、しないものの2系統の起源があることが示唆される。(図2)
甲骨文字における「見」という漢字を見ると、目の象形に人の手足が付いている形で現されていることが分かる。この場合の人の足も「座っている形」で現されることから、この文字も「女性が座っている図」から生じたもので、かつ目が強調されている文化から出た文字であることが分かる。おそらく頭部を強調する母系社会であった巴蜀地域の文化から発生しているのが「見」という文字で、本来は「女性」のことを示していたのではないかと思われる。例えば「親」という文字にも「見」という漢字が含まれるが、母系社会においては子供の世話をする等、「親」としての重要性は父親よりの母親の方が高くなることは当然である。女性の地位が独立的で、多夫的な傾向が強まれば強まるほど、家族としての父親の役割は少なくなるであろう。そう考えれば、母系社会において「親」として重要なのは女性なのであるから「親」という漢字に「見」という本来女性を示す文字が含まれていても不思議ではなくなる。要するに母系が強力な社会においては、母親こそが「親」なのである。そして、巴蜀文化の神が頭部を強調したものであり、それが母系社会の女神であるならば、この場合「見」という言葉に象徴されるのは、人間であれば母親、神であれば人々全体の母親、すなわち母神ということになるのであろう。(図3)
「見」という甲骨文字に近い形のものに「蜀」という言葉を表す甲骨文字がある。この文字は「目」に細長い胴体がついており、下半身は座った姿で現されている。この下半身は「女」と同語源の形と思われるが、ここでは「虫」の原型とされている。ただし、巴蜀における「目」が「女性のもの」と考えられていたようであるので、何らかの虫を原型としていても、いわゆる「女」、要するに「雌」を意味する言葉であったことが示唆される。この「虫」とはなんであったのか、ということになる。(図4)
図5はトンパ文字における「蛙」である。トンパ文字における蛙は「目」を強調した頭部を持つ人の図で現される。これは蛙が人に近い生き物であると考えられていた文化があったことをも示すものであると思う。
甲骨文字で、図5と類似したものに「黽」がある。これは蛙よりも大型のヒキガエルを指す言葉ではあるが、蛙の一種といえる。また、甲骨文字の蛙は、頭上に土を頂いた「目」を強調した姿で描かれ、本来の「蛙」を意味した文字は、トンパ文字、甲骨文字の双方に共通して「目を強調した生物」であったことが分かる。そして、トンパ文字の「蛙」や「黽」のように「目を頂いた座っている人(すなわち女性)」として現されることもあった。
そもそも「虫」という文字の原型は「頭部を強調しない蛇のような文字」で現されており(図8)、「蛙」という文字における「虫」という字とは起源が異なるのだが、時代が下るとこれらは一緒に現されるようになってしまい、「蛙」は特に「頭部(目)を強調した虫」として現されるようになったようである。要するに「蜀」という文字の原型こそが「蛙」を意味する言葉であった。そして同じ文字から母系社会の親、すなわち「(母)親」という文字の「見」という言葉も発生しているのである。甲骨文字というものは、そもそも単なる文字ではなくて、祭祀に用いる文字として使われていたものである。蛙を母親とみなす思想も宗教的な思想の一つとみなせば「蛙」は母系社会における「母親」を意味するのみでなく、祖神すなわち「氏族の太母」とみなすこともできる。古代中国では太陽信仰が強固であるため「祖神」とはすなわち「太陽」のことといえる。
図9も黽という文字の起源となった甲骨文字であるが、こちらは蛙が人を産み落としている図が描かれている。この図からも蛙が一種の「母神」として扱われていたことが分かる。「蜀」の「蛙」が、白虎を使いに持つ西王母であるとすると、西王母は目を強調する巴蜀文化の太陽太母であったことが、この点からも分かる。また、この図では蛙の体の中に十字が描かれ、丸に十字のような文様が、巴蜀の蛙神の文様でもあることが分かる。この文様はヨーロッパでは新石器時代(紀元前8500年~)より使われている「太陽十字」あるいは「太陽車輪」と呼ばれる文様でもある。しかし、その起源はおそらく中国の方が古いのではないだろうか。

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