ダロン

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太陽神石刻。1999年湖北省秭帰県東門頭遺跡出土。高さ105cm、幅20cm,厚さ12cm。湖北文物考古研究所蔵。[1]。紀元前6000年頃?(石刻の右側の絵文字のようなものの詳細は不明)
伏羲氏と女媧氏。
女媧が天、伏羲が地を示す。

ミャオ族の伏羲女媧神話に登場する男神。中国神話の伏羲に相当する。湘西のミャオ族にあつく信仰されてきた[2]。妻であり、妹であるバロンがいる。父の名はアペ・コペンという。ダロンは雷神を助けて神にかわいがられる。文化英雄的なダロンは、祝融型神のうち、伏羲型神である。

ミャオ族伝承

私的解説

ダロンは元々、洪水神話に「後付」された神と考える。たとえば、インドネシア、ヴェマーレ族の洪水神話は、「父親が起こした大洪水を娘が母親の形見のふんどしを身につけて生き残った。」という内容で、息子は登場しない。そして、娘が両親、特に母親の「跡継ぎ」であることが示唆されている。

ダロンの起源は、紀元前6000年頃に遡る城背渓文化のあたりと考える。出土した「太陽神石刻」に刻まれた人物像はダロンと考える(城背渓文化も参照の事)。この像に見える「尾」のようなものは神話的に、主に3つに分けられると考える。

  • ウナギ:インドネシア、ヴェマーレ族の神話に、大洪水は「ウナギ」が起こした、とある。
  • 蛇:伏羲には蛇の尾がついている。大洪水を生き残った神である。
  • 男根:台湾の伝承には巨大な男根を持つ巨人が出てくる。大洪水に関連している巨人である。

いずれも「大洪水」の神話に関する存在なので、元は一つの「同じもの」であろう。この「尾」が現代の中国神話の「伏羲の蛇の尾」となっていると考える。頭上に太陽を頂き、周囲に星々が散りばめられている構図は、神話に見られる伏羲・女媧図に非常に似ているのではないだろうか。「太陽神石刻」は「天の太陽(バイ)と地のダロ(後の伏羲)の図」と考える。バイ(白)は後のミャオ族神話のバロンである。いったんバロンに変化してから、彼女は女媧に変化したと思われる。

ダロンが後付で登場するようになった理由は、バロンではなく男子のダロンが「親の跡継ぎである」という口実を作るためだったのではないだろうか。母系社会では男子に相続権がないので、父系への移行期に付け加えたものと考える。

関連項目

脚注

  1. 考古学用語、太陽神石刻
  2. 村松一弥訳『苗族民話集』平凡社、1974年、3-15頁