'''牛乳'''(ぎゅうにゅう)やその加工品を得ることを主目的として飼養される牛は、'''乳牛'''(にゅうぎゅう)という。
'''牛糞'''(ぎゅうふん、うしくそ)は、肥料として広く利用されるほか、燃料や建築材料として利用する地域も少なくない(後述)。(ぎゅうふん、うしくそ)は、肥料として広く利用されるほか、燃料や建築材料として利用する地域も少なくない。与えられた飼料により肥料成分は異なってくるが、総じて肥料成分は低い。肥料としての効果よりも、堆肥のような土壌改良の効果の方が期待できる。乾燥地域では牛糞がよく乾燥するため、燃料に使われる。森林資源に乏しいモンゴル高原では、牛糞は貴重な燃料になる。またエネルギー資源の多様化の流れから、牛糞から得られるメタンガスによるバイオマス発電への利用などが模索されており、スウェーデンなどでは実用化が進んでいる。また、インドなどの発展途上国では牛糞を円形にして壁に貼り付け、一週間ほど乾燥させて牛糞ケーキを作製し、燃料として用いている(匂いもなく、火力も強い)<ref>『新編 地理資料』 2014年、p.130、ISBN 978-4-80-907612-1</ref>。アフリカなどでは住居内の室温の上昇を避けるために、牛糞を住居の壁や屋根に塗ることがある。 === 生薬 ===胆石は'''牛黄'''(ごおう)という生薬で、漢方薬の薬材<ref group="注釈">日本では『続日本紀』などに記述が見られ、一例として、文武天皇2年正月8日条(ユリウス暦換算:698年2月23日の条)、「土佐国から牛黄が献上された」と記されている他、11月29日条(ユリウス暦換算:699年[1月5日の条)にも、「下総国が牛黄を献上した」など、各地から献上品としての記録が見られる。</ref>。解熱、鎮痙、強心などの効能がある。救心、六神丸などの、動悸・息切れ・気付けを効能とする医薬品の主成分となっている。日本薬局方に収録されている生薬である。 牛の胆石は、人為的ではない状態では千頭に一頭の割合でしか発見されない、と言われていたため<ref>http://ameblo.jp/unryudo/entry-11394636056.html, 漢方の王様 「ゴオウ(牛黄)」, 杜の都の漢方薬局 運龍堂のブログ , https://web.archive.org/web/20160305124235/http://ameblo.jp/unryudo/entry-11394636056.html, 2016-03-05, 2018-12-15</ref>、大規模で食肉加工する設備を有する国が牛黄の主産国となっている。オーストラリア、アメリカ、ブラジル、インドなどの国がそうである。ただし、BSEの問題で北米産の牛黄は事実上、使用禁止となっていることと、中国需要の高まりで、牛黄の国際価格は上げ基調である。 現在では、牛を殺さずに胆汁を取り出して体外で結石を合成したり、外科的手法で牛の胆嚢内に結石の原因菌を注入して確実に結石を生成させる、「人工牛黄」または「培養牛黄」が安価な生薬として普及しつつある。胆汁は水彩画では胆汁をぼかし・にじみ用の界面活性剤として用いる。タウリン(taurine)は牛の胆汁から発見されたため、ラテン語で雄牛を意味する「タウルス(taurus)」から命名された。
=== 使役 ===
=== 去勢 ===
雄牛を去勢しないで肥育した場合、キメが粗くて硬く、消費者に好まれない牛肉に仕上がる。また去勢しない雄牛を牛舎内で群飼すると、牛同士の闘争が激しくなり、ケガが発生しやすく肉質の低下にもつながる。こういった理由から、肉用に飼育されるオスは一般的に去勢される。
== 利用 ==
=== 食用 ===
肉は牛肉として、また乳は牛乳として、それぞれ食用となる。食用は牛の最も重要な用途であり、肉・乳ともに人類の重要な食料供給源の一つとなってきた。牛乳も牛肉も、そのまま食用とされるだけでなく、乳製品や各種食品などに加工される原料となることも多い。
年老いて乳の出が悪くなった乳牛の経産牛は、肉質は硬くなって低下し、体も痩せ細ってしまう<ref name="食彩_20190803">2019-08-03, 第791回「牛肉」, https://www.tv-asahi.co.jp/syokusai/contents/toppage/cur/list.html , テレビ朝日, 食彩の王国(公式ウェブサイト), 2019-08-03</ref>。21世紀初期の日本の場合、こういった個体は廃用牛の扱いを受け、安値でペットフード用など人間向けの食用以外に回されるのが一般的である。しかし、再肥育して肉質を高めることで<ref group="注釈">番組内では「噛めば噛むほど味わい深い」と評している。</ref>人間向けの食用牛としての市場価値を“再生”させることに成功している業者もいるにはいる。
=== 生薬 ===
胆石は'''牛黄'''(ごおう)という生薬で、漢方薬の薬材<ref group="注釈">日本では『続日本紀』などに記述が見られ、一例として、文武天皇2年正月8日条(ユリウス暦換算:698年2月23日の条)、「土佐国から牛黄が献上された」と記されている他、11月29日条(ユリウス暦換算:699年[1月5日の条)にも、「下総国が牛黄を献上した」など、各地から献上品としての記録が見られる。</ref>。解熱、鎮痙、強心などの効能がある。救心、六神丸などの、動悸・息切れ・気付けを効能とする医薬品の主成分となっている。日本薬局方に収録されている生薬である。
牛の胆石は、人為的ではない状態では千頭に一頭の割合でしか発見されない、と言われていたため<ref>http://ameblo.jp/unryudo/entry-11394636056.html, 漢方の王様 「ゴオウ(牛黄)」, 杜の都の漢方薬局 運龍堂のブログ , https://web.archive.org/web/20160305124235/http://ameblo.jp/unryudo/entry-11394636056.html, 2016-03-05, 2018-12-15</ref>、大規模で食肉加工する設備を有する国が牛黄の主産国となっている。オーストラリア、アメリカ、ブラジル、インドなどの国がそうである。ただし、BSEの問題で北米産の牛黄は事実上、使用禁止となっていることと、中国需要の高まりで、牛黄の国際価格は上げ基調である。
現在では、牛を殺さずに胆汁を取り出して体外で結石を合成したり、外科的手法で牛の胆嚢内に結石の原因菌を注入して確実に結石を生成させる、「人工牛黄」または「培養牛黄」が安価な生薬として普及しつつある。
=== 牛糞 ===
糞は肥料にされる。与えられた飼料により肥料成分は異なってくるが、総じて肥料成分は低い。肥料としての効果よりも、堆肥のような土壌改良の効果の方が期待できる。また、堆肥化して利用することも多い。園芸店などで普通に市販されている。
乾燥地域では牛糞がよく乾燥するため、燃料に使われる。森林資源に乏しいモンゴル高原では、牛糞は貴重な燃料になる。またエネルギー資源の多様化の流れから、牛糞から得られるメタンガスによるバイオマス発電への利用などが模索されており、スウェーデンなどでは実用化が進んでいる。
また、インドなどの発展途上国では牛糞を円形にして壁に貼り付け、一週間ほど乾燥させて牛糞ケーキを作製し、燃料として用いている(匂いもなく、火力も強い)<ref>『新編 地理資料』 2014年、p.130、ISBN 978-4-80-907612-1</ref>。
アフリカなどでは住居内の室温の上昇を避けるために、牛糞を住居の壁や屋根に塗ることがある。
=== 胆汁 ===
水彩画では胆汁をぼかし・にじみ用の界面活性剤として用いる。
タウリン(taurine)は牛の胆汁から発見されたため、ラテン語で雄牛を意味する「タウルス(taurus)」から命名された。
== 歴史 ==
=== 世界 ===
ウシは新石器時代に西アジアとインドで野生の[[オーロックス]]が別個に家畜化されて生まれた。学説としては、西アジアで家畜化されたものが他地域に広がったという一元説が長く有力であったウシは新石器時代に西アジアとインドで野生のオーロックスが別個に家畜化されて生まれた。学説としては、西アジアで家畜化されたものが他地域に広がったという一元説が長く有力であった<ref>津田恒之 『牛と日本人:牛の文化史の試み』 東北大学出版会、2001年9月。ISBN 4925085409。17頁。</ref><ref>松川, 2010, p29</ref>。ところが、1990年代になされたミトコンドリアDNAを使った系統分析で、現生のウシがインド系のゼブ牛と北方系のタウルス牛に大きく分かれ、その分岐時期が20万年前から100万年前と推定された。これは、せいぜい1万年前とされるウシの家畜化時期よりはるかに古い。そこで、オーロックスにもとからあった二系統が、人類によって別々に家畜化された結果、今あるゼブ牛、タウルス牛となったという二元説が広く支持されている<ref>万年英之・内田宏・広岡博之 「ウシの起源と品種」『ウシの科学』 広岡博之編、朝倉書店〈シリーズ〈家畜の科学〉〉1、2013年11月、ISBN 978-4-254-45501-4。5-6頁。</ref><ref>松川, 2010, p29</ref>。 ウシは、亜種関係のゼブ牛・タウルス牛の間はもとより、原種のオーロックスとも問題なく子孫を残せるので、家畜化された後に各地で交雑が起こった。遺伝子分析によれば、ヨーロッパの牛にはその地のオーロックスの遺伝子が入り込んでいる。東南アジアとアフリカの牛は、ゼブ牛とタウルス牛の子孫である<ref>松川, 2010, p33</ref>。さらに、東南アジア島嶼部のウシには、別種だがウシとの交雑が可能なこともあるバンテンの遺伝子が認められる<ref>松川, 2010, p33</ref>。 ウシの家畜化は、[[ヤギ]]や[[ヒツジ]]と比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。 ウシはやがて世界の各地へと広がっていった。ヨーロッパではウシは珍重され、最も重要な家畜とされていた。8世紀後半ごろには車輪付きのプラウが開発され、またくびきの形に改良が加わることで牽引力としての牛はさらに重要となった<ref>ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの農村の生活』 青島淑子訳、講談社〈講談社学術文庫〉、2008年5月。ISBN 978-4-06-159874-4。30頁。</ref>。牛肉はヨーロッパ全域で食用とされ、中世の食用肉のおよそ3分の2は牛肉で占められていた<ref>ロリウー, 2003, p81</ref>。ヨーロッパ北部では食用油脂の中心はバターであり、また牛乳も盛んに飲用された<ref>ロリウー, 2003, p29</ref>。ヨーロッパ南部では食用油脂の中心はオリーブオイルであり、牛乳の飲用もさほど盛んでなかったが、牛肉は北部と比べ盛んに食用とされた<ref>ロリウー, 2003, p81</ref>。 アフリカにおいてはツェツェバエの害などによって伝播が阻害されたものの、紀元前1500年ごろにはギニアのフータ・ジャロン山地でツェツェバエに耐性のある種が選抜され<ref>『新書アフリカ史』 宮本正興・松田素二編、講談社〈講談社現代新書〉、2003年2月20日、55頁。</ref>、西アフリカからヴィクトリア湖畔にかけては紀元前500年頃までにはウシの飼育が広がっていた<ref>サムエル・カスール 『アフリカ大陸歴史地図』 向井元子訳、東洋書林、第1版、2002年12月3日。19頁。</ref>。インドにおいてはバラモン教時代はウシは食用となっていたが、ヒンドゥー教への転換が進む中でウシが神聖視されるようになり、ウシの肉を食用とすることを禁じるようになった。しかし、乳製品や農耕用としての需要からウシは飼育され続け、世界有数の飼育国であり続けることとなった。 新大陸にはオーロックスが存在せず、1494年にクリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった<ref name="Cambridge">『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典 2 主要食物:栽培作物と飼養動物』 Kenneth F.Kiple, Kriemhild Conee Ornelas編、石毛直道ほか監訳、朝倉書店、2004年9月10日、第2版第1刷。ISBN 4254435320。550頁。</ref>。とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し、19世紀後半には1,500万頭から2,000万頭にも達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが、19世紀後半にパンパ全域が牧場化し野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり、19世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている。。ウシは、亜種関係のゼブ牛・タウルス牛の間はもとより、原種のオーロックスとも問題なく子孫を残せるので、家畜化された後に各地で交雑が起こった。
1880年代には冷凍船が開発され、遠距離間の牛肉の輸送が可能となった。これはアルゼンチンやウルグアイにおいて牧場の大規模化や効率化をもたらし、牛肉輸出は両国の基幹産業となった<ref name="Cambridge"/>。また、鉄道の発達によって牛乳を農家から大都市の市場へと迅速に大量に供給することが可能になったうえ、ルイ・パスツールによって低温殺菌法(パスチャライゼーション)が開発され、さらに冷蔵技術も進歩したことで、チーズやバターなどの乳製品に加工することなくそのまま牛乳を飲む習慣が一般化した<ref>南直人 『ヨーロッパの舌はどう変わったか 十九世紀食卓革命』 講談社〈講談社選書メチエ〉、1998年2月10日、第1刷。113-114頁。</ref>。こうした技術の発展によって、ウシの利用はますます増加し、頭数も増加していった。ウシの家畜化は、ヤギやヒツジと比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。
=== 日本列島 ===
日本列島では東京都港区の伊皿子貝塚から弥生時代の牛骨が出土したとされるが、後代の混入の可能性も指摘される日本列島では東京都港区の伊皿子貝塚から'''弥生時代の牛骨'''が出土したとされるが、後代の混入の可能性も指摘される<ref name="Nishimoto">西本豊弘「ウシ」『事典 人と動物の考古学』(吉川弘文館、2010年)、p.162</ref>。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。古墳時代前期にも確実な牛骨の出土はないが、牛を形象した埴輪が存在しているため、この頃には飼育が始まっていたと考えられている。。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。'''古墳時代前期'''にも確実な牛骨の出土はないが、牛を形象した埴輪が存在しているため、この頃には飼育が始まっていたと考えられている。'''古墳後期(5世紀)古墳後期(5世紀)'''には奈良県御所市の南郷遺跡から牛骨が出土しており、最古の資料とされる。
当初から日本では役畜や牛車の牽引としての使用が主であったが、牛肉も食されていたほか、牛角・牛皮や骨髄の利用も行われていたと考えられている。675年に天武天皇は、牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁じた。禁止令発出後もウシの肉はしばしば食されていたものの、禁止令は以後も鎌倉時代初期に至るまで繰り返して発出され<ref>『肉の科学』 沖谷明紘編、朝倉書店、1996年5月20日、初版第1刷。8頁。</ref>、やがて肉食は農耕に害をもたらす行為とみなされ、肉食そのものが穢れであるとの考え方が広がり、牛肉食はすたれていった。8世紀から10世紀ごろにかけては酪や、蘇、醍醐といった乳製品が製造されていたが、朝廷の衰微とともに製造も途絶え、以後日本では明治時代に至るまで乳製品の製造・使用は行われなかった。
また、広島県の草戸千軒町遺跡出土の頭骨のない牛の出土事例などから頭骨を用いた祭祀用途も想定されており、馬が特定の権力者と結びつき丁重に埋葬される事例が見られるのに対し、牛の埋葬事例は見られないことが指摘されている。また、広島県の草戸千軒町遺跡出土の頭骨のない牛の出土事例などから頭骨を用いた祭祀用途も想定されており、馬が特定の権力者と結びつき丁重に埋葬される事例が見られるのに対し、'''牛の埋葬事例は見られない'''ことが指摘されている。
古代の日本では総じて牛より馬の数が多かった<ref>松井章 「狩猟と家畜」『暮らしと生業』 上原真人・白石太一郎・吉川真司・吉村武彦編、岩波書店〈列島の古代史〉第2巻、2005年10月。ISBN 4000280627。196頁。</ref>。平安時代の『延喜式』では、東国すべての国で蘇が貢納されており、牛の分布の地域差は大きくなかったようである<ref>市川, 2010, pp4-5</ref>。ところが中世に入ると馬は東国、牛は西国という地域差が生まれた。東国では武士団の勃興に伴い馬が主体の家畜構成になったと考えられている<ref>市川, 2010, p7</ref>。東西の地域差は明治時代のはじめまで続いており、明治初期の統計では、伊勢湾と若狭湾を結ぶ線を境として東が馬、西が牛という状況が見て取れる<ref>市川, 2010, pp5-6</ref>。
牛肉食は公的には禁忌となったものの、実際には細々と食べ続けられていたと考えられている。戦国時代にはポルトガルの宣教師たちによって牛肉食の習慣が一部に持ち込まれ、キリシタン大名の高山右近らが牛肉を振舞ったとの記録もある<ref>本山荻舟 『飲食事典』 平凡社、1958年12月25日、160頁。</ref>ものの、禁忌であるとの思想を覆すまでにはいたらず、キリスト教が排斥されるに伴い牛肉食は再びすたれた。江戸時代には生類憐みの令によってさらに肉食の禁忌は強まったが、大都市にあったももんじ屋と呼ばれる獣肉店ではウシも販売され、また彦根藩は幕府への献上品として牛肉を献上しているなど、まったく途絶えてしまったというわけではなかった<ref>原田信男編著 『江戸の料理と食生活:ヴィジュアル日本生活史』 小学館、2004年6月20日第1版第1刷、87頁。</ref>。しかし、日本においてウシの主要な用途はあくまでも役牛としての利用であり続けた。
日本においてウシが公然と食されるようになるのは[[明治時代]]である。[[文明開化]]によって欧米の文化が流入する中、欧米の重要な食文化である牛肉食もまた流れ込み、[[銀座]]において[[牛鍋]]屋が人気を博すなど、次第に牛肉食も市民権を得ていった。また、乳製品の利用・製造も復活した。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:ウシ(最終閲覧日:23Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B7 ウシ](最終閲覧日:23-01-17)
** ブリュノ・ロリウー, 2003-10, 中世ヨーロッパ食の生活史, 吉田春美, 原書房
** 市川健夫, 市川健夫先生著作集刊行会, 牛馬と人の文化誌, 日本列島の風土と文化:市川健夫著作選集, volume3, 第一企画, 2010, isbn:978-4-90-267615-0
[[Category:牛|*]]
[[Category:ケルト神話]]
[[Category:中国神話|*]][[Category:類熊|*]][[Category:犠牲獣|*]]
[[Category:日本神話]]
[[Category:東欧神話]]
[[Category:動物]]
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[[Category:祝融型神]]