「伏羲型神」の版間の差分
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神話が語られる氏族によって、動物のトーテムが異なるのは良くあることだが、神の名や神の性質も氏族によって大きく異なると考える。「ほぼ同じ性質の神」であっても氏族によって名前が異なったり、「同じ名前の神」であっても氏族によって性質が大きく異なったり、である。 | 神話が語られる氏族によって、動物のトーテムが異なるのは良くあることだが、神の名や神の性質も氏族によって大きく異なると考える。「ほぼ同じ性質の神」であっても氏族によって名前が異なったり、「同じ名前の神」であっても氏族によって性質が大きく異なったり、である。 | ||
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2026年2月4日 (水) 15:23時点における版
伏羲型神とは中国神話の伏羲とそこから派生したと思われる神々である。といっても、大抵の神々は「伏羲型神」なので、中国神話の男神は「伏羲型神」か「非伏羲型神」かでしかないといえる。起源が古い大抵の男神は、社会が母系から父系に移行するにつれて、女神から男神に置き換えられたものである。
目次
歴史的背景
古代中国における父系社会の「ゆりかご」といえるのは長江下流域(現在の上海付近)の太湖周辺で発達した良渚文化(紀元前3500年頃~紀元前2200年頃)である。これが次の時代に黄河文明側の竜山文化に発展して、父系の階級社会が確立していくのだが、その発生起源は長江文明側にあった。
良渚文化の起源は、その前身の崧沢文化(紀元前3900年頃~紀元前3200年頃)、更にその前身の馬家浜文化(紀元前5000年頃~紀元前4000年頃)にさかのぼる。馬家浜文化はすぐ南側の地域にある河姆渡文化(紀元前5000年頃~紀元前4500年頃)とほぼ同時期に存在し、互いに交流があったと考えられる。
東南アジアから南太平洋に分布するオーストロネシア語族は約6000年前(紀元前4000年頃)に中国南部、現在の福建省付近から台湾へ渡ったとされる[1]。この集団のY染色体ハプログループはO1aで、先祖は馬家浜文化の担い手と考えられている。おそらく彼らの先祖は台湾に移動した人々と、太湖周辺に残った人々とに別れ、中国本土に残った人達は後の崧沢文化、良渚文化を形成していったと考える。
よって、台湾原住民の神話を知ることは、とりもなおさず馬家浜文化・河姆渡文化とその後継といえる良渚文化で、どのような神話が語られていたのかを知ることとほぼ同じと考える。それが後の中国神話につながっていくであろう、と考える。
神型の分類
これは大別して「伏羲型神」と「グミヤー型神」に分けられると考える。
氏族による分類
神話が語られる氏族によって、動物のトーテムが異なるのは良くあることだが、神の名や神の性質も氏族によって大きく異なると考える。「ほぼ同じ性質の神」であっても氏族によって名前が異なったり、「同じ名前の神」であっても氏族によって性質が大きく異なったり、である。
台湾の伝承を見ると、大雑把に分けて2つの群が目立つように感じる。
一つは「パイワン族」「プユマ族」「ブヌン族」といった似たような名の氏族でであって物語性に富む伝承が多く、「同じ性質の神」であっても多彩な名の神々を擁している。例えば、彼らの語る「巨人神たち」は男根が大きい、織女を犯して殺す、母親とのなにがしかの確執があって殺したり殺されたりしている、という共通性があるが、その名はアミリミリガン、サカポラル、ディココと多彩である。
もう一つは「アミ族タバロン社」「ツオウ族」といった名前の氏族で、こちらの神々には「T」という子音がつくことが多い。
またタバロン社とプユマ族との間には「かつて女神を巡って戦争があった」という伝承があり、印欧語族の神話に「デーヴァ対ヴァルナ」の対立の構図が目立つことと考えると、その起源となる伝承ではないかと考えられ興味深い。
個人的には台湾の「パイワン族」とは中国での「プーラン族」、「タバロン社」とは「チワン族」のことと考える。台湾の「タバロン対プユマ戦争」の伝承は、かつて彼らの先祖が中国大陸にいたときに「チワン族対プーラン族」の間で何かいさかいがあり、それが台湾の「タバロン対プユマ戦争」の伝承に変化したのではないだろうか。一方で、「チワン族対プーラン族」のいさかいが印欧語族の世界に伝播したものが「デーヴァ対ヴァルナ」の戦いであり、中国神話に移行したものが「炎帝(チワン)対黄帝(プーラン)の戦い」に発展したと考える。
伏羲とは何者なのか
ヴァルナとはなんだろう
ヴァルナとは、イラン・インド神話の神であり、男性神とされる。天空神であったり、水神であったりする。ミャオ族の女神「バロン」を男性化したものと考える。とするとこの神はミャオ族の神なのか、というと必ずしもそうではないと考える。
この神の発生には大渓文化が関係していると考える。大渓文化は楓の木を神聖視し、城砦を作り、一般人は「竹」をトーテムとする、というような緩やかな階級制の発生した社会と考える。担い手はミャオ族とされるけれども、ミャオ族だけの文化ではなく、周辺の少数民族も構成員に含まれていたと考える。また城砦が作られるくらいなので「軍団」の重要性が強く、母系社会であっても男性の社会的地位は他の母系集団に比べて高かったのではないか、と思う。彼らは基本的には母系的なミャオ族の祖神を神として祀っていたと考える。非ミャオ族集団は、どうしても社会的地位が低い側に追いやられやすいので、職業軍人としての出世を望み、社会的地位を上げたいと考えていたのではないだろうか。母系集団のミャオ族の方は、そういう彼らをいわゆる「傭兵的」に利用したい、という思惑もあったかもしれない。よって、下層階級は兵士としての男性が重要視される父系社会になりやすかったのではないか、と考える。男の子が出世できるかできないかが、家族にとって社会的地位を左右したのだ。
そこで、一部のミャオ族、特にあまり社会的地位が高くない人々の中には、母系社会で女性が優位であることに不満を持ち、父系への移行を求める動きが強くなったものと思われる。彼らはミャオ族以外にも同志を募り、バロン女神を男神に置き換えた、「ヴァルナ」という神を作り出したと思われる。急激な社会の「父系化」を狙う、過激な「ヴァルナ党」とも言うべき集団だったと考える。氏族構成は、バロン女神の名からとっているにも関わらずごく少数の過激派苗族と、それに賛同する各部族となっていたのだろう。その中にはチワン族の一部も加わっていたと思われる。チワン族はミャオ族にとって特別な氏族だったと考える。なぜなら、遠い昔にチワン族から入り婿的にミャオ族の女首長(太陽女神の地上における代理人)の側近となり、「人肉食と人身御供禁止」と「兄妹婚禁止」という2大改革を行った英雄がいたからである。チワン族のトーテムは犬と蛙なので、ヴァルナ党に加わったチワン族はこの英雄を「槃瓠王」と読んだと考える。これも結局バロン女神の名前である。しかし仕方がなかった。母系社会では父親は重要視されないので、遠い男性の先祖は名か残っておらず、そのトーテムにちなんで、ミャオ族の先祖は豚、チワン族の先祖は犬と言うしかなかったのだろう。
ということで、チワン族はミャオ族にとって、特別な部族ではあったけれども、立場としてはやはり「臣下」だったのだと考える。でもチワン族は真面目で律儀な人々だったので、遠い先祖が真面目に臣従していたミャオ族に、先祖に倣って臣従し続けている人達がいたのかもしれないと考える。チワン族は、彼らは彼らで独自の神々を擁していたので、宗教的に他の諸部族ほどは「ミャオ族化」しなかったのだと考える。こうして、過激な父系化を狙う「ヴァルナ党」が結成され、母系社会であったミャオ族と対立するようになったと考える。チワン族は有力な構成部族だったので、特別にチワンの名をとって「デーヴァ党」を結成した。ヴァルナと対立するデーヴァではなく、「ヴァルナ党の中のデーヴァ党」である。ミャオ族の女王を巡って、ミャオ族とチワン族が対立したのは、遙か何千年も昔の話である。ヴァルナ党の構成要員は
- ごく少数の(だけど中枢的な)過激ミャオ族
- 次席の一部チワン族
- 諸部族
だったと考える。彼らは彼らで、男性の社会的地位の向上を目指しながら共同で大規模な水稲耕作社会を運営するようになっていったと考える。当然ミャオ族本隊はこの動きから離脱してしまうし、この動きに加わらないで山間部などで古くからの伝統的な生活を続ける人々も大勢いたことと思われる。彼らの最初の到達点といえるのは、現在の上海付近に成立した「馬家浜文化」と「河姆渡文化」と考える。この2つの文化は近隣にあり、互いに交流しながらそれぞれ独自の宗教体制を敷いていた。おそらく「馬家浜文化」はヴァルナ党、「河姆渡文化」はデーヴァ党が築いた社会と思う。
ともかく、「ヴァルナ党」とは台湾原住民では主にパイワン族、という名になったと考える。彼らの伝説的な始祖の中にサプラルヤンヤン、サカポラル、サプルガンなどの名を持つ男性がいる。彼はサシミダル、サジュムジという男性と父子などの近親で語られることが多い[2]。彼にはモアカイという妻がいることが多い。モアカイとは中国神話の「女媧」に相当する名と思われる。要するに「サプラルヤンヤン」などの名前で呼ばれる頭目は、名前の子音からみても中国神話の伏羲に相当すると考える。
つまり、中国神話における「ヴァルナ」とは何かといえば、ミャオ族の女神バロンを流用して男神に置き換えたものであり、それは古代に存在した他民族から成る氏族の名として使われ、現在のプーラン族(台湾のパイアン族など)にその名を留めている神である。その男女の始祖的首長とされたのが現在の「伏羲」と「女媧」の組み合わせの出発点だったといえる。ミャオ族神話の伏羲は、大岩と化してしまう水牛のシィウニュウ(Hxub Niux)と考える。彼はシャンリャン(Xang Liang)女神と耕作を終えた後、石と化してしまう神だ。
現在のプーラン族の伝承では、「ヴァルナ」に相当する神は「茶の木」を植えた神、あるいは「茶の木そのもの」とみなされているようで、かつて「創造神」とされていた名残のようなものは感じられるけれども、最も重要な「神」は英雄神でもあるグミヤーに置き換わってしまっているように感じる。台湾の伝承では逆に「創造神」としてのグミヤーの姿は薄れており、「空を飛ぶ神」といった性質が断片的に残されているのみと感じる。ミャオ族の中での「グミヤー」に相当する神は、「父なるアペ・コペン」と考える。同族食いと近親結婚を容認する神である。アペ・コペンはおおむね「死ぬ神」といえる。中国神話で大洪水を生き残る子供達の父は死ぬことが多いし、アペ・コペンも天に昇って地上には帰ってこない。ただし、天空を飛んでさまよう神とされている。
このように見ていくと、伏羲やグミヤーは、ミャオ族の中では「死ぬ父神」あるいは「死ぬ牛神」のような存在であって、本来は「死ぬ男神」だったと思われる。伏羲は始祖神話としては、「死ぬ神」の要素を父に移し、「死なない神」として設定された神のように思える。
時代が下って王権が発生してくれば、伏羲は「人類の始祖」のみでなく「王権の始祖」も兼ねるようになる。「伏羲」を擁していた氏族が、最終的に中原の王権を獲得したとすれば、彼らの祖といえるのは誰だろうか。それは「黄帝」ではないだろうか。とすれば、黄帝は伏羲の「一形態」といえる。彼はパイワン族の「父なる一族長」から、中国全体の始祖神・黄帝に上り詰めたのだろう。
遺伝子的には、Y染色体ハプログループO-M119は現代中国に於いては全国男性人口の約11.06%を占める[3]が、その大半(中国全国男性人口の約5.95%)は今より約5,440年前[4]または4,622(95% CI 5,597 - 3,809)年前[5]に一人の共通祖先をもち、良渚文化と関係があろうと推測されているO-F81というサブクレードに属している[6]、とのことである。この中国全土の約6%を占める共通の「父」といえる人物が、良渚文化を形成したパイワン族の出身で、彼こそが「漢民族の父」とも言うべき実在の存在なのではないかと考える。彼と彼の子孫が増え、中国全体の政治に大きな影響を与えるようになったので、彼らの神話や始祖神話が後の中国神話にほぼ移行することになったのではないか、と考える。要は伏羲も黄帝も、元は良渚文化を形成したパイワン族の神だったのだろう。
また、台湾原住民の神話・伝承を見るに、どの部族も少しずつ違っても似たような伝承を持っているので、彼らはあまり神話や神の名で部族の個を主張するというナショナリズム的な思想はほぼ持っていなかったと考える。だから、伏羲のような性質、伏羲のような伝承を持つ神あるいは始祖は、どの部族にも存在し得た。彼らは互いに神話・伝承を共有しながら、血族ではなく同盟から成る「他民族部族」を形成したと考えられる。これは古代ユダヤの「12支族」のようなものだったかもしれないと考える。
この集団の特徴は「母系社会」を敵視していることである。「風によってはらみ、父親の分からない子を産む」とされるいわゆる「女人島」の伝承や、チモ族を殺して芋を盗む伝承などがある。女人島や、チモ族というのは、母系社会であったミャオ族を投影していると考える[7]。
ということは、中国神話における「三苗」がミャオ族の先祖のことを指すとすれば、彼らと戦ったのは堯と言われているので、「尭とはいずれかの時代のパイワン族(プーラン族)の始祖的首長」のことを指すのではないかと考える。まだ「漢民族」というものが発生していない時代の話である。
ということで、ヴァルナとは何かといえば、最終的には中国神話の「黄帝」に変化した「伏羲」と「同じ神」といえると考える。しかし、重要な神は彼だけではない。
デーヴァとはなんだろう
中国神話における「デーヴァ」とは、「パイワン族」に比べればもっと血族性が高い集団で、「チワン族」の一派と考える。彼らの伝説的な先祖の槃瓠の名もバロンからとったもので、犬と蛙をトーテムに持つ人々といえる。彼らはミャオ族と関連が深く、臣従的な部族もいたので、ミャオ族の一部が過激な父系化を目指したときに行動を共にしたのではないかと考える。こちらは台湾では「アミ族タバロン社」や「アヤタル族」という名となっているのだろう。ただし、全体的にこちらの方がパイワン族よりは女神信仰に好意的であって、好意的な文化を色濃く残したと考える。アヤタル族の英雄に「ブタ」という男がいるが、これはチワン族の布洛陀、日本物部氏の布津主に相当する神と考える[8]。
そして印欧語族の神話で有名な「ヴァルナ対デーヴァの対立」のうち、黄帝がヴァルナに相当するならば、デーヴァに相当するのは炎帝である、と述べる他ない。チワン族は台湾では主にタバロン社に名を変えたと思われるが、タバロン社には「T」音で始まる名の神々が多く、プユマ族と戦ったタバロン社の英雄に「テオイツ」という名の男が見えるので、彼が蚩尤及び饕餮の、少なくとも名前は原型と考える。もちろんタバロン社で英雄として語り継がれているのだから、テオイツは決して「負ける神」でも「死ぬ神」でもない。その点が中国神話の蚩尤・饕餮とは異なっている。
どちらかというと、中原ではいわば「勝ち組」といえる黄帝や伏羲は、本来「死ぬ神」、「負ける神」だったのだけれども、子孫が中原の覇者となったために、本来の姿とは逆に「死なない英雄神」にまつりあげられてしまい、彼らと対立したチワン族の神は、本来「勝者」だったのに、「殺される神」に変更されてしまったのではないかと考える。
ヴァルナ対デーヴァ
台湾の伝承には「タバロン社とバアタン社との戦争」とか「タバロン対プユマの戦争」の伝承があり、女性を巡った戦争が、かつて彼らの間にあった、とされている[9]。でも、それは昔の話で、現在両者は仲良く暮らしている、ともされている。しかも神話を見るに、両者には共通した話もあり、伏羲型神は、タバロン社の側にもいるといえる。というよりも、英雄ブタそのものが、伏羲型神のように思える。彼らの先祖は互いに争い戦ったかもしれないが、子孫の一部は協調的に活動しており、それぞれの神々や文化は類似したり、入り交じったりしているのだろう。
蚩尤とはなんだろう
プユマ族と戦ったタバロン社の英雄に「テオイツ」という名の男が見えるので、彼が蚩尤及び饕餮の、少なくとも名前は原型と考える。だから、蚩尤がどこの氏族出身であるかはまず置いておくとしても、どこの「神」としてみなされていたかといえば、一番は父系の思想が強い「チワン族」の神とされていたのが、その名前の出発点ではないかと思う。黄帝(パイワン族(プーラン族)・ヴァルナ)の側と対立した炎帝(アミ族タガログ社(チワン族)・デーヴァ)の神とみなされ、中原で強く悪神として残されたのではないだろうか。ただしパイワン族のサジュムジも饕餮に類する名と思われるので、この名も特定の部族専用の神とは言えなかったと考える。デーヴァの側の饕餮は蚩尤でもあり、ヴァルナの側の饕餮は息子神としての性質が強く、後の中国神話では少昊(推定****s-luwʕ-qawʔ***)と祝融になったと考える。日本神話ではこの神を須佐之男と呼ぶと思う。いずれも元は「同じ名前の神」だったかもしれないけれども、語り継いでいる部族や氏族が異なるから、その点では「異なる神」といえるのではないだろうか。
苗族で蚩尤に相当する神は、大岩と化してしまう水牛のシィウニュウ(Hxub Niux)と考える。彼はシャンリャン(Xang Liang)女神と耕作を終えた後、石と化してしまう。これだけのエピソードなのだけれども、これが中国神話での「魃女神が蚩尤を倒した」という部分と対応するミャオ族の神話なのである。中国語で「日」のことを「リー」と読むそうなので、リャン女神とは「太陽女神」のことと考える。魃女神も日や火に関する女神で、元は太陽女神と思われるので、要はどちらも「太陽女神が牡牛の神を倒した」という神話である。シィウニュウの名は中国語の「伏羲」に相当すると考える。蚩尤が殺されて楓の木になった、というのはいわば後世の中原側の言い分であって、大渓文化での楓信仰が蚩尤信仰であるとはいえない。古い時代に「木と化す」神の多くは女神である。大渓文化で信仰されていた「楓の木の神」とは、蚩尤ではなく、「種の家」を焼いてしまったニュウシャン(Niu Xang)がその罰として、死後変化したものとみなすのが正解だと考える。この「ニュウ女神」の名は、中国神話の「女媧」に相当する名なのではないだろうか。だから、「魃女神が蚩尤(牛神)を倒した」という神話は、ミャオ族の伝承では「リャン女神が伏羲を倒した」という話になってしまうのだ。とすれば、「蚩尤」というのはその由来がどのような神だったとしても、漢族の「伏羲」を「殺された神」としないために、その代わりに設定されたいわば「スケープゴートの牡牛神」といえるのではないだろうか。本来、蚩尤はチワン族の神で「牡牛」の神ではなかったし、牡牛の神は伏羲(黄帝)で、殺されてしまうのはこちらだったのだ。
炎帝とはなんだろう
古い時代の神々の中に黄帝や伏羲が存在するなら、「炎帝」だっているはずである。そもそも炎帝がいなければ炎黄の対立神話が生まれようもない。炎帝はその体が透き通っていた、ということでも有名である。台湾のアミ族タバロン社にはテヤマサンという美しく光り輝いて体内が透き通って見えた、という女神が登場する。彼女はブララカスという海から来た男に連れ去られてしまう。ブララカスというのは、名前から見て中国神話の「伏羲」のことであり、テヤマサンとはインドやケルトでダヌと言われる大母女神に近い女神のことと考える。おそらく彼女はチワン族の「太陽女神」であって、チワン族の言い分によれば、彼女こそがパイワン族にさらわれ、殺されてしまった女神なのだ、ということなのだろう[10]。
海にさらわれてしまったテヤマサンは戻ってこない。しかしアミ族の別の神話では、チカナサウという女神がいて、彼女の息子のチマチウチウは海で行方不明になるけれども、魚に乗って戻ってくる。この魚の名がチサイニンといって、おそらくギリシア神話のトリトーンに相当する神と考える。が、ともかくアミ族の人々は「海にさらわれた女神」を「生還する男神」に変えて死なないことにして陸に戻してしまったのだと考える。母のチカナサウがこの生還に関わったとはされていないけれども、もしかしたら彼女の霊力のようなものが、チサイニンを魚に変えて息子を助けた、とされるのかもしれない。チマチウチウはテヤマサンであり、チサイニンでもあると考える。いずれもほぼ「TT」の子音の名を持つ神々である[11]。
スイス・レートロマンの伝承に「山のこびと」という話がある。これは『グレータとチアリという姉妹がいて、姉がおそろしい山のこびと「ギアン・ピッツェン」にさらわれたので、妹が助け出しに行く。妹はとらわれた姉を袋に詰め、こびとを騙して背負わせ、外に運び出させる。その後、チアリはこびとを水に投げ込んで殺す。』という話である。「ギアン・ピッツェン」とはグミヤーに類する名で、台湾アミ族のブララカス(伏羲)に相当する神と考える。チアリというのはチカナサウに類する女神で、おそらく彼女が姉の生還や再生を助けた、という神話が古くにあり、それが台湾とケルトに分かれて伝播したと考える。息子とされているチマチウチウは元は女神で、息子ではなく「姉」だったのだと考える。
とすれば、黄帝(伏羲・ブララカス)に殺された体の透き通って光り輝いていた「炎帝」とは太陽女神であったテヤマサンのことだったと考える。中原で彼女は男性形の炎帝に作り替えられてしまい、台湾でも「チマチウチウ」という男神に作り替えられてしまったけれども、遠く離れたケルトでは女神のままの姿が語り継がれていたと考える。そして、台湾の「チマチウチウ」というのは、とりもなおさず日本の「浦島太郎」のことなので、浦島太郎を擁する海部氏とはアミ族の分派なのだろうな、と考える。浦島太郎はどちらかというと布津主に近い名かと思うけれども、これを「倭直(ヤマトノアタイ)」としたら「チマチウチウ」のことと考える。日本の浦島太郎に目立つ母親はいないが、丹後半島には天香山命とその母・天道日女命が仲睦まじく土地を開拓した、という伝説が残る。また、千葉県には手児奈という、ややテヤマサン的な儚い女性の伝承がある。茨城県には寒田の郎子と共に亡くなる手子比売命の神話が残る。いずれも海部氏の伝承で、伏羲あるいはグミヤーに類する神に殺される「女神」だったものと考える。彼女こそが、チワン族に由来する「伏羲(黄帝)に殺される女神」なのであって、彼女こそが「炎帝の原型」といえるのではないだろうか。
また、チカナサウとテヤマサンは名か似ているけれども、「異なる女神」であって、「テヤマサン」の方は死すべき女神で、姉であり「吊された女神」が本来の姿と考える。一方の母なる「チカナサウ」は「養母としての女神」である。インド神話でいえば、テヤマサンはヤミー女神、チカナサウがダヌ女神と考える。「山のこびと」のチリアはダヌ女神の方で、姉のグレータがヤミー女神といえる。日本では手児奈が姉で、天道日女命が妹といえるのではないだろうか。パイワン族側の神話では、「テヤマサン」は「女媧」とか「塗山氏女」に相当する。チカナサウは中国神話では「魃女神」としての名しか残っていない。日本神話では、彼女たちは「母娘」に分けられて、テヤマサンが伊邪那美命、チカナサウが天照大御神と考える。テヤマサンがその名から丹後半島の「豊受大神」だとすると、これは伊邪那美命と同起源の女神であり、伊邪那美命が「パイワン的な女媧的女神」だとすれば、豊受大神は「タバロン的な炎帝的女神」とすることができそうである。彼女たちはいずれも「伏羲」に関わる「同じ女神」なのだ。姉の豊受大神は今伊勢の外宮におり、妹の天照大御神は内宮にいる、といえる。
神農とは何だろう
通常、神農とは炎帝とほぼ一として語られるが、果たしてそうなのだろうか。神農は「農耕を行う神」のことなので、炎帝とは異なると考える。こちらはミャオ族神話のシャンリャン(Xang Liang)女神のことと考える。日本神話の乙子狭姫に相当する。天照大御神は性質を拡張しすぎているが、やはり同じ神といえよう。
グミヤー
中国プーラン族の神グミヤーは、女媧に「若」という言葉を接頭辞的につけて「若女媧」という名前にして男性神にしたものと考える。単に名前を少し変えて、性別を変えただけなので、事績等はほぼ「女媧と同じ」と考える。
グミヤーが殺して世界を作ったという犀のような「リー」という動物は、これも「太陽」のことを思わせ、「太陽女神」のことと考える。ミャオ族の伝承でいうところの、フーファン(Fux Fang・大地)と「種の家」のことであろう。ミャオ族の伝承では、すでに「作り替えられてしまった後の姿」でしか残っていないといえる。でも、種とは通常地面から生えるものなので、「大地」と「種の家」が「同じもの」というのは分かりやすいのではないだろうか。
伏羲との違いは、伏羲は「人類の父系の始祖」とするために人間的に作られた存在で妻がいるが、グミヤーは「母系の女神」を「父系の男神」にするために男に置き換えただけだから、古い母系の大母が「多夫が通う女神」であって定まった夫のいない独身の女神であったことに対応して、「独身的な男神」という性質が強いということだと考える。また、逆に一夫多妻の文化の原点となる神ともなっただろう。また「空を飛ぶ」という性質が強調される場合がある。総合すると、人間が修行して何らかの超人的な能力を得るような、中国でいうところのいわゆる「神仙」、宗教的な「僧侶」とか「神父」とか、独身でかつ修行や経験を積んで、一般人とは異なる聖なる存在となる階級職の原点となるような神と考える。
ただし、結局伝播するうちに、伏羲的な「人類の始祖」とされる神と性質が入り交じってしまい、伏羲とグミヤーの区別がつかないような、どちらも似たような神になってしまっている場合もあると考える。そのため、本来の「伏羲」が「殺された神」だとすると、グミヤーもその性質を共有していると思われる。メソポタミアのドゥムジに代表される犠牲獣的な男性の神々である。こちらの方が伏羲・グミヤーの本来の姿だったのではないだろうか。
ただ、一部で「偉大な創造神」としてグミヤーが設定されてしまったために、他の氏族の異なる名前の系統の神々の中にグミヤーの性質が取り込まれてしまっている場合があると考える。
例えば、日本神話を例に挙げれば、神でもあり始祖神でもあり、独身的な神でもある高御産巣日神(たかみむすびのかみ)はグミヤーが変化したものと考える。その他、天香山命(あめのかぐやまのみこと)、「軻遇突智(かぐつち)」もそうであろう。また、民間伝承の「久米の仙人」、常陸国風土記に見える「寒田の郎子(かんだのいらつこ)」も同様に起源はグミヤーだと考える。「高御産巣日神」は創造神だけれども、「久米の仙人」は半神半人であって、どちらかといえば人間に属する存在である。「寒田の郎子」は亡くなってしまう少年だが、女神と対になって、どちらかといえば伏羲的な性質といえる。
また、空を飛んで逃げるゲルマン神話の鍛冶の王のヴェルンドやユダヤ神話の絶対的創造神ヤハウェなどは、名前はグミヤーに類するものではないけれども、性質的には類似している神といえると考える。中国神話の帝俊はグミヤーの名が変化したものと考える。中国神話のムドン神、他ここから派生したと思われる「ミトラス」に関する神々の起源もグミヤーであろう。
そして、少数ではあるが「月神」としても語られることがある。エジプト神話のクヌム、ヒッタイトの月神アルマなどである。少数派ではあるけれども、グミヤーの一形態として「月神」があることは、日本神話という点から見て、重要だと考える。なぜなら、記紀神話に名前しか出てこない「月夜見」とは、グミヤーが変化したものだと思われるからである。
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- ↑ Phylogenetic tree of Y-DNA at 23mofang
- ↑ FamilyTreeDNAによるハプログループO1a-M119の系統樹
- ↑ https://www.23mofang.com/ancestry/ytree/O-F81/detail
- ↑ 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p421
- ↑ 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p374-375
- ↑ 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p382-390
- ↑ 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p66-70
- ↑ 神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p245-247