「蚩尤」の版間の差分

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また、蚩尤は死して楓の樹に変化した、とされているが、長江文明の大渓文化の城頭山文化では建築資材として楓の樹が多用されており、蚩尤に関連した呪術的なこだわりがあったと思われる。ということは、紀元前5000年頃~紀元前3000年頃の古代中国で、すでに蚩尤は「負けて殺された神」と考えられていたということになる。インドの最古の宗教的思想ともいえるリグ・ヴェーダは紀元前1500年〜1000年頃に成立しているので、年代的にも中国の神話の方が古いといえるのではないだろうか。
 
また、蚩尤は死して楓の樹に変化した、とされているが、長江文明の大渓文化の城頭山文化では建築資材として楓の樹が多用されており、蚩尤に関連した呪術的なこだわりがあったと思われる。ということは、紀元前5000年頃~紀元前3000年頃の古代中国で、すでに蚩尤は「負けて殺された神」と考えられていたということになる。インドの最古の宗教的思想ともいえるリグ・ヴェーダは紀元前1500年〜1000年頃に成立しているので、年代的にも中国の神話の方が古いといえるのではないだろうか。
  
一方、余談的ではあるが、魃女神が本来、どんな女神だったのかを推察する名前が各地の印欧語即の神話に残されている。インドで魃女神と同じ「BT」の子音を持つのはシヴァ神の妻とされるパールヴァティーである。ゲルマンの神話ではヴェルンドという鍛冶神の妻にベズヴィルド(Böðvildr)という女性がいる。また、メソポタミアにはニンフルサグ女神がいる。総じて、愛らしく優しい女神とされることが多いのではないだろうか。
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一方、余談的ではあるが、魃女神が本来、どんな女神だったのかを推察する名前が各地の印欧語即の神話に残されている。インドで魃女神と同じ「BT」の子音を持つのは地母神プリテヴィー、シヴァ神の妻とされるパールヴァティーである。ゲルマンの神話ではヴェルンドという鍛冶神の妻にベズヴィルド(Böðvildr)という女性がいる。また、メソポタミアにはニンフルサグ女神がいる。総じて、愛らしく優しい女神とされることが多いのではないだろうか。
  
 
ちなみに、中国神話でバロンに相当する女媧は蛇女神である。魃+応竜がインドで蛇女神と現されることと相関する。本来'''魃女神と女媧は同一の女神だったのだろう'''。当然'''伏羲と蚩尤も同じ神だった'''のだと考える。ついでに述べれば、インドでは大洪水を生き残って人類の祖となったのは、マヌという男性ということになっている。これも苗族の別の女神であるニャンニを男性化したものと考える。父系の文化で、女神を勝手に男神に入れ替えてしまっているのは、魃女神の例だけではないのである。
 
ちなみに、中国神話でバロンに相当する女媧は蛇女神である。魃+応竜がインドで蛇女神と現されることと相関する。本来'''魃女神と女媧は同一の女神だったのだろう'''。当然'''伏羲と蚩尤も同じ神だった'''のだと考える。ついでに述べれば、インドでは大洪水を生き残って人類の祖となったのは、マヌという男性ということになっている。これも苗族の別の女神であるニャンニを男性化したものと考える。父系の文化で、女神を勝手に男神に入れ替えてしまっているのは、魃女神の例だけではないのである。
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=== 蚩尤は饕餮なのだろうか ===
 
=== 蚩尤は饕餮なのだろうか ===
蚩尤と饕餮は、いわば「デーヴァ」と「デーヴァ・デーヴァ」という名であって、関連性があるのは当然といえる。ただし、時代によって性質に混同が見られる。また文化によって、饕餮のことを「デーヴァ・デーヴァ」と呼ばず「ヴァルナ・デーヴァ」と呼んだ人々もいるかもしれないと考える。
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蚩尤と饕餮は、いわば「デーヴァ」と「デーヴァ・デーヴァ」という名であって、関連性があるのは当然といえる。ただし、時代によって性質に混同が見られる。また文化によって、饕餮のことを「デーヴァ・デーヴァ」と呼ばず「ヴァルナ・デーヴァ」と呼んだ人々もいるかもしれないと考える。後者の「ヴァルナ・デーヴァ」と呼んだ名が男性形の「BT」の神の起源の一つになっていると考える。また「デーヴァ・BT」と読んだ群もあるだろう。'''ディヤウシュ・ピトリ'''のように。そして、この場合対になる女神はプリティヴィー<ref>ただし、プリティヴィーは「天の女神(「太陽女神)」から「地母神」に変更されてしまっている。その理由は、'''中国では「蚩尤を倒して天に帰れなくなったから」'''と語られている。</ref>なので、'''女神の方も「BT」という子音'''になる。ともかく、男性形の「BT」という名の神、他に「TT」、「TB」、「TBT」となる子音の神は「'''軍団の軍団長'''」という意味も兼ね、そもそも一柱の神から成っている名ではないと思われる。
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それに対して、「デーヴァ(蚩尤)」の方は、ダロンもチャンヤンも「特定の個人」の名として使われるし、特定の個としての神、あるいは人を指す名と考える。いわば「デーヴァ(蚩尤)」とは、総司令官(女神)の次に来る「軍団の副司令官(男性の最高神)」というのが、一部のデーヴァ支持者の中での、本来の立場だったかもしれない。だから、「蚩尤副司令官」の下に「饕餮たち(軍団長たち)」がいた、というように分けられるのかもしれないと思う。
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その一方で、バロン・ダロンの神話にあるように、二人の父といえる雷神と、風神を思わせるアペ・コペンは天上界で並立している。これを風神ではなく、中国の黄帝が雷神と考えられるように、雷神もアペ・コペンも雷神であって、「二人の雷神」とみるのであれば、雷神とアペ・コペンが天上での「2雷神」ということになって、デーヴァというのは雷神の意味も兼ねるので「饕餮」ということになるのではないだろうか。要するに「饕餮」には「2雷神」の名と、その雷神の名を採った「軍団」の意味があって、序列からいえば
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* 饕餮(雷神)→蚩尤(人間の副総司令官)→饕餮(軍団)
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という構造なのだと考える。しかし、蚩尤が人間だったとしたら、悲劇的に殺されなくてもいつかは亡くなる。そして、死後神格化されれば、以下のようになるのではないだろうか。
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* 饕餮(雷神)→蚩尤(兵主神)→帝(Tei)→饕餮(軍団)
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「帝」とは人間の王であり、神々と人々との橋渡しとなる存在である。彼もまた「ディーヴァ」といえる。蚩尤は、こうして'''信奉者の間では「天の神」に昇格した'''と思われる。一方、天に戻れなくなってしまった魃女神は「地上の女神」のままだから、こうして「天の女神」と「地上の軍神」は立ち位置が入れ替わって、「天の軍神」と「大地の女神」になってしまったと考える。蚩尤が「天の神」になってしまったか、それまで彼が担っていた'''「天地を支える木(や柱)の神」や「殺されてバラバラになる神」の位置を他に振り替えなければならなくなる'''。「BN」の神に振り返られてしまったものが「盤固」、「BT」の神に振り返られてしまったのが「プルシャ」である。それは本当は蚩尤の役目、蚩尤に非常に近い位置にある「ダロン」の役目だったと思われる。彼らの本来の姿は、「殺される神」であるメソポタミアのドゥムジやギリシア神話のアドーニスだったのである。
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こうして、社会が階層化し、いろんなデーヴァが登場すると、誰がどのデーヴァなのか、誰が神でどれが人間の役職名なのかも分からなくなってくる。そこで、「蚩尤(デーヴァ)」に「太陽神」や「火神」の性質を持たせたのが「祝融」と考える。
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* 蚩尤(デーヴァ)=祝融(*tshuk-yuwng、融けるデーヴァ)
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である。「融」の字をつけたのは彼があらゆるものを融かす高熱の神であることを示したかったのだろう。武器を管理する「兵主神」の暗喩でもあったかもしれない。でもこれが印欧語族の間ではゲルマン祖語の「*jungaz(若い)」になってしまったと考える。祝融は「ヤング・デーヴァ」とか「デーヴァ・ジュニア」と呼ばれるようになってしまったのだ。おそらく日本語ではこれを更に意訳して「'''別雷神'''」と呼んだと思われる。だから、'''「別雷神」とは蚩尤のこと'''といえる。
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纏めると、'''神としての饕餮'''は「バロン・ダロン神話」に出てくるような「火雷神」で河姆渡よりも前の文化では2柱の男性神だったと思われる。現在の中国神話でいうところの'''炎帝と黄帝'''に相当する。その'''子神とされたのが蚩尤'''であり、苗族のダロン・チャンヤンと「ほぼ同じ神」である。ただし、時代が下り、神話が各地に拡散するにつれて、饕餮と蚩尤の地位が入れ替わったり、交錯してしまった場合があるため、両者を完全に分けて定義することは難しいと感じる。殷周の青銅器に見られる獣神面紋、いわゆる'''「饕餮紋」は蚩尤(祝融)の面'''と考える。黄河文明の祭器だから、祝融とすることが妥当かと思う。性質は'''火雷神の子神の火神か太陽神'''だと考える。地上の「皇帝」は彼の代理人とされたのだろう。そもそも'''「皇」という漢字は頭上に「日」をいただく王のこと'''とその形にある。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
 
『述異記』によると石や鉄を食べたという。超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした兄弟が81人<ref name="松村" />(『魚龍河図』による。『述異記』では72人)いたという。『書経』では性格は邪であり、その凶暴・貪欲さはフクロウにたとえられて「鴟義」(しぎ)と表現されたりしており、'''「反乱」というものをはじめて行った'''存在として挙げられている<ref name="経" />。
 
『述異記』によると石や鉄を食べたという。超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした兄弟が81人<ref name="松村" />(『魚龍河図』による。『述異記』では72人)いたという。『書経』では性格は邪であり、その凶暴・貪欲さはフクロウにたとえられて「鴟義」(しぎ)と表現されたりしており、'''「反乱」というものをはじめて行った'''存在として挙げられている<ref name="経" />。
  
古代中国の帝であった[[黄帝]]から王座を奪うという野望を持っており[[神農|神農氏]]の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして[[黄帝]]と涿鹿の野で戦った([[涿鹿の戦い]])。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、[[黄帝]]は指南車を使って方位を示して霧を突破し、'''妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音'''を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている<ref name="松村">松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 57-61頁 ISBN 4-390-10875-1</ref>。『山海経』大荒北経に記されている[[黄帝]]による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が[[黄帝]]に加勢しており、蚩尤を殺したとされている<ref>『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺[[夸父]]」</ref><ref>高島三良 訳 『山海経』 平凡社 1994年 169-171頁</ref>。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言い、黄帝はその'''蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした'''<ref name="松村" />。のちに劉邦がこれを軍旗に採用したともされる。
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古代中国の帝であった[[黄帝]]から王座を奪うという野望を持っており[[神農|神農氏]]の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして[[黄帝]]と涿鹿の野で戦った([[涿鹿の戦い]])。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、[[黄帝]]は指南車を使って方位を示して霧を突破し、'''妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音'''を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている<ref name="松村">松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 57-61頁 ISBN 4-390-10875-1</ref>。『山海経』大荒北経に記されている[[黄帝]]による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては'''応竜'''が[[黄帝]]に加勢しており、蚩尤を殺したとされている<ref>『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺[[夸父]]」</ref><ref>高島三良 訳 『山海経』 平凡社 1994年 169-171頁</ref>。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言い、黄帝はその'''蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした'''<ref name="松村" />。のちに劉邦がこれを軍旗に採用したともされる。
  
 
=== 兵主神 ===
 
=== 兵主神 ===
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=== 苗祖としての蚩尤 ===
 
=== 苗祖としての蚩尤 ===
 
中華人民共和国の湘西トゥチャ族ミャオ族自治州花垣県(湖南省)では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された<ref>楊志強 「“蚩尤平反”与“炎黄子孫” - 兼論近代以来中国国民整合的両条路線」(『中国農業大学学報(社会科学版)2010年 27巻4号)</ref>。また、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県(重慶市)には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「[[ミャオ族|苗族]]の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである<ref>段宝林 「蚩尤考」(『民族文学研究』 1998年第4期 10-17頁)</ref>。
 
中華人民共和国の湘西トゥチャ族ミャオ族自治州花垣県(湖南省)では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された<ref>楊志強 「“蚩尤平反”与“炎黄子孫” - 兼論近代以来中国国民整合的両条路線」(『中国農業大学学報(社会科学版)2010年 27巻4号)</ref>。また、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県(重慶市)には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「[[ミャオ族|苗族]]の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである<ref>段宝林 「蚩尤考」(『民族文学研究』 1998年第4期 10-17頁)</ref>。
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==== 私的疑問 ====
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蚩尤が苗族の始祖である、という点は別にそう主張されても構わないのかな、と思う。日本の賀茂氏もそうだし、炎黄の子孫を名乗る中国人もみな「'''蚩尤が始祖'''」といえるし、世界には「'''デーヴァの神'''」を祖神と仰ぐ民族が多数いるので、ある意味「世界的に主流な思想の一つ」と考えればそれまでである。ただ、苗族には普通にバロン・ダロンやチャンヤンという祖神がいるし、そもそも一神教の文化ではないので、祖神は他にも大勢いるはずである。そういう古来からの神々と、新たに採用した「祖神・蚩尤」との関連をどのように取り扱っておられるのかなあ、とそこは気になる点である。ダロンという名の祖神を蚩尤(デーヴァ)に書き換えても、意味としてはそう大差ないのに、なぜ書き換える必要があるのだろうか。九黎だの三苗といったところで、それは所詮「黄河文明」の側の記録である。内容を疑わずに100%信用してしまってよろしいのでしょうか、と思うのだが、実際はどのように取り扱われているのか気になるところではある。
  
 
=== 河川神として ===
 
=== 河川神として ===
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==関連項目==
 
==関連項目==
 
* [[祝融型神]]
 
* [[祝融型神]]
* [[祝融]]
 
*[[有熊氏]]
 
 
* [[大渓文化]]
 
* [[大渓文化]]
*[[ミャオ族]]
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* [[ミャオ族]]
 
* [[炎帝神農]]
 
* [[炎帝神農]]
 
* [[阪泉の戦い]]
 
* [[阪泉の戦い]]
 
* [[涿鹿の戦い]]
 
* [[涿鹿の戦い]]
 
* [[饕餮]]
 
* [[饕餮]]
* [[グミヤー]]:プーラン族の[[黄帝]]かつ[[羿]]。太陽は女神とされる。男神は月である。
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* [[グミヤー]]:プーラン族の[[黄帝]]かつ[[羿]]。太陽は女神とされる。男神は月である。そしてこの名は「'''ignis'''」に近い名と考える。
  
 
== 私的注釈 ==
 
== 私的注釈 ==

2026年1月21日 (水) 15:25時点における最新版

蚩尤(しゆう、Chīyóu、上代中国語:ティウグ(tʰjɯɢʷɯ)[1])は、中国神話に登場する神である。『路史』では姓は姜で炎帝神農氏の子孫であるとされる。獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。

私的解説[編集]

石斧か?[2]

結論から述べれば、蚩尤の直接的な起源は大渓文化あたりに遡ると考える。大渓文化の石器(あるいは玉器?)に刻まれた人面像は、蚩尤そのものであって、この時点で彼が道具、特に武器に何か呪術的な性質を与える神と考えられていたと思われる。首だけの像で現されるのは、彼が「首をはねられて死んだ」ことを意味しているのだと思う。死してなお、人々に影響を与え続ける「怨霊神」ともいえる。この神は、道具に関わる神として、大工の神や、鍛冶神などの職人の神へと変化していくように思うが、「兵主神」としての姿はその一形態と考える。

また、「兵主神」としての蚩尤には「軍を組織する」という性質も備わっていると考えるが、大渓文化の時代にそこまでの権限がある神とみなされていたかどうかは定かでないと考える。大渓文化が母系の文化であれば、軍事権は女神が持ち、武器管理権を「大渓の蚩尤(とその子孫)」が有していた可能性が高いと考える。武器の管理には、当然武器に関する祭祀も含まれるので、蚩尤の子孫とされる男性が、武器に関する祭祀を行っていたと想像される。

しかし、時代が下って、文化が母系から父系に変化し、首長(王)の地位が女性から男性に変更されると、当然軍事権も男性に移行されたことと思う。そうなれば、蚩尤は武器管理と共に、軍事権の象徴ともされ、現在の姿のようないわゆる「兵主神」とされるようになったのではないだろうか。

誰が蚩尤を倒したのか[編集]

現在の神話では黄帝が蚩尤を倒した、とされているが、果たして元からこのような形だっただろうか、と思う。なるべく、元の形に近い名を挙げるのであれば、「魃」という女神が蚩尤を倒した、と言えるかと思う。また、雷雨を操るという「応竜」も挙げられるであろう。いずれも、蚩尤を倒した後、「天に戻れなくなった」という逸話を持つ。古代中国も混血が進んで「漢民族」というものが形成される前は広大な地に他民族が住んでいたと思われるので、個人的には「魃と応竜は同じもの」なのではないかと思う。別々の部族で、「蚩尤を倒した」とされる神が複数の系統に分かれ、その内「魃」と「応竜」が有力な神だったので、漢民族の神として神話を纏める際に採用されたのではないだろうか。彼らは天候と絡めて、「北で干魃を起こす魃、南で雨を降らせる応竜」として組み合わされたが、元は一つのものだったと考える。いわば、蚩尤は黄帝ではなく、「黄帝の娘」に倒されたと言えるのではないだろうか。

その根拠としては、インド神話のヴリトラが挙げられるように思う。ヴリトラは「巨大な蛇の怪物」とされるが、干魃を起こす蛇神である。中国の「魃女神」も、「竜」というものが発生する以前は、蛇神と考えられており、干魃を起こす神でもあったのではないだろうか。ヴリトラの名の子音は「BT」であって、まさに「魃」と一致する。インドでは、ヴリトラはインドラに倒されてしまう。デーヴァの神々が正統なのだから、神々の正統性を示すためにも、神々は勝者でなければならないからだ。では、デーヴァとは何なのだろうか。それはティウグ(tʰjɯɢʷɯ)と呼ばれた蚩尤のことなのではないだろうか。蚩尤と魃女神との戦いは、中国とインドで正反対の神話が語られているのである。

女神と男神の入れ替え[編集]

実際にどちらが勝者だったのかといえば、それは魃女神だと考える。すなわち、中国側の神話の方が、古い形式なのだと考えるけれども、現在の中国の神話では、この女神はさほど地位が高い女神ではない。それどころか、「魃」という言葉はイメージの良い言葉ではないし、彼女は黄帝の勝利に貢献したにもかかわらず、その性質ゆえに北方に幽閉されてしまったことになっている。これは、彼女が一時的に勝利を収めたのだとしても、社会的な文化は母系から父系に変わってしまったので、女神の地位やイメージが低下させられたのだと考える。一方、父系の思想からいえば蚩尤が倒されてしまう神であっては都合が悪いことになる。だから、蚩尤のイメージが良くなるように、そして魃女神のイメージが悪くなるように、互いを入れ替えてしまったのではないだろうか。その入れ替わった神話がインド神話なのだと考える。

魃女神とデーヴァ
中国 インド 苗族神話(比較) 中国 インド
入れ替えた女神 ダヌ ダロン(男神)・チャンヤン 伏羲
倒す神 魃・応竜 インドラ(勝つデーヴァ) バロン(女神)・ニャンニ 女媧(Nǚwā) マヌ(人類の祖)
倒される神 蚩尤(デーヴァ) ヴリトラ(魃+応竜)(プルシャ)

念の為、比較に苗族の祖神の名を挙げておく。死して楓の樹に変化したとされる蚩尤は、苗族の楓香樹信仰と関連すると一般的に考えられているからだ。中国の神話では単純に、「魃・応竜」対「蚩尤」の戦いといえる。インドの神話では、これをただ単に男女を入れ替えただけでなく、「デーヴァ」に相当する神を、2つに分けて、一方を「ダヌ女神」と女神に変えてしまい、「勝利者としての蚩尤(デーヴァ)」として、新たに「インドラ」を加えている。神話というものは、時代が進むにつれて単純なものから複雑なものへと変化し、内容も素朴なものから壮大なものになっていくと考えるので、登場人物が増えているインドの神話の方が後発なのだと考える。

また、蚩尤は死して楓の樹に変化した、とされているが、長江文明の大渓文化の城頭山文化では建築資材として楓の樹が多用されており、蚩尤に関連した呪術的なこだわりがあったと思われる。ということは、紀元前5000年頃~紀元前3000年頃の古代中国で、すでに蚩尤は「負けて殺された神」と考えられていたということになる。インドの最古の宗教的思想ともいえるリグ・ヴェーダは紀元前1500年〜1000年頃に成立しているので、年代的にも中国の神話の方が古いといえるのではないだろうか。

一方、余談的ではあるが、魃女神が本来、どんな女神だったのかを推察する名前が各地の印欧語即の神話に残されている。インドで魃女神と同じ「BT」の子音を持つのは地母神プリテヴィー、シヴァ神の妻とされるパールヴァティーである。ゲルマンの神話ではヴェルンドという鍛冶神の妻にベズヴィルド(Böðvildr)という女性がいる。また、メソポタミアにはニンフルサグ女神がいる。総じて、愛らしく優しい女神とされることが多いのではないだろうか。

ちなみに、中国神話でバロンに相当する女媧は蛇女神である。魃+応竜がインドで蛇女神と現されることと相関する。本来魃女神と女媧は同一の女神だったのだろう。当然伏羲と蚩尤も同じ神だったのだと考える。ついでに述べれば、インドでは大洪水を生き残って人類の祖となったのは、マヌという男性ということになっている。これも苗族の別の女神であるニャンニを男性化したものと考える。父系の文化で、女神を勝手に男神に入れ替えてしまっているのは、魃女神の例だけではないのである。

兵主神の入れ替え[編集]

蚩尤は本当に兵主神なのだろうか。これももしかしたら女神の性質と入れ替えているのではないだろうか。おそらく、古代中国で「母系派」対「父系派」の対立があって、「父系派」が優位を得るために女神を男神に書き換えたのであれば、「母系派」もその逆のことをして優位に立とうとしたかもしれない、と考える。また、中原を離れた遼河文明では、太陽神について、女性形・男性形のどちらも信仰されていたと思われ、「同じ名前で同じ性質」の男女の神が並立することが許容されていたように思う。これは、中原から男女どちらの神も「同じ名前」で持ち込まれてくるから、どちらが正当なのかで争いが生じないようにする措置だったのかもしれないと思う。よって、文化の父系化が進むと、「母系派」の人々も自らの女神を男神に書き換えて、「女神を信仰している」と攻撃されないように防衛したのではないかと考える。先に書いたゲルマンのヴェルンド・ベズヴィルドの一対は、どちらも「BT」の子音である。ベズヴィルドを意図的に男性化したものがヴェルンドと考える。このようにして「女神信仰」を女神を男神に変えることで守りながら父系化していったのがゲルマン系の印欧語族と言える。上辺は父系化しながら、「女神(B)」対「男神(D)」の対立構造を強く残したのがイラン・インド系の印欧語族といえる。「ヴァルナ対デーヴァ」の神話はまさに「バロン対ダロン」の神話そのもので、中国的には「魃対蚩尤」に相当する。

蚩尤が「兵主神」となった起源は、苗族のチャンヤンが「7人の牛を屠殺する刀を管理する男性を定めた」とされる神話であると考える。「牛を屠殺する刀」とは「武器」の暗喩であって、要はこれは軍隊のことでもあるし、武器の製造・管理のことも含まれているのだろう。そうやって兵士と武器の「主人」となるからこそ「兵主神」といえるのではないだろうか。そして、もしこれが母系の文化の時代から定められていたとしたら、トップは女性であったかもしれないが、実際に兵士となるのは男性だったと考える。だから、蚩尤が「兵主神」の地位を「魃女神」と入れ替えていたとしても、その下で働く兵士はどちらも男性だったはずだ。「BT」の子音を持つ神の男性化は、「総司令官は女性かもしれないけれども、各軍団の軍団長はそれぞれ男性である。」ということから始まったのではないか、と想像する。母系社会の中での、中間管理職的な「下位の男性神」の誕生と言える。そして、彼が軍団の細かな祭祀の祭祀者ともなり得ただろう。

「BT」の神の起源は青銅器の発生よりも古い。初期の武器は石や木材でできていたと思われる。男性の「BT」の神は、まず石器の武器の管理者から始まり、次第に金属の生産が行われるようになると鍛冶神へと変化したのではないだろうか。それがゲルマン神話のヴェルンドと考える。「BT」の神が武器の製造や管理にかかわっていたことが彼の名前から推察される。それは「中間管理職」的に捉えれば男性の役職名となり得るが、母系社会であれば総司令官である女神の名でもあっただろう。また「BT」から派生していると思われる男性神は固有の武器を持っていることが多い。ブリトンのアーサー王はエクスカリバーを持っているし、カフカスのスズカラという権を持つ。メソポタミアのニヌルタはシャルルという武器を持つ。これは「BT」の子音を持つ彼らが「武器を管理する役職の神」でもあったことの名残ではないだろうか。

また、女神の役割としては、ギリシア神話のアテーナー女神は7将の生殺与奪の権利を持っている女神として描かれるし、アリアドネーは迷宮を抜ける手助けをしてテーセウスを勝利に導く。ケルトの女神バズヴは兵士を動かして戦況を左右させ得る力を持つ。これらは、元々「BT」の女神こそが「兵主神」であることを示しているのだと考える。日本の場合、「布津主」は剣の精霊神とされる。また似た名の丹生都比売神という女神がいて、彼女は高野御子という狩りの神(要は軍神)の母とされる。名前は「BT」ではないが、戦場を自ら指揮する神功皇后という女神もいる。また、「祭祀」に形態を変えて「皇后(女性)が八大夫(やおとこ)・八美女(やおとめ)を定めた」という伝承がある。戦闘に際して、祭祀を行うのも彼らの役目だったはずである。

よって、蚩尤がというよりも、その前の段階のチャンヤンで、「兵主神」の地位は「BT」女神から男神へ変更されたのだと考える。蚩尤はその性質を引き継いだのであろう。

蚩尤は饕餮なのだろうか[編集]

蚩尤と饕餮は、いわば「デーヴァ」と「デーヴァ・デーヴァ」という名であって、関連性があるのは当然といえる。ただし、時代によって性質に混同が見られる。また文化によって、饕餮のことを「デーヴァ・デーヴァ」と呼ばず「ヴァルナ・デーヴァ」と呼んだ人々もいるかもしれないと考える。後者の「ヴァルナ・デーヴァ」と呼んだ名が男性形の「BT」の神の起源の一つになっていると考える。また「デーヴァ・BT」と読んだ群もあるだろう。ディヤウシュ・ピトリのように。そして、この場合対になる女神はプリティヴィー[3]なので、女神の方も「BT」という子音になる。ともかく、男性形の「BT」という名の神、他に「TT」、「TB」、「TBT」となる子音の神は「軍団の軍団長」という意味も兼ね、そもそも一柱の神から成っている名ではないと思われる。

それに対して、「デーヴァ(蚩尤)」の方は、ダロンもチャンヤンも「特定の個人」の名として使われるし、特定の個としての神、あるいは人を指す名と考える。いわば「デーヴァ(蚩尤)」とは、総司令官(女神)の次に来る「軍団の副司令官(男性の最高神)」というのが、一部のデーヴァ支持者の中での、本来の立場だったかもしれない。だから、「蚩尤副司令官」の下に「饕餮たち(軍団長たち)」がいた、というように分けられるのかもしれないと思う。

その一方で、バロン・ダロンの神話にあるように、二人の父といえる雷神と、風神を思わせるアペ・コペンは天上界で並立している。これを風神ではなく、中国の黄帝が雷神と考えられるように、雷神もアペ・コペンも雷神であって、「二人の雷神」とみるのであれば、雷神とアペ・コペンが天上での「2雷神」ということになって、デーヴァというのは雷神の意味も兼ねるので「饕餮」ということになるのではないだろうか。要するに「饕餮」には「2雷神」の名と、その雷神の名を採った「軍団」の意味があって、序列からいえば

  • 饕餮(雷神)→蚩尤(人間の副総司令官)→饕餮(軍団)

という構造なのだと考える。しかし、蚩尤が人間だったとしたら、悲劇的に殺されなくてもいつかは亡くなる。そして、死後神格化されれば、以下のようになるのではないだろうか。

  • 饕餮(雷神)→蚩尤(兵主神)→帝(Tei)→饕餮(軍団)

「帝」とは人間の王であり、神々と人々との橋渡しとなる存在である。彼もまた「ディーヴァ」といえる。蚩尤は、こうして信奉者の間では「天の神」に昇格したと思われる。一方、天に戻れなくなってしまった魃女神は「地上の女神」のままだから、こうして「天の女神」と「地上の軍神」は立ち位置が入れ替わって、「天の軍神」と「大地の女神」になってしまったと考える。蚩尤が「天の神」になってしまったか、それまで彼が担っていた「天地を支える木(や柱)の神」や「殺されてバラバラになる神」の位置を他に振り替えなければならなくなる。「BN」の神に振り返られてしまったものが「盤固」、「BT」の神に振り返られてしまったのが「プルシャ」である。それは本当は蚩尤の役目、蚩尤に非常に近い位置にある「ダロン」の役目だったと思われる。彼らの本来の姿は、「殺される神」であるメソポタミアのドゥムジやギリシア神話のアドーニスだったのである。

こうして、社会が階層化し、いろんなデーヴァが登場すると、誰がどのデーヴァなのか、誰が神でどれが人間の役職名なのかも分からなくなってくる。そこで、「蚩尤(デーヴァ)」に「太陽神」や「火神」の性質を持たせたのが「祝融」と考える。

  • 蚩尤(デーヴァ)=祝融(*tshuk-yuwng、融けるデーヴァ)

である。「融」の字をつけたのは彼があらゆるものを融かす高熱の神であることを示したかったのだろう。武器を管理する「兵主神」の暗喩でもあったかもしれない。でもこれが印欧語族の間ではゲルマン祖語の「*jungaz(若い)」になってしまったと考える。祝融は「ヤング・デーヴァ」とか「デーヴァ・ジュニア」と呼ばれるようになってしまったのだ。おそらく日本語ではこれを更に意訳して「別雷神」と呼んだと思われる。だから、「別雷神」とは蚩尤のことといえる。

纏めると、神としての饕餮は「バロン・ダロン神話」に出てくるような「火雷神」で河姆渡よりも前の文化では2柱の男性神だったと思われる。現在の中国神話でいうところの炎帝と黄帝に相当する。その子神とされたのが蚩尤であり、苗族のダロン・チャンヤンと「ほぼ同じ神」である。ただし、時代が下り、神話が各地に拡散するにつれて、饕餮と蚩尤の地位が入れ替わったり、交錯してしまった場合があるため、両者を完全に分けて定義することは難しいと感じる。殷周の青銅器に見られる獣神面紋、いわゆる「饕餮紋」は蚩尤(祝融)の面と考える。黄河文明の祭器だから、祝融とすることが妥当かと思う。性質は火雷神の子神の火神か太陽神だと考える。地上の「皇帝」は彼の代理人とされたのだろう。そもそも「皇」という漢字は頭上に「日」をいただく王のこととその形にある。

概要[編集]

『述異記』によると石や鉄を食べたという。超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした兄弟が81人[4](『魚龍河図』による。『述異記』では72人)いたという。『書経』では性格は邪であり、その凶暴・貪欲さはフクロウにたとえられて「鴟義」(しぎ)と表現されたりしており、「反乱」というものをはじめて行った存在として挙げられている[5]

古代中国の帝であった黄帝から王座を奪うという野望を持っており神農氏の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野で戦った(涿鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている[4]。『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている[6][7]。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言い、黄帝はその蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした[4]。のちに劉邦がこれを軍旗に採用したともされる。

兵主神[編集]

『史記』「封禅書」では蚩尤は八神のうちの「兵主神」[8]に相当するとされ、戦の神と考えられている。戦争で必要となる戦斧、楯、弓矢など優れた武器を発明、あるいはそれらに金属を用いるようになったのは蚩尤であると伝承されており[4]、『世本』では蚩尤が発明した五兵(5つの兵器)として戈(か)・矛(ぼう)・戟(げき)・酋矛(しゅうぼう)・夷矛(いぼう)[9]が、『初学記』では蚩尤が発明した剣[10]が、『龍魚河図』では兵杖・戟・刀・大弩が挙げられている。『呂氏春秋』「蕩兵」では、蚩尤は兵(兵器)を発明した元祖であると人々は言うが蚩尤は活用をしただけであり、それ以前から木などをつかった武器(械)は存在していた[11]、と説かれている。蚩尤が反乱を起こしたことで、これ以降は法を定めて反乱を抑えなければいけなくなったとも言う。『管子』でも金属を用いて剣・鎧・矛・戟などを蚩尤がつくりだしたと記されているが、ここでは蚩尤が黄帝の権臣として登場しており、両者の関係性がまったく異なっている[12]

古代中国の(かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は饕餮(とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる[13]

九黎[編集]

蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い九黎族、北方に住む巨人族夸父だった。蚩尤は九黎の一族の長であったとも考えられている。戦いに敗退した九黎族は逃れて三苗となったとされる。『書経』の「呂刑」によると黄帝(堯であるとも)は敵討ちを心配して苗民を皆殺しにしているが、この南方の民を根絶やしにできず、その後、三苗人は歴代の王を執拗に悩ます手強い敵となった[5][13]

苗祖としての蚩尤[編集]

中華人民共和国の湘西トゥチャ族ミャオ族自治州花垣県(湖南省)では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された[14]。また、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県(重慶市)には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「苗族の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである[15]

私的疑問[編集]

蚩尤が苗族の始祖である、という点は別にそう主張されても構わないのかな、と思う。日本の賀茂氏もそうだし、炎黄の子孫を名乗る中国人もみな「蚩尤が始祖」といえるし、世界には「デーヴァの神」を祖神と仰ぐ民族が多数いるので、ある意味「世界的に主流な思想の一つ」と考えればそれまでである。ただ、苗族には普通にバロン・ダロンやチャンヤンという祖神がいるし、そもそも一神教の文化ではないので、祖神は他にも大勢いるはずである。そういう古来からの神々と、新たに採用した「祖神・蚩尤」との関連をどのように取り扱っておられるのかなあ、とそこは気になる点である。ダロンという名の祖神を蚩尤(デーヴァ)に書き換えても、意味としてはそう大差ないのに、なぜ書き換える必要があるのだろうか。九黎だの三苗といったところで、それは所詮「黄河文明」の側の記録である。内容を疑わずに100%信用してしまってよろしいのでしょうか、と思うのだが、実際はどのように取り扱われているのか気になるところではある。

河川神として[編集]

揚子江流域では牛は農業神、河川神として現されることが多い[16]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

私的注釈[編集]

  1. ちなみに管理人は黄帝は龍文化の人であるとは考えていません。それは伝承を形成する上で、後付けされたものと考えています。

参照[編集]

  1. ピクシブ百科事典:蚩尤(最終閲覧日:26-01-19)
  2. 大渓文化、考古用語事典
  3. ただし、プリティヴィーは「天の女神(「太陽女神)」から「地母神」に変更されてしまっている。その理由は、中国では「蚩尤を倒して天に帰れなくなったから」と語られている。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 57-61頁 ISBN 4-390-10875-1
  5. 5.0 5.1 小林一郎 『経書大講』第5巻(『書経』呂刑) 平凡社 1939年 316-322頁
  6. 『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺夸父
  7. 高島三良 訳 『山海経』 平凡社 1994年 169-171頁
  8. 「封禅書」に説かれている八神は、天主神・地主神・兵主神・陰主神・陽主神・月主神・日主神・四時主神である。
  9. 『世本』作篇 「蚩尤作五兵。戈、矛、戟、酋矛、夷矛、黄帝誅之涿鹿之野。」
  10. 『初学記』「昔葛天盧之山,発而出金,蚩尤受而制之,以為剣鎧,此剣之始也。」
  11. 国民文庫刊行会 『国訳漢文大成 経子史部第20巻』 国民文庫刊行会 1924年 104頁
  12. 早稲田大学編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著 第19巻』(管子国字解 下巻) 早稲田大学出版部 1911年 263-264頁
  13. 13.0 13.1 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 200-217頁
  14. 楊志強 「“蚩尤平反”与“炎黄子孫” - 兼論近代以来中国国民整合的両条路線」(『中国農業大学学報(社会科学版)2010年 27巻4号)
  15. 段宝林 「蚩尤考」(『民族文学研究』 1998年第4期 10-17頁)
  16. 龍と鯉・馬・牛・羊・鹿・犬の関係、李国棟、広島大学大学院文学研究科論集、02-12-27、p19-20(最終閲覧日:22-08-23)