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| − | また、「兵主神」としての蚩尤には「軍を組織する」という性質も備わっていると考えるが、[[大渓文化]]の時代にそこまでの権限がある神とみなされていたかどうかは定かでないと考える。[[大渓文化]]が母系の文化であれば、'''軍事権は女神が持ち、武器管理権を「大渓の蚩尤(とその子孫)」''' | + | また、「兵主神」としての蚩尤には「軍を組織する」という性質も備わっていると考えるが、[[大渓文化]]の時代にそこまでの権限がある神とみなされていたかどうかは定かでないと考える。[[大渓文化]]が母系の文化であれば、'''軍事権は女神が持ち、武器管理権を「大渓の蚩尤(とその子孫)」'''が有していた可能性が高いと考える。武器の管理には、当然武器に関する祭祀も含まれるので、'''蚩尤の子孫とされる男性が、武器に関する祭祀を行っていた'''と想像される。 |
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2026年1月20日 (火) 08:46時点における最新版
蚩尤(しゆう、Chīyóu、上代中国語:ティウグ(tʰjɯɢʷɯ)[1])は、中国神話に登場する神である。『路史』では姓は姜で炎帝神農氏の子孫であるとされる。獣身で銅の頭に鉄の額を持つという。また四目六臂で人の身体に牛の頭と鳥の蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。
私的解説[編集]
結論から述べれば、蚩尤の直接的な起源は大渓文化あたりに遡ると考える。大渓文化の石器(あるいは玉器?)に刻まれた人面像は、蚩尤そのものであって、この時点で彼が道具、特に武器に何か呪術的な性質を与える神と考えられていたと思われる。首だけの像で現されるのは、彼が「首をはねられて死んだ」ことを意味しているのだと思う。死してなお、人々に影響を与え続ける「怨霊神」ともいえる。この神は、道具に関わる神として、大工の神や、鍛冶神などの職人の神へと変化していくように思うが、「兵主神」としての姿はその一形態と考える。
また、「兵主神」としての蚩尤には「軍を組織する」という性質も備わっていると考えるが、大渓文化の時代にそこまでの権限がある神とみなされていたかどうかは定かでないと考える。大渓文化が母系の文化であれば、軍事権は女神が持ち、武器管理権を「大渓の蚩尤(とその子孫)」が有していた可能性が高いと考える。武器の管理には、当然武器に関する祭祀も含まれるので、蚩尤の子孫とされる男性が、武器に関する祭祀を行っていたと想像される。
概要[編集]
『述異記』によると石や鉄を食べたという。超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、同じ姿をした兄弟が81人[3](『魚龍河図』による。『述異記』では72人)いたという。『書経』では性格は邪であり、その凶暴・貪欲さはフクロウにたとえられて「鴟義」(しぎ)と表現されたりしており、「反乱」というものをはじめて行った存在として挙げられている[4]。
古代中国の帝であった黄帝から王座を奪うという野望を持っており神農氏の世の末期(帝楡罔の代)に、乱を起こして、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風・雨・煙・霧などを巻き起こして黄帝と涿鹿の野で戦った(涿鹿の戦い)。濃霧を起こして視界を悪くしたり魑魅魍魎たちを駆使して黄帝の軍勢を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示して霧を突破し、妖怪たちのおそれる龍の鳴き声に似た音を角笛などを使って響かせてひるませ、軍を押し進めて遂にこれを捕え殺したといわれている[3]。『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が黄帝に加勢しており、蚩尤を殺したとされている[5][6]。最後に捕らえられた蚩尤は、諸悪の根源として殺されたが、このとき逃げられるのを恐れて、手枷と足枷を外さず、息絶えてからようやく外された。身体から滴り落ちた鮮血で赤く染まった枷は、その後「楓(フウ)」となり、毎年秋になると赤く染まるのは、蚩尤の血に染められた恨みが宿っているからだという。赤い色は蚩尤を示すともされ、赤旗を「蚩尤旗」と言い、黄帝はその蚩尤征伐後はそのすがたを描いた旗を示してその威勢の象徴ともした[3]。のちに劉邦がこれを軍旗に採用したともされる。
兵主神[編集]
『史記』「封禅書」では蚩尤は八神のうちの「兵主神」[7]に相当するとされ、戦の神と考えられている。戦争で必要となる戦斧、楯、弓矢など優れた武器を発明、あるいはそれらに金属を用いるようになったのは蚩尤であると伝承されており[3]、『世本』では蚩尤が発明した五兵(5つの兵器)として戈(か)・矛(ぼう)・戟(げき)・酋矛(しゅうぼう)・夷矛(いぼう)[8]が、『初学記』では蚩尤が発明した剣[9]が、『龍魚河図』では兵杖・戟・刀・大弩が挙げられている。『呂氏春秋』「蕩兵」では、蚩尤は兵(兵器)を発明した元祖であると人々は言うが蚩尤は活用をしただけであり、それ以前から木などをつかった武器(械)は存在していた[10]、と説かれている。蚩尤が反乱を起こしたことで、これ以降は法を定めて反乱を抑えなければいけなくなったとも言う。『管子』でも金属を用いて剣・鎧・矛・戟などを蚩尤がつくりだしたと記されているが、ここでは蚩尤が黄帝の権臣として登場しており、両者の関係性がまったく異なっている[11]。
古代中国の鼎(かなえ)に文様として描かれている怪物のような顔は饕餮(とうてつ)を示したものとされることが多いが、この顔は蚩尤のものであるとする伝承も存在している。黄帝によって討たれた蚩尤の首をあらわしているとされる[12]。
九黎[編集]
蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い九黎族、北方に住む巨人族の夸父だった。蚩尤は九黎の一族の長であったとも考えられている。戦いに敗退した九黎族は逃れて三苗となったとされる。『書経』の「呂刑」によると黄帝(堯であるとも)は敵討ちを心配して苗民を皆殺しにしているが、この南方の民を根絶やしにできず、その後、三苗人は歴代の王を執拗に悩ます手強い敵となった[4][12]。
苗祖としての蚩尤[編集]
中華人民共和国の湘西トゥチャ族ミャオ族自治州花垣県(湖南省)では2001年に「苗族始祖蚩尤像」という蚩尤の大立像が建造された[13]。また、彭水ミャオ族トゥチャ族自治県(重慶市)には、「蚩尤九黎城」という蚩尤を祭祀した施設があり、2014年には九黎神柱という高さ24メートルにもおよぶ石刻柱が建てられている。これらに代表されるような蚩尤関係の顕彰は同地における蚩尤に関する民間伝承されていた祭祀と、古代の伝説に登場する蚩尤・九黎・三苗の存在を根拠として20世紀以後に構築された「苗族の始祖(苗祖)は蚩尤である」という説を色濃く土台としたものである[14]。
河川神として[編集]
揚子江流域では牛は農業神、河川神として現されることが多い[15]。
参考文献[編集]
- Wikipedia:蚩尤(最終閲覧日:22-08-23)
- 龍と鯉・馬・牛・羊・鹿・犬の関係、李国棟、広島大学大学院文学研究科論集、02-12-27(最終閲覧日:22-08-23)[私注 1]
関連項目[編集]
私的注釈[編集]
- ↑ ちなみに管理人は黄帝は龍文化の人であるとは考えていません。それは伝承を形成する上で、後付けされたものと考えています。
参照[編集]
- ↑ ピクシブ百科事典:蚩尤(最終閲覧日:26-01-19)
- ↑ 大渓文化、考古用語事典
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 57-61頁 ISBN 4-390-10875-1
- ↑ 4.0 4.1 小林一郎 『経書大講』第5巻(『書経』呂刑) 平凡社 1939年 316-322頁
- ↑ 『山海経』大荒北経「応竜已殺蚩尤、又殺夸父」
- ↑ 高島三良 訳 『山海経』 平凡社 1994年 169-171頁
- ↑ 「封禅書」に説かれている八神は、天主神・地主神・兵主神・陰主神・陽主神・月主神・日主神・四時主神である。
- ↑ 『世本』作篇 「蚩尤作五兵。戈、矛、戟、酋矛、夷矛、黄帝誅之涿鹿之野。」
- ↑ 『初学記』「昔葛天盧之山,発而出金,蚩尤受而制之,以為剣鎧,此剣之始也。」
- ↑ 国民文庫刊行会 『国訳漢文大成 経子史部第20巻』 国民文庫刊行会 1924年 104頁
- ↑ 早稲田大学編集部 『漢籍国字解全書 先哲遺著 第19巻』(管子国字解 下巻) 早稲田大学出版部 1911年 263-264頁
- ↑ 12.0 12.1 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 200-217頁
- ↑ 楊志強 「“蚩尤平反”与“炎黄子孫” - 兼論近代以来中国国民整合的両条路線」(『中国農業大学学報(社会科学版)2010年 27巻4号)
- ↑ 段宝林 「蚩尤考」(『民族文学研究』 1998年第4期 10-17頁)
- ↑ 龍と鯉・馬・牛・羊・鹿・犬の関係、李国棟、広島大学大学院文学研究科論集、02-12-27、p19-20(最終閲覧日:22-08-23)