「城頭山遺跡」の版間の差分
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'''城頭山遺跡'''(じょうとうざんいせき)は、中国の新石器時代の[[大渓文化]]から石家河文化にかけての城跡。湖南省常徳市澧県城頭山鎮に位置する。遺跡の年代は6500年あまり前で、'''中国最古の城跡'''とされる。保存状態の良好な水田跡や'''最古の祭壇跡'''が発見されている。長江文明の形成や稲作農業の発展を解明する上で学術的価値は高い。1996年、遺跡は中国国務院により全国重点文物保護単位に指定された。 | '''城頭山遺跡'''(じょうとうざんいせき)は、中国の新石器時代の[[大渓文化]]から石家河文化にかけての城跡。湖南省常徳市澧県城頭山鎮に位置する。遺跡の年代は6500年あまり前で、'''中国最古の城跡'''とされる。保存状態の良好な水田跡や'''最古の祭壇跡'''が発見されている。長江文明の形成や稲作農業の発展を解明する上で学術的価値は高い。1996年、遺跡は中国国務院により全国重点文物保護単位に指定された。 | ||
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祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。'''ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されている'''こと、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88</ref>。 | 祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。'''ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されている'''こと、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88</ref>。 | ||
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== 私的解説 == | == 私的解説 == | ||
=== 犠牲獣の意味 === | === 犠牲獣の意味 === | ||
| + | ==== 先祖に対する供養 ==== | ||
苗族には'''コ蔵節'''という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。 | 苗族には'''コ蔵節'''という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。 | ||
<blockquote>ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。<br>そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。<br>このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200208/200208.htm 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる]、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)</ref></blockquote> | <blockquote>ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。<br>そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。<br>このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200208/200208.htm 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる]、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)</ref></blockquote> | ||
| − | とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て'''「[[バロン]]」を男性化したもの'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]] | + | * 男性の象徴である犠牲獣の多様化 |
| + | とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て'''「[[バロン]]」を男性化したもの'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]]には、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承がある。よって、いつの時代からか、伝統的なブタに加えて、大渓文化にあるようにウシなどが供養のための犠牲獣に加えられるようになったと考える。苗族の中ではこれが更に水牛に変わったと考える。そして、ブタ、ウシ、スイギュウは主に「男性の象徴」のように考えられたのではないだろうか。そして、神格化された。神格化された場合には、文化によって、配偶神の女神もトーテムを合わせてブタ、ウシ、スイギュウとされる場合があったのではないだろうか。インド神話のプリティヴィー、カーマデーヌ、ビルマーヤなどは「ウシ」の女神として現されるので、その夫も「ウシ」とされているのだろう。 | ||
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| + | * 女神の男性化 | ||
| + | もう一つ、犠牲獣のトーテムが増えるにつれて、太陽女神であった女神の「男性化」が進んでいるように思える。「ワンという青年」がその例である。彼は「船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。」とされている。これはおそらく「大洪水」の神話と関連していて、「大洪水」の別の表現である。バロン・ダロン神話では二人の子供は生き残った、とされているので、別に誰か死んだ「バロン」がいて、彼女が災厄を引き起こした、とみなされていると考える。大洪水に絡んで亡くなった女神として、候補に挙がるのは母である「燃やされた女神」、娘である「吊された女神」といえる。日本神話で「燃やされた女神」といえる[[伊邪那美命]]は夫に対して「多くの人々の命を奪う」と宣言し、[[夫の伊邪那岐命]]は「自分は奪われるよりも多くの人々を生み出す」と返す。人々の健康を損ない命を奪う役割は、まず母女神に割り振られていた可能性がある。その一方で「[[蛇頭松姫大神]]」のように、蛇婿譚で亡くなった女性が祟る場合もある。こちらは「吊された女神」である。また、苗族の「ワン青年」は男性ある。結局、男女を問わず「'''亡くなった人は、その相手が満足する供養を行わないと祟る'''」ということになる。これは「亡くなった人」を祀るから一種の「'''鬼神信仰'''」ではないだろうか。また、「'''人が亡くなったら怨霊になり得る'''」という信仰でもある。死んだ人に供物を与えたり、祭祀を行ってその祟りを鎮める、というのは日本でよく見る、いわゆる「'''怨霊信仰'''」なのではないだろうか。その原点とも言える祭詞と供犠の思想が大渓文化で確率していたことが分かる。 | ||
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| + | * 五穀豊穣などを願う祭祀 | ||
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| + | 、犠牲獣は豚から水牛に変更されたのだと考える。でも、厳密には城背渓文化にあるように「牛」に変更され、その後苗族の中で水牛に変更されたのだろう。すなわち、'''城背渓文化は伝説的な神話の「大洪水」よりも後の文化'''である、と古代の人達は考えていたと思われる。 | ||
豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初は'''ダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だった'''ので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。 | 豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初は'''ダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だった'''ので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。 | ||
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| + | 祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。'''ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されている'''こと、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88</ref>。 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
2026年1月29日 (木) 06:25時点における版
城頭山遺跡(じょうとうざんいせき)は、中国の新石器時代の大渓文化から石家河文化にかけての城跡。湖南省常徳市澧県城頭山鎮に位置する。遺跡の年代は6500年あまり前で、中国最古の城跡とされる。保存状態の良好な水田跡や最古の祭壇跡が発見されている。長江文明の形成や稲作農業の発展を解明する上で学術的価値は高い。1996年、遺跡は中国国務院により全国重点文物保護単位に指定された。
祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されていること、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い[1]。
また遺跡の城内で検出された木材の80%以上はフウ(楓)の木であった。
私的解説
犠牲獣の意味
先祖に対する供養
苗族にはコ蔵節という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。
ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。
そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。
このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。[2]
- 男性の象徴である犠牲獣の多様化
とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て「バロン」を男性化したものと考える。苗族の始祖とされるチャンヤンには、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承がある。よって、いつの時代からか、伝統的なブタに加えて、大渓文化にあるようにウシなどが供養のための犠牲獣に加えられるようになったと考える。苗族の中ではこれが更に水牛に変わったと考える。そして、ブタ、ウシ、スイギュウは主に「男性の象徴」のように考えられたのではないだろうか。そして、神格化された。神格化された場合には、文化によって、配偶神の女神もトーテムを合わせてブタ、ウシ、スイギュウとされる場合があったのではないだろうか。インド神話のプリティヴィー、カーマデーヌ、ビルマーヤなどは「ウシ」の女神として現されるので、その夫も「ウシ」とされているのだろう。
- 女神の男性化
もう一つ、犠牲獣のトーテムが増えるにつれて、太陽女神であった女神の「男性化」が進んでいるように思える。「ワンという青年」がその例である。彼は「船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。」とされている。これはおそらく「大洪水」の神話と関連していて、「大洪水」の別の表現である。バロン・ダロン神話では二人の子供は生き残った、とされているので、別に誰か死んだ「バロン」がいて、彼女が災厄を引き起こした、とみなされていると考える。大洪水に絡んで亡くなった女神として、候補に挙がるのは母である「燃やされた女神」、娘である「吊された女神」といえる。日本神話で「燃やされた女神」といえる伊邪那美命は夫に対して「多くの人々の命を奪う」と宣言し、夫の伊邪那岐命は「自分は奪われるよりも多くの人々を生み出す」と返す。人々の健康を損ない命を奪う役割は、まず母女神に割り振られていた可能性がある。その一方で「蛇頭松姫大神」のように、蛇婿譚で亡くなった女性が祟る場合もある。こちらは「吊された女神」である。また、苗族の「ワン青年」は男性ある。結局、男女を問わず「亡くなった人は、その相手が満足する供養を行わないと祟る」ということになる。これは「亡くなった人」を祀るから一種の「鬼神信仰」ではないだろうか。また、「人が亡くなったら怨霊になり得る」という信仰でもある。死んだ人に供物を与えたり、祭祀を行ってその祟りを鎮める、というのは日本でよく見る、いわゆる「怨霊信仰」なのではないだろうか。その原点とも言える祭詞と供犠の思想が大渓文化で確率していたことが分かる。
- 五穀豊穣などを願う祭祀
、犠牲獣は豚から水牛に変更されたのだと考える。でも、厳密には城背渓文化にあるように「牛」に変更され、その後苗族の中で水牛に変更されたのだろう。すなわち、城背渓文化は伝説的な神話の「大洪水」よりも後の文化である、と古代の人達は考えていたと思われる。
豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初はダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だったので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。
祭壇から出土した稲籾は、翌年の稲籾を収穫し分配する儀礼の可能性が高い。ウシの下顎骨が人骨と同時に埋葬されていること、サイの骨には焼けたあとがあること、日本列島の弥生時代において聖獣とされたシカの仲間が人骨の上から発見されたことから、これらの動物は農耕儀礼に捧げられた生贄であったろう。人骨も副葬品がまったくなく、膝を曲げた屈葬であることから、供犠された生贄であった可能性が高い[3]。
参考文献
- Wikipedia:城頭山遺跡(最終閲覧日:22-08-21)
- 長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004
関連項目
参照
- ↑ 長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88
- ↑ 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)
- ↑ 長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88