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==== 日月樹 ====
本物語では、雷神は「多くの太陽」を出して、「'''干魃'''を起こすことができる」とされている。そして「日月樹」を枯らせてしまう。神話で、男神が植物や樹木を枯らせる(倒す)場合、「女神が化生したもの」を倒す場合が多く、「日月樹」もなにがしかの女神だったことが推察される。アペ・コペンは名前から[[イヌ|犬]]と[[カエル|蛙]]をトーテムに持つと思われ、壮族の伝承では蛙神は「雷神の息子」とされる。息子神は一般的に「'''[[太昊型神]]'''」とされ、彼が倒す「樹木に関する神」とは妻である「[[吊された女神]]」のことである。よって、日月樹は、アペ・コペンの「妻」が化生したものと考える。彼女から太陽と月が生まれる(彼女の位置から日月が天に昇る)という、中国神話の[[地|扶桑樹]]のような存在が日月樹なのだろう。具体的には楓の木が当てられていたと考える。[[チャンヤン]]神話の「楓香樹」と同じものだろう。
 設定の中に興味深い点がある。彼らの家には「'''雷神が頻繁に遊びに来ていた'''」とされている。また、雷神が大洪水を起こす、と決めたら父アペ・コペンはそれを止めることはできなくても、ある程度条件をつけて制限を課すことができる。うまくやれば雷神を捕らえることもできる。彼らは「'''雷神を降ろしたり、コントロールしたりできる'''」という才能を持った家系と考えられていたのではないだろうか。だから雷神は子供達を生かしておいた、とも言えなくない。子供達がいれば、雷神は乱暴に天から落ちなくても、人類に迷惑をかけずに地上に遊びに行けるし、また穏やかに天に帰ることができる。子供達は雷神と仲良くしながら、雷神の力を人類に迷惑をかけないように調節できる。雷神にとっても、人類にとっても、子供達の能力はどちらにも益して「ウィンウィン」となるようなものなのだ。 ただし、物語の中では父親は雷神を殺そうとする。これは元々「'''父親と雷神が嫌いあって戦う話'''」があったのを「仲が良かった」と改変して作った物語なので、彼らが争う理由が省かれ、両者が争うという部分だけが残された結果と考える。本来の話では洪水神話におけるアペ・コペンの本来の位置は、トーテムなどからバロン・ダロンの「兄弟」だったと思われる。カボチャが彼の母、日月樹が彼の姉妹であり、妻だったのではないだろうか。雷神がこれを枯らせてしまう、というのは、雷神が純粋な[[アペ・コペン非太昊型神]]と雷神は仲が良くなかったのだろう。両者が元々不仲であった理由は物語の中では明確ではないが、父親が鶏と思われる雷神に鶏を食べさせようとして雷神が拒否すること、兄妹の間で行われる近親婚を雷神が許しているけれども、父親が禁じていることから、ではなく、* 同族食い(人間でいえば'''食人''')* 近親結婚という2種類のタブーに関して、[[アペ・コペン]]と雷神との間で意見の相違があったことが示唆されている。 バロンは水に関して'''死ぬ'''女神といえるので「'''[[吊された女神]]'''」と考える。人類の始祖ともなるので、大洪水から再生した後は'''[[養母としての女神]]'''に転換する。'''[[ダロン]]'''はその夫であり、祝融型神といえる。母なるカボチャは'''[[燃やされた女神]]'''、雷神は[[炎帝型神]]、これと戦うアペ・コペンは'''黄帝型神'''といえる。日月樹を枯らせてしまう最後に天に昇ったという点で、[[アペ・コペン太昊型神]]は風神となり、雷神と拮抗して天候を調整する役割を果たすようになる。両者が並び立つ話なので、'''河姆渡型'''に炎黄が並び立つことを目指した神話と考える。と習合しているからだと考える。
=== 日本神話との比較 ===

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