本日の日誌

今日は、お外組はいつもの通り仕事をしていて。昨夜はけっこうな雨が降ったので、坑道の中にもバケツ1杯ほど水が溜まったらしくて。私の方は書類を書いて。


で、病院から、朝の8時半から外来の受付が始まるのに、7時半に来い、と言われて、「どういうこと?」というか、朝、親とちょっと言い合いになって。結局公立病院だし、受付が8時半からしか始まらないのだから、「7時半に来い、というのはいやがらせ」という結論になって。


で、疲れて、ご飯を食べながら、ブンブブーンを見ていたら寝てしまって。それでなんだか夢を見て。まだ、学生で、集団で旅行? だか寮? みたいなところに泊まっていて。で、何故か同級生に光一君がいて。私は女子の友達とつるんで遊んでいて、「自分の部屋で遊ぼう」ということになって部屋に帰ろうとしたら、光一君から電話があって「部屋に遊びに行ってもいい?」と聞かれて、「友達が大勢来てるから、私の方が遊びに行く」と返事して、部屋がどこなのか教えて貰う、という夢で。目が覚めて、なんだか兄さんに同情されてそうだー、と思う。兄さんには、ふっと、「じいさんの考えていることは、元気になったら、「娘達を働かせて仕返ししてやる。今に見てろ」ってことでしょ。だから、体を鍛えてるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。そんなところなんだろうなー、と思う。でも、年が年だから今以上に元気になる見込みなんてないんじゃん? とも思うわけで。まあ、あんまり一生懸命になりすぎずに、いろんな記録だけしっかりしておこう、と思うわけで。


で、夜になって、ふっと、突然「樹なつみ」という漫画家の「ヴァムピール」という漫画を思い出して。ネットで調べてみたら、ただで読めるサンプルがあったので読んで見て。主人公は笛吹(うすい)君、という普通の真面目な青年である。彼が、ある時、「ヴァムピール(吸血鬼)」という化け物に会う。吸血鬼は人間のことを餌くらいにしか思っていないわけですが、笛吹君には吸血鬼の役に立つ、ちょっと特殊な能力がある、ということで、吸血鬼から一定の敬意を払われる立場になる。でもって、笛吹君は吸血鬼同士の権力闘争とか、いろんな事件に巻き込まれていく、という話で。内容はけっこう禍禍しい話であると思う。主な登場人物のほとんどが「死人」だし。でも、主人公は真面目で、純粋無垢な青年である。で、笛吹君と深い関わりを持つようになる吸血鬼は「バロン」という。


それで、もう一つ「樹なつみ」の「八雲立つ」という漫画を思い出す。こちらも主人公は七地君という真面目で、純粋無垢な青年である。七地君は何かの用で出雲に出かけて、ものすごく古い旧家にたまたま泊めて貰う。その家には、他人には絶対に言えない恐ろしい宿命ともいえる伝統があって、七地君はたまたまその秘密を知って殺されそうになる。でも、一応死なずには済んで、その家の最後の跡取りの少年と友達になる。で、その少年といろんな事件に巻き込まれる、という話。で、少年を呪われた宿命から解き放つ役割に、七地君はけっこう関わっていくことになる。


樹さんは、笛吹君とか、七地君とか、一種の「真面目で純粋無垢な青年」像が好きですよねえ? とふと思う。そう思って、歯を磨いていたら、「Bで始まるバロン」とは誰のことですか? と聞かれる気がするわけで@@。バロンは何千年も生きている呪われた吸血鬼である。八雲の少年も、千年以上も続く呪われた伝統と宿命に縛り付けられている。彼らを「呪われた運命から解き放つ純粋無垢な青年」とは誰のことですか? イエス・キリストのことなの? と思う。これだから、「真のキリスト教徒」と対峙するときほど、困惑することはない、とも言う-;。世界中に散らばっている莫大な民話や神話の中に存在する一人の青年を、「その呪われた運命から解き放って欲しい」と言われても、私にいったい何ができるでしょうか? となる@@。(←地縛霊を無意識に浄化しちゃうような化け物のくせに、とか言われる気がするわけですが@@。それこそ、誰のことだよ、知らねーよ、と思うわけで-;)


まずは、じいさんの寿命をもうちょっと引き延ばして、買う物を買わないと、というか、そんなことする「純粋無垢」な人なんているの? と思うわけで-;。何を期待されてるんだろう?? とちょっと引くわけですがー;。7番目の兄さんからは「民話の教科書を買え」とか「「アマテラスの原像」をしっかり読むなら、マハーバーラタとの比較がたくさん書いてあるのだから、マハーバーラタもしっかり買って読むように」とか、そんなことしか言われてない気がするわけですがー;。



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本日の日誌

台風くずれの熱帯低気圧が来ていて、雨が降っています。


昨日、今日は、お外組はいつもの通り仕事をしていて。私はなんだか貧血っぽくてダラダラしていて。でも、今日の午後はけっこう頑張って書類を書いたのでした。


で、毎日買った本が届くわけですが、今日は信教出版部の「菅江真澄の信濃の旅」が届いて。「神道集」は中世の諏訪信仰が垣間見える資料ですし、「菅江真澄」は江戸時代の諏訪大社の祭祀の様子が書いてある貴重な資料であって。読んでみたいとは前々から思っていたわけですが、ローカルな資料は手に入れるのが難しいので、口語訳が入手できてうれしいです。でも、ともかく細かい本がたくさん手に入ったので、なんだか疲れた時に、気分転換で1頁くらい拾い読みしてみると楽しい気がします。あまり長文を纏めて読む気になれないので。


私が思うに、槃瓠と黄帝とゲイの物語は、中央アジアで書く部族に爆発的に広まって、しかもそこで、物語の骨子はそのままで、各部族の英雄に合わせて話を作り替える、というような「創作」の手法も確立されたのだと思う。それで印欧語族が西欧に展開すると、さまざまな民話も生まれるけれども、一部は神話となり、キリスト教時代に入るとそれが「中世の騎士物語」へと変化するわけで。架空の人物が主人公のフィクションにも、実在の人物をモデルにしたノンフィクションにも「英雄物語」の骨子は利用されるわけで。


で、実家から本を持ってくるときに、7番目の兄さんから「義経記」を持ってくるように言われて@@。7番目の兄さんに、「これは室町時代初期に作られたものだけれども、義経は悲劇の英雄で、各地を転戦しているし、最初の妻である河越百合は誠実な女性だけれども鎌倉から押しつけられた妻だし、2番目の妻である静御前は後白河法皇から送り込まれた白拍子であって、義経の心は二人の女性の間で揺れ動く。百合は同じ武家の女性だけれども、静は違う世界の女性である。義経は最後は百合の所へ戻るわけで、余生は奥州で百合と過ごす。「これは伝統的な英雄物語のパターンでしょ」と言われる気がするわけで@@。この作品は「判官贔屓」という言葉を生んだほど有名なわけですが、なんで、「中央アジアの英雄譚」のパターンが室町初期の日本に現れたのですかね? と思う。そうしたら、「鎌倉末期に元寇があったから。当然、戦い以外にも、相手が何者であるのか探るために、スパイが送り込まれるでしょ。元は、モンゴルの騎馬民族が作った国だから、当然「英雄物語」のパターンや作り方はスパイが彼らから仕入れたもの。」と言われる気がするわけで@@。しかも、「「義経記」は武家である義経を美化しているから、公家が書いたものではない。頼朝のことを暗に非難しているわけだから、これは鎌倉幕府に批判的であった武家が、鎌倉幕府批判のプロパガンダのために作ったもの」と言われる気がするわけで@@。「義経美化のその精神は、鎌倉初期に作られて、武家批判に終始している平家物語と比べたら、あからさまでしょ。」と言われる気がするわけで@@。兄さん、「義経記」が、鎌倉幕府批判を目論む有力武家のいずれかが意図的に作ったものであるのならば、高師直は、その成立に大きく関わってるでしょ? と思う。兄さんには、「中央アジア式の英雄物語の西の傑作が「アイヴァンホー」なら、東の傑作は「義経記」でしょ?」と言われる気がするわけで。室町時代の日本は、ちゃんと世界と繋がってたんだなあ、と思う。というわけで、「義経記」も一応持ってきて。


で、月曜日は父親が病院で検査を受ける日なわけで。どうも、医者めが、悪い? とは言いませんが、出鱈目なことを言い散らしていたらしくて。で、診療時間の2時間前に来い、と電話で言われてたので、親に言ったら、「いつもは1時間前に来い、って言われるのに」と私に文句を言うわけで。私はそういうことに興味、関心がなくて、あまり気にして無くて聞き流していたのですが。でも、裁判の証拠で「日記」というのは受けが良いようですので。「事実何があったか」はしっかり書いていこうと思う。一生懸命やるかどうかは別として、出鱈目を並べ立てる医者を甘やかさなきゃならない理由もないので。市立病院なら、後で損害賠償を請求するにしても、取りっぱぐれはないでしょうし-;。どちらを向いても、出鱈目な人間ばかりの嫌な世の中である;。



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本日の日誌

本日は、実家にある本を持ってこようと思って、作業はお休みして親と田舎に行ってきました。それで、今昔とか、金枝篇とか持ってきて。歴史書も、ペルセポリスの「牡牛を殺す獅子のレリーフ」が載っている古代編と、建武の新政の雑務書の奉行の名簿が載っていた南北朝編を持ってきて。「牡牛を殺す獅子」とはミトラのことである。雑務書の名簿には、東山道に「高師直」と「諏訪円忠」の名前があって。兄さん、円忠とはよくよくの同僚だったんですね、と思う。


で、戻ってきたら、「世界神話伝説体系」が届いていて。1セット、定価で20万円はする代物です。自分でこれを手にする日が来るとは思ってなかったわけですが。


で、書類をちょこっと書いて。夜になってお風呂に入ったら、「次回の書面でいいから、役割分担について書いておいて」と言われる気がするわけで。どうもそういう裁判用個人主義な書面の書き方には今一まだ慣れないわけですが。やっぱりできるだけ頑張ろう、と思う。明日は、相手方の書面を読み直してみたいと思います。


今回、「あの本買え、この本買え」攻勢に、親がものすごく協力してくれて、ありがたいなー、と思うのです。筑摩書房の「世界の英雄伝説シリーズ」とか、ここでしか読めないものもあって。



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本日の日誌

ええと、一昨日、7番目の兄さんに、「黄帝」の長江文明側の子孫が良渚文化の王や、苗族の人達であるとすると、黄河文明側の子孫は? と聞かれる気がするわけで。さあ? と思う。


で、お外組は毎日仕事をしていて。私は昨日は書類の枚数をせっせと数えていて。で、思い切って、バートン版の「千夜一夜物語」を全巻買えと言われるので買って。


で、親と一緒に夜中過ぎまで頑張って寝て。朝、ご飯を食べながら「ブンブブーン」を見ていたら、7番目の兄さんに、ふっと「ケサル大王伝」だけ買っておくように、と言われる気がするわけで。それはチベットの英雄伝説らしいです。で、追加で注文して、どういう物語なのか調べていたら、ケサル大王という英雄が、人食いの王とか悪者を倒して仏教を各地に伝える、という話らしくて。で、中央アジアには、広く、「優れたところを示して高貴なお姫様と結婚し、人生の大部分を人食いの悪者との戦いに費やし、異民族の王女を伴って国に帰ってくると、奥さんは他の男に言い寄られて困っている」という話の英雄譚があちこちにあるらしくて@@。ケサル大王伝もそういう話の一つである。だいたい、文献的な古代ペルシャの英雄達が、イスラム教化以前の英雄であることは明らかなので、中央アジアに分布する英雄譚が全て同起源で同じくらい古いものであることは明らかである。そういう英雄達は特定の氏族の先祖であることもあるし、そうでないこともある。何故? と思うと、中央アジアの遊牧民は、個々の氏族だけでは血統を維持できなくて、遺伝子だけ旅人のものを貰う、ということがままあるので、一族の中の誰かが「英雄」の子孫であるかもしれない、ということはままある。そういう曖昧さは代が下るほど曖昧になるので、中央アジア全体に、「先祖であったり、先祖であるかもしれない英雄」の話が分布することになる、と言われる気がするわけで@@。


そういう物語は、中央アジアに住んでいた印欧語族の先祖も持っていて、彼らはそれを西欧にも持ち込んで、ペルセウスやテーセウスといった英雄神話になっているんだなあ、と思う。そして、キリスト教化が始まると、「先祖の神」に対する信仰が禁じられるし、「先祖が犬だの馬だのあり得ないでしょ」とトーテムを否定されれば、それも事実であるので反論できない。だから、神格化された先祖の英雄の物語は、再び「人間の英雄」の物語として焼き直され、アーサー王物語とか、ニーベルンゲンとか中世の騎士物語へと移行する。「英雄」に相当する「登場人物」は架空の人のこともあるし、実在の人物を元にしてることもある、と言われる気がするわけで。そういう物語の主題は、英雄が優れた資質を示すことと、二人の女性との三角関係である。キリスト教化された後は、ヨーロッパでは一夫一妻制が理想とされるので、太古の一夫多妻の英雄は、「理想の英雄」であるために一夫一妻の英雄に焼き直されるけれども、元のモデルが「奥さんが二人いた英雄」だから、この「三角関係」をどうやって表現するのかが、作家の腕の見せ所になる、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの騎士物語はこのように発展してきたものだから、中世から近代の作品まで、古代の英雄譚を投影したものはいくつもあり、「黄帝」の事業を褒め称える作品は味方のもの、そうでないのは敵のもの、とみな区別していたらしくて。でも、中央アジアの英雄譚は我が家からは、「読んではいけない本」にあるのがほとんどであって。要するに、なるべくその物語を私が知らないように仕向けてあるらしくて。仕向ければ、槃瓠とゲイと黄帝は同じ者で、それが一体となった伝承が中央アジアからヨーロッパに移動している、って私に分かりにくくなるからなのだと思う。要するに、黄河文明側の黄帝の子孫は、良渚文化が拡がるにつれて圧迫され、中央アジアに流出している。長江文明側の子孫で、良渚文化に迎合しない人達は中国の南端に追いやられて、東南アジア方面にも流出している、ってそういうことね、と思う。長江文明側の子孫は犬の英雄先祖の伝承を残したけれども、黄河文明の側の英雄は正義と平和のために戦い続けて、家庭生活にあんまり恵まれなかった英雄譚を山ほど残している、ということらしくて。「兄さん、なんだか女運には恵まれてなかったのね;」と思う。


で、郵便を出しに行って、帰って来てお昼に「ブンブブーン」を見ていたら、某イングランドのおばあちゃんが、ブスブス怒って「ケサル大王伝」まで行き着いたら、すぐに「アイヴァンホー」を思いつくのが普通、って言ってくるわけで@@。アイヴァンホーって言ったら、身分の高いロウイーナ姫と結婚しようと頑張るウィルフレッドが、一生懸命働いて、異民族の娘のレベッカが悪い男に食い物にされるのを命を賭けて助け出して、まさに、「近代の黄帝譚の最高傑作じゃないの、婚約者に対して「女運に恵まれてない」とか嫁入り前の小娘が生意気なこと言ってるんじゃない」と怒られる気がするわけで@@。はい? というか、おばあちゃんは「アイヴァンホー」が好きなんですね? 要するにねえ? と思う。あんまり怒らせて国際問題に発展するとまずいので、早急に注文する-;。


で、FNS歌謡祭を夜に見ていたら、相変わらずのミュージカル特集であって。「レ・ミゼラブル」とかやっていて。これも昔は持ってた。捨てちゃったけど。で、ぼーっと見ていたら、登場人物の中に「エポニーヌ」という女の子がいた。「レ・ミゼラブル」の後半は、フランス革命とその狭間で揺り動かされるマリユスとコゼットの恋物語である。マリユスはお金持ちのお坊ちゃまで、コゼットは養父のジャン・バル・ジャンに大切に育てられた賢い女の子だけれども、結局はただの孤児である。エポニーヌは、コゼットの幼なじみで、貧乏で教育も躾もうけていない下層階級の娘である。でも、純粋なところがあってマリユスのことを本気で好きになるけれども、相手にして貰えない。革命に参加したマリユスは、銃に撃たれて殺されそうになるけれども、エポニーヌが彼を庇って代わりに死んでしまう。重傷を負ったマリユス君はジャン・バル・ジャンに助けられて、結局コゼットとめでたく結婚できる。そして革命も成就する。ぎくっと思うけれども、「エポニーヌ」とは「エポナ」のことである。要するに、エポナを生け贄に捧げて、マリユスとコゼットの愛は成就する、そしてフランス革命も成就する、ってそういう話だよねえ、これ? と思う。だから、これは「敵の物語」なんだ、「生け贄を肯定しているから」と気がつく。西欧の文学とは、こうやって敵と味方に分かれて発展してきたんだなあ、と思う。だから、味方の物語を選んで家にいれないといけないらしい。そして、そういうものを読んで、「生け贄反対」の精神を自然と学ばなければいけないものらしい。


で、FNSを見て、寝る前にふっと「ジプシー民話集」という本が目に付いたので、読んでみたくなった。第1話は、「牛飼いの若者が真面目に勇敢に働いて、竜の生け贄にされそうになっていたお嬢さんを助けて結婚する」という話だった。これは、オズボーン・ブーツとオーディンのユミル退治が分離する前の物語だし、女性が一人に纏められてしまっているけれども、中央アジア由来の英雄譚の流れを組む話である。


私だったら、「貧しいけれども、勇敢な羊飼いの若者が狼や猛獣から主人の羊をよく守ったので、働きが認められて婿に迎えられた。今度は隣の家の娘が、人食いの竜の「妻」という名目の生け贄にされることになったので、娘を気の毒に思った若者は、竜と戦って竜を倒し、こちらの娘とも結婚した。竜の体は硬くて、役にたったので、若者はこれを家の材料にしたり、境界の柵にしたりして、人々のために使った。若者は第一夫人の家と第二夫人の家を行ったり来たりして、どちらの家も子供に恵まれたが、第二夫人の実家の者は身分の低い若者のことを嫌っていた。そこで、孫が大きくなると、孫息子をそそのかして父親を殺させた。孫息子は、「自分こそが父親の正当な跡継ぎだ」と言って、第一夫人のところにいる兄達の財産も奪って、兄達を追い出してしまい、一帯の王となって君臨した。」という物語を書くと思う。


この物語の中に、オズボーン・ブーツも、オーディンのユミル退治も、槃瓠も、ゲイも牽牛織女も黄帝も全部収まる。アイヴァンホーなんてメロドラマでしょ、って言ったらものすごく怒られたわけですがー;。でも、「七夕の王子様」に選ばれてなんだか嬉しそうな4番目の子と、あんまり嬉しそうじゃない7番目の兄さんを見てると、「今生でも女運があんまりよろしくないかもー;」と思うあたくしがいるわけですがー;。こういう性格でごめん、と思う。でも、まあ、お勉強はできる範囲で頑張りたいと思うわけです-;。



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本日の日誌

本日は、お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。午後、3時頃にけっこう激しい夕立が来て。で、書類はだいたいできあがったので、後は印刷して纏めるだけ、ということで。


後は、買った本が数冊届いて。「へロドトス」を勧められて買ったわけです。ヘロドトスといえば、世界最古の歴史書である「歴史」です。真面目に読んだら、勉強になるだろうな、と思う。でも、うちの父親に「これを買って欲しい」というのは無理だろうな、と思って-;。ヘロドトスどころか、聖徳太子がどこの誰なのかも分かってないのに? と思う-;。


ケルトの民話とかを読むと、アザラシと人が結婚する話が目立つわけです。というか、あちこちで、羽衣とか天人女房とか、鳥の羽を盗んで妻にする話が多いわけですが、ケルトでは何故か鳥と似ても似つかぬアザラシが、妻になっていることが多くて。なんでなんだろう? と思う。で、ちょうど今、カイトリーの「妖精の誕生」という本を読んでいて。西洋における、フェアリー(妖精)という言葉はけっして大昔からのものではなくて、精霊的な存在は昔からあったけれども、それらが「妖精」と呼ばれるようになった過程を、各地の民話を折り混ぜながら考察していて。それによると、「フェアリー」という言葉の起源は、古代ペルシャの「ペリ」という言葉にあるらしいです。「ペリ」というのは、いわゆる「天人」のことです。男性形も女性形もあるけれども、「天人女房」的な物語があったらしくて。天の良き精霊のことです。「王書」という本の中に、ロスタムという英雄の奥さんであるタハミーネという女性が「ペリのように美しい」と書かれているらしくて。


でも、古代ペルシャっていったら、古代インドとは兄弟のようなものですから、インドの側にも似たような話があるはず、と思う。というか、インドでは天人のことをアプサラスというらしくて。その意味は、「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」ということらしくて。なんで「天人」が「水の中で動くもの」なの? と思うと、「それは古代の印欧語族が天とは大きな水瓶のようなものだと考えていたから」と言われる気がするわけで@@。「雨」という時も、空の腹が破れて水が降ってくる様を現してるから、その考え方の起源は古代中国にある、と言われる気がするわけで。


一方、古代メソポタミアの一番古い時代には、大地の奥底にあるとされた淡水の海のことをアプスーと呼び、川はそこから流れ出してくる、と考えられていました。そして、神々もそこに住むと考えられていた。要するに、古代の漁撈民は、大きな海のような聖域があって、そこに神々が住むと考えていたし、魚とか亀とかウミヘビとかそこからやってくる、と考えていました。アプスーは聖域全体を指すし、神々のすみかも指します。要するにいわゆる「竜宮」のことです。でも、内陸に住む古代の中国人と印欧語族の先祖は「天も水の塊である」と考えました。だから、アプスーは「天の国」に変化してしまった。天人達は「天の湖」の住人であり、白鳥とかの水鳥がそこと地上を行き来していると考えたのです。だから、アプサラスとは、古くは海の姫である人魚姫とか乙姫のことで良いのだけれども、古代中国で天の姫である織姫とか天女に変更されて、それが印欧語族の拡散と共に各地に伝播しました。だから、人後姫とかアザラシの女房とかは、アプスーが「水の住人」であったころの姿をそのまま残しているのです。アプスーが「天女」に変更されると、今度は「天の住人」に変化しますが、それは広い意味で「中国文化圏」の思想といえます。


だから、フェアリーの語源が、ペリであるなら、それはアプサラスとも同語源であり、古代メソポタミアのアプスーまで遡るもので、古代ギリシャの太陽神アポローンとも同語源なのです。「天人女房」の原型は、アプスーが「天人」になる以前にまで遡るので、アザラシとかの水生生物が妻になる話と、天人女房の2種類に、「全く同じような」話があるのです。「羽衣」と「浦島太郎」は元は同じ話であったものです。と言われる気がするわけで@@。


でも、私が思うに、「牽牛織女」のように、単なる「浦島太郎」ではなくて、「天人女房」の中には、明らかに、特に妻側の実家が夫のことを歓迎していない、というパターンが東洋を中心にありますよねえ? と思う。それは何で? と思う。そうしたら、それは「誰か特定の若者が、身分の高い女性に婿入りして、妻の実家側の人々から猛反対された」という「事実」が、古くからの「浦島太郎伝説」に付加されたものでしょ、と言われる気がするわけで。人間のお姫様に婿入りして苦労した犬の婿さんのことなのですかねえ、それ? と思う。西欧の方の民話とかでは、結婚は最後は「めでたしめでたし」で終わることが多いけれども、東洋ではその逆が多いわけで。なんだか、複雑そうな話があった感じ、と思うわけですが。でも、自分が舅になったときに、自分がやられたのと同じ事を婿さんにやったら駄目なんじゃん?? 6番目の子とか、と思うわけで-;。ということで、「フェアリー」という言葉の起源は「アプスー」にあるらしいです。天女というのは、人魚姫か亀の乙姫かアザラシのことであるらしいですー;。



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