本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も土台の下を掘ったわけですが、なんだかまた新たに「とっこ」が出てきた気がするわけで、次々と出てきて、しかも周辺に細かい木の根まで埋められていて、非常に掘りにくいわけです。で、家族のこととか考えて、なんだか落ち込んでいると、蛇の兄さんが降臨してきて、「いろいろ罵倒されても、ちゃんと守っていくから心配すんな。」って元気づけてくれるわけで。


で、本日も支払いに歩いたわけですが、結局家計が大変なのは分かっていても、指定された品物を買えば、兄さん達の力が増すし、そうすると親のいろんなことへの理解が深まるし、仕事がやりやすくなるし、そうやって守られる力も増す、と実感として持てるから、自腹を切ってでも買うわけです。それで、ようやく親は、今の芸能界、というところが、戦前のヤクザが大きく関わっていたところと違って、もっと健全なところだと実感を持って気がつくことができたわけでー;。でも、だって、今は普通の高校生とか、OLとか、主婦とかが、誰かのファンになれば当たり前のようにCD買って、ライブのチケットを買って、コンサートを見に行く時代だし、チケットを高額で売買するようなダフ行為の取り締まりも厳しいし、そういうことは別に興味関心がなくても、日常生活の中でニュースとかで流れたりするわけだから、なにげなく見ていて、悟るものがあっても良いはずのことでもある気がするのに、結局家がここまで良くならないと、「気がつけない」ほど、我が家には「隠されてきた」ことなわけだから。


で、今日はお手紙に出しに行って、支払いをするにも邪魔がものすごかった気がするわけで。帰ってきて、昼寝をしていたら、夢を見て。光ちゃんが家に来ていて、家人と一緒に買い物に出たら、光ちゃんがどこかに行ってしまったので、家人を置いて探しに行って。そうしたら、どこかのイベント会場みたいなところの中にいて、何か品物をたくさん買っていて。で、私に気がつかないようで、近くに行こうとしたら逃げてしまうので、鬼ごっこみたいに追いかけ回して、工夫して行き先を塞ぐようにして捕まえて。そうしたら、今度はこちらをハグしてくるわけで。兄さん達のためにも、私がいろいろと買っていることは知っているし、兄さん達も「悪いな」と思ってはいるのだと思います。でも今は私が勝つために、兄さん達の力を強めなければならないし、頑張るしかないのだと思う。でも、そのおかげで家人に少しでも今の状況が分かって貰えたなら、それが一番良かったと思うのです。



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本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。「ウルトラフェス」は見たけれども、なんだかもうあれだけ重要な人達が目白押しで出ると、情報を貰って打ち合わせしなければいけないことがありすぎて、見ているのだけれども、「見る」ことに全然集中できないわけで-;。昨日の日記に書き忘れた点については、縄文系の姉さん達に、「これから家が良くなればなるほど、香取の神の稲垣君のスケジュールに空きが出てくるであろうことを忘れないように。」と言われるわけで。だいたい、人気のある人は、スケジュールが1年先まで埋まっている、とか当たり前の世界であるので。何かやりたいことがあれば、お金ではなくて時間が欲しい、というような世界でもあるわけで、私の関係者にはそういう兄さん達が多いわけだから。香取君も稲垣君も、とりあえず仕事を全然辞めてしまうわけではなくて、一応続行の意志は示しているわけだから、テレビで見る機会が全くなくなるわけではない。でも、その一方で、彼らの番組は視聴率的にはいまいちのものでもあるので、再編の機会に切ろうと思えばいつでも切れるものでもあるので。話の進捗具合によって、いくらでも変化しうるものでもあるわけです。そのことは、心の隅においておこうと思う。


で、後は福山君のコーナーで、結婚式でお父さんが余興でサックスで「家族になろうよ」を吹く、という動画が流されていて。親も気がついたけれども、私が吹奏楽をやっているときにアルトサックスを吹いていたことと何か関連はあるのだろうな、と思う。それにもまして、その動画はそもそもまず香取君の番組の「SmaSTATION!?」で流れたものですよねえ? と思うわけで。なんで、それをわざわざ流すのだろう? と思って。そうしたら、蛇の兄さんに、「いったい、何のために土曜日の深夜帯の仕事を辞めたと思うのか?」と兄さんに言われるわけで。そっか、それは「SmaSTATION!?」を見るためだったんだ? とふいに気がついて。生放送だから、私が見れば私と直接結縁できる。兄さんが見れば、香取君は兄さんと結縁できる。そうして、兄さんが私に伝えたいと思うことをリアルタイムにずっと香取の神が中継し続けてくれていたんだ? と気がついて。「SmaSTATION!?」が終わってしまうことは、蛇の兄さんにとっても名残惜しいことなんだな、と思って。でも、そういうことはみんな妻神を引き出すためにやっていることだから、それが可能になりつつあれば、その先の準備もできることから始めていかなければいけない時期だから、と言われるわけで。でもって、福山君の歌っている時に、家人がどう見ても首がくるくる巻いていて、アルトサックスよりも3割増しくらいでかいバリトンサックスを「アルトサックス」だって言い張るとか妙なアクシデントはあったわけですがー;。さすがにその間違いに気がつかないほど、その楽器について無知ではないー、と思って-;。


で、後は嵐の背景が「乱立する柱」であるので、まだ床下にいろいろ埋まっているんだろうな、とかそういうことであって。そういうことに気がつけるだけ、気がつく機会をまず持ってもらいらたいわけです。そうして、少しずつ彼らが、ここ20年以上も、様々な犠牲を代償として支払いながら、できうる限り続けてきてくれてきたことを鑑みることができるようにならねば、「情報を貰うだけ貰って、用がなくなったと思えば部下を平気で踏みつけにする上司」と言われてしまっても、それは仕方のないことだから。いくら、こちらが気がつかなくても、彼らはそれを続けることが仕事だから、といえばそれまでだけれども、人が血のにじむような思いをして、命をかけてまで自分たちのために続けてきてくれたことに対して、気がつくことができたのなら、まず謝意を示すのが当たり前のことだと思う。彼らはお互いにいくら迷惑を掛け合っても構わない「身内」ではそれこそないのだから。それなのに、差別するような真似を平気でしておいて、「裏切られたらどうしよう」もないものなわけです。人に差別されたくなければ、まず自分が人を差別しない人間になるしかない。人に裏切られたくなければ、まず自分が人の善意を踏みにじって裏切るような人間にならないでいるしかないのです。自分が人をまず裏切るような真似をしておいたなら、自分が裏切られた時に文句を言う権利はないのです。「立場」とか「階級」とか関係なくて、「平等」とは、「公平」とは、まずそのようなものなのではないでしょうか。(でも、こういうこと書くと「それはがっつり西欧主義」って言われるんだよね-;。どうにもね、東洋的な儒教主義は肌に合わなくて、大嫌いなわけです。その原因がもちろんどこにあるのかは誰でも知っていて、恐れおののく人は恐れおののいているわけですがー;。)



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本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。結局、親と話していると、「危うい」と感じることがいくつもあるので、「そういう時は話をする努力をしなければいけない。」と言われて、話をしたわけで。で、何が「危うい」と感じるかといえば、親にも言いましたけれども、いろんな騒ぎが始まった時には、今よりももっと何も分かっていない状況であっても、誰もが半信半疑であっても、兄さん達の言うとおりに話を進めてみよう、とそうやって話を進めてきたわけです。でも、今になると、親はたびたび「お前に協力してやってるんだからそれでいいだろう。」と言うようになって、その一方で、「半信半疑でも話を進めてみよう」とは言わなくなって、逆に「本当に迎えに来ると思うのか?」とか平然と言うようになっているわけで。「半信半疑でも話を進めてみよう」と述べるのは、文字通り、「信じて良いのか、疑って良いのか、分からない」ということで、それは誰だってこういうことに突然巻き込まれたらそうなるものだと思う。でも、「兄さん達の言うことに、とりあえず従ってみよう。」とやってきて、いろんな状況が変わってきて、一番は家の中での出鱈目な争いが少なくなってきているのだから、その点では「兄さん達の言葉に従って話を進めてみよう」と決めてきたのだから、兄さん達の影響力を認めるのが当然だし、客観的にそう判断するしかない状況しかないのに、今になって、兄さん達の言葉をはっきりと否定する言葉を口にするようになることに「危うさ」を感じるのです。だって「思うのか?」と問うのは、反語の表現であって、反語でその内容を否定する表現方法だからです。


そして、「危うい」と感じるもう一つは、「自分でも何が良くて、何が悪いのか分かるようになった」とかって軽々しく言ってしまうことなわけで。新しい品物が出れば、とっさの場合には私でさえ、未だに何を買って良いのかいくらでも迷う。そういう時に、兄さん達に助け船を出して貰わなければ間違ってしまいそうになることはいくらでもあるのに、「自分は分かる」なんて言う言葉なんて、それこそ何の信用もならない言葉であって。で、しかもこういう物言いは、母親と姉の共通した物言いであって、例えば姉は役所に出す書類も自分で全部整えることができないくせに、私の助けを得ることは嫌がる。しかも、助け船を出したところで、それに対して感謝することなんかまずなくて、できるようになったらなったで「もう自分でできるようになった」と言って、私を用済みの邪魔者扱いするような真似しかしないわけです。なぜそうするかといえば、妹から恩義を受けて、妹の方が自分よりも優位になって、自分の優位が崩されるのが嫌だからです。うちは、母親も全くこれと同じ物言いを良くするので。別に私は身内だから、誰に対しても、「自分はもうできるようになった。(だからお前は用済みの目下の存在だ。)」って言われても、よっぽどのことがなければ、それこそ「家族は持ちつ持たれつだから」と思って、自分が相手の役に立ったことについて、恩着せがましくなんかした気がない気がするわけですが。でも、これは相手が他人だったら、助けてくれた相手を「用済み」扱いする前に、まず謝意を示すべきでしょうが、って思う。兄さん達に何から何まで教えて貰っておきながら、自分がちょっといろんなことができるようになった、とそれだけのことで、自分を過信して、兄さん達を邪魔者扱いするの? 私に対してやってきたのと同じやり方で? と、それは経験上、そう思うしかないわけで。それに対しても、文句を言うと言うよりも、「危うい」し、いつまでもそんな甘いことを言ったり思ったりしているようでは、それこそどんな立派な家も、要塞も自分を守る役に立たず、敵につけ込まれるだけでしょうが、と思う。だから、家は良くなっているかもしれないけれども、家族はどんどん悪い方向に向かっているようにしか見えないわけで。


で、なんというか、親と話をしていると、「そんなつもりはない」とか、「なんでそう受け取られるのか分からない」とか言うわけです。でも、最後には兄さん達に対する本音が出てくるわけで。親はそれを、自分が育った環境のせいにするわけです。別にそれは良いのです。過去のことなのだから。だけど、兄さん達のことがあってもなくても、職業で人を差別する人は差別主義者なのです。自分がそうなった理由を探るのは良いけれども、それを「自分が差別主義者でなくなる」糧にして欲しい、とそう思うだけです。そして、それこそ赤ん坊ではないのだから、感情のままに「気に入らない」他人を踏みにじるのではなくて、理性で誰とどうおつきあいするべきか考えて欲しい。でなければ、結局敵につけこまれて、利用されることになって、自分も損をするし、周りの人達に大きな迷惑をかけるからです。しかも、いつまでもそんなことを続けていたのでは、良い家を建てている意味もなくなるじゃん、ということになるわけで。


ということで、誰がそうやって強力に、私にそういうことをするように勧めるのかといえば、「そんなことをするのは音楽家の兄さんしかいないでしょ。」ということで、富の王家の当主は気分が悪くなって、おそれおののいているわけで@@。「なんでさ?」と思いながら家に帰ったわけで。


で、帰ると「ウルトラフェス」を見たわけで。6番目の子は、スラブ系の東方教会と組んで、蛙の王家の思惑を太陽女神に暴露した。その才覚と功績で、スラブ系の人々は、彼に主神である「ペールーン」の名前を半分与えた、とは昨日から言われていて。「ペールーン」とは、インド・イラン系の人々の間では「ヴァルナ」と呼ばれる神であって、ゾロアスターのアフラ・マズダのことでもあるわけで。この神が時代が下ると、単に「神」と呼ばれるようになって、ムスリムの人達の「神」となるわけだから、イラン系の富の王家と、保守的なムスリムの人達は、神であっても庶民の出の神にその名前を与えることはあり得ない権威ある名前なわけですが。スラブ系の人達は、より西欧の人達に近い考え方を持っていて、神も王も実力次第、と思っている人達だから、その名に相応しい人物が現れた、と判断すれば、その名を与える。でも、誰かが「ヴァルナ」に連なる名前を手に入れると、それはその名に連なる他の部族の人達も、その事実を無視できないわけです。そういう事例に対抗したければ、自分のところの「ヴァルナ」の方が「目の力」とか「才能」において「上」だと証明できない限り、名前に連なる権利は「総取り」されてしまうことが多いわけだから。だから、新しく誕生した神には、他の部族の「ヴァルナ」に連なる名前を、どれだけ自分の取り分としたいかが尋ねられる。で、一方富の王家にとって、その名前が何を意味するかといえば、それはアフラ・マズダとそれに連なる「八束水臣津奴命(ヤツカミズノオミツヌカミ)」とその配偶神である「八坂刀売」であるわけで。6番目の子は、「目の力」の不自由な「八坂刀売」の代理人でもあり後見人として、「八坂刀売」の名前の半分を欲しい、と述べたので、それを承認しますか? と問い合わせが来るわけで。別に良いのではないの。「八束水臣津奴命」の名前は7番目の兄さんが貰っているし、そちらは富の王家の信頼が篤くて、何かあれば6番目の子を押さえ込めるだけの「目の力」が持ってる人だし、「太陽女神」をその二人が中心になって支えているのと同じ事で、二人で「仲悪く」ヴァルナの名前も分け合えば? と思うわけで-;。だから、「承認するよー」と言ったら、「そう言うと思った。」と言って、いろんな兄さん達からむしろ非難されるわけで@@。だって、親も言っているとおり、私にも大して「見る力」とか「聴く力」はないわけだから、大まかな方針とかを「どうしますか?」って聞かれれば、簡単なことには答えられるけど、細かい政治向きなことなんて「目の力」では打ち合わせできるだけの能力を持ってないから、そういうことはどちらにしても「内覧」である6番目の子に頼るしかないでしょうが?? と思うわけで。


だけど、富の王家は、6番目の子を警戒して、主神に関連する有力な神の名前をその人に与えて来なかったから、あっさり外部の勢力を借りて、6番目の子がその地位に食い込んできたことが面白くないらしくて。私が7番目の兄さんと組んで「駄目」と言えば、それは阻止できるのに、私がそういうことをする気がないのが、王家としては面白くない、ということで。でもって、「八坂刀売」の名前は、富の王家の主神というだけでなく、信濃国の国主の権利の半分に関わる問題、と言われるわけで。要するに、諏訪大社の夫婦神の1対として、国主の権利は蛇の兄さんに半分、私に半分あるわけですが、今度は新しく、私の権利の半分の更に半分が6番目の子に移るわけで。そうすると、6番目の子は、今現在は神婚が成立するまでの間、「国主代理」として、信濃国に関わっているわけですが、今度は神婚が成立した後も、「国主」として君臨できる、とそうなるわけで。蛙の王家は、そうなると常に正式な「国主」である6番目の子に頭を押さえられることになるので、ますます好き勝手言えなくなる。だいたい、6番目の子は、本日は「蛙の王家に好き勝手なことは言わせない。」としか言わなかったわけで。それで、「八坂刀売」の名前の権利の半分を6番目の子が手に入れた、ということは富の王家にとっても、蛙の王家にとっても、大ショックなことなわけだけれども、7番目の兄さんも蛇の兄さんも、妻神の損にならないことなら6番目の子のやることを放置する方針、なので私が承認を与えてしまうと、打つ手なし、になってしまうらしくて-;。そんなこと知らない-、蛙の王家にものも言わせなくする人材が必要だし、だいたい、その人たちは私の親戚なんだから、どんなにショックを受けても3日で回復して、また何か画策を始める人達でしょ、私と同じような性格なんだから、と思うと、あんまり同情する気がしないわけでー;。


でも、私一人が賛成しても、他に後押しする勢力もないと、そういうことできないでしょ? と思う。そうすると、6番目の子の後ろにいるのは、「諏訪大名家」と言われるわけで@@。ともかく、うちの親が「階級社会」とは、差別社会で、王様というものは人々を搾取するもの、とか何か出鱈目な妄想に取り憑かれているのも困るのだけれども、差別がどうのと言う前に、西洋と東洋では必ず「文化の違い」というものがつきまとうということを忘れないように、と7番目の兄さんに言われるわけで。西洋では、12枝族なんかがそうだけれども、12の部族が同盟を結んで、互いに対等な立場で、一人の王というか指導者を擁立しよう、という思想が古くから発達していて、そういう場合の「王」というのは、人々の中から人々が選ぶものなわけだから、「王」とはいっても、むしろ現代風に言えば「首相」とか「大統領」という感覚にものすごく近いのが西洋なわけです。だから、西洋では今でも相応しいと思う人は、どんどん新しい「王家」として求められるし、擁立されるし、流動的だし。逆に東洋は、最初は実力主義でも、「王家」が確率されると「総本家」というものを頂点として専制君主制が敷かれることがものすごく多いわけで、そういう場合、表向き最高権力を握っているのはいつでも「総本家の当主」、すなわち「王」とか「皇帝」と呼ばれる人達になるわけで。だから、蛙の王家は「太陽女神でも分家の出の者は王家の意向に従え。」と当たり前のように言う。それは富の王家も同じ事で、誰が諏訪神の名前を名乗るのか指定するのは地元の諏訪氏ではなくて、富の王家だから、諏訪神族は、日本武尊の直接の子孫であっても、諏訪神の任命権がないし、神に何かお願いしたいことがある際には、富の王家を通さないとならない、と言われるわけで@@。要するに、神サマに相当する子供が生まれることも希だから選ぶ余地はあまりないけれども、東国に影響力の強い諏訪神の任命権を持つのが富の王家であるということは、いつまでたっても、東国の支配権を西国の王族が牛耳っているのと同じ事、と言われるわけで。要するに、西国出身の蛇の兄さんは、大名家から見れば必ずしも歓迎すべき神とはいえないので、大名家は自分達が直接神とパイプを持てるコネクションを持つ「東国出身」の国主が欲しいわけで。6番目の子はバリバリの江戸っ子だから、それでその人を送り込む気になったのかー、と思うわけで。別にいいでしょ、信濃国は、西国出身の富の王家の草刈り場でもないし、未だに自分達のことは「華僑」だって言っている蛙の王家の草刈り場でもないので。ここは、ただ先祖代々ここで生まれ育って人達のものだし、人々に自らの国主を決める権利があって、当然である、と思うから。それで、地元民の私と、東国出身の6番目の子を、地元の人々が望むのであれば、何か問題があるのか? と思う。だいたい、神家党の方が、血筋的には富の王家のおっちゃんよりも私に近い人達でしょ? と思うわけで。大名家の当主と始めて、ちょっとご挨拶したわけですが、こちらは「蛇の目」の人であったわけで。


7番目の兄さんからは、私が決めて良いことは、私が決めればいい。何が差別で、何が正しいと思うのかも自分で判断して良いし、自分はただそれを守って支えていくだけだけれども、自分が「正しい」と考えている価値観は、東洋のものではなくて、西洋のものである、とそういう自覚を持つように、と言われるわけで。別に私だって価値観的な環境としては、親が生まれ育った環境と似たりよったりのところでしか育ってきていないので。何故、私自身が西洋式の価値観を正しい、と思うのかを、その理由を忘れないように、と言われる。それは、富の王家の当主が恐れおののくほどに、音楽家の兄さんの声がよく届くから、ということでー;。それは、どうしようもない。だいたい、ウェスタの人達の声はだいたいは私に届きにくいわけですが、一部に源ちゃんとか届きやすい人もいるわけで。今日、福山君の歌と、源ちゃんの歌を聴いて痛感したけれども、蛇の兄さんの方が「目の力」はよほど強いはずなのに、源ちゃんの「声」の方が私には良く届くわけだから-;。音楽家の兄さんには、「自分の部下が誰かに不当に差別されたら、例え相手が自分の親であっても、それを諫めて部下を守るのが、王として当然の態度であるので、それができもしない者を、西方の人々は誰も王とは認めない。」と言われただけであって。蛇の兄さんからは、「それは西欧式の考え方であって、東洋式の専制君主的な考えから見れば、部下がどんなに心を尽くして仕えても、上はしのごの言って足蹴にして当たり前なので。」とフォローはされるわけで-;。むー、でも、私はそれはいや、と思うわけで。どうにもこうにも、階級社会は差別社会で、無差別主義者が平等な社会? とか、そんな感じで、そんな大正時代のアナーキストが言いそうな文言は、親の育って時代から考えても、どう見ても時代遅れでしょうが? と思うわけで。「目の力」の優れた人が人々の上に立って、人々を守り支えていくこと、そして「目の力」の弱い人が、できる範囲で上に立っている人を支えていくことは、全然不公平でも不平等なことではないでしょうが、としか言えない。無政府主義な組織なんて、存在しないから、そうなったら人々はそれこそ個々に孤立して外敵のなすがままで、組織そのものが維持できないから、それこそ最大の不公平状態だと思う。上っ面だけの、無政府主義、共産主義が「平等な社会」だなんて、それこそイエズス会が作り出した妄言だし。そんなものに捕まっていてはいけない、とそれもそう思うだけなわけで。音楽家の兄さんには、「人の上になればなるほど、公平とは平等とは差別とは何なのかを、自分自身に問い続けていける自分でなければいけない。」とそう言われて。その人はその人で、西洋的な価値観を身につけて、西洋の神に相応しい存在に妻神を鍛えるつもりなわけです。そうする以外に、蛙の王家と富の王家の「神を傀儡にしよう」という策略から逃げられないから、ということで-;。でも、その兄さんも東国出身の人なので、今回は大名家と6番目の子に協力して恩を売ったし、妻神に対する影響力が誰よりも強いことを明らかにできれば、門外客人の「夫」でも、誰も自分をないがしろにできない、ということをその人はその人で良く知っているわけで。蛇の兄さんは、6番目の子と取引して、国主の権利を半分渡す代わりに、妻神の最初の「正式な夫」になることを承知させた、ということで-;。別にどうでもいいや、私の前で喧嘩してくれなければ、と思うわけで-;。おかげで、一応誰にとってもめでたしめでたしなんじゃん? と思うわけですが、分家筋を強く牛耳っていたい蛙の王家と富の王家は、大ショックを受けまくり、ということのようで。精神的なショックなんか3日もすれば回復するでしょ、みんな私の親戚だし、そんもんでしょ? と思うわけで、どこの王家も図々しいからそういう心配は誰もしないわけですが。でも、蛙の王家の忠臣と富の王家の忠臣は面白くない、B'zの兄さん達には「大陽の小町なんとか」という曲なんか「作るんじゃなかった」とぼやかれた気がするわけで-;。


で、「ウルトラフェス」が終わった後に、「NEWS ZERO」を見て。部下を「ハゲ」とかって罵った豊田議員が謝罪会見をした、とかでニュースになっていて。なんでも、録音によると、部下に「お前に私の心の痛みが分かるのかー」とかって怒鳴っていて。で、その後先に「そんなつもりはないー」と歌うように言っていて。で、部下を「ハゲ」と罵ったことについては、「夫の頭が薄いので」とかって言い訳していて。自分でも「なんでそんなことを言ったのか分からない」とも言っていて。なんにしても、奇妙な事件であるわけで。でも、私も忙しくてニュースなんて見ないので、このニュースは今始めて纏めて、しっかり見たわけです。その時、ふっとゆずの兄さん達の『人はみんな鏡だから』という歌詞を思い出して。世間で起きる事が我が家の「鏡」であるのなら、この事件を何を写した鏡なのだろうか? と思った。「そんなつもりはないー」と繰り返しながら、「なんでそんなことを言ったのか分からない」と繰り返しながら、部下を罵倒することをやめなかった人が誰か居たか? と思った、というか、「夫の頭が薄いので」ってわざわざそれを言う??? と、思わずそこを強く突っ込んでしまうわけですがー;。私が「危うい」と感じる以上に、世間がどう思っているのか、ということが「これ」なわけだ。でも、ともかくニュースと同様、反省して謝罪したことにはなっているので、それが単なるパフォーマンスでなければ良いが、とそう思うわけです。妙な健忘症にさえ取り憑かれていなければねー;。(というか「ウルトラフェス」よりも、最後のこれが本日の大ハイライトだと思ったわけですがー;。)個人的には、これが本日一番ショックだったわけですがー;。



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本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は天気予報では「雨」であったのですが、雨はそれほど降らず。でも、台風の影響で風がとても強いので、外で作業する気にならず、日記を書いているわけで。でも、午前中、それほどひどくない時に土台の下をせっせと掘ったから、木のとっこが2本掘り出せたわけで。あとは、周辺のごみや木の棒を片付けて、それで新しいゴミが出てこなければ、置くから埋め戻して、当初の板を掘り出す作業に入れるわけです。そこまでうまく行くと良いわけですが。


昨夜は「SmaSTATION!?」を見て寝て。香取の神には、「生放送での結縁の機会が残り少なくなって、名残惜しいけれども、いずれ必ず会おう、いろいろな制約は多くても、幸せな夫婦になろう。」と言われて。この番組は、香取の神にとっても、妻神に直接プロポーズした思い出深い番組なんだな、と思って。もちろん、そのために、せっせと掘っているんだよ? と思うわけで。で、できるだけ親に結縁して貰おうと思って、親がちょっとだけでも時間があるときに、「香取君の番組だよ」と言ってみたのですが、以前だったら、服装だけでも見ようとしていたのに、ほとんど無視して行ってしまって、それにもちょっと驚いて。でも、今は大変な時期でもあるので、無理なことは言えないし? とも思うわけで。でも、これからは生放送で香取君と結縁する機会はしばらく皆無であるし、さんざんお世話になったのに、その態度で良いの? とは思う。


だから、今朝、少しでもいろんなことを分かって貰おうと思って、「SmaSTATION!?」が次回で最終回なことを話したら、「なんで、テレビを見ていることが相手に分かるのか?」と言われて、ものすごくびっくりしてしまって。だって、兄さん達が四六時中私に取り憑いて、私達が何をするべきか、細かく指示を出して、それでここまで来ているのだし、そういう状況を理解する役に立てて貰おうと、毎日せっせと日記を書いて読んで貰っているのだから、自覚がある私にも、ない人達にも、四六時中外部の「目の力」が強い人が取り憑いて、何をしているのか見守って、危ないことにならないように行動を注意してくれているのはあからさまでしょ? と思う。そして、こういうつながりを円滑にするためには、相手の「目」を見ることがとても大切であって、生放送で見ることは特に大切なことだとは何度も言っているはずなのに、今になっても、妙なことを言い出すのは、自覚があるとかない、という以前に、自覚を「持つ気が無い」し、もはや私や兄さん達を「嘘つき呼ばわり」しているレベルに感じられるわけで。で、こんな状態では困るので、親と話をしてみたわけですが、「目の力」を使って人と話をしたり、人を見守ったりすることは、「自分にはできないことだから、人ができるとは思えない」と言い張るばかりであって。生まれながらに盲目の人が、「自分は目が見えないから、他人にも目がついているなんて思えない。」と言われたら、どうやってその人に自覚を持たせられるのだろう? 問題なのは、こういう能力には個人差が大きくて、現状の不利な状況では、ものすごく「目の力」が強い人でなければ、味方であっても容易に私たちに干渉はできない。一方、敵の方はそれこそ声が良く届きそうな人材を選りすぐって私たちの周りに配置してくるわけだから、「自分は目が見えない」と言えば、そこに容赦なくつけ込むことをするだけなわけだから。それに、父親や姉が、テレビとかを見ていて、妙に興奮して何かに取り憑かれたようになって敵意をむき出しにしてきたこととか、そういう事例がいくつも積み重なってきていることを総合的、客観的に考えれば、自覚を持てても、持てなくても、敵がなにがしかの精神的な方法で、家中に干渉してきて、家族を悪い方へ悪い方へを持って行こうとずっとしてきたことは明らかなわけだから、他人が単に「監視している」とか、そういうだけでなくて、親が自覚を持てないやり方で、家中に干渉しようとしている、そうして一家を自滅に追い込もうとしている、ということにももっと自覚はもってしかるべきである気がするわけで。特に、家族の中でも敵意の強い人達が、敵意をむき出しにするのは、テレビで敵意を持ちそうなものを目にしたとき、外で多くの「敵の目」にさらされて帰ってきたとき、そして特に食べてはいけないものを勝手に食べてきたとき、だって分かっているのに、そういうことをしないようにして、押さえこんでさえしまえば、それで「家は良くなってきたんだからそれでいい」で済ませてしまって、根本的なことは「理解できない」で済ませてしまうのはどうにも良くないことのように思うわけで。理屈はともかくとして、経験的に分かっていて当然のことまで、「理解できない」で無視してしまうのは良くないことだし、自分に都合の良いように解釈して、「自分には蛙の人達の声だけよく届く」なんて、勝手に決め込むのも良くはなかった。私たち家族は、何重にも敵に取り囲まれているし、敵からの干渉がとても強い、ということも自覚を持ってしかるべきだったし、敵が兄さん達に敵意を向けるようにそそのかすからって、兄さん達を嘘つき呼ばわるするのも良くないことのように思うわけで。


どうしたら、目の見えない人に、特に見えていないのは自分だけだって自覚を持たせれば良いのだろう? と思う。盲目の人はみんなどうやって自覚を持つようになるのだろうか、と。そういうことは、指摘もされるけれども、自分と外の人との行動の違いとか、そういうことを自覚して理解していくようになるものなのだけれども、親は現実の「目」の方も、乱視とか白内障とかで、あんまりまともには使ってないわけで。長い間、現実でもものをちゃんと「見ていない」ので、人の目を直接見て、敵か味方なのか判断する能力もままならないのである。で、親に「行けないところなんて、どこにもないのに、なんで古い家のままでは強力な味方が入って来れないのか。」と聞かれて、私にしても、それにはうまく答えられないわけで。私たちが、そこに引きこもっている以上、兄さん達が直接干渉できないような「取り決め」になっているんだろうな、と漠然とそう思うわけなだけで。世の中の人の行動というのは、何かをしようと思ったら必ず「代償」を伴うものだから、それについて払いきれるだけの「代償」を支払わない限り来れないだろう、とは思う。親には「そうしたら兄さん達が殺されるのか?」と聞かれたけれども、それにもうまくは答えられない。でも、我が家の周りには敵は手厚く取り憑いているし、しかも水内郡そのものは、蛙の王家の支配下にあるから、蛇の目の人達は、よほどのことがなければ容易にこの地に干渉できないであろう、と思う。そうして昼寝しておきると、兄さん達から「その点では、あなた自身も守られすぎていて、自覚が足りなさすぎる。敵が望むのは、自分たちの命ではなくて、太陽女神の命なのだから、力関係を無理矢理壊して進入しようとすれば、あなたたちがまず殺されることになる。もちろん、誰でもやろうと思えば、行ってはいけない所に行くことができるし、やってはいけないことをやることもできる。裁判を起こしに東京に行くことだってできるし、勝つこともできる。でも、裁判で強引に勝とうとして、『新幹線に触れ』と言われたことをあなたもお母さんも、甘く見て忘れないように。それで、誰からも止められずに触っていたら、死んでしまって、裁判に勝つも勝たないもないでしょうが?」と言われたわけで。そのことは、私も忘れていた。でも、そういう経験があって、生きているということは忘れてはいけないわけで。そういうときに、ちゃんと自覚を持てないといけないわけだ。


だから、親は古い家を引き払って、新しい家に引っ越せば、いろんなことが都合良く良くなることのように思ってる。でも、現実に敵がいなくなるわけではないから、それも間違いだし、味方との付き合いが始まれば、今度はどの味方とどう付き合っていくのかをしっかり考えていかねばならないわけで。敵は兄さん達との仲を裂くようにしか画策しないことはあからさまである。では、蛙の人達は? と思う。その人達は、善光寺直下の平らな地域、諏訪心の領地に出てこい、とは言う。私に指定された相手と結婚しろ、とも言う。でも、残された家族はどうなる? とはいつも思う。結局は、我が家の家族は、誰も彼もが「自分に理解できないことは、敵に踊らされて何が悪いのか?」としか思えない、それだけの能力しかない人達で、中でもましなのが、私であり母親であるわけで、他の二人はもう「無理」の一言に尽きるわけだから。富の王家の方針は明確であって、「家族ごと引き受ける」と言ってくれるし、それは具体的には蛇の兄さんが現実のものにしていってくれる、と期待してるよ? と思うわけで。実現してくれなかったら、弁護士の資格を取ってしまうよ? と思うわけですが(苦笑)。では、蛙の王家の方はどうかといえば、あんまりそういう具体的な話は聞かず、「引っ越そうとしている家においておけば、一族郎党でなんとかする。」みたいなことしか言われないわけで。なんでだろう? と思う。そうすると、兄さん達から「だって、その人達は太陽女神が「分家の出」であるなら、総本家の言いなりにだけなって当然、だって思う人達だぜ?」と言われるわけで。分家の出であるものが、自分の立場に自覚も持てず、「理解できない」の一言で味方を無視したら、総本家はどう出る? 家族一人一人が孤立させられて、3番目の叔父や5番目の叔父のように、各個敵のなすがままに殺されるだけでしょ? 良い土地に住もうが住むまいが、「何をどうすべきか自覚が持てずに、奴隷のままで良いと思う者には、家畜に待ち受ける運命と同じで、屠殺される運命が待っているだけ。」と言われるわけで。斉の王家は、かつて人間の赤ん坊の唐揚げとか平気で食べていた人達だから。「自分の先祖はそういう人達だと言うことを、もっと自覚を持つべき。」と言われるわけで。一族郎党の直接の言葉にすら耳を貸さず、菩提寺を勝手に変えてどうなった? 一番「目の力」の弱い5番目の叔父さんとその家族が犠牲になった。新しい家に引っ越したところで、太陽女神がいなくなったその家で、残された家族が「理解できない」と言って好き勝手なことを始めたら、同じ運命が待っているだけ。「周りがどんなに助けようとしても、助かろうと、自分からしない人は助けられないんだよ。」と言われるわけで。


そっか、蛙の王家は太陽女神だけを引き出して、残りの家族は総本家の意向に従う能力がなければ、利用するだけして、始末してしまえばいい、とそう思ってるんだ、と始めて気がつくわけで。兄さん達は、それを阻止しようとして、かろうじて自覚の持てる私と母親に、なんとか強く結縁しようとしているわけだけれども、親の方はどうにも自覚が持てなくて、兄さん達を嘘つき呼ばわりする。最近、また「お買い物ラッシュ」が来ているのも、私が自分のお金を使わざるを得ないのも、「家族を助ける」ためであるのに、親の方は「自分の小遣いで買うのなら良い」としか言わない。「千と千尋」の両親は、豚の姿に変えられて、食べられようとしていたけれども、千尋は一人で何とか家族を助け出そうと奮闘していた。でも、結局両親はそのことを知らないし、忘れてしまうし、その結果娘に感謝もしたりしないわけで。我が家の状況は今もって、「千と千尋」と同じ状況、と兄さん達に言われて不憫がられるわけで。兄さん達は、姉ではなく母親に特に生放送のテレビをしっかり見て貰いたがっているわけです。姉には事態を改善する能力も、自覚する能力もない、ということをみんな知っているわけだから。それを助けることのできる母親との結縁を重要視しているのだけれども、これがまた、ということなわけで-;。でも、なんで、蛙の王家の本性が、ここに来て分かったのだろう? と思う。それは、呪いのとっこを外したから、タール土を掘り出したから。そして、指定の品物を家に入れて、家族の命をお金で買っているから、ってそういうことなんだー、と思って。どうせ、放っておけば、「理解できない」の一言で、敵に食い散らかされて自滅するしかない、そういう人しか我が家にいないって誰でも知っていて、そこをどうするのか、いろんな勢力が画策しているんだな、と思うのです。でも、だから6番目の子は「当面、蛙の人達のことは敵だと思うように。」と言ってくるわけで。まあ、私の見解は夫と同じ、ということで-;。分家の人間は、利用するしか価値がないと思ってる総本家では困るの。利用する価値もない人材しか揃ってない家の出の者としては、とそういうことです。「私の家族」という、それだけのことに価値を見いだしてくれる富の王家のおっちゃんの方がよっぽど親切、というか、そちらはそちらで、そういう大盤振る舞いをしてでも、「太母となる才能を持つ女神」が欲しいわけだ。


でもって、なんというか、家の工事が進んで、掃除も進んで、状況はよくなっているはずなのに、なんで親の言動だけがどんどん常軌を逸した方向に行くのだろう? というか、香取の神に求婚されたのは、かれこれ3年くらい前になるわけだけれども、親はその時点では、香取の神のことも私のこともうそつき呼ばわりはしなかったわけで、話が進んだ今になって急にそんなことを言い出すわけで。あれから、いろんなことがあって、いろんな経験が増しているわけだから、むしろ現実に起きていることについては、その時点よりも理解できているようになっているはずなのに、経験を増せば増すほど、母親は逆に兄さんたちを嘘つき呼ばわりするようになっているわけで。それは、もちろん蛙の人たちの声が届きやすくなって、彼らが妨害していることもあると思う。敵ももちろん妨害する。でも、蛙の王家は何故、そういう妨害をするのだろうか、蛇の目の人たちだって同盟相手であるでないの? と思うわけで。だから、結局それはもう、決めてること。蛙の総本家は、自覚を持てず、役に立たない人間は、役に立てるだけ立てて始末する予定なんだ、ということなわけで。だいたい、20年以上前に、交通事故で殺されそうになったでしょ。直接手を下そうとしたのは敵だけれども、水内郡下で起きたことを蛙の王家が承知していないはずはない。王家の意向に逆らって、娘をあくまでも自分の欲から医学部に閉じ込めておこうした者は、そうやって屠殺人の手に渡す、という決定はもうされているわけで。各王家は互いの内政には基本的に干渉しない。ローマ人は、蛙の王家から見れば「処刑人」の一種みたいなものにしか過ぎない。総本家が水内郡下で、そういう事件を起こすことを認めたら、誰がそれを止められるのか? と言われるわけで。富の王家は、そこを押して、総本家の内政に干渉して、事故は止められなかったけれども、命は助けることに成功した。隣接している更級郡は、富の王家の領地だから。蛇の目の人たちと蛙の人たちの「こじれ」は、もともと蛇の兄さんの個人的な不満だったものが、その時点で、家同士の対立という「本格的」なものに発展したわけで。こじれることがわかっていて、富の王家の当主が、なんで、親を助ける方向に動いたからといえば、有能な臣下から「それをやらないとクーデターを起こして、お前の首を挿げ替える」と、脅されたから、ということに表向きはなっているわけでー;。庶民の出の分際で、王族に対して、そんなことが言える人はめったにはいない。みんな、親を利用するだけして、切り捨てて殺せ、とそう要求される太陽女神のことは気の毒だと思っても、総本家に敵対してその守護を失う、ということは、屠殺人の前に放り出された家畜となるも同然のことだから、誰もその点で軽々しく太陽女神の味方はできない、と言われるわけで。富の王家の当主は、自分の首がかわいいから、太陽女神の家族を助けて引き受けることを承知した、ということらしくて。そうして、引っ越しをした後の、家族をどうするのか、という問題について、総本家の意向を太陽女神にあからさまに暴露するに至ったわけで。もちろん、私が総本家の意向に賛成するとは、誰も思っていないよね? と思うわけで。暴露するに至って、大きな力を発揮したのは、あからさまに東方教会であると思う。彼らの力を呼び込むのに力を尽くしたのは、守達神と、みんなが「お水脳」と呼んでいる錬金術師である。そもそも、錬金術師とは何者? と思うと、「それはプルートーの配下の人たちのこと」と言われるわけで@@。どうやら、これで、総本家と真正面からの大激突は必至、ということになるらしいのですが。でも、ごく普通に考えて、家族も守れず助けられないような人間に、世界は救えるのだろうか? と思う。まあ、総本家はそんなことにかかわらず、「自分たちの言うことだけ聞け」っていうのだろうけれどもー;。千尋のように感謝なんかこれっぽっちもされなくても、仕方ないんだよ、そういう能力しかない人なんだし、だからといって、そういう人たちを家畜扱いしかしないで差別するのもまた間違っていることなのではないの? と、そうなる。結局は、ものごとは「いじめ」というものを肯定してよいのか、悪いのか、と、そういう単純な、大学入試の時の最初の命題にいつも戻される。「差別もいじめもよろしくないこと」とそう決めたのは自分なのだから、最後までそういうことを行わない自分でいたい、とそうするしかないのだと思う。それだけのことなわけです。



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本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。土台の下は、一番奥の細い枝の周辺はなんとか綺麗にできた気がするのですが、その次に奥に入っているとっこの上に大きな石やアスファルトの塊がたくさん詰まっていて。掘るにつれて、どうも2本のとっこが並んで入っているように見えてくるわけで-;。1本は南西の方向に、もう1本は西の方向に向かっていて。そこの部分の土だけ、他の場所に比べて汚くて、細かいタールなんかも混ぜ込んであるわけです。慎重に掘り進めていければ、と思います。


昨夜は「少年倶楽部」のプレミアを見て。まっすーの「目の力」も相変わらず凜々しいな、と思う。亀梨君が、ソロのコンサートツアーをやっている最中なのが「NEWS」で出ていて、ファンに「亀ちゃん」と大声で呼ばれている姿が印象的であって。最近、そう呼ばれることが増えましたねえ、私が「亀の子」のことを「亀たん」って呼んでいるから? と思うわけで。だって、かわいいんだものー、ということで。


で、帰りにまた支払いをしてきたわけで。今回は錬金術師のプログラマーさんと、スラヴ系の東方教会関連のお支払い、ということで-;。穴掘りで、ずいぶんいろんな人達にサポートして貰って、やっと今のところまでもっていけたわけだから。あと、もう一息だ、と思うわけです-;。



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