本日の日誌

そろそろ、書面を書き始めたいわけですが、「まずは建築訴訟の本をしっかり読むように」と言われるので、教科書を読んだり、必要な部分をスキャンしたり。そして、どうやって次の書面を纏めていこうかなあ、と案を練っています。


お外組は、昨日と同じ。粘土の塊みたいなものがけっこう出てきていて。


で、今日は「ローマ帝国衰亡史」とか「太平記」とか届いて。当然、読んでいる暇は全く無いわけですがー;。「ローマ帝国衰亡史」というのは、要はローマ帝国の歴史なんだけれども、何故か縁起の悪い名前がついていて。「ローマが衰亡する歴史」って、ローマにとって縁起が悪いなら、私達には縁起の良い本、ということで買って。「太平記」の方は、ちょっとだけ拾い読みしてみたら、鎌倉幕府滅亡の段で、北条高時の内管領・長崎円喜とか、諏訪入道が自刃する項で。ちょっと切なくはある。


で、親に、高師直は尊氏に尽くしたのに、なんで殺されてしまったのか、と聞かれるわけで。答えは、尊氏が日和見過ぎて、弟の直義にも、師直にも「良い顔」をしすぎたせいです。で、尊氏の執事であった師直は、尊氏の長男である義詮を尊氏の後継にして、室町幕府を跡継ぎ争いとかのない盤石な組織にしたかったので、直義が義詮を押しのけるほどの権力を握ることには当然反対する。こうやって、先の先まで読んで、幕府と尊氏の血筋の安定を図った師直のように、尊氏自身が先の読める人物では「なかった」ので、こっちは状況によって強いことを言ってくる相手に節操なくなびくような性格であったので。だから、結局は尊氏自身が、師直の考えていることを理解できなかったから、だと思う。でも、こんなだから、師直は2代将軍義詮には感謝されました。まあ、死んじゃった後なんだけれどもー;。で、当時は武家も、損得勘定だけで動いて、今日は味方でも明日は敵、とかそんな人ばっかりだったので。上から下までそんなんだから、政権は安定せずに乱れる原因になったわけです。


武家がある意味「節操なし」というか、自分の損得勘定だけで主人を選ぶ、という傾向は平安時代からあって、公家から見れば武家は「召使い」だけれども、武家から見れば公家は「自分の財産を守ってくれる主人」であるので。守ってくれない、実力のない主人はそもそも用がない存在である。だから、使えている主人の社会的地位によって、召使いの武家の社会的地位もころころ変わるので、そういう不安定な状態が嫌で、みんな頼朝を「主人」として守って貰うことにしたし、頼朝は頼朝で、部下の期待にちゃんと応えて、部下に対しては言い分をよく聞いて、公平で公正な政治を心がけていた。だから、部下は部下で、頼朝を信頼して、尊敬し、仕えていたわけで。そういう頼朝に比べて、尊氏君は、ものを言ってくる人には、きちんと物事を考えず、みんなにいい顔したがるだけの軽薄な人間であったので、頼朝に比べて人格的に劣っていた、としか言いようがない。「戦争が終わったら、ユダヤの人にも、アラブの人にも国を作ってやる」って言って二枚舌で混乱を起こすようなことを平気でやるような人物だったのですなー;。



Posted by bellis 23:51 | 日記 | comments (x) | trackback (x)