本日の日誌

今日は朝から張り切って作業をしようとしたら、Windowsの更新に引っかかってしまって、1時間くらいかかってしまって。


去年、国会図書館で、著作権の切れた古い本がデジタルデータで公開されているのを発見して。戦前(昭和18年)に出版された「北欧民話」というものを、少しずつ現代的な言葉に直していたわけです。それで、話が一つ仕上がったので、「解説付」でHPにアップしてみたわけで。そして、有料フォントを手に入れた記念に、冊子風のものも作ってみて。


そして、少なくとも、ゲルマン系民族の「三人兄弟」の「末子」の民話は、北欧神話の主神である叡智と武勇の神オーディーンの神話が崩れたものであることを発見する。そして、オーディーンには、「黄帝」と同じく、「悪しき巨人を倒した」という性質があることも再認識する。そして、兄さん達には、「黄帝が、黄河文明と長江文明の衝突の戦争の勝利者であるならば、誰か実在のモデルとなった人物がいるはずでしょ?」と言われる気がするわけで。その人物の偉業は、あまりにも広く広まりすぎて、様々な名前、様々な姿に変化している。時には、オーディーンという名であり、時にはアガメムノーンという名であり、時には桃太郎とか、ものくさ太郎とかって言うのではないの? と思う。そして、その名前はゼウスともテシュブともなっている。だから、どれが彼の本当の姿なのかはよく分からなくなっている。でも、残されている伝説や神話を見るに、それはより強大であった、先の神権政治を倒し、古い神々の恐怖政治から人々を解き放つことを目指した人物であったのだろう、と思う。でも、彼の子孫は堕落して、古い神々をより都合の良い形に作りかえ、新たな恐怖政治の体制を作り上げてしまっている。これが、新たな狂気の良渚文化の末裔達の辿った道、ということで。


そこで、「オーディーンと黄帝は同じもの」と書くと、「答えを教えた者がいる」と言って、怒ってる人達がいる気がするわけで-;。どうも、これは言葉にしてはいけないことらしいです。


で、昼寝をしたら夢を見て。なんだか、自分が火山の麓に住んでいて、山から火の塊とかが降ってくるので、それを防ごうとしていて。で、近くにいた人に、「山はこんなに恐ろしいものなのに、何故人々は山を崇めるのか?」と尋ねる夢で。まあまあ、そんな噴火した火山みたいな感じで怒ってる人達がいるらしくて。


昔の人は、というか今の人も、「生まれ変わり」というものは、単に「若返り」だと考えている人は多いらしくて。昔、「三兄弟の契約」の中で、一番身分が低い階級に生まれて、「羊飼い」の役目を果たしている人がいたらしいです。ここでいう「羊」というのは、普通の羊のことではなくて、人間の姿をした羊のことである。要するに、「三兄弟の契約」の外であって、家畜扱いしかされない人達のことを指す。「羊飼い」の役目は、「羊」を時に互いに反目させて殺し合いをさせたり、「羊」の財産を搾り取れるだけ搾り取って羊そのものは餓死に追い込むことである。この「羊飼い」はとても長生きで千年以上も生きたので、しまいには自分の役目に嫌気が差して、「何故、羊飼いは羊を慈しみ守り育てる羊飼いであってはいけないのだろう。何故、自分の役目は残酷な羊飼いなのだろう。このことを、自分にこの役目を定めた神に会って、直接聞いてみたい。だって、みんな同じ人間なのに。」と考えるようになった。そこで、羊飼いは二千年前に自分の役目を捨てて、神を探す旅に出た。でも神は見つからなかった。そこで、故郷に戻った羊飼いは、仲間を募って、「人は人であるというだけで、互いに公平であり、平等である」と説き始めた。その言動は、仲間の「羊飼い」からとても危険視されて、彼は残酷なやり方で殺された。でも、羊飼いは死なず、更に旅を続けて、二千年を過ごした。そして、気がつくと羊飼いは女性になり、自らが「羽」を持つ神になっていた。でも、そうなった時には、自分のことも、自分が求めた神のこともすっかり忘れていた。でも、自分が求めていた「神」とは、様々な神話や伝承に形を変えて、世界のあちこちにその片鱗が遺されていることを発見した。


で、そこまで至ったら、「総本家」は怒り狂って、「黄帝」はいったい何千年生きるつもりなのか、て言うわけで。「黄帝」とは、昔風の考え方でいえば、もう五千年は「生きている」人らしい。でも、今まで子孫によって神格化されていただけで、「神」の「羽」を持つことはなかったらしい。五千年もの間、「神の羽」を持つことを夢見てきた黄帝は、羽を手に入れたら、いったい何をするつもりなのか? と世界中の人々は思ってるらしい。そして、彼を神になさしめたイエス・キリストも何をするつもりなのか、と思ってるらしい。その二人の伝承と片鱗は、世界中に広まりすぎていて、何が本当の姿なのかは誰にも分からなくなってるからである。「総本家」はどっちも、本当の意味で「死んで」くれればいいって思ってそうである。ご先祖様に対して、失礼すぎなんじゃん? と思うわけですが-;。


「何をするつもり」も何も、自分の書いた日記を読み返すのに必死なんだけど? と思う。「神」に会ったら、何を聞きたかったのかは、本当の意味では忘れた。でも、狂ったおかしな「羊飼い」の制度を作り上げたのは、神ではなく、神の名前を利用している人達なんじゃん? と思う。まあ、まずは自分が生きること、自分が守りたいと思う人達を守ることが全てである。そして、いろんな物事に「ふさわしい文字」を選んでいくことなのだと思う。かわいらしい民話とかを現すには、筑紫明朝とか、可愛らしい愛嬌のある文字が良いと思うのですよ。お堅い解説も可愛らしく見えるから。



Posted by bellis 00:58 | 日記 | comments (x) | trackback (x)