本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、奥の方に詰まっていたアスファルトの塊を掘り出して、その後は崩した土と石を片付ける。大きめのアスファルトの塊の周辺に、小さいアスファルトの塊もいくつか詰められていた。


昨夜は「金スマ」の続きを見る。何故か、聖路加の日野原医師の本の話題が取り上げられていて、ノーベル賞を受賞した山中医師が推薦をしていた。そして、東京サリン事件の時の、聖路加病院の活躍が再現ドラマで描かれていたわけだけれども、東京サリン事件も不思議な事件であったと思う。確かに、聖路加病院は、有事に大量の患者を受け入れられるように設計された病院かもしれないけれども、もし事件が例えば大阪で起きたとしたら、病院が日頃努力していたことは、あまり何の役にも立たなかったと思う。でも、事件は、病院に患者さんが運び込まれるのに都合が良い場所で起きた。そして、「やるべきことをやっただけ」に見える日野原医師が、まるで英雄扱いされるようになるわけで、ともかく「死ぬまで働き続けた」ことが褒め称えられる。私から見れば、いくつになっても現場にしがみついて権力を手放さなかった老害みたいなじいさんなんてどうなの? という感じがするのに。それを見ると、「医者というものは、死ぬまで働き続けるのが理想」みたいな、暗にそういう思想を押しつけているように見える。更に言えば、今になって飯島愛を褒め称えるような内容をまだ取り上げるのも、「ほぼ死ぬまで働き続けた偉い人」みたいな「提言」の一環に見える。(この人もブラウン管の向こうで、あてつけがましいことをやり続けてた一人である。)なんというか、世の中には体の弱い人もいて、「死ぬまで働け」といってこき使われたら、それだけで体を壊して早死にしてしまう人もいると思う。だから、「労働」に関しては、適度に働くことこそが「理想の生活」であって、死ぬまで馬車馬のように働き続けた人をただただ褒め称えたりするようなことこそが、体の弱い人達に対する「精神的虐待」である。学生時代に、いろいろと私がやりたくないこと、できないことを2番目の子に押しつけられて、いやがらせされたけれども、全体的に言えば、蛙の王家と的が合同で私にやってきた「いやがらせ」の中で、何が最大のものかといえば、こうやって日野原みたいなのを英雄視して褒め称えることこそが、最大の「いやがらせ」であると思う。


そういえば、松本サリン事件の起きた夏は、2番目の子と別れる直前の夏であって、二人の中は「嵐の前の静けさ」という感じであったのか、比較的穏やかに落ち着いていて、私としては、「このまま付き合いはうまくいくかも」と感じられた夏であった。なんで、あの時期だけ、私の方も折れまくっていたとしても、うまくいっていたのだろう? と思う。そして、松本サリン事件の時に2番目の子は何をやっていたっけ? と思う。当時はまだ「サリン」などというもののことは、誰も聞いたことがなくて、もちろん私も知らなくて、その名前を聞いたときには、私も私なりにどんな物質なのか調べてみたりしていた。2番目の子のところに行ったときに、「こういうものなんだって」と、彼の調べた資料を見せて貰ったりしていた。ということは、あんな人死にの出たような事件であっても、彼にとっては自分の知識をひけらかして「自分を偉い者」に見せるための手段でしかなかったのかな、と思う。そして、6番目の子からは、「その時期、その人が比較的精神的に落ち着いていたのは、妻に対する殺意が、「他人の死」を見ることで、代償されていたからでしょ。その人は、「人の死」を見ずにいられない殺人狂的な気質なんじゃないの?」と言われる@@。そういえば、法医の解剖を見に行くのが好きな人であったし、そうやって人が苦しんで死んだりするのを見たりするのが、むしろ本質的に楽しくて仕方のない人なんだ? と思う。妻を殺したい、というのもなんだかんだ言って、その性格が根本的な原因かも?? とも思う。だから、兄さん達に言われるのは、「妻にいやがらせをするために、何人もの人が死ぬような事件を利用したりするような性格だし。『恐怖政治』を行っているのは、太陽女神ではなくて、蛙の王家の方。」ということのような気がする。日野原医師を推薦している山中医師は、「つまらないことを言って、自分まで報復の対象にされたらどうしよう?」と言って暗い顔をしてるし-;。私は、直接会ったことのない人が、つまんないことを言ったからといって、報復の対象にするほど心は狭くないと思うけど?? と思う。


多くの人には、東日本大震災の時のことを言われる。私は、それを「自分を偉い者に見せるため」に利用したりしなかったし、一人でも多くの人を助けようとしてただただ自分の「言霊」を使い続けていた。「太陽女神が嵯峨型の気性の人で良かった。人の死を好む、天智・桓武型の殺人狂の気質でなくて良かった。」と味方からはわりと言われる気がする。それだけのこと? というか、私みたいに振る舞うのは、世界標準じゃないんだ? というか、そのことに愕然とするわけですが。まあ、後のことは6番目の子に任せるべきであると思う。人が死ねば死ぬほど、穏やかに落ち着いた気分になるって、どういうことなのだか、私にはさっぱり分からないことなのでー;;。



Posted by bellis 20:43 | 日記 | comments (x) | trackback (x)