本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。昼寝をしている時に夢を見て、どこかに旅行?に出かけて、出かけた先で足止めを喰らってしまって、帰ろうとして敵と揉める夢? というか、そんな感じの夢を見て。


作業の方は、親の掘っているところも、自分の掘っているところも、石が大量に詰まっているところに突き当たっているところだ。北側は2階の部屋の廊下のあたりだし、南側は部屋の南東の角あたりである。


で、家に帰ってから「嵐にしやがれ」を見たわけですが、なんだか親が途中で席を立ってしまって、とてもびっくりして。嵐の出る番組がどんなに大切なのか知っているし、親に見て貰いたいからわざわざそういう曜日、そういう時間を選んで見ているのに? と思う。で、結局何でそうなったのかといえば、早く寝たいから、だと思うのだけれど、だったら天気予報を見なければ早くから見れたのに、親が見たがるから天気予報をわざわざ見たのに、その気遣いは無視されている気がする。もう、明日から天気予報はやめだし、見捨てられたところからもう一度見直さなければ-、となると見ようと思っていたものの予定も狂うし、ということで釈然としないわけです。


で、昼間も話をしていたときに、「世の中は金持ちが動かすものだから金持ちが嫌い」とかって、まだそんなことを言い出す。私から見れば、なんでそんな出鱈目を言ってまで他人を妬もうとするのかが理解できないわけです。で、兄さん達からは、「だいたい、学生時代に、自分は頭がすごく良かったのに上の学校に行かせて貰えなくて、自分よりも成績の悪い同級生が大学に行かせて貰ってたりしたから、それで妬んでるんでしょ。」と言われる。親は地域のお祭りで金持ちが威張っているとか、そんなことを言うわけですが、そもそもお祭りなんてごく地域的なことだし、そんなところで誰が威張ろうが「世の中」のこととはいえないほどささいなことでしょ? と思う。お金があって、そんなところで金持ち面したがる人なんで、ただの軽薄で見栄っ張りなだけの人でしょ? とか私ならそんな風にしか思えない。「世の中」というのは、地域のお祭りを誰がどう仕切るかで動くものじゃない。我が家だって特に信仰心が篤くて神サマの場を仕切りたい、とかそんな家風でもないんだから、それこそどうだっていいことでしょうが、と思う。


「世の中」を動かすとか、例えば、ある人が法律の不備を看過して、裁判を起こしたとする。それで、訴えが勝訴すれば、関連する法律は改正せざるを得ないし、そうすればその法律を巡る制度、システムそのものが根底から変わることにもなり得る。そうすれば、その点では、「世の中」は一個人の起こした裁判が元で、「動く」わけです。


それに、商売などで成功する人も、ただ商売をするだけではなくて、その過程でいろんなツテやコネを作る必要があるし、信頼できる人、利用するだけの人、関わってはいけない人、ってきちんと区別をつけて、ツテやコネを作っていかなければいけないけれども、「金持ちは嫌い」って、それだけでどうやってちゃんとした人間関係を構築いけると思うのだろう、と思う。お金があっても信頼できる人はいるだろうし、お金のない人だったら信頼できる人、なんて言い切れるものではない。お金があっても、なくても、信頼できる人はできるし、できない人はできないし、それだけのことだと思う。


そして、お金がない人達が世の中を動かすために、「社会党」とか「共産党」がある、みたいなことを言うわけですが、でも、じゃあ、そういう組織は誰が作ったのか、ということになる。普通だったら、「貧しい人」ほど日々の生活に忙しいから、そんな余計な組織なんか作る暇はないはずです。でも、戦前で、そういうものが禁止されていた時代には、どこからか知識を仕入れてきて非合法でそういうものを作る人達がいた。戦後、法的に許されるようになってからは、今度はあからさまにそういうものが誕生してる。そして、親も分かっていることだけれども、そういうものを作った人達というのは、だいたい自分では仕事をしないで、奥さんを働かせたりして、それを「男女平等」とかって呼ぶ連中である。お金があってもなくても、ヒモ男は単なるヒモでしょ、そもそもそういう心得の男を「貧しい人の代表」なんて表現するのは適切なの? となる。


「世の中は金持ちが動かして、金持ちは貧乏人の敵だ。」なんて、それこそ敵が貧しい人々を扇動して、暴動でも起こさせるために使った口実に過ぎない、ということは、こうして、「世の中」のことを少し知ればすぐに分かることなので。他人に対する妬みが強いからといって、こんなこと言ってはいけないと思うのですよ。「世の中」とは、お金があっても、なくても、「動かせるだけの実力」を持っている人が動かしているものだと思うのです。地域のお祭りだって、誰かが「ささやかなことしかできなくても、みんなが同じように意見を言えなきゃだめだ。金持ちばっかり威張るのは許さない。」といって、大声で言って、それであちこちに根回しして、それが通るようにしてしまえば、いくらお金持ちでも黙るしかなくなるし、お祭りに参加するのをやめる、って言うかもしれないし、そんなことになると思う。でも、それを貫き通せるだけの「実力」があれば、それが「世の中」を動かす力がある、とそう言うのだと思うのです。


だいたい、田舎の「地域のお祭り」なんて、今時はどこも衰退してしまって、有志で「保存会」みたいなものを作って、細々と存続させているところも多いと思う。そういうところは、続けたい人たちだけが続けているのであって、そのかわりに複数の地域のお祭りをかけもちしたり、観光化を積極的に行ったりして、費用を捻出しているのではないだろうか。お金持ちが好き勝手に采配を振るう、とかそんなこともなくなっていると思う。だから、結局何が言いたいのかというと、「お金持ちだけがやたらと威張って場を仕切る」「目上の者だけがやたらと威張って場を仕切る」「目下のはずの者が、いつの間にか口実を作って金持ち面して、勝手に威張って場を仕切る」って、全部私たちの周りだけが、そうさせられていて、「そういうものだと思え」ってやっているだけのものなので。そういう洗脳に乗せられて、「金持ちは嫌い」なんて言っている時点で、繋がっていくべき人を自分から排除している愚か者に成り下がるだけである。だから、とても「世の中」全般のこととはいえないような、こういう「とってつけたような」ことが、自分を標的としたものだと見抜けなければいけないし、それは全て敵の策略なのです。だから、余計な労力を削られないためにも、そういう手合いとは最低減必要な部分しか関わってはいけないのです。


だいたい、敵であっても、味方であっても、我が家に関わる人達はこういう「とってつけた」ような行動しか取らない。でも、私の方は、もうちょっと「とってつけた」感のしない文章を書いて世の中を動かせるだけの実力がある、と思われているようなので。その才能を発揮させる場を与えたい、と考えてくれる人もいる。よその家にそれを持って行かれそうでふくれている人も居る。ともかく、邪魔だけしたがる連中もいる、ということで-;。総本家の方は、「神婚がここまで遅れたのは、当主の采配が悪かったせい。」と太陽女神に公然と非難されたも同然、ということで、ふくれてる最中、と言われる。「いっそのこと、蛙ではなくて、ふぐだって言えば?」と、毒づいたら、「そうやって相手の傷口に塩をすり込むような毒を吐くし;;。」と、4番目の子に微妙なことを言われるわけで-;。せめて、「しやがれ」くらい、誰のコーナーも平等に見るし、家族にも見せておかないと、「不公平すぎる」と言って、私が非難されるのです。それが困るのです。



Posted by bellis 01:12 | 日記 | comments (x) | trackback (x)