いろいろと
-- 2014-05-31 Saturday
毎日暑いので、いろんな植物が芽を出したり、育ったりしています。最近では桃色月見草が咲き出しています。それから害虫もけっこう発生していますので、毎日せっせと毛虫退治に走っております。
順番に書くと、稲葉さんと福山君の対談をやっと見終わりました。プロレスとか格闘技とか、さっぱり分からなくて、時々出てくる「鶴田」とか、「長州力」という名前に、「あー、そういえばそんな名前のプロレスラーを聞いたことがあるかも?」というくらいなわけで、内容は個人的にどうでも良い感じなのですが、饒舌でも、ものすごく考えながらしゃべってる福山君と、こういう対談に慣れてなさそうな稲葉さんの初々しそうな感じが面白かったかな、と。まあ、確かに「大物ミュージシャン」二人の対談なのに、音楽の話が全く出てこないというのも珍しいわけで、特別企画ならではのマニアックさ加減はたっぷりであったかな、と思います。福山君、最後の方で、格闘技の歴史に触れるところで、さりげなく「ローマ」とか言ってましたし、さすがにそういう何気ない所に「ホルンのボス」らしさが溢れていたかな、とーー;。稲葉さんの方が年上なはずですが、落ち着き払って言うこと言うという点では、福山君の方がよっぽど慣れている感じに見えました。3月のMステ出演の時には、さすがの福山君でもずいぶん緊張して見えましたので、まあ、それよりもリラックスした姿が見れて良かったかな、と。
それから昨夜はMステを見たせいか、相葉ちゃんが出てくる夢を見ました。女友達と、映画だかを見に行ったわけですが、なんだかそれがやたらと長くて、一晩中上映してもまだ終わらないような話で、途中に休憩時間とかがあるわけです。で、
「まだ終わらないんだ~」
とうんざりしながら、休憩時間にご飯を食べに行って、何故か相葉ちゃんもその場に居て、で、また映画に戻って見続けるのですけれども、終わりそうになると、いつの間にかまた最初に戻ってしまって、ループして映画を見続けてうんざりする、というそういう夢でしたーー;。
それから「ムスカリ(Muscari)」について。ムスカリの名の由来はギリシア語だそうですが、「Mus-cari」という構成の言葉ですから、前半の「Mus」はアッカド語の「蛇」を意味するわけで、後半の「cari」は「K-K」という子音から派生した、ククやフフ的な「蛙」を示す言葉なわけです。
これが、インド方面へ移動すると、前半と後半が入れ替わって「カーリー・マー(Kali-Ma)」に変化して、けっこう剣呑な名前になります。夫であるシヴァの腹の上で踊るカーリーの図が有名ですが、大地に横たわっているシヴァは、古代エジプトのゲブ的な「大地の男性神」として現されているわけで、そう考えるとカーリーは「ヌト」的な「天空の女神」として現されるわけです。印欧語族は、女神を「地母神」的に扱う傾向が強いので、カーリーとシヴァはそれよりも古い文化の影響の強い神々といえます。
で、このムスカリの「蛇・蛙」という名前ですが、「Mus」というのは、メソポタミアでは「イナンナ」のことですので、例によって、蛇と蛙の女神を習合させた、イシュタルとかイナンナの系譜を引く名前となります。イナンナ(Inanna)を「I-nanna」として、「I」が「K」より変化したものだとすると、メソポタミア的に「ニンキ(Ninki)」として、「蛇」という言葉を先に持ってきた方が、ギリシアに近い名で、「イナンナ(Inanna)」と「蛙」を先に持ってきた方が、インドに近い名といえます。
ですので、「ムスカリ」とは、「ニンキ(ニンフルサグの別名)」に近い名となりますが、西洋の女神達は「蛇」とつけば「蛇の太母」としての性質が非常に強まりますので、「イナンナ」という名も同然ともいえます。イナンナの名はヒッタイトの女神ハンナハンナ(おそらくヘバトの別名)の語源となっていますが、ハンナハンナはミツバチを愛する農業神的な女神ですので、性質的には古い時代のニンフルサグに近い女神ではなかったかと思います。だから、「ムスカリ」が2つ続くと、イナンナではなくてハンナハンナになるわけで、しかもこの花はニホンミツバチと非常に相性の良い花なわけです。ミツバチと相性の良いハンナハンナの名を隠す人もいれば、後ろに3つのヒマワリの花を隠しているのに、その一方でなにげなく「ローマ」がどうとか言っている人もいるわけで、まさにMステの嵐ではありませんが、鏡合わせに写した姿のように、どちらも良く似ているのに、似て非なるものであるゼウスとテシュブがいるわけです。だから、結局世の中には、この2つを同じものにしてしまいたい人々と、その違いを明確にしたい人々がいるように思います。まあ、起源的にかなり似通っていても、端的に述べれば太陽鳥を喰らい尽くすゼウスと、太陽女神と共に歩むテシュブですので、違いは明確といえば明確なのですが、時代が下ると結局は互いに習合してしまって、福山君的に「まだやり直せる気がする」とかそういう状態になってしまっていることも事実なわけですがーー;。
ともかく、今日もタマネギ戦士とナルメルに追われて、ハンナハンナがまだ仕上がらないわけです。でも、獅子頭女神には明日あたりから、また取りかかれるのではないでしょうか。
あとは、大野君が「最初、最初」って言った意味ですかねえ。メソポタミアのイナンナは「地上に降臨すると荒廃をもたらす明確な死に神」であり、トーテムは「蛇」が非常に強い女神ですので、彼女が「最後」の女神であれば、「最初」の女神は「蛙」の女神の性質なのであり、だからこそカーリーなんかもそうですが、これらの「蛇・蛙」女神は「豊穣をもたらす性質」と「荒廃をもたらす性質」という二重の性格を持つように思います。その性質は、両極的なムスカリの花言葉にも表れているように思う。「最初が大切」ということは「蛙の女神」の方が大切という意味でもあるのかな、と思う。あとは、大野君は嵐のリーダーですので、まあ、ホルンのボスとは似ているけれども、違っている「天候神」を示しているのかな? とも思いますが。まあ、私の神話の理解も拙いので、考えつくことはその程度なわけですが。まあ、でも他の4人も言うように、「最後」もある意味では大事かと(苦笑)。
というわけで、嵐のすごさは、毎回積極的に小ネタを推していくチームワークにあると思うわけです。SMAPは「オリジナルスマイル」とか「世界に一つだけの花」とか「ありがとう」とか、曲をきっちり前面に出してくるタイプというか。まあ、「ハウル」のキムタクと「輝く季節の中で」の中居君がいるだけで、他に何もなくとも彼らの存在感は大きいわけで、そういう点ではSMAPもすごいなと思うわけですが。
順番に書くと、稲葉さんと福山君の対談をやっと見終わりました。プロレスとか格闘技とか、さっぱり分からなくて、時々出てくる「鶴田」とか、「長州力」という名前に、「あー、そういえばそんな名前のプロレスラーを聞いたことがあるかも?」というくらいなわけで、内容は個人的にどうでも良い感じなのですが、饒舌でも、ものすごく考えながらしゃべってる福山君と、こういう対談に慣れてなさそうな稲葉さんの初々しそうな感じが面白かったかな、と。まあ、確かに「大物ミュージシャン」二人の対談なのに、音楽の話が全く出てこないというのも珍しいわけで、特別企画ならではのマニアックさ加減はたっぷりであったかな、と思います。福山君、最後の方で、格闘技の歴史に触れるところで、さりげなく「ローマ」とか言ってましたし、さすがにそういう何気ない所に「ホルンのボス」らしさが溢れていたかな、とーー;。稲葉さんの方が年上なはずですが、落ち着き払って言うこと言うという点では、福山君の方がよっぽど慣れている感じに見えました。3月のMステ出演の時には、さすがの福山君でもずいぶん緊張して見えましたので、まあ、それよりもリラックスした姿が見れて良かったかな、と。
それから昨夜はMステを見たせいか、相葉ちゃんが出てくる夢を見ました。女友達と、映画だかを見に行ったわけですが、なんだかそれがやたらと長くて、一晩中上映してもまだ終わらないような話で、途中に休憩時間とかがあるわけです。で、
「まだ終わらないんだ~」
とうんざりしながら、休憩時間にご飯を食べに行って、何故か相葉ちゃんもその場に居て、で、また映画に戻って見続けるのですけれども、終わりそうになると、いつの間にかまた最初に戻ってしまって、ループして映画を見続けてうんざりする、というそういう夢でしたーー;。
それから「ムスカリ(Muscari)」について。ムスカリの名の由来はギリシア語だそうですが、「Mus-cari」という構成の言葉ですから、前半の「Mus」はアッカド語の「蛇」を意味するわけで、後半の「cari」は「K-K」という子音から派生した、ククやフフ的な「蛙」を示す言葉なわけです。
これが、インド方面へ移動すると、前半と後半が入れ替わって「カーリー・マー(Kali-Ma)」に変化して、けっこう剣呑な名前になります。夫であるシヴァの腹の上で踊るカーリーの図が有名ですが、大地に横たわっているシヴァは、古代エジプトのゲブ的な「大地の男性神」として現されているわけで、そう考えるとカーリーは「ヌト」的な「天空の女神」として現されるわけです。印欧語族は、女神を「地母神」的に扱う傾向が強いので、カーリーとシヴァはそれよりも古い文化の影響の強い神々といえます。
で、このムスカリの「蛇・蛙」という名前ですが、「Mus」というのは、メソポタミアでは「イナンナ」のことですので、例によって、蛇と蛙の女神を習合させた、イシュタルとかイナンナの系譜を引く名前となります。イナンナ(Inanna)を「I-nanna」として、「I」が「K」より変化したものだとすると、メソポタミア的に「ニンキ(Ninki)」として、「蛇」という言葉を先に持ってきた方が、ギリシアに近い名で、「イナンナ(Inanna)」と「蛙」を先に持ってきた方が、インドに近い名といえます。
ですので、「ムスカリ」とは、「ニンキ(ニンフルサグの別名)」に近い名となりますが、西洋の女神達は「蛇」とつけば「蛇の太母」としての性質が非常に強まりますので、「イナンナ」という名も同然ともいえます。イナンナの名はヒッタイトの女神ハンナハンナ(おそらくヘバトの別名)の語源となっていますが、ハンナハンナはミツバチを愛する農業神的な女神ですので、性質的には古い時代のニンフルサグに近い女神ではなかったかと思います。だから、「ムスカリ」が2つ続くと、イナンナではなくてハンナハンナになるわけで、しかもこの花はニホンミツバチと非常に相性の良い花なわけです。ミツバチと相性の良いハンナハンナの名を隠す人もいれば、後ろに3つのヒマワリの花を隠しているのに、その一方でなにげなく「ローマ」がどうとか言っている人もいるわけで、まさにMステの嵐ではありませんが、鏡合わせに写した姿のように、どちらも良く似ているのに、似て非なるものであるゼウスとテシュブがいるわけです。だから、結局世の中には、この2つを同じものにしてしまいたい人々と、その違いを明確にしたい人々がいるように思います。まあ、起源的にかなり似通っていても、端的に述べれば太陽鳥を喰らい尽くすゼウスと、太陽女神と共に歩むテシュブですので、違いは明確といえば明確なのですが、時代が下ると結局は互いに習合してしまって、福山君的に「まだやり直せる気がする」とかそういう状態になってしまっていることも事実なわけですがーー;。
ともかく、今日もタマネギ戦士とナルメルに追われて、ハンナハンナがまだ仕上がらないわけです。でも、獅子頭女神には明日あたりから、また取りかかれるのではないでしょうか。
あとは、大野君が「最初、最初」って言った意味ですかねえ。メソポタミアのイナンナは「地上に降臨すると荒廃をもたらす明確な死に神」であり、トーテムは「蛇」が非常に強い女神ですので、彼女が「最後」の女神であれば、「最初」の女神は「蛙」の女神の性質なのであり、だからこそカーリーなんかもそうですが、これらの「蛇・蛙」女神は「豊穣をもたらす性質」と「荒廃をもたらす性質」という二重の性格を持つように思います。その性質は、両極的なムスカリの花言葉にも表れているように思う。「最初が大切」ということは「蛙の女神」の方が大切という意味でもあるのかな、と思う。あとは、大野君は嵐のリーダーですので、まあ、ホルンのボスとは似ているけれども、違っている「天候神」を示しているのかな? とも思いますが。まあ、私の神話の理解も拙いので、考えつくことはその程度なわけですが。まあ、でも他の4人も言うように、「最後」もある意味では大事かと(苦笑)。
というわけで、嵐のすごさは、毎回積極的に小ネタを推していくチームワークにあると思うわけです。SMAPは「オリジナルスマイル」とか「世界に一つだけの花」とか「ありがとう」とか、曲をきっちり前面に出してくるタイプというか。まあ、「ハウル」のキムタクと「輝く季節の中で」の中居君がいるだけで、他に何もなくとも彼らの存在感は大きいわけで、そういう点ではSMAPもすごいなと思うわけですが。