今日はそもそも請負代金請求権がない件とか書く。で、その間にちょっと事件があって。朝9時頃、母親に「ちょっと来て」と言われたので行ってみたら、向かいの家のおじさんの車の前のライトがうちのフェンスにかすったとかで、フェンスがちょっとへこんでいて。向かいの家が新しい大型のバンを買った?? のかなあ、と2,3日前から思っていたわけですが、そしたら早速こんなことになって。親に「どうする?」と聞かれたので、フェンスの写真を撮って。で、「フェンスを交換して貰えますか?」と聞いたら、「交換します」と言われて。で、「こちらで調べて連絡します」とかって言ったわけですが、人んちのフェンスをどうやって調べるの? と思ったので、型番とか探してきて教えて。だいたいたいした傷ではないので、パネルを交換すれば用は足りるし、たいした費用でもないので、直して貰うことにしたわけで。で、その後代替のフェンスをちゃんと型番まで調べて、カタログを印刷して隣に投函しておいたわけで。別に傷がついたからって余計に高いモノを弁償して欲しい、とは言う気はないけれども、相当品を必要な範囲で求めることはけっして不当なことではない。で、その後、「フェンスを傷つけられて、相手方が弁償すると言っているので、施行をやりたければ、その旨至急お向かいとうちに連絡して下さい。連絡がなきゃ、向かいが用意した業者で施行させます。なにせまだ引渡前だから。」と工務店と弁護士にFAXしてやったわけで。まあ、これがやりたかったから、「弁償して下さい」と言ったともいう。裁判の最中だし「引き渡し前である」ということは、どんな段階でもできるだけ明確にしておきたいので。向かいが本当に弁償するかどうかは分からないです。なにせ、勝手に車の出し入れを邪魔して「訴えるぞ」とかって脅してきた相手であるので。全然信用していないわけですが。でも、ばっくれたらばっくれたで、将来的には「そんな人が隣にいるなら自治会なんか入りたくない-」って口実も作れるし、と思う。うちの敷地を何年の駐車場代わりにしたり、工事用の仮設フェンスを勝手にいじったり(これはたまたま私が窓から目撃してた)、雪もないのに雪かきしろって文句言ってきたり、路肩に車を停めておいたら勝手に警察に通報してくれたり(たぶん)、人んちの土地に勝手にそっちの水道管を埋めてくれたり、今までのいやがらせの数々を許したり、忘れたりは全然してないので。今回も「フェンスを勝手に建てたそっちが悪い。訴えるぞ。」とかって逆ギレして吠えられるかと思いました-;。あとは、損害賠償の種類について表を作って纏めているところであって。昔書いた書面も読み直して、ちょっと変なところとか補充する。特に416条第2項とそれに準ずる「特別損害」の請求が多いので。通常損害と区別がつくようにしておいてね、と言われる気がするわけで。ともかく、普通に請負契約の範囲の損害だと「通常損害」だけど、補修の材料費の高騰とかは「特別損害」になるらしい。後は、補修以外にかかる費用(アパートの家賃とか)とかも。2項の方は、原因が生じた時点で予測可能であったか否かも書かないといけないらしい。だから、纏めております。後は30枚オーバーになるので、どのくらい削れるかなあ? みたいなそんな感じである。
で、お外組はいつもの通りであって。今日は買い出しがあったので作業はあまり進まず。
で、昼は「くらべてみれば」の残りの録画を見て。夜は勝利君がゲストに出るので、有吉ゼミを見て。海斗君が大食い企画に出ていて、ちょっと可哀想であったかなー、と思う。「仰天ニュース」の「おデブチェンジもの」の再現ビデオで、主人公が楽しそうにバクバク食べているのを見るのは嫌ではないですが、お腹いっぱいなのに、人が無理矢理食べさせられる姿を見せられるのはどうなの? と微妙に思う。大食いのギャル曽根は、いつもすごいな、と思うけれど-;。夕飯時に見ると、逆にちょっと食欲がなくなるかも、と思います。やっぱ食事は楽しく食べられないと意味ないし、材料ももったいないような気がします。
で、2,3日前から、今回みたいな隣近所のちょっとしたことで軽々しく「別にいいですよ。たいしたことじゃないし。」って言うのは良くないし、と思う、と言うか、言われる気がするわけで。だいたい、そういうことが公平でも平等でもないじゃないですか。しかも、水道工事のKの時もそうだったけど、軽々しく「お金を払って欲しい」って言われて承知してしまうと、「こちらが悪いことを認めた」みたいになってしまって良くないわけです。で、今朝方夢を見て。なんだか、家族が買い物に出かけていて一人で家で留守番していて。そうしたら、誰かが玄関の鍵を開けようとしていて。開けられた気がして行ってみたら、鍵はしまっていたけれども、除いてみたら知らない男の人がドアの外に居て。「押し入ってくるつもり?」と思って怖かったわけですが、思い切って「あんた何よ!」って怒鳴ったら、相手が逃げて行ってしまった、という夢で。だから、おかしなことがあったら毅然とした態度を取らないといけない、ってことなんだろうな、と思って。本音では、どうせわざとやってこちらの出方を見てるんだろうな、と思う。だって、普段はとても車の運転のうまい人達で、すいすいと車の出し入れをしている人達だもの。うちみたいに、親に見張ってて貰って、よろよろと運転しないと車の出し入れもできないへっぽこな連中とは違うので。裁判の期日が近いから、いろいろとやられるのだと思うのです。
今日は種類だけは色々と書いて。そもそもの支払い義務なし(代金請求の履行期が到来していない点)と、一番大事な民法第416条第2項の特別損害の予測について、がまだ残っています。一通り書いたら、書証とか書類をよく読んで、記載ミスとかないようにしっかりやるように、と言われる気がするわけで。
で、お外組はいつもの通りであって。だいたいいつも20cmくらいの粗石が1個くらいは出る状態である。礫もたくさん出る。
で、昼は福山君が出た「うちのガヤ」の録画を見る。なんだか、福山君の子供の頃の成績とか出てきた気がするわけで。オール2とか。蛇の兄さんには「これだから私学なんか出しても無駄」とか「どこへ行ってもこれ以上の成績なんかとりっこない」とかって言われる気がするわけでー;。それが言いたくて、成績とかわざわざ出してきたんだ??? と思うわけですが-;。ご当人がやっとちょっとお勉強にやる気を出して来たところなんだから、水を差すようなこと言わないで下さいな、というかー;。優しくて真面目な子に育ってくれればそれでいーのよ、そのための教育だしー、と思う。夜は、勝利君の回の「ありたなす」と、「くらべてみれば」をちょっと見て。
今日はどうも紙面が足りなさそうなのでー;。最初から読み直して、1頁分くらい削って。で、木くずを書いて、シロアリも書いて。履行遅滞もちょっと書いて。(履行の請求については明日以降)あとは、ゴミの総量について書いて、T商会について書いて。で、履行の請求、減工事、そもそもの支払い義務なし(代金請求の履行期が到来していない点)、占有権、一番大事な民法第416条第2項の特別損害の予測について、を書けば完了でござる。来週中にはなんとかなりそうである。
で、お外組はいつもの通りであって。今日は細かな粘土の塊みたいなものがけっこうあった気がする。それから、茶色警備隊にパン屑をおごっていたら、隣の叔父さんが、威嚇するみたいに隣の庭をうろついていたので。文句を言うかと思ったら、それは言いませんでした。言われれば言い返すだけだけど-;。茶色さん達の中には、まだ生まれて数ヶ月のお子ちゃまとかいるわけで、それを見ているともう冬なんて不憫だー、と思う。
で、昼はJUMPの出た「うたコン」の録画を見て、夜は「国民祭典」の中継を見て、「仰天ニュース」と「くらべてみれば」の録画を見て、「嵐にしやがれ」を見て。お昼頃に、嵐のtwitterが更新されて、翔ちゃんが燕尾服で「これからリハーサルです」って言っていたので、「生放送だし、見なければ-」と思って。だいたいどっかのおっちゃんずにも「浩ちゃんと雅子ちゃんも出るから見てね」と言われる気がするわけで@@。そう呼んでるんだ? と思うわけですが。その二人と生放送で結縁する機会も貴重ですしねー、と思う。で、お昼寝している時になんだか夢を見て。JUMPの兄さん達と「ゲームをしよう」ということになって、空き缶を倒すと水が沸いてくる? とかっていうゲームをする夢で。
で、「奉祝曲」。「奉祝曲?」と正直思うわけで。タイトルが「Ray of Water」というもので。「水に差す光」とかっていう訳で。「光?」って聞いた時点で、「それを嵐に歌わせるの?」と微妙な気分になるわけでー;。「奉祝?」というか、どっかの王家のおっちゃんの趣味が丸出しのお歌というか、なんというか。なんというか、歌詞に「ごらんよ 光は 君と ともにいる」という部分があって、それをわざわざ潤ちゃんに歌わせるのかね? と更に思うわけで-;。その「光」ってどちらの「光」様のことで? 八乙女君のことじゃないよね? と微妙にボケたくなるわけでー;。どうも微妙に居心地が悪い;。重要な儀式の時には、筆頭である6番目の子が、兄さん達を代表して、一番大切なメッセージを伝えるのが当然、って言われても、「7番目の兄さんのお歌を6番目の子にわざわざ歌わせる」ことは心情的にどうも、居心地がひたすら悪い;。あたくしとしては「少年倶楽部」でSnow manの兄さん達ときょも君が「Love is...」を心を込めて歌ってくれる方が心に響きます。岩本君が、好きな人と結婚することのできない7番目の兄さんのことを内心不憫に思っている気持ちも伝わってくるし。でなければ、KinKi-KidsのDVDを見て、光ちゃんと剛君が直接「Kissから始まるミステリー」を歌ってるのを聴く方がマシな気がする-;。4番目の子には、「こういうことにも慣れるようになりますよ」と言われる気がするわけで。そうかねえ? と思う。ともかく、こういう場合には、「真の主役」は誰も目に見えるところに出てこないんだなー、と思う。それが伝統というもの? と思ったわけで。私も自分にできることを頑張ります、と思ったわけですが。この場合の「水」というのは、ヴァルナのこと、それともアナーヒタ女神のこと? と思ったら、7番目の兄さんに「それはアナーヒタ女神のイメージだよね」と言われる気がするわけで。まあ、ともかくみなさま、寒い中お疲れ様でございました、と思ったのでした。
あとは、唐古・鍵遺跡が、古代日本の「神権センター」だったとすると、ちょっとローマカトリック的過ぎませんか? とふと思って。そうすると、4番目の子に、「2世紀というのは、もうすでに原始キリスト教徒と接触している時期で、ローマ人とも接触はあったわけだから、その影響は受けていても当然なんですよ」と言われる気がするわけで。そういえばそうだ、ちゃんとした政府がなくて「百余国」なんて言っているのは日本の国くらいで、ローマはすでに中央集権的な政治体制も確立しているわけだし。そういうやり方を一部の上層部が既に知っていても不思議ではないんだなあ、と思う。
昨夜からどうも頭痛がして気分が悪くて。冷や汗とかが出るので、自律神経失調症だー、と思って早く寝てしまって。で、今朝もなんだか頭が痛くて。で、嵐がSNS解禁と言うことでTwitterもやることになったので、それだけ見てるわけですが。昨日相葉君が投稿していて、今朝7時頃に潤ちゃんが投稿していて。朝早くから働いてるなー、お疲れ様ー、と思う。潤ちゃんの動画を何回も見ていたら、6番目の子に「鼻水が止まらないということは、寒いということなんだから、セーターを着て、ストーブを焚いて暖かくしてましょう。もう11月なんだから冬の支度で十分ですよ。」と言われる気がするわけで。気を遣ってくれてありがとー、と思う。それで、今日は朝から暖かくしていて。昨日ほど具合は悪くなりませんでした。寒い中、じっとしてると気分が悪くなってしまうのよねー;。
で、状況と分布を書いて、木くずについて半分くらい書いて。要するに、基礎の施工がなってないから、基礎を作った段階から履行遅滞に陥ってる気がするわけで。建築基準法施行令第38条3項、93条、おまけに49条とかが引っかかってくるわけです。というか、相手方はそれを「認めて」いるので。主張さえすれば自白が成立して入れ食い状態な気がするわけで。後は履行遅滞と占有権を軽く書けば、という感じかも。
で、お外組はいつもの通りであって。
で、昼は「夜会」を見て、夜は「少年倶楽部」と「Mステ」を見て。オザケンに「世界の民話」が忌々しい、って言われた気がするわけで@@。その人は、ある意味我が家にとって無縁の人ではない。その人の父親は小沢俊夫というドイツ文学者で、「世界の民話」という全25巻くらいのドイツ語から翻訳した民話集を出してるのである。(なんで「くらい」がつくかというと出版社では「全24巻」って明記してるから。今のところHPではね。)でも、これは民話学をやる人には、けっこう基本的なテキストなんじゃん? ということで、最初の12巻が、私の卒業した中学にもあった。それを読んだところから、民俗学と歴史学の探究という私の人生は始まったわけだから、敵が忌々しく思うのは当たり前であるー;。私が持っている台湾の民話集と、「パプア・ニューギニアの民話」と古事記を読めば、良渚文化の思想の比較研究ができるし、と思うわけで。
で、親は「唐古と纏向」が面白いらしです。で、唐古が衰退して、纏向が立ち上がったので、唐古の勢力がどこかに追い払われてしまったのか? みたいに言った気がするわけで? それは間違いであると思う。唐古・西王母信仰があって、そこが別の勢力、纏向・新興宗教に攻撃されたのであれば、負けた方は宗教ごと消えてしまうはずであるので。実際には西王母信仰は、「桃の実の祭祀」として纏向に受け継がれているし、「機織りの女神」であった西王母は、もっと時代の下った「天照大神」まで受け継がれているので。新しい勢力にとって変わられたわけではないので、別に負けてどこかに追い払われたわけではないです。言い方はあれだけれども、要はカトリックのお題目をプロテスタントに変えたら、それは「変わった」って言えるの? 「変わった」のはお題目だけで裏ではメーソンとか何とか会で繋がってんじゃないの? それを真の「敵対」と呼ぶ? ってそういうことである。じゃあ、なんでカトリックをプロテスタントに変えなきゃならなかったの? その必要性がどこにあったの? カトリックが腐敗しすぎて、誰から見てもばかばかしくなりすぎてたから、「真面目そうなもの」を作る必要性があっただけなんじゃないの? ってそういう見方すらできる。
で、なんだか親は狗奴国がどこにあったのか、とか興味がある? らしくて。私はあんまりそういうことには興味を持たない。たぶん、親は「百余国に別れて争っていた」ということにとらわれすぎているのだと思うわけです。だいたい、弥生から古墳初期の「国」なんていっても、そもそもそういう概念を縄文系の人達は持っていないので、弥生系の外国人が勝手にそういう概念を持ち込んで、「自称国家」を作ってただけとも言う。で、高句麗とか扶余の実際の歴史を知れば分かることだけれども、彼らも最初は同族内の「連合国家」から出発して、互いに戦ったりして勝ち残った人達が王になったりしているので。日本の国が百余国で争ったっていっても、結局は「親戚同士が、誰が一番になるかで喧嘩してた」程度の意味しか持たないと思う。縄文系の人々にはそもそも「国家」なんて意味も良く分かっていなかったはず。だから、「普通の王族」同士は「誰が一番」になるかで争う。だけど、唐古遺跡だけは特別な「神権遺跡」であって、みんなに銅鐸を作って、それを拝むように配ってた。この場合、唐古の人々にとって、国が「百余国に別れて争っていた」ことに意味なんてあるの? ということになる。銅鐸を配って誰からも、お礼に「お布施」を貰えるのであれば、国同士が喧嘩してようが、してまいが唐古の人々にとってはどうでもいいことである。というか、むしろ、「下同士が喧嘩していて、誰かが強力な政治的な権力を持たない」方が都合がいいよね? その方が、唐古の人々は「神サマ」を振りかざして好き勝手に権力を振るえる。古代の中国の皇帝は、そもそも「天帝(黄帝)の子孫のシャーマン」でもあったわけだから。倭国に国がいくつあろうとも、「銅鐸」を作って配って、「神の言葉を伝えられる皇帝」は一人しかいない、ということになる。皇帝にとっては、下が「百余国に別れて争っていた」ってどうでも良いことなわけですよ。自分がそれをコントロールできていて、自分の権力さえ維持できていれば。だから、その状態は、「国が百余国存在した状態」とは言わない。真の「神の王国」は一つしかなく、皇帝も一人しかいないわけだから。
だから、こうして「表向きの事実」と「本当の真実」の2つが別れるわけ。結論から申せば、天照大神、月夜見、須佐之男の三神は、西王母、饕餮(頭と体)を焼き直したものに過ぎない。すなわち、彼らの父であるイザナギも「天帝(黄帝)」の焼き直しに過ぎない。だから、唐古の西王母思想は、そのままお題目を変えただけで、応神・仁徳朝に受け継がれているわけで。応神・仁徳はそこに、建御雷神(ユーピテル)を持ち込んで、イザナギの臣下に加えているのみである。唐古の思想がそのまま形を変えただけで受け継がれているわけだから、「唐古の権力」もそのまま次の次の王家まで受け継がれている。だから、応神・仁徳朝の世も争いだらけである。「神の代理人の皇帝に操られるままに」ということである。
考古学者は、唐古を知っているのに、そこにあった「信仰」の実態を語らない。それが、どういうもので、どこにどう引き継がれているのか、ということも語らない。文献歴史学者は、古事記の中を意味不明にさまようか、それに飽きれば「魏志」のことしか語らない。「百余国」のどの国は、どこにあったとか、そんなことに意味はない。「西王母がなぜ天照大神に変貌した」のか。それが、その過程だけが、この国の一番最初の「政治史」なわけです。それ以前に住んでいた人々には「政治」というものは存在しないから。だから、唐古と纏向の「宗教史」をきちんと考察しない連中は、みなさま単なる「御用学者」なので。書いたものは、デュマ以上に内容がフィクションだと思って楽しまないといけない。でないと、大切なことを見失うことになるからです。少なくとも、私はそう思っているわけ(笑)。
ともかく甲13までたどり着いた。もう20頁になっちゃったので、あとは木が腐ることを書いて、地中障害物の量とか、分布を書いたら30軽く超えそうである。まあ、そこまで行かないように努力はしてみる(棒読み)。細かいことは2頁くらいで片付く。地盤の状況も書かないとならんし。木くず2頁、状況2頁、量に2頁、分布に3頁くらいでいくかね?(笑)みたいな感じ。まあ、そんなにかからないでしょ。
で、お外組はいつもの通りであって。
で、昼は「仰天ニュース」を見て、夜は「VS嵐」を見て。
親と「唐古・纏向」の話をするわけですが、よくよく考えてみるに、私は普通の考古学とかにあんまり興味がなくて、「宗教史学」とか「民俗史学」というようなものにしか興味がないらしい-;。唐古で西王母信仰があって、纏向で祭祀に使われた桃の実が出てくるのに、何故古事記の中で桃がイザナギのアイテムに変貌して、西王母信仰がそのまま後世に受け継がれなかったのか、ということに興味があるのである。そして、高句麗には「太陽の中に烏(八咫烏)」の図像があるし、紀州には八咫烏の伝承があって、高句麗と日本の古代文化には連続性があるのに、唐古にそのような「北東アジア的」な要素がない点も興味深いと感じる。唐古の方がずっと「中国的」なのである。しかも「首だけの龍神」なんて噴飯モノである。古代中国では「先祖の死霊に願いを叶えてもらうために生け贄を捧げた」から、「生首」信仰は生け贄を肯定する信仰である。しかも、「豚の死霊の太陽神」は、本来の「虎の太陽神を殺して食い尽くした太陽神」であるので。それは殺すだけの神である。人々は殺されないために、彼に生け贄を捧げる。「殺されたくなかったら金を払え」じゃなきゃ「言うことを聞け」ってそういう神サマだからー;。恐喝でしょー;。
で、色々と調べていたときに、高句麗の初期の壁画とか見て、「太陽を掲げて支えて飛ぶ神人」の図像を見つけた。太陽自身が鳥であっては駄目なわけです。太陽女神を支えて飛ぶ男性神の図像こそが、ヒッタイト以来の「連合と融和」の象徴の図像だから。それを見て、KinKi-Kidsの「ボクの背中には羽根がある」という歌を思い出して。富の王家は私と7番目の兄さんに、そのようにあれと望むだろう、と思う。彼らのヘバトとテシュブのように。そういうことは図像に残っているものなので。それで、私は学者の「書いたこと」はあんまりまじめに読まないわけです。昔の人の考えていたことは、彼らの残した図像から直接読むのが一番だからです。