天狗食日月

中国の伝承を中心に「天狗食日月」の話を集めてみた。中国の「天狗」とは、日本の「天狗(てんぐ)」と違い、文字通り天を駆ける伝承上の犬のことである。

一般的な天狗食日月譚

この神話は現在、中国全土に広まっている。民間では他に「蝦蟇が月を食べる(月蝕蝦蟇)」というものもある。

昔々、太陽神と月神が、人間の起死回生の薬を盗んだ。人々は犬に月と太陽を追いかけさせた。しかし、月神と太陽神はすでに薬を飲んでいたので、犬が月と太陽を噛んでも噛んでも、月と太陽は死なない。それでもこの犬は諦めない。常に月と太陽を食う。それで、日食、月食が起こるのである。(『紅河イ族辞典』より)

河北省保定の中秋節に関する伝説

毎年八月十五日の深夜、天上には天狗神が現れ、月を呑むと言われている。奇妙なことだが、この天狗神は'''口はあるがのどがない'''。大口を開けて月を呑むが月はその腹に収まることはなくのど元から吐き出されるのである。吐き出しては又呑む。それを何度も繰り返して簡単にあきらめることはない。月の神はこれを耐えがたく思って下界の人民に指示をだし、様々な大声を出して天狗を驚かし追い払うようにしたのである。
そんなわけで毎年この夜には民間では爆竹を放ち、鉄鍋を鳴らし、銅盆をたたく。太鼓をたたくものもある。それは天狗を脅かしているのである(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))。
考察
この場合の「天狗神」は明らかにインド神話のラーフに相当するように思う。また、饕餮の特徴とも一致する。

民間習俗(『中国民間禁忌』より)

民間では日月食は天狗がこれを食べたからだと言う。皆既日月食は食べられ排泄された、と考えて不吉で不作である。部分日月食は食べきれずに吐き出したと考えて吉、豊年であるとする。人々は日月食があると銅鑼を鳴らし、太鼓を叩いて天狗を脅し日月を救おうとする。(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))

天狗食(日)月の歴史を推察する

犬との約束

苗族の伝承。神話史詩「金銀歌」は次のように言う。英雄昌札が日月を射た時、最後に残った一対の日月を傷つけた。人々は天狗に日月を治療するように頼み、天狗に五十斤の米を与えることを約束した。しかし天狗が日月を治療したあとも人間はその約束を果たさなかったので、腹が減ると日月を食べるようになった。それが日月食である(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))。
考察
苗族の話では、犬神は日月を癒す医薬神として現される。瑞兆としての犬神の姿がまだ残されているとは言えないだろうか。犬神は日月を食べるが、それは人間の方が約束を破ったから、とされる。善神だった犬神が、次第に人を襲い窃盗を行う悪神へと変化させられていく過渡期の伝承ではないだろうか。おそらく天狗の伝承としては古い部類のものと考える。
犬神が約束を果たしたのに、人間の方が約束を守るのを嫌がる点は槃瓠の伝承を彷彿とさせる。おそらく起源的には槃瓠の伝承と同じ話なのではないだろうか。

雉も鳴かずば(長野県信州新町)

犀川という川のほとりに小さな村があった。そこには父親と幼い娘が二人で暮らしていた。母親は村の洪水で亡くなっていた。ある日、娘が重い病にかかって寝込んでしまった。娘は食欲が進まず「小豆粥が食べたい」と父親に話した。家は貧しくて小豆や米が無かった。父親は村の地主の倉庫から米と小豆を盗み、小豆粥を娘に食べさせた。
小豆粥を食べたおかげか娘の体調は回復した。一人で遊んでいた娘は「あずきまんま食べた」と歌いながら鞠つきをした。この歌を近所の村人が聞いていた。
その夜から激しい雨が降り出し、洪水が起きそうになった。村人達は川の氾濫を鎮めるために咎人を「人柱(ひとばしら)」にしようと相談した。村人の一人が千代の手鞠唄の事を皆に話して、父親が小豆と米を盗んだことを教えた。その後父娘の家に役人が押し寄せ、父親は「人柱」として川のほとりに埋められてしまった。父親が人柱にされた原因が自身の手鞠唄であった事を知り、娘は毎日泣き続け、誰とも口を利かなくなり村から姿を消した。
数年後、ある猟師がキジの鳴き声を聞いて鉄砲を撃った。猟師がキジが落ちた所に向かうと、そこに撃たれたキジを抱きかかえた若い娘が現れた。その娘は「キジよ。お前も鳴かなければ撃たれずに済んだのに」とキジに語り掛けた。猟師はその若い女が消えた娘である事に気づくが、娘は撃たれたキジを抱きかかえてどこかへ消えて行ってしまった。その後娘の姿を見た者は誰もいない(まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - キジも鳴かずば, http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?, id=55, nihon.syoukoukai.com, 2021-12-02)。
考察
この話では父親に「医薬神」としての性質があることが分かる。苗族の犬神と性質が一致する。医薬神が米など(穀物)を求めるところは苗族の伝承と同じだが、本話では父親は自ら米を盗んでおり、悪質な行為は苗族の伝承よりも進んでいる。父親は娘を癒そうとしていたのだから、苗族の伝承と比較するに、娘は日月のいずれか、あるいは両方と考えられる。父親が亡くなった後、娘が消えてしまうのは「日月食」を擬人化しているといえる。
娘は誰かに食われるのではなく、悲しみで自ら身を隠してしまう。日本神話では、天照大神は岩戸に身を隠す際に、やはり怒りや悲しみで自ら身を隠してしまうので、その点は共通している。日本では、日月は食べられて姿を隠すのではなく、自ら進んで身を隠し、その内に出てくるもの、と考えられていたようだ。
再び出現した娘は、猟師に撃たれた雉と同一の存在のように、今度は永遠に消えてしまう。この部分は天狗食ではなく、羿が太陽を射落とした話に似たモチーフなのかもしれない。羿神話で射落とされた太陽達は戻ってこない。いったん消えた(死んだ)太陽は月に変じるもの、とすると、羿神話の嫦娥は死ぬ前(月に上る前)に太陽女神だったと推察されるが、「雉も鳴かずば」の場合は再出現した娘が月女神だと考える。同じ娘でも、最初に消える前は太陽女神、猟師の前に現れたのは月女神なのだろう。鳥に変じて射落とされた月女神は永遠に消えてしまう。
あるものが「死」を契機に別のものに切り替わるように化生していく話としては、豊後国風土記の「鳥が餅に変わる話」がある。この場合、鳥は「太陽女神」、死して変化した餅は「月女神」、そして更に芋に変わってしまうところはハイヌウェレ神話である。太陽から月に、月から芋へ鳥神は変わってしまう。日本では「不老不死の薬」に替わって餅が月女神の化身なのだ。
「雉も鳴かずば」では「霊薬」は餅よりも更に庶民的なアイテムの「小豆粥」に変えられている。信州新町は山間部で、稲作が難しい地域だったので古代においては餅ですら簡単に手に入らないもので、餅はそれこそ庶民にとっては「不老不死の薬」と同じくらいお目にかかれないものだったのだろう。米と小豆で作ったお粥が庶民の考え得る最高級アイテムだったと思われる。

苗族の伝承に似ているが父親は「犬」ではなく「人間」として現される。思うに「犬祖」を持たない人々にとっては、「犬祖」とされる人々の先祖は医者だったとしても、単なる「犬」である。しかし「犬祖」を持つ人々にとっては、先祖が「犬」と呼ばれてさげすまれているだけで先祖は人間であって当然だ。信州新町界隈には、古代の犬神信仰の片鱗もかすかにみられ、かつては犬神が当たり前のように信仰されていたのではないか、と想像する。もしかしたら祖神として祀っていたのかもしれない。
要するに、医薬神である天狗が「犬」で現されるのは、犬族以外の人々が差別しているから犬の姿なのであって、犬族の人々の中では彼は「人間」として語られてもおかしくないのではないだろうか。「犬祖」を持つ人々にとっては、彼は犬ではなく人間なのだ。
また本話では女神は消されたまま放置される。長野県内には、太陽女神とおぼしきものが悪神として封印されていたり、崖から突き落とされたりする、といった太陽女神に敵意を感じる祭祀を行っていることろがいくつかある。いずれも金刺氏が有力な地域であり、信州新町も水内郡の金刺氏の拠点の一つなので、これらの伝承を伝えたのは当然金刺氏であろう。表向きは「天狗食日月」と関係ない話にみえて「太陽女神と月女神は封印されて消えてしまえばいい。」という執念を感じる伝承群である。日月女神が消えてしまえば、後に芋を残さなくても、彼女の権威と権力が残る。考えすぎかもしれないが、まるで金刺氏が長野県の中で連動して「太陽女神をまず崖下に突き落として月女神に変える(水無神社)」「月女神を射殺す(雉も鳴かずば)」「そして彼女を冥界に封印する(先宮神社)」という流れを作っているようにすら感じられてしまう。
それはともかく、最後に射落とされた娘(鳥)が消えてしまうところは、射日神話的でもあるし、穀物が鳥に姿を変えて逃げてしまう、という台湾の「穀霊逃亡」に類する話にもみえる。
父親の中に医薬神としての姿が残っているので、起源的には苗族の伝承に次ぐ古さを持つ伝承と考える。
まるで日月を食べる「天狗」とは父親なのではなく、女神達の権力を狙う語り手達の方だと感じてしまう話である。

ラーフ(インド神話)

乳海攪拌のあと、神々とアスラは不死の霊薬アムリタをめぐって争い、アムリタは神々の手にわたった。神々は集まってアムリタを飲んだが、その中にラーフというアスラが神に化けてアムリタを口にした。それを太陽と月が発見し、ヴィシュヌ神に知らせた。ヴィシュヌ神は円盤(チャクラム)を投げてラーフの首を切断したが、ラーフの首は不死になってしまった。ラーフの首は天に昇り、告口したことを怨んで太陽と月を飲み込んでは日食や月食を起こす悪星になったという。
ラーフ
考察
日月が告げ口したせいで犯人が罰される点は「雉も鳴かずば」と同じである。ラーフは怒りで首だけの怨霊と化し、日月を追い回して食べようとする。「雉も鳴かずば」で亡くなった父親が怒りで怨霊と化して、娘を追いかけ回して食べてしまっていた、という話だったら、ちょうどこの神話とほぼ同じ話になりそうである。「雉も鳴かずば」よりも天狗の悪質さが増している。しかも天狗は単なる泥棒になってしまい、誰かのために盗みを行ったわけでもなくなっている。そして、一方で霊薬を盗み、一方で日月を追い回す、というモチーフが作り上げられ、二つのモチーフが組み合わさったり、別々に語られたりして「天狗食日月」の伝承は各地で作られていったように思う。
またラーフという言葉は子音からみて、「阿父」という言葉と関連するのではないだろうか、と個人的に思う。

さまざまな天狗食日月の話

三兄弟と犬

ハニー族の先祖のである三兄弟は不老不死の薬を持っていたが、月神に盗まれた。三兄弟は長い梯子を作って天に昇り、薬を取り戻そうとしたが、月神が梯子を倒したため三兄弟は地面に落ちた。彼らの飼っていた犬が天に昇って月を噛んで薬を取り戻そうとするので月食が起きる(『中国文学大事典・下』より、天狗食べ日(月)考、王鑫、怪異・妖怪文化の伝統と創造ーウチとソトの視点から、2015、巻45、p67)。

羿神話

伝説によると、后羿が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、后羿の妻である嫦娥はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から后羿の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の嫦娥の後を追った。嫦娥は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、嫦娥に飛びかかり、月を飲み込んだ。
月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と嫦娥を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。

ビルマの天狗

ビルマの伝説では、月が天狗に飲み込まれたのは、死者を蘇らせ、病人を癒すために主人の臼と杵を盗んだからだと言われている(李谋, 《缅甸文化综论》, 2002-08, 北京大学出版社, 中國, isbn:9787301058312)。

おもっつあん(大餅さん)(島根県)

秋鹿の大日如来はばくちに負けた腹いせに松江市八雲町の星上寺から大餅を盗んで帰られた。それにちなんで、正月に大きな餅をついて、院大日堂に奉納する(大日堂御頭行事 “おもっつぁん” (だいにちどうおんとうぎょうじ おもっつぁん)、水の都・松江(最終閲覧日:25-01-08))。

考察

天狗食日月の伝承は、古い時代には「盗まれるもの」が米のように、貴重品だけれども具体的かつ日常的なものだった。しかし、時代が下り各地で神話が拡張されて、神々が壮大で神秘的なものになるにつれ、「不老不死の霊薬」とか「アムリタ」とか現実の世界には存在しない神々しいアイテムに変更されていったように思う。
また苗族の「犬との約束」、羿神話、日本の「雉も鳴かずば」では、「太陽を射落とす話」と組み合わされて語られている。天狗食日月は「射日神話」に関連の深い話であることが分かる。「太陽を射落とせば射日神話」、「射落とされた太陽(すなわち)から何かを盗めば天狗」となる、といったところなのかもしれない。
ただし、苗族の神話では天狗は日月を癒そうとしているので、古くは「太陽を射落とせば射日神話」、「射落とされた太陽(すなわち)を癒すのが医薬神・天狗」という話だったのかもしれない。ヒッタイトの神話には、地上に落ちてきた月神を、神々が祭祀を行い天に戻す、という話がある。これらから察するに、「天狗食日月」は古くは「余計な太陽を射落とす話(太陽は月に変化、射日神話)」+「必要な日月を癒して呼び戻す話(招日月神話)」だったのだと思われる。いわゆる「間引き」のようなものといえようか。日と月をあるべき姿でバランスよく機能させるためには人為的な調整が必要と考えられたのだろう。
このように考えると「雉も鳴かずば」の娘は最初に消える前には「太陽女神」であり、次に現れた時には太陽がいったん死んだ「月女神」だったと思われる。射落とされた鳥女神(月)が芋に変じてしまえば「ハイヌウェレ神話」、飛んで逃げてしまえば台湾の「穀霊逃亡」である。「雉も鳴かずば」は娘が何も残さずに消えてしまうので、台湾の「穀霊逃亡」に近い話といえる。
日や月を射る話は台湾原住民の伝承にもあるが、日か月の一方を射る話もある。台湾に伝播した時点で、すでに原型が失われて変形が始まっている伝承なので、起源的には7000年以上前に遡る古い伝承である。ただし天狗が日月を追いかける話になるのは、かなり時代が下ってからと考えられ、台湾の伝承には天狗は登場しない。

おもっつあん(大餅さん)について

窃盗犯が大日如来、という珍しい伝承である。博打をしたり、窃盗をしたり、仏教の如来にはふさわしからぬ所業だが、如来の所業にされているだけで、仏教渡来よりも古くからある伝承と考える。餅は「月女神」の化身でもあり、彼女のアイテムでもあるので、元は「天狗食日月」に近い話だったと思われるが詳細は分からない。
星上寺から盗んできた、とあるが星上寺のある星上山(出雲国風土記では荻山)は星神・香香背男が祀られている地でもある。如来は悪い星神・香香背男が盗んだ餅を取り返してくれた良き神だったかもしれないし、逆に香香背男自身だったのかもしれない。あるいは、本当は星神山から盗んできたのではなく、近くに住む秋鹿神社の秋鹿日女命から盗んだのかもしれない。でなければ、星神山には「星の池」という池があるので、そこに降りてきた餅鳥女神の羽衣を奪って餅鳥女神を盗んできたのかもしれない、とあれこれ想像はできる。また、餅が奉納されるのだから、盗品とはいえ、餅は苗族の伝承のように、本来大日如来になにがしかの報酬で与えられるべきものだったのかもしれない。
いろいろと想像をたくましくしてしまう伝承だが、「餅(月女神のアイテム)を盗む」という部分から天狗食日月に関する話と考えたので挙げてみた。「」という字は「獣偏に火」が含まれ「火神かつ犬神であったもの」が連想される言葉と考える。この神は羿神話の黒耳のような神だったと想像する。信州新町の古名も「荻野」といった。

その他

張仙が天狗を撃った話

天の星が子供として生まれ変わるために地上に降りてくるのを天狗が邪魔していたので、ある男が天狗を打ち払って、人々が問題なく子供を得られるようにした。そのため、この男は張仙と呼ばれるようになった。

月神が盗んだもの

月神は不老不死の薬を盗んだ、と言われている。中国では、この薬の原料を月で月兎が臼と杵でついている、と言われる。ビルマの天狗は薬ではなく、薬を作るための臼と杵を盗んだのだろう。日本で月兎が臼と杵で作るのはとされている。ということは中国の伝承の中で「不老不死薬を盗む」とされている点は、日本では「餅を盗む」とされていてもおかしくないのではないか。餅は「ハレの日」の縁起の良い食べ物であると考える。伝承の中で盗まれる場合には、特に「病を治す」という効能のある特別な餅だったのではないか。
また日本やインドの例にあるように「天狗」とは中国以外では必ずしも犬の姿ではないことが分かる。
羿神話を読むと、天狗・黒耳は最後に月ごと嫦娥を飲み込むのだから、黒耳自身も不老不死の薬を飲んで、不老不死となったと思われる。すなわち「不老不死となった者」は、
月神首だけの怪物人間
と多彩であるが、彼らは不老不死の薬を盗むか、盗んだ者を食すかで不老不死となる。人が盗んだものを、元の持ち主に戻さず、盗品と知っていて食べてしまったら、それも間接的な窃盗ではないだろうか。現代的にいえば、道に落ちていたお金を警察に届けず、黙って自分のポケットに入れてしまうようなものである。
ともかく、天狗は様々な理由で月を食べる。食べるだけでなく、なにがしかの「霊薬」を盗んで自分のものにしてしまう。おそらく月神と天狗は元は同じものだったのだろうが、月の満ち欠けを「食べられた」という事象と結びつけたくて「犬に食われた」ということにしたのだろう。
本来、犬神は瑞兆を現す善神だったのに、それを悪神に変えたくて、窃盗する月神と習合させてしまったものが黒耳なのかもしれない。そうして「窃盗する犬月神」を再び月神と犬神に分離したので、「月」という名前の犬神が月を追いかけ回すような伝承が作られたのではないか、と思う。むしろ
  • 犬神(善神)が泥棒の月神(悪神)を食べる。
という話を、犬神を悪神に変えるために
  • 泥棒の犬神(悪神)が月神(善神)を食べる。
と書き換えてしまったのではないだろうか。だから、どちらの話が伝播したかで、霊薬を盗むのは月神だったり、犬神だったりするようになって似た話なのに一貫性がなくなり、月神と「月という名の犬」が、どちらが「月」なのかも区別が曖昧なまま両立している話が語られたりするようになったのだろう。例えば羿神話では、嫦娥は霊薬を盗む月女神、なのだが黒耳は嫦娥からさらに霊薬を盗む月神として現される。でも、嫦娥は霊薬を盗む点は祝融型神のうち窃盗型・性転換型の女神といえるので、祝融型神のうち窃盗型神の黒耳とは互いに起源が近い存在と考えられる。一つの物語の中に、同じ窃盗犯が複数に別れて設定されている物語なのである。北欧神話では、月神は何も盗んではいないが、マーナガルムという「月の犬」という名の狼に追い回される。
月神と犬神、どちらも元は似た窃盗型の神だったのだろうが、全体としては異形のものを含めて犬神(天狗)の方が泥棒として扱われる話が多いと感じる。

怪我をする太陽女神

2025/12/20比較伝承
個人的に、古代における太陽女神とは「殺される女神」と「死なない女神」の2種類に分かれると考えている。しかし、太陽は一つしかないので、彼らを一つに纏める案も古代の人々は考え出したのだろう。

「女神がいったん、怪我をするけれども、死には至らず元気になる。」

というモチーフは良く用いられる習合結果と考える。このモチーフの物語を挙げる。

日妹・月兄(朝鮮の伝承)

昔、天の主人に二人の兄妹がいた。兄は太陽で、妹は月だった。ある時、妹が「月は人に見られていやだから太陽になりたい。」と言った。兄はこれをいやがり、兄妹で喧嘩になった。兄は煙管で妹の目をつきさし、つぶしてしまった。それで妹が気の毒になった兄は太陽を妹に譲り、自分は月になった。

その他

喧嘩の末、兄が妹を殺してしまって、罰として母親が兄を殺すパターンなどがある。(以上、「韓国昔話集成8,崔仁鶴他、悠書館、50-53p)

犬石(長野市篠ノ井の伝承)

長野市篠ノ井有旅には犬石という地名があり、その名の由来となった犬石が存在する。由来は以下の通り。

犬石のある平地を長者窪と呼んでいる。むかし長者窪に住んでいた長者の家に旅の僧が宿を求めた。長者は僧の持つ大金に目がくらみ殺して奪った。長者の家はそのせいで滅びてしまった。残された長者の犬は猛り狂い人々に害をなした。そこで産土神さまがあらわれ犬を諭された為、犬は改心して石と化し集落を護るようになったという。一説に旅の僧は平氏の落ち武者であったと言われている。

別の話として

産土神さまは犬に追われ里芋で滑りゴマで目を突いたそうで、当地では近年まで犬を飼わず里芋やゴマを作らない戒めがあったそうだ。

がある(長野県長野市篠ノ井有旅の犬石、狼やご神獣の、お姿を見たり聞いたり民話の舞台を探したりの訪問記 -主においぬ様信仰ー(最終閲覧日:251220)、長野市立博物館だより、第12号、1988-10-1)。

解説

産土神が女神であるかどうかははっきりしていない。後者は日妹・月兄の類話と言える。里芋は中秋に供えられるアイテムの一つであり、月神(女神)と関連付けられる。一ツ目の神の伝承は日本各地にあり、柳田国男が著書「一目小僧その他」で、人身御供との関連性を示唆している。

太陽の光が目を刺すわけ(アルメニア民話)

月と太陽は兄と妹だった。太陽は夜巡り、月は昼間巡っていた。ある時、妹が「夜は怖いし、昼はみんなが見るから嫌。」と言った。兄は「昼空を巡ればいい。針を持っていって見る者の目を刺せばいい。」と言った。以来太陽は昼の空を巡り、見る者をその光で刺すようになった(世界の太陽と月と星の民話、日本民話の会他編訳、三弥井書店、268p)。

解説

太陽と月は互いに争わないが、交代している、という伝承である。妹の太陽が見られるのを嫌がる点が朝鮮の「日妹・月兄」と一致している。類話と考える。

嫦娥と黒耳(中国の伝承)

伝説によると、后羿が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、后羿の妻である嫦娥はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から后羿の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の嫦娥の後を追った。嫦娥は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、嫦娥に飛びかかり、月を飲み込んだ。

月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と嫦娥を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。→天狗(中国)より
嫦娥羿西王母

解説

「(女)神が傷つけられるけれども、死には至らない」というパターンの伝承のうち、犬石の産土神は祟る犬神に傷つけられており、朝鮮の伝承よりは「嫦娥と黒耳」の伝承に近い話であることが分かる。太陽女神の話でなくなっている点も同じである。嫦娥と黒耳の話は「天狗食日月」の伝承の一つで、日食と月食は天狗が起こす、という説の起源譚である。嫦娥と黒耳の場合は月女神と犬神の話なので、月食の説明にはなっているが、日食の説明にはなっていない。でも、嫦娥が元は太陽女神だったのなら、日食の起源の説明ともいえよう。黒耳は嫦娥を太陽から月に変えてしまった後も、尚殺そうと後を付け狙っているのかもしれない。

スコルとハティ(北欧神話)

スコルは魔狼フェンリルと鉄の森の女巨人との間の子。その名前は古ノルド語で「嘲るもの」「高笑い」を意味する。常に太陽(ソール)を追いかけており、日食はこの狼が太陽を捕らえた為に生じると考えられた。ラグナロクの際には、太陽に追いつき、これを飲み込むとされている。通常、この様に太陽を飲み込んだ場合、地上の人々は鍋を叩いて吐き出させたという。
ハティは古ノルド語で「憎しみ」「敵」を意味する狼。北欧神話に登場する。月(マーニ)を絶えず追いかけており、月食はこの狼が月を捕らえたために起こると考えられた。一説にはフェンリルの息子とされることもある。ラグナロクの際には、とうとう月に追いついて、これに大損害を与えるとされている。同じく月を追うとされる「マーナガルム(月の犬)」と同一視されることもある。
スコルハティマーナガルム

ラーフ(インド神話)

乳海攪拌のあと、神々とアスラは不死の霊薬アムリタをめぐって争い、アムリタは神々の手にわたった。神々は集まってアムリタを飲んだが、その中にラーフというアスラが神に化けてアムリタを口にした。それを太陽と月が発見し、ヴィシュヌ神に知らせた。ヴィシュヌ神は円盤(チャクラム)を投げてラーフの首を切断したが、ラーフの首は不死になってしまった。ラーフの首は天に昇り、告口したことを怨んで太陽と月を飲み込んでは日食や月食を起こす悪星になったという。
ラーフ

私的考察

上記のような伝承を見るに、「太陽女神を追いかけ傷つける者」は、大きく分けて
  • 月神(兄弟)
  • 狼(黒犬)神
に分かれるようである。「日妹・月兄」と「犬石」は追いかけられる神がいずれも目を傷つけられるというモチーフが共通していることから、起源を同じくする類話と考える。ということは、月神と犬神は本来「同じもの」だったと思われる。それが時代が下るにつれ、月神と狼神に分離してしまい、狼神となったものは太陽神だけでなく、月も追いかける、ということにされたのだろう。
「嫦娥と黒耳」の黒耳は最終的に自らも月に住んで月神のようになる。北欧神話の月神を追いかけるマーナガルムは「月の犬」という名であって、この狼自身が月に属するものであることを伺わせる。狼神とは、月神を食べて月神となったのか、あるいは最初から月神と同じものだったのか、いずれにしても月神と狼神は「同じもの」とみなして良いのだろう。

「嫦娥と黒耳」では、犬神の黒耳と月はほぼ分離されて別の存在とされ、女神と月と犬神の三者が登場する。北欧神話では、太陽と月をおいかける狼神はそれぞれ別の存在とされている。日本神話では、須佐之男は高天原で狼藉を働き、天照大神の権威を失墜させるが直接殺すまでには至らない。そして、日本神話でも「嫦娥と黒耳」と同じく

女神(天照大神)、傷つける神(須佐之男)、月神(月夜見)

はそれぞれ分離して別の存在とされている。その点では中国の神話に似る。ただし、須佐之男は天照大神の兄弟なので、兄弟であるという点は朝鮮の「日妹・月兄」に似る。そして東アジアでは襲う神が「狼神」ではなく「犬神」として語られる傾向がある。

「日妹・月兄」の兄は母親に殺されるというパターンがある。犬石の犬神は最後に石に変わるが、これは「死」を意味するモチーフである。北欧神話の狼神達はいずれラグナロクで滅びる運命だろう。インド神話のラーフは首を落とされる。日本神話の須佐之男は高天原を追放されて、最終的に黄泉の国に住む。「傷つける神」の側も最終的には死に至る運命とされていたことが分かる。

また、「怪我をするけれども死なない女神」は、欠けてもまた復活する天体の日月食あるいは、月の満ち欠けになぞらえて語られることが多いことが分かる。日月が一時的に隠れたり、欠けたりしてその力が弱まることがあると考えられたのだろう。

比較伝承

2025/12/17比較伝承
比較できうる伝承をまとめたいと思います。読んで楽しんでいただけるコーナーにしたいです。

蛇神と戦う鳥神

2025/12/14比較伝承鳥神
蛇神と対立する鳥神の神話は、インド神話のガルダが有名であると思う。類話をいくつかまとめてみたい。
参照:太陽女神について

ガルダ

ガルダの一族はインド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。

造物主であるプラジャーパティにはヴィナターとカドゥルーという2人の娘がいた。2人はそろってブラフマーの子である聖仙カシュヤパの妻となった。カシュヤパは2人の願いを叶えると約束し、カドゥルーは1000匹のナーガ(蛇あるいは竜)を息子とすることを望み、ヴィナターはカドゥルーの子より優れた2人の息子を望んだ。その後長い時間を経てカドゥルーは1000個の卵を、ヴィナターは2個の卵を産んだ。2人は卵を500年間あたため続け、やがてカドゥルーの卵からはナーガたちが生まれたが、ヴィナターの卵は孵らなかった。ヴィナターは恥ずかしさのあまり卵の1つを割ると、上半身しかない子供が出てきた。卵を早く割ったために下半身がまだ作られていなかったのである。この息子は暁の神アルナであるが、母親に対して怒り、500年の間、競った相手の奴隷になるという呪いをかけた。

ある日、カドゥルーは乳海攪拌から生まれ太陽を牽引する馬ウッチャイヒシュラヴァスの色について、ヴィナターに話しかけ口論となり、負けた方が奴隷になるという条件で賭けることにした。ヴィナターは全身が全て白いと主張したのに対し、カドゥルーは体は白だが尻尾だけは黒いと主張した。実際にはヴィナターのいうとおりであった。しかし、カドゥルーは確認は翌日にするということにし、息子のナーガたちにウッチャイヒシュラヴァスの尻尾に取り付くように命じ、黒く見えるようにした。中には命令を聞かなかった息子もいたため、カドゥルーは彼らに呪いをかけた。翌日、2人は海を越えて確認に行くと、ウッチャイヒシュラヴァスの尾の色は黒かったため、ヴィナターは負けて奴隷になってしまった。

やがて時期がたち、ガルダが卵から生まれた。ガルダは生まれるとすぐに成長し、炎の様に光り輝いて神々を震え上がらせた。神々はガルダを賛美してガルダの放つ光と熱を収めさせた。海を越えて母の元に行くと、ガルダも母と共にカドゥルーたちに支配されることになった。カドゥルーはガルダにも様々な難題を振りかけ、やがてガルダは嫌気がさし、母に対してなぜこの様になったのかを尋ねた。母にいかさまによって奴隷となったことを聴くと、ナーガたちに対して母を解放するよう頼んだ。ナーガたちは、天界にある乳海攪拌から生まれた不死の聖水アムリタを力ずくで奪ってくれば解放すると約束した。

ガルダは地上で腹ごしらえをすました後、天上に向かった。天上ではガルダの襲撃を予兆して今までになかったようなさまざまな異常現象が起きた。ガルダは天上に乗り込むと、守備を固めて待ち受けていた神々を次々に払いのけた。戦神である風神ヴァーユが軍勢を整えるものの、多くの神々が打ち倒された。アムリタの周りにも回転する円盤チャクラムや目を見ると灰になる2匹の大蛇などさまざまな罠を仕掛けていたが、ガルダはそれをすり抜けてアムリタを奪い飛び去った。

ガルダが飛んでいるとヴィシュヌと出会った。ヴィシュヌはガルダの勇気と力に感動したため、ガルダの願いを叶えることとした。それはアムリタを用いない不死であり、ガルダはそれを受けてヴィシュヌのヴァーハナとなることを誓った。そこへ神々の王インドラが最強の武器ヴァジュラを使って襲いかかってきた。しかしそれでもガルダには敵わなかった。元々ガルダは小人の種族ヴァーラキリヤのインドラより100倍強くなるようにという願いを込められて生まれてきたからである。インドラはヴァジュラが全く利かないのを見ると、ガルダに永遠の友情の誓いを申し込んだ。その代わりにガルダには不死の体が与えられ、彼はナーガたち蛇族を食料とするという約束を交わした。

そして、一旦約束を守るためにガルダはアムリタをナーガたちの元へ持ち帰った。ヴィナータが解放されると、アムリタをクシャの葉の上におき、沐浴してから飲まねばならないと告げた。それを聞いてナーガたちが沐浴をしている隙に、インドラがアムリタを取り返してしまった。ナーガたちはだまされたことに気づいたが、もはやどうしようもなかった。ナーガたちはどうにかしてアムリタをなめようと、アムリタが置かれていたクシャの葉をなめ回したため、舌が切れ二股となってしまった(『マハーバーラタ』第1巻14~30章)。(Wikipedia:ガルダより)

英雄ディックベール

まずしいたきぎ拾いの男がいた。息子は力持ちのためディックベール(力持ち)と呼ばれていた。ディックベールは恋するマリーカ王女と結婚するため、「母なる鳥シムルグ」の助けを得ようと旅に出た。

ある高い山のふもとに大きな川が流れ、大きなプラタナスの木が生えていた。木の上には鳥の巣があった。ディックベールが木の下で眠り、ふと目を覚ますと木の幹に大蛇が巻き付いていた。木の上の鳥の巣はシムルグの巣で、大蛇は毎年シムルグの雛を食べに来ていたのだ。ディックベールは剣で大蛇に襲いかかり退治した。シムルグはお礼に「何でも願いの叶うアイテム」をディックベールに送った。王はマリーカ王女を結婚させたくなくて、求婚者達に無理難題を吹きかけていたが、ディックベールはシムルグの宝物のおかげで難題をやり遂げてしまう。

また、困った時に助言を求めに行くと、シムルグは良いアドバイスを送ってくれた。こうしてディックベールはマリーカ王女と結婚し、良き友を得ることもできた。(「シルクロードの民話」パミール高原編p157-171、ウラテューベで採集。ぎょうせいより)

鳥神の代理人が蛇神と戦うバリエーション

シームルグではなくその代理人のディックベールが蛇神と戦う。後述するが、蛇神と特別な樹木(世界樹)は一体のものといえる。蛇神を倒すことは、世界樹の害のみを抑えて樹が役に立つものになることも示すように思う。神の代わりに代理人が戦うことは、戦った者が神を助ける代わりに良い報いを受ける、という報恩譚に拡がって行くように思う。

鴻八幡宮(岡山県)由来譚

寛政年間(1789-1801年)に編纂された『吉備温故秘録』に、昔神社の宮山に鴻(こうのとり)が群棲して、参拝者がその雛のいる時はこれを恐れ、また神社自体にも大蛇が棲みついていたのでこれをも恐れて参詣を避けたため、社殿が鳥の糞に穢されるなどして荒れ果て、それらの難を嘆いた氏子一同が神に祈願したところ、その夜の夢に氏神が現われて「明日辰の一点(午前7時頃)に難を除くべし」と告げたので、奇異の念に捕らわれつつも一同残らず神前に集まると、神殿が震動して中から1匹の大蛇が現れ出て鴻の巣の掛かった大木に登り、群棲する鴻と闘争に及んでお互いに滅んだといい、それより「鴻の宮」と称されるようになったという伝えを載せている。さらに、鴻八幡宮の氏子区域である上村、下村、田ノ口村、引網村(現在:上の町,下の町,田の口,唐琴)を「鴻の郷」とも呼ばれるようになる。(Wikipedia:鴻八幡宮より)

鴻八幡宮は大宝元年(701年)創建とされる。おそらく本来は神社や土地の地名に関して鳥神と蛇神の戦いの伝承があったと推察されるが、八幡信仰が重要視されるようになって神話が崩れてしまったのではないだろうか。

鴻神社(埼玉県)由来譚

昔、「樹の神」と言われる大樹があり、人々は「樹の神」の難を逃れるためにお供え物をして祭っていた。これを怠ると必ず祟りが起こり人々は恐れ慄いていた。ある時、一羽のコウノトリが飛来して、この木の枝に巣を作り卵を産み育て始めた。すると大蛇が現れて卵を飲み込もうとした。これに対しコウノトリは果敢に挑みこれを撃退させた。 それから後は「樹の神」が害を成す事は無くなったという。人々は木の傍に社を建て「鴻巣明神」と呼ぶようになり、土地の名も鴻巣と呼ぶようになったと伝えられている。(Wikipedia:鴻神社より)

久久比神社(兵庫県豊岡市)由来譚

「日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい;コウノトリの古称)が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。 十一月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上したのである。時に皇子は三十歳であったが、いまだ物言い給わず、あたかも児の泣くが如き声のみで、この日初めて人並みの言葉を発せられたのである。これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼びなし、その後この地に宮を建て、木の神「久久能智神」(くくのちのかみ)を奉斎した。 これが久久比神社(くくひじんじゃ)の始まりであった。(Wikipedia:久久比神社より。「コウノトリ」参照のこと。)

これは鳥神と蛇神が戦うのではなく、鳥神を奉ったことで口のきけない皇子が話せるようになった、という話である。鳥神の名前を冠した神社なのに、祭神は木の神であるという不思議な神社だ。しかし、本来、鳥神対蛇神(樹木神)の対立神話があったとすれば、双方を神として奉った神社ということで矛盾は生じないように思う。

なぜ、誉津別皇子の神話と関連づけられるかというと、この皇子は「口がきけない」という点が植物を彷彿とさせる。また泣くばかり、という点は須佐之男を彷彿とさせる。久久比神社の祭神は樹木神である久久能智神だが、この場合はこの神は須佐之男に類する樹木神であり、誉津別皇子と同じものと考える。すなわち、誉津別皇子、久久能智神、須佐之男は一体化した神なのである。誉津別皇子神話の別のバリエーションでは、皇子の状態が普通の人のようでない点の原因は阿麻乃彌加都比売という女神を正しく祀らないため、とされている。コウノトリと阿麻乃彌加都比売は同じ「鳥女神」であり、樹木神かつ蛇神である誉津別皇子と対立したが、女神を祀ることで皇子と世界に存在した「異常」を正した、とそういう趣旨の伝承が元はあったのではないかと考える。

 そして、その伝承の更に古い起源として、鴻神社(埼玉県)由来譚に近い伝承があったと考える。鳥神が蛇神を倒して、なぜ樹木神が祟らなくなったのかといえば、樹木神と蛇神が「同じもの」だから、だといえないだろうか。そして、この伝承は氷川社に伝わるものなので、祟る樹木神とは須佐之男のことなのであろう。おそらく、久久比神社(兵庫県豊岡市)、鴻八幡宮(岡山県)、鴻神社(埼玉県)は近隣を開拓したのが立場の近しい出雲系の人々であって、彼らが同じ鳥女神対蛇神の神話を持っていて、神社や土地の名前に「久久比(コウノトリ)」の名をつけたものと考える。その伝承がそれぞれの地域で独自に発展し現在の伝承の形になったのだろう。阿麻乃彌加都比売は出雲系の女神なので、当然最初に祀っていた人々は出雲系と思われる。

おそらく、出雲系の人々の神話に「鳥女神対蛇神(須佐之男)」の対立の話があり、女神が勝利して世界の秩序を守った、という趣旨のものだったのだけれども、記紀神話を成立させる際に須佐之男が「皇祖神」として扱われることになったので、「鳥女神対蛇神(須佐之男)」の神話は「正式な記紀神話」から外されてしまったと推察する。その代わりに天照大神と須佐之男の対立神話が採用されたのではないだろうか。でも、個人的な出雲系氏族の伝承としては3カ所に残されたのだろう。一番原話に近い話と思われる埼玉県の伝承は、出雲系である武蔵国造笠原氏の拠点の一つ・鴻巣に伝わるものである。誉津別皇子の伝承は須佐之男の正統性を強化するために作られたものかもしれない、と想像する。

イナンナとフルップの樹

イナンナはユーフラテス河畔で「フルップ(ハルブ)の樹」を見つけた。この樹は世界樹(生命の木)だった。イナンナはこの樹の力を利用して世界を支配しようと考えた。イナンナは樹をウルクに持ち帰り、聖なる園(エデン)に植えて大事に育てようとした。

「時が来たら、この世界樹から輝く王冠と輝くベッド(王座)を作ろう。」

とイナンナは考えた。しかし10年後、(アン)ズーがやって来て樹のてっぺんに巣を作り、雛を育て始めた。さらに樹の根にはヘビが巣を作っていて、樹の幹にはリリスが住処を構えていた。リリスの姿は大気と冥界の神であることを示していたので、イナンナは気が気でなかった。いよいよこの樹から支配者の印をつくる時が来た時、リリスにむかって聖なる樹から立ち去るようにイナンナはお願いした。イナンナはその時まだリリスに対抗できるだけの力を持っておらず、リリスも言うことを聞こうとはしなかった。そこでイナンナは兄弟である太陽神ウトゥに助けを求めた。ウトゥはイナンナの悩みを解決しようと、銅製の斧をかついでイナンナの聖なる園にやって来た。

ヘビは樹を立ち去ろうとしないばかりかウトゥに襲いかかろうとしたので、彼はそれを退治した。ズーは子供らと高く舞い上がると天の頂きにまで昇り、そこに巣を作ることにした。リリスは自らの住居を破壊し、誰も住んでいない荒野に去っていった。

ウトゥはその後、樹の根っこを引き抜きやすくし、銅製の斧で輝く王冠と輝くベッドをイナンナのために作ってやった。イナンナは「他の神々と一緒にいる場所ができた」ととても喜び、感謝の印として、その樹の根と枝を使って「プック(Pukku)とミック(Mikku)」(輪と棒)を作り、ウトゥへの贈り物とした。(Wikipedia:Inannaより)

鳥神ではなく女神の代理人が蛇神と戦うバリエーション

「英雄ディックベール」と同じく、女神の代理人である太陽神ウトゥが蛇神と戦う。
鳥神アンズーが登場するが、本話の場合は鴻八幡宮由来譚と同じで鳥も蛇も迷惑をかける存在である。ただし起源的にはイナンナとアンズーは「同じもの」と考える。イナンナが子供達を守る母女神ではなく、王権を求める強力な女神へと書き換えられたため、母性的な女神のアンズーとイナンナは分けられることとなったのだろう。

龍女

昔、お爺さんが一人の女と結婚した。そして息子が一人生まれた。ある日の夜、お爺さんが目を覚ますと妻の服が濡れていた。お爺さんがこっそり様子をうかがっていると、'''妻は大きな沼に入って(龍に変身し)、もう1匹の龍を相手に戦っていた'''。夫に姿を見られた妻は、敵と戦うために、水の中に入って去ってしまった。
残された赤ん坊が乳を欲しがって、'''足をバタバタさせて泣いた'''。お爺さんは沼に行って、道士の助けを借り、2度までそこにいた女に乳をもらうことができた。最後に女は赤ん坊の首に'''赤と青の何か'''を結びつけた。家に戻ると、道士は首にかけられたものを欲しがった。お爺さんがそれを渡すと、道士は燃え上がって焼け死んでしまった。赤ん坊はそれからはおとなしくなってすくすく育った(「龍女」、韓国昔話集成2、崔仁鶴編、悠書館、p263-265)。

鳥女神ではなく蛇女神が蛇神と戦うバリエーション

鳥女神も世界樹も登場しないが、世界樹と悪しき蛇神が一体のものであるなら、龍女と戦う龍神は世界樹でもある、といえる。沼に消えた龍女は残された家族に形見を残すが、この点がいわゆる「蛇婿譚」と連続して関連する話といえる。世界樹の頂点に住む鳥女神が蛇神と戦う、というとイラン・インド系の印欧語族の神話という印象を受けるが、龍女が悪龍と戦う、となると、同じ起源と思われる神話がぐっと東アジア的になる、と個人的に感じる(「龍女」参照のこと。)。

アダムとエバ

アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムが作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には生命の木と知恵の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(ハヴァ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。

この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。アダムが女をハヴァと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する炎の剣を置いた(旧約聖書、創世記より)。(Wikipedia:アダムとエバより)

変形著しいヴァリエーション

鳥女神対蛇神の対立の物語からかなり趣が変わっているけれども、悪しき蛇神、樹木が登場する点から「蛇神と戦う鳥神」から派生した話だと分かる。
鳥女神対蛇神の対立神話は、鳥女神が勝利する物語が多いように思うのだが、ガルーダの母親が蛇神達の母親に騙されて奴隷にされてしまったという筋書きもある。最終的にはガルーダが勝利するのだが、母女神は「騙された敗北者」である。エバも蛇神に騙されて楽園を失う。もしかしたら、鳥女神対蛇神の神話は、起源は同じでも
  • 鳥女神が勝利するパターン
  • 鳥女神が騙されて敗北するパターン
の2種類があったのではないだろうか。日本の天照大神は、最初に須佐之男を疑って敗北し、次に狼藉を行う須佐之男に勝利して弟神を高天原から追放している。ガルーダの母親の神話、エバの神話は後者から発展したものなのではないか、と考える。鳥女神がまず敗北し、次に息子神の助けを得て勝利する、というモチーフはエジプト神話のイシスとホルスの神話に似る。
鳥女神が勝利する場合、女神は「養母としての女神」、敗北する場合、特に女神が亡くなる場合には「吊された女神」となると考える。ただし、ガルーダの母親やエバのように、敗北しても死にまでは至らない場合、あるいはイシスや天照大神のように敗北と勝利の双方が含まれる場合など、「養母としての女神」と「吊された女神」が混在した中庸的な場合が多いのではないだろうか。