比較伝承

2025/12/17比較伝承
比較できうる伝承をみたいと思います。読んで楽しんでいただけるコーナーにしたいです。

蛇神と戦う鳥神

2025/12/14比較伝承鳥神
蛇神と対立する鳥神の神話は、インド神話のガルダが有名であると思う。類話をいくつかまとめてみたい。

ガルダ

ガルダの一族はインド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。

造物主であるプラジャーパティにはヴィナターとカドゥルーという2人の娘がいた。2人はそろってブラフマーの子である聖仙カシュヤパの妻となった。カシュヤパは2人の願いを叶えると約束し、カドゥルーは1000匹のナーガ(蛇あるいは竜)を息子とすることを望み、ヴィナターはカドゥルーの子より優れた2人の息子を望んだ。その後長い時間を経てカドゥルーは1000個の卵を、ヴィナターは2個の卵を産んだ。2人は卵を500年間あたため続け、やがてカドゥルーの卵からはナーガたちが生まれたが、ヴィナターの卵は孵らなかった。ヴィナターは恥ずかしさのあまり卵の1つを割ると、上半身しかない子供が出てきた。卵を早く割ったために下半身がまだ作られていなかったのである。この息子は暁の神アルナであるが、母親に対して怒り、500年の間、競った相手の奴隷になるという呪いをかけた。

ある日、カドゥルーは乳海攪拌から生まれ太陽を牽引する馬ウッチャイヒシュラヴァスの色について、ヴィナターに話しかけ口論となり、負けた方が奴隷になるという条件で賭けることにした。ヴィナターは全身が全て白いと主張したのに対し、カドゥルーは体は白だが尻尾だけは黒いと主張した。実際にはヴィナターのいうとおりであった。しかし、カドゥルーは確認は翌日にするということにし、息子のナーガたちにウッチャイヒシュラヴァスの尻尾に取り付くように命じ、黒く見えるようにした。中には命令を聞かなかった息子もいたため、カドゥルーは彼らに呪いをかけた。翌日、2人は海を越えて確認に行くと、ウッチャイヒシュラヴァスの尾の色は黒かったため、ヴィナターは負けて奴隷になってしまった。

やがて時期がたち、ガルダが卵から生まれた。ガルダは生まれるとすぐに成長し、炎の様に光り輝いて神々を震え上がらせた。神々はガルダを賛美してガルダの放つ光と熱を収めさせた。海を越えて母の元に行くと、ガルダも母と共にカドゥルーたちに支配されることになった。カドゥルーはガルダにも様々な難題を振りかけ、やがてガルダは嫌気がさし、母に対してなぜこの様になったのかを尋ねた。母にいかさまによって奴隷となったことを聴くと、ナーガたちに対して母を解放するよう頼んだ。ナーガたちは、天界にある乳海攪拌から生まれた不死の聖水アムリタを力ずくで奪ってくれば解放すると約束した。

ガルダは地上で腹ごしらえをすました後、天上に向かった。天上ではガルダの襲撃を予兆して今までになかったようなさまざまな異常現象が起きた。ガルダは天上に乗り込むと、守備を固めて待ち受けていた神々を次々に払いのけた。戦神である風神ヴァーユが軍勢を整えるものの、多くの神々が打ち倒された。アムリタの周りにも回転する円盤チャクラムや目を見ると灰になる2匹の大蛇などさまざまな罠を仕掛けていたが、ガルダはそれをすり抜けてアムリタを奪い飛び去った。

ガルダが飛んでいるとヴィシュヌと出会った。ヴィシュヌはガルダの勇気と力に感動したため、ガルダの願いを叶えることとした。それはアムリタを用いない不死であり、ガルダはそれを受けてヴィシュヌのヴァーハナとなることを誓った。そこへ神々の王インドラが最強の武器ヴァジュラを使って襲いかかってきた。しかしそれでもガルダには敵わなかった。元々ガルダは小人の種族ヴァーラキリヤのインドラより100倍強くなるようにという願いを込められて生まれてきたからである。インドラはヴァジュラが全く利かないのを見ると、ガルダに永遠の友情の誓いを申し込んだ。その代わりにガルダには不死の体が与えられ、彼はナーガたち蛇族を食料とするという約束を交わした。

そして、一旦約束を守るためにガルダはアムリタをナーガたちの元へ持ち帰った。ヴィナータが解放されると、アムリタをクシャの葉の上におき、沐浴してから飲まねばならないと告げた。それを聞いてナーガたちが沐浴をしている隙に、インドラがアムリタを取り返してしまった。ナーガたちはだまされたことに気づいたが、もはやどうしようもなかった。ナーガたちはどうにかしてアムリタをなめようと、アムリタが置かれていたクシャの葉をなめ回したため、舌が切れ二股となってしまった(『マハーバーラタ』第1巻14~30章)。(Wikipedia:ガルダより)

英雄ディックベール

まずしいたきぎ拾いの男がいた。息子は力持ちのためディックベール(力持ち)と呼ばれていた。ディックベールは恋するマリーカ王女と結婚するため、「母なる鳥シムルグ」の助けを得ようと旅に出た。

ある高い山のふもとに大きな川が流れ、大きなプラタナスの木が生えていた。木の上には鳥の巣があった。ディックベールが木の下で眠り、ふと目を覚ますと木の幹に大蛇が巻き付いていた。木の上の鳥の巣はシムルグの巣で、大蛇は毎年シムルグの雛を食べに来ていたのだ。ディックベールは剣で大蛇に襲いかかり退治した。シムルグはお礼に「何でも願いの叶うアイテム」をディックベールに送った。王はマリーカ王女を結婚させたくなくて、求婚者達に無理難題を吹きかけていたが、ディックベールはシムルグの宝物のおかげで難題をやり遂げてしまう。

また、困った時に助言を求めに行くと、シムルグは良いアドバイスを送ってくれた。こうしてディックベールはマリーカ王女と結婚し、良き友を得ることもできた。(「シルクロードの民話」パミール高原編p157-171、ウラテューベで採集。ぎょうせいより)

鳥神の代理人が蛇神と戦うバリエーション

シームルグではなくその代理人のディックベールが蛇神と戦う。後述するが、蛇神と特別な樹木(世界樹)は一体のものといえる。蛇神を倒すことは、世界樹の害のみを抑えて樹が役に立つものになることも示すように思う。神の代わりに代理人が戦うことは、戦った者が神を助ける代わりに良い報いを受ける、という報恩譚に拡がって行くように思う。

鴻八幡宮(岡山県)由来譚

寛政年間(1789-1801年)に編纂された『吉備温故秘録』に、昔神社の宮山に鴻(こうのとり)が群棲して、参拝者がその雛のいる時はこれを恐れ、また神社自体にも大蛇が棲みついていたのでこれをも恐れて参詣を避けたため、社殿が鳥の糞に穢されるなどして荒れ果て、それらの難を嘆いた氏子一同が神に祈願したところ、その夜の夢に氏神が現われて「明日辰の一点(午前7時頃)に難を除くべし」と告げたので、奇異の念に捕らわれつつも一同残らず神前に集まると、神殿が震動して中から1匹の大蛇が現れ出て鴻の巣の掛かった大木に登り、群棲する鴻と闘争に及んでお互いに滅んだといい、それより「鴻の宮」と称されるようになったという伝えを載せている。さらに、鴻八幡宮の氏子区域である上村、下村、田ノ口村、引網村(現在:上の町,下の町,田の口,唐琴)を「鴻の郷」とも呼ばれるようになる。(Wikipedia:鴻八幡宮より)

鴻八幡宮は大宝元年(701年)創建とされる。おそらく本来は神社や土地の地名に関して鳥神と蛇神の戦いの伝承があったと推察されるが、八幡信仰が重要視されるようになって神話が崩れてしまったのではないだろうか。

鴻神社(埼玉県)由来譚

昔、「樹の神」と言われる大樹があり、人々は「樹の神」の難を逃れるためにお供え物をして祭っていた。これを怠ると必ず祟りが起こり人々は恐れ慄いていた。ある時、一羽のコウノトリが飛来して、この木の枝に巣を作り卵を産み育て始めた。すると大蛇が現れて卵を飲み込もうとした。これに対しコウノトリは果敢に挑みこれを撃退させた。 それから後は「樹の神」が害を成す事は無くなったという。人々は木の傍に社を建て「鴻巣明神」と呼ぶようになり、土地の名も鴻巣と呼ぶようになったと伝えられている。(Wikipedia:鴻神社より)

久久比神社(兵庫県豊岡市)由来譚

「日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、鵠(くぐい;コウノトリの古称)が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。 十一月朔、天湯河板挙はめでたくこの鵠を献上したのである。時に皇子は三十歳であったが、いまだ物言い給わず、あたかも児の泣くが如き声のみで、この日初めて人並みの言葉を発せられたのである。これほどに鵠は霊鳥なのでその棲家の地を久久比(くくひ)と呼びなし、その後この地に宮を建て、木の神「久久能智神」(くくのちのかみ)を奉斎した。 これが久久比神社(くくひじんじゃ)の始まりであった。(Wikipedia:久久比神社より。「コウノトリ」参照のこと。)

これは鳥神と蛇神が戦うのではなく、鳥神を奉ったことで口のきけない皇子が話せるようになった、という話である。鳥神の名前を冠した神社なのに、祭神は木の神であるという不思議な神社だ。しかし、本来、鳥神対蛇神(樹木神)の対立神話があったとすれば、双方を神として奉った神社ということで矛盾は生じないように思う。

なぜ、誉津別皇子の神話と関連づけられるかというと、この皇子は「口がきけない」という点が植物を彷彿とさせる。また泣くばかり、という点は須佐之男を彷彿とさせる。久久比神社の祭神は樹木神である久久能智神だが、この場合はこの神は須佐之男に類する樹木神であり、誉津別皇子と同じものと考える。すなわち、誉津別皇子、久久能智神、須佐之男は一体化した神なのである。誉津別皇子神話の別のバリエーションでは、皇子の状態が普通の人のようでない点の原因は阿麻乃彌加都比売という女神を正しく祀らないため、とされている。コウノトリと阿麻乃彌加都比売は同じ「鳥女神」であり、樹木神かつ蛇神である誉津別皇子と対立したが、女神を祀ることで皇子と世界に存在した「異常」を正した、とそういう趣旨の伝承が元はあったのではないかと考える。

 そして、その伝承の更に古い起源として、鴻神社(埼玉県)由来譚に近い伝承があったと考える。鳥神が蛇神を倒して、なぜ樹木神が祟らなくなったのかといえば、樹木神と蛇神が「同じもの」だから、だといえないだろうか。そして、この伝承は氷川社に伝わるものなので、祟る樹木神とは須佐之男のことなのであろう。おそらく、久久比神社(兵庫県豊岡市)、鴻八幡宮(岡山県)、鴻神社(埼玉県)は近隣を開拓したのが立場の近しい出雲系の人々であって、彼らが同じ鳥女神対蛇神の神話を持っていて、神社や土地の名前に「久久比(コウノトリ)」の名をつけたものと考える。その伝承がそれぞれの地域で独自に発展し現在の伝承の形になったのだろう。阿麻乃彌加都比売は出雲系の女神なので、当然最初に祀っていた人々は出雲系と思われる。

おそらく、出雲系の人々の神話に「鳥女神対蛇神(須佐之男)」の対立の話があり、女神が勝利して世界の秩序を守った、という趣旨のものだったのだけれども、記紀神話を成立させる際に須佐之男が「皇祖神」として扱われることになったので、「鳥女神対蛇神(須佐之男)」の神話は「正式な記紀神話」から外されてしまったと推察する。その代わりに天照大神と須佐之男の対立神話が採用されたのではないだろうか。でも、個人的な出雲系氏族の伝承としては3カ所に残されたのだろう。一番原話に近い話と思われる埼玉県の伝承は、出雲系である武蔵国造笠原氏の拠点の一つ・鴻巣に伝わるものである。誉津別皇子の伝承は須佐之男の正統性を強化するために作られたものかもしれない、と想像する。

イナンナとフルップの樹

イナンナはユーフラテス河畔で「フルップ(ハルブ)の樹」を見つけた。この樹は世界樹(生命の木)だった。イナンナはこの樹の力を利用して世界を支配しようと考えた。イナンナは樹をウルクに持ち帰り、聖なる園(エデン)に植えて大事に育てようとした。

「時が来たら、この世界樹から輝く王冠と輝くベッド(王座)を作ろう。」

とイナンナは考えた。しかし10年後、(アン)ズーがやって来て樹のてっぺんに巣を作り、雛を育て始めた。さらに樹の根にはヘビが巣を作っていて、樹の幹にはリリスが住処を構えていた。リリスの姿は大気と冥界の神であることを示していたので、イナンナは気が気でなかった。いよいよこの樹から支配者の印をつくる時が来た時、リリスにむかって聖なる樹から立ち去るようにイナンナはお願いした。イナンナはその時まだリリスに対抗できるだけの力を持っておらず、リリスも言うことを聞こうとはしなかった。そこでイナンナは兄弟である太陽神ウトゥに助けを求めた。ウトゥはイナンナの悩みを解決しようと、銅製の斧をかついでイナンナの聖なる園にやって来た。

ヘビは樹を立ち去ろうとしないばかりかウトゥに襲いかかろうとしたので、彼はそれを退治した。ズーは子供らと高く舞い上がると天の頂きにまで昇り、そこに巣を作ることにした。リリスは自らの住居を破壊し、誰も住んでいない荒野に去っていった。

ウトゥはその後、樹の根っこを引き抜きやすくし、銅製の斧で輝く王冠と輝くベッドをイナンナのために作ってやった。イナンナは「他の神々と一緒にいる場所ができた」ととても喜び、感謝の印として、その樹の根と枝を使って「プック(Pukku)とミック(Mikku)」(輪と棒)を作り、ウトゥへの贈り物とした。(Wikipedia:Inannaより)

鳥神ではなく女神の代理人が蛇神と戦うバリエーション

「英雄ディックベール」と同じく、女神の代理人である太陽神ウトゥが蛇神と戦う。
鳥神アンズーが登場するが、本話の場合は鴻八幡宮由来譚と同じで鳥も蛇も迷惑をかける存在である。ただし起源的にはイナンナとアンズーは「同じもの」と考える。イナンナが子供達を守る母女神ではなく、王権を求める強力な女神へと書き換えられたため、母性的な女神のアンズーとイナンナは分けられることとなったのだろう。

龍女

昔、お爺さんが一人の女と結婚した。そして息子が一人生まれた。ある日の夜、お爺さんが目を覚ますと妻の服が濡れていた。お爺さんがこっそり様子をうかがっていると、'''妻は大きな沼に入って(龍に変身し)、もう1匹の龍を相手に戦っていた'''。夫に姿を見られた妻は、敵と戦うために、水の中に入って去ってしまった。
残された赤ん坊が乳を欲しがって、'''足をバタバタさせて泣いた'''。お爺さんは沼に行って、道士の助けを借り、2度までそこにいた女に乳をもらうことができた。最後に女は赤ん坊の首に'''赤と青の何か'''を結びつけた。家に戻ると、道士は首にかけられたものを欲しがった。お爺さんがそれを渡すと、道士は燃え上がって焼け死んでしまった。赤ん坊はそれからはおとなしくなってすくすく育った(「龍女」、韓国昔話集成2、崔仁鶴編、悠書館、p263-265)。

鳥女神ではなく蛇女神が蛇神と戦うバリエーション

鳥女神も世界樹も登場しないが、世界樹と悪しき蛇神が一体のものであるなら、龍女と戦う龍神は世界樹でもある、といえる。沼に消えた龍女は残された家族に形見を残すが、この点がいわゆる「蛇婿譚」と連続して関連する話といえる。世界樹の頂点に住む鳥女神が蛇神と戦う、というとイラン・インド系の印欧語族の神話という印象を受けるが、龍女が悪龍と戦う、となると、同じ起源と思われる神話がぐっと東アジア的になる、と個人的に感じる(「龍女」参照のこと。)。

アダムとエバ

アダムの創造後実のなる植物が創造された。アダムが作られた時にはエデンの園の外には野の木も草も生えていなかった。アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる種類の木があり、その中央には生命の木と知恵の木と呼ばれる2本の木があった。それらの木は全て食用に適した実をならせたが、主なる神はアダムに対し善悪の知識の実だけは食べてはならないと命令した。なお、命の木の実はこの時は食べてはいけないとは命令されてはいない。その後、女(ハヴァ)が創造される。蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。女はその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆ったという。

この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す。アダムが女をハヴァと名付けたのはその後のことであり、主なる神は命の木の実をも食べることを恐れ、彼らに衣を与えると、2人を園から追放する。命の木を守るため、主なる神はエデンの東にケルビムときらめいて回転する炎の剣を置いた(旧約聖書、創世記より)。(Wikipedia:アダムとエバより)

変形著しいヴァリエーション

鳥女神対蛇神の対立の物語からかなり趣が変わっているけれども、悪しき蛇神、樹木が登場する点から「蛇神と戦う鳥神」から派生した話だと分かる。
鳥女神対蛇神の対立神話は、鳥女神が勝利する物語が多いように思うのだが、ガルーダの母親が蛇神達の母親に騙されて奴隷にされてしまったという筋書きもある。最終的にはガルーダが勝利するのだが、母女神は「騙された敗北者」である。エバも蛇神に騙されて楽園を失う。もしかしたら、鳥女神対蛇神の神話は、起源は同じでも
  • 鳥女神が勝利するパターン
  • 鳥女神が騙されて敗北するパターン
の2種類があったのではないだろうか。日本の天照大神は、最初に須佐之男を疑って敗北し、次に狼藉を行う須佐之男に勝利して弟神を高天原から追放している。ガルーダの母親の神話、エバの神話は後者から発展したものなのではないか、と考える。鳥女神がまず敗北し、次に息子神の助けを得て勝利する、というモチーフはエジプト神話のイシスとホルスの神話に似る。
鳥女神が勝利する場合、女神は「養母としての女神」、敗北する場合、特に女神が亡くなる場合には「吊された女神」となると考える。ただし、ガルーダの母親やエバのように、敗北しても死にまでは至らない場合、あるいはイシスや天照大神のように敗北と勝利の双方が含まれる場合など、「養母としての女神」と「吊された女神」が混在した中庸的な場合が多いのではないだろうか。