天狗食日月
2025/12/21
一般的な天狗食日月譚
この神話は現在、中国全土に広まっている。民間では他に「蝦蟇が月を食べる(月蝕蝦蟇)」というものもある。昔々、太陽神と月神が、人間の起死回生の薬を盗んだ。人々は犬に月と太陽を追いかけさせた。しかし、月神と太陽神はすでに薬を飲んでいたので、犬が月と太陽を噛んでも噛んでも、月と太陽は死なない。それでもこの犬は諦めない。常に月と太陽を食う。それで、日食、月食が起こるのである。(『紅河イ族辞典』より)
河北省保定の中秋節に関する伝説
毎年八月十五日の深夜、天上には天狗神が現れ、月を呑むと言われている。奇妙なことだが、この天狗神は'''口はあるがのどがない'''。大口を開けて月を呑むが月はその腹に収まることはなくのど元から吐き出されるのである。吐き出しては又呑む。それを何度も繰り返して簡単にあきらめることはない。月の神はこれを耐えがたく思って下界の人民に指示をだし、様々な大声を出して天狗を驚かし追い払うようにしたのである。そんなわけで毎年この夜には民間では爆竹を放ち、鉄鍋を鳴らし、銅盆をたたく。太鼓をたたくものもある。それは天狗を脅かしているのである(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))。
考察
この場合の「天狗神」は明らかにインド神話のラーフに相当するように思う。また、饕餮の特徴とも一致する。民間習俗(『中国民間禁忌』より)
民間では日月食は天狗がこれを食べたからだと言う。皆既日月食は食べられ排泄された、と考えて不吉で不作である。部分日月食は食べきれずに吐き出したと考えて吉、豊年であるとする。人々は日月食があると銅鑼を鳴らし、太鼓を叩いて天狗を脅し日月を救おうとする。(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))天狗食(日)月の歴史を推察する
犬との約束
苗族の伝承。神話史詩「金銀歌」は次のように言う。英雄昌札が日月を射た時、最後に残った一対の日月を傷つけた。人々は天狗に日月を治療するように頼み、天狗に五十斤の米を与えることを約束した。しかし天狗が日月を治療したあとも人間はその約束を果たさなかったので、腹が減ると日月を食べるようになった。それが日月食である(犬(3) 狗食日月、神話伝説その他、eastasian、00-01-18(最終閲覧日:22-10-23))。考察
苗族の話では、犬神は日月を癒す医薬神として現される。瑞兆としての犬神の姿がまだ残されているとは言えないだろうか。犬神は日月を食べるが、それは人間の方が約束を破ったから、とされる。善神だった犬神が、次第に人を襲い窃盗を行う悪神へと変化させられていく過渡期の伝承ではないだろうか。おそらく天狗の伝承としては古い部類のものと考える。犬神が約束を果たしたのに、人間の方が約束を守るのを嫌がる点は槃瓠の伝承を彷彿とさせる。おそらく起源的には槃瓠の伝承と同じ話なのではないだろうか。
雉も鳴かずば(長野県信州新町)
犀川という川のほとりに小さな村があった。そこには父親と幼い娘が二人で暮らしていた。母親は村の洪水で亡くなっていた。ある日、娘が重い病にかかって寝込んでしまった。娘は食欲が進まず「小豆粥が食べたい」と父親に話した。家は貧しくて小豆や米が無かった。父親は村の地主の倉庫から米と小豆を盗み、小豆粥を娘に食べさせた。小豆粥を食べたおかげか娘の体調は回復した。一人で遊んでいた娘は「あずきまんま食べた」と歌いながら鞠つきをした。この歌を近所の村人が聞いていた。
その夜から激しい雨が降り出し、洪水が起きそうになった。村人達は川の氾濫を鎮めるために咎人を「人柱(ひとばしら)」にしようと相談した。村人の一人が千代の手鞠唄の事を皆に話して、父親が小豆と米を盗んだことを教えた。その後父娘の家に役人が押し寄せ、父親は「人柱」として川のほとりに埋められてしまった。父親が人柱にされた原因が自身の手鞠唄であった事を知り、娘は毎日泣き続け、誰とも口を利かなくなり村から姿を消した。
数年後、ある猟師がキジの鳴き声を聞いて鉄砲を撃った。猟師がキジが落ちた所に向かうと、そこに撃たれたキジを抱きかかえた若い娘が現れた。その娘は「キジよ。お前も鳴かなければ撃たれずに済んだのに」とキジに語り掛けた。猟師はその若い女が消えた娘である事に気づくが、娘は撃たれたキジを抱きかかえてどこかへ消えて行ってしまった。その後娘の姿を見た者は誰もいない(まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - キジも鳴かずば, http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?, id=55, nihon.syoukoukai.com, 2021-12-02)。
考察
この話では父親に「医薬神」としての性質があることが分かる。苗族の犬神と性質が一致する。医薬神が米など(穀物)を求めるところは苗族の伝承と同じだが、本話では父親は自ら米を盗んでおり、悪質な行為は苗族の伝承よりも進んでいる。父親は娘を癒そうとしていたのだから、苗族の伝承と比較するに、娘は日月のいずれか、あるいは両方と考えられる。父親が亡くなった後、娘が消えてしまうのは「日月食」を擬人化しているといえる。娘は誰かに食われるのではなく、悲しみで自ら身を隠してしまう。日本神話では、天照大神は岩戸に身を隠す際に、やはり怒りや悲しみで自ら身を隠してしまうので、その点は共通している。日本では、日月は食べられて姿を隠すのではなく、自ら進んで身を隠し、その内に出てくるもの、と考えられていたようだ。
再び出現した娘は、猟師に撃たれた雉と同一の存在のように、今度は永遠に消えてしまう。この部分は天狗食ではなく、羿が太陽を射落とした話に似たモチーフなのかもしれない。羿神話で射落とされた太陽達は戻ってこない。いったん消えた(死んだ)太陽は月に変じるもの、とすると、羿神話の嫦娥は死ぬ前(月に上る前)に太陽女神だったと推察されるが、「雉も鳴かずば」の場合は再出現した娘が月女神だと考える。同じ娘でも、最初に消える前は太陽女神、猟師の前に現れたのは月女神なのだろう。鳥に変じて射落とされた月女神は永遠に消えてしまう。
あるものが「死」を契機に別のものに切り替わるように化生していく話としては、豊後国風土記の「鳥が餅に変わる話」がある。この場合、鳥は「太陽女神」、死して変化した餅は「月女神」、そして更に芋に変わってしまうところはハイヌウェレ神話である。太陽から月に、月から芋へ鳥神は変わってしまう。日本では「不老不死の薬」に替わって餅が月女神の化身なのだ。
「雉も鳴かずば」では「霊薬」は餅よりも更に庶民的なアイテムの「小豆粥」に変えられている。信州新町は山間部で、稲作が難しい地域だったので古代においては餅ですら簡単に手に入らないもので、餅はそれこそ庶民にとっては「不老不死の薬」と同じくらいお目にかかれないものだったのだろう。米と小豆で作ったお粥が庶民の考え得る最高級アイテムだったと思われる。
苗族の伝承に似ているが父親は「犬」ではなく「人間」として現される。思うに「犬祖」を持たない人々にとっては、「犬祖」とされる人々の先祖は医者だったとしても、単なる「犬」である。しかし「犬祖」を持つ人々にとっては、先祖が「犬」と呼ばれてさげすまれているだけで先祖は人間であって当然だ。信州新町界隈には、古代の犬神信仰の片鱗もかすかにみられ、かつては犬神が当たり前のように信仰されていたのではないか、と想像する。もしかしたら祖神として祀っていたのかもしれない。
要するに、医薬神である天狗が「犬」で現されるのは、犬族以外の人々が差別しているから犬の姿なのであって、犬族の人々の中では彼は「人間」として語られてもおかしくないのではないだろうか。「犬祖」を持つ人々にとっては、彼は犬ではなく人間なのだ。
また本話では女神は消されたまま放置される。長野県内には、太陽女神とおぼしきものが悪神として封印されていたり、崖から突き落とされたりする、といった太陽女神に敵意を感じる祭祀を行っていることろがいくつかある。いずれも金刺氏が有力な地域であり、信州新町も水内郡の金刺氏の拠点の一つなので、これらの伝承を伝えたのは当然金刺氏であろう。表向きは「天狗食日月」と関係ない話にみえて「太陽女神と月女神は封印されて消えてしまえばいい。」という執念を感じる伝承群である。日月女神が消えてしまえば、後に芋を残さなくても、彼女の権威と権力が残る。考えすぎかもしれないが、まるで金刺氏が長野県の中で連動して「太陽女神をまず崖下に突き落として月女神に変える(水無神社)」「月女神を射殺す(雉も鳴かずば)」「そして彼女を冥界に封印する(先宮神社)」という流れを作っているようにすら感じられてしまう。
それはともかく、最後に射落とされた娘(鳥)が消えてしまうところは、射日神話的でもあるし、穀物が鳥に姿を変えて逃げてしまう、という台湾の「穀霊逃亡」に類する話にもみえる。
父親の中に医薬神としての姿が残っているので、起源的には苗族の伝承に次ぐ古さを持つ伝承と考える。
まるで日月を食べる「天狗」とは父親なのではなく、女神達の権力を狙う語り手達の方だと感じてしまう話である。
ラーフ(インド神話)
乳海攪拌のあと、神々とアスラは不死の霊薬アムリタをめぐって争い、アムリタは神々の手にわたった。神々は集まってアムリタを飲んだが、その中にラーフというアスラが神に化けてアムリタを口にした。それを太陽と月が発見し、ヴィシュヌ神に知らせた。ヴィシュヌ神は円盤(チャクラム)を投げてラーフの首を切断したが、ラーフの首は不死になってしまった。ラーフの首は天に昇り、告口したことを怨んで太陽と月を飲み込んでは日食や月食を起こす悪星になったという。→ラーフ
考察
日月が告げ口したせいで犯人が罰される点は「雉も鳴かずば」と同じである。ラーフは怒りで首だけの怨霊と化し、日月を追い回して食べようとする。「雉も鳴かずば」で亡くなった父親が怒りで怨霊と化して、娘を追いかけ回して食べてしまっていた、という話だったら、ちょうどこの神話とほぼ同じ話になりそうである。「雉も鳴かずば」よりも天狗の悪質さが増している。しかも天狗は単なる泥棒になってしまい、誰かのために盗みを行ったわけでもなくなっている。そして、一方で霊薬を盗み、一方で日月を追い回す、というモチーフが作り上げられ、二つのモチーフが組み合わさったり、別々に語られたりして「天狗食日月」の伝承は各地で作られていったように思う。またラーフという言葉は子音からみて、「阿父」という言葉と関連するのではないだろうか、と個人的に思う。
さまざまな天狗食日月の話
三兄弟と犬
ハニー族の先祖のである三兄弟は不老不死の薬を持っていたが、月神に盗まれた。三兄弟は長い梯子を作って天に昇り、薬を取り戻そうとしたが、月神が梯子を倒したため三兄弟は地面に落ちた。彼らの飼っていた犬が天に昇って月を噛んで薬を取り戻そうとするので月食が起きる(『中国文学大事典・下』より、天狗食べ日(月)考、王鑫、怪異・妖怪文化の伝統と創造ーウチとソトの視点から、2015、巻45、p67)。羿神話
伝説によると、后羿が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、后羿の妻である嫦娥はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から后羿の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の嫦娥の後を追った。嫦娥は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、嫦娥に飛びかかり、月を飲み込んだ。月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と嫦娥を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。
ビルマの天狗
ビルマの伝説では、月が天狗に飲み込まれたのは、死者を蘇らせ、病人を癒すために主人の臼と杵を盗んだからだと言われている(李谋, 《缅甸文化综论》, 2002-08, 北京大学出版社, 中國, isbn:9787301058312)。おもっつあん(大餅さん)(島根県)
秋鹿の大日如来はばくちに負けた腹いせに松江市八雲町の星上寺から大餅を盗んで帰られた。それにちなんで、正月に大きな餅をついて、院大日堂に奉納する(大日堂御頭行事 “おもっつぁん” (だいにちどうおんとうぎょうじ おもっつぁん)、水の都・松江(最終閲覧日:25-01-08))。考察
天狗食日月の伝承は、古い時代には「盗まれるもの」が米のように、貴重品だけれども具体的かつ日常的なものだった。しかし、時代が下り各地で神話が拡張されて、神々が壮大で神秘的なものになるにつれ、「不老不死の霊薬」とか「アムリタ」とか現実の世界には存在しない神々しいアイテムに変更されていったように思う。また苗族の「犬との約束」、羿神話、日本の「雉も鳴かずば」では、「太陽を射落とす話」と組み合わされて語られている。天狗食日月は「射日神話」に関連の深い話であることが分かる。「太陽を射落とせば射日神話」、「射落とされた太陽(すなわち月)から何かを盗めば天狗」となる、といったところなのかもしれない。
ただし、苗族の神話では天狗は日月を癒そうとしているので、古くは「太陽を射落とせば射日神話」、「射落とされた太陽(すなわち月)を癒すのが医薬神・天狗」という話だったのかもしれない。ヒッタイトの神話には、地上に落ちてきた月神を、神々が祭祀を行い天に戻す、という話がある。これらから察するに、「天狗食日月」は古くは「余計な太陽を射落とす話(太陽は月に変化、射日神話)」+「必要な日月を癒して呼び戻す話(招日月神話)」だったのだと思われる。いわゆる「間引き」のようなものといえようか。日と月をあるべき姿でバランスよく機能させるためには人為的な調整が必要と考えられたのだろう。
このように考えると「雉も鳴かずば」の娘は最初に消える前には「太陽女神」であり、次に現れた時には太陽がいったん死んだ「月女神」だったと思われる。射落とされた鳥女神(月)が芋に変じてしまえば「ハイヌウェレ神話」、飛んで逃げてしまえば台湾の「穀霊逃亡」である。「雉も鳴かずば」は娘が何も残さずに消えてしまうので、台湾の「穀霊逃亡」に近い話といえる。
日や月を射る話は台湾原住民の伝承にもあるが、日か月の一方を射る話もある。台湾に伝播した時点で、すでに原型が失われて変形が始まっている伝承なので、起源的には7000年以上前に遡る古い伝承である。ただし天狗が日月を追いかける話になるのは、かなり時代が下ってからと考えられ、台湾の伝承には天狗は登場しない。
おもっつあん(大餅さん)について
窃盗犯が大日如来、という珍しい伝承である。博打をしたり、窃盗をしたり、仏教の如来にはふさわしからぬ所業だが、如来の所業にされているだけで、仏教渡来よりも古くからある伝承と考える。餅は「月女神」の化身でもあり、彼女のアイテムでもあるので、元は「天狗食日月」に近い話だったと思われるが詳細は分からない。星上寺から盗んできた、とあるが星上寺のある星上山(出雲国風土記では荻山)は星神・香香背男が祀られている地でもある。如来は悪い星神・香香背男が盗んだ餅を取り返してくれた良き神だったかもしれないし、逆に香香背男自身だったのかもしれない。あるいは、本当は星神山から盗んできたのではなく、近くに住む秋鹿神社の秋鹿日女命から盗んだのかもしれない。でなければ、星神山には「星の池」という池があるので、そこに降りてきた餅鳥女神の羽衣を奪って餅鳥女神を盗んできたのかもしれない、とあれこれ想像はできる。また、餅が奉納されるのだから、盗品とはいえ、餅は苗族の伝承のように、本来大日如来になにがしかの報酬で与えられるべきものだったのかもしれない。
いろいろと想像をたくましくしてしまう伝承だが、「餅(月女神のアイテム)を盗む」という部分から天狗食日月に関する話と考えたので挙げてみた。「荻」という字は「獣偏に火」が含まれ「火神かつ犬神であったもの」が連想される言葉と考える。この神は羿神話の黒耳のような神だったと想像する。信州新町の古名も「荻野」といった。
その他
張仙が天狗を撃った話
天の星が子供として生まれ変わるために地上に降りてくるのを天狗が邪魔していたので、ある男が天狗を打ち払って、人々が問題なく子供を得られるようにした。そのため、この男は張仙と呼ばれるようになった。月神が盗んだもの
月神は不老不死の薬を盗んだ、と言われている。中国では、この薬の原料を月で月兎が臼と杵でついている、と言われる。ビルマの天狗は薬ではなく、薬を作るための臼と杵を盗んだのだろう。日本で月兎が臼と杵で作るのは餅とされている。ということは中国の伝承の中で「不老不死薬を盗む」とされている点は、日本では「餅を盗む」とされていてもおかしくないのではないか。餅は「ハレの日」の縁起の良い食べ物であると考える。伝承の中で盗まれる場合には、特に「病を治す」という効能のある特別な餅だったのではないか。また日本やインドの例にあるように「天狗」とは中国以外では必ずしも犬の姿ではないことが分かる。
羿神話を読むと、天狗・黒耳は最後に月ごと嫦娥を飲み込むのだから、黒耳自身も不老不死の薬を飲んで、不老不死となったと思われる。すなわち「不老不死となった者」は、
月神、犬、首だけの怪物、人間
と多彩であるが、彼らは不老不死の薬を盗むか、盗んだ者を食すかで不老不死となる。人が盗んだものを、元の持ち主に戻さず、盗品と知っていて食べてしまったら、それも間接的な窃盗ではないだろうか。現代的にいえば、道に落ちていたお金を警察に届けず、黙って自分のポケットに入れてしまうようなものである。
ともかく、天狗は様々な理由で月を食べる。食べるだけでなく、なにがしかの「霊薬」を盗んで自分のものにしてしまう。おそらく月神と天狗は元は同じものだったのだろうが、月の満ち欠けを「食べられた」という事象と結びつけたくて「犬に食われた」ということにしたのだろう。
本来、犬神は瑞兆を現す善神だったのに、それを悪神に変えたくて、窃盗する月神と習合させてしまったものが黒耳なのかもしれない。そうして「窃盗する犬月神」を再び月神と犬神に分離したので、「月」という名前の犬神が月を追いかけ回すような伝承が作られたのではないか、と思う。むしろ
- 犬神(善神)が泥棒の月神(悪神)を食べる。
- 泥棒の犬神(悪神)が月神(善神)を食べる。
月神と犬神、どちらも元は似た窃盗型の神だったのだろうが、全体としては異形のものを含めて犬神(天狗)の方が泥棒として扱われる話が多いと感じる。