Today is new day.
プロフィール
私は子供の頃、長野市信州新町に住んでいました。
私の家はたぶん旧家の出身だったと思います。

「たぶん」というのは、私が詳しくそのことを知らないからです。
何故なら我が家は分家の分家で、しかも父親が分家の四男でした。
長野の田舎の公式な親戚づきあいは家同士のお付き合いになります。
分家の分家、ということは逆に考えれば、本家(祖父の実家)、
その上に総本家(曾祖父の実家)がある、ということになりますが、
本家(祖父の実家)と付き合うのは祖父の兄弟姉妹とその跡取りくらいまで、
総本家(曾祖父の実家)と付き合うのは本家(祖父の実家)の跡取りの家系、
というのがしきたりです。大抵の場合、跡取りとは「長男」のことです。

我が家は祖父が曾祖父の次男、で、父親が祖父の四男だから、
要は我が家は縁遠い一族の中の親戚づきあいに顔を出す家ではないのです。
しかも、個人的にも親しくないので、父親が家系のことに詳しくないのです。
だから、私が自分の家系で知っていることは誰かから断片的に「また聞き」
したりして、なんとなく知っていることでしかないのです。

でも、少なくとも江戸時代に財産を売って、商売を始めた家だということは
分かっていますので、江戸時代には「地主」と呼ばれるような家柄だったことは
分かっています。信州新町界隈の田舎は地域社会の人間関係を変えるような
大きな動乱がほぼありませんでしたので、中世くらいの身分関係がそのまま江戸時代まで
残っていることが多いのです。人間関係を変えるような政治的、社会的変化が
あれば、それは地域の歴史に残っているはずです。

だから、たぶん、室町、鎌倉と時代をさかのぼっても、我が家は地主だったり、
ちょっとした小領主であった可能性は高いと思うのです。これは私の想像です。

我が家には「門外不出の口伝」というものがあるそうです。それは、

お祭りに旗上げしない

というものでした。これは親戚の方から母親が聞いたことです。私の母親は一族の者では
ありませんから、そもそも母親に話した時点で駄目なのでは、と思います。
で、話してくれた人は

「我が家の家系は立派な家柄なのだから、日頃の行いも立派でないといけない。」

と親から言われて育ったそうなのです。でも、それ以上のことは母親に教えて
くれなかったので、私も聞いていませんし、どこまで本当のことなのかも分かりません。

それから、我が家の先祖は尾張国(愛知県)から来て、
それにちなんだ名字を名乗っている、とちょっと別のところから聞いたことも、
あるかも、ということがあります。

だけど、ここで疑問に思うことがあります。先にも述べましたが、信州新町界隈の田舎は
歴史的に人の流れが少ないし、そういう家があれば、千年くらいは噂になって、
住民全員がその家のことをよそ者だと知っている、とそういう閉鎖的なところです。
でも、うちの家系のことを「よそから来た家」ということは、自分たちでは
言っているかもしれないけれど、他の人から聞いたことがありません。
町の中では、あくまでも「旧家」です。お金持ちであるかどうかまでは知りませんが。

そして、もう一つ奇妙なことがあります。同じ町内に、同じ名字の家があって、
たぶん親戚なんだろう、と思うわけです。血縁関係が遠くなれば、親戚づきあいは
やめてしまうかもしれませんが、どういう親戚なのかくらいは誰か知っていそうです。
でも、誰も知っていそうもないし、教えてもくれない。すぐ近所に住んでいるのに?

そう、我が家は、「どう見ても親戚だと思うけれども」どうつながっているのか
分からない親戚
、というのが多い家系なのです。なんだか変な家だって
思いませんか?

Creation date 25/01/05-14:46 / Last modified 25/01/05-15:31


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