ディオニューソス

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ディオニューソスΔΙΟΝΥΣΟΣ, Διόνυσος, Dionȳsos)は、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。ゼウスとテーバイの王女セメレーの子。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」を意味する)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。

聖獣は牡山羊牡牛牡鹿イルカロバで、聖樹は葡萄であり、先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴となる。

日本語では長母音を省略してディオニュソスデオニュソスとも呼ぶ。別名にバッコス(Βάκχος, Bakkhos)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルと、エジプトではオシーリスと同一視された[1]

神話[編集]

誕生[編集]

ヘーラーは、夫ゼウスの浮気相手であるセメレーを大変に憎んでいた。そこで、彼女に「あなたの愛人は、本当にゼウスその人かしら?」という疑惑を吹き込んだ。セメレーは内で膨らむ疑惑に耐えきれず、ゼウスに必ず願いを叶えさせると誓わせた上で、「ヘーラー様に会う時と同様のお姿でいらしてください」と願った。ゼウスは仕方無く雷霆を持つ本来の姿でセメレーと会い、人間であるセメレーはその光輝に焼かれて死んでしまう。ゼウスはヘルメースにセメレーの焼死体からディオニューソスを取り上げさせ、それを自身の腿の中に埋め込み、臨月がくるまで匿ったという[2][3][私注 1]

ヘーラーの狂気[編集]

生まれたてのディオニューソスは、セメレーの姉妹であるイーノーに渡された。ディオニューソスは娘として育てられ、夫アタマースはこれを黙認していた。しかし、ヘーラーは、このことを憎んでアタマースに狂気を吹き込んだ。アタマースが白い鹿を見つけて矢を射たところ、殺したのはイーノーとの息子レアルコスだった。またイーノーも狂気に駆られ、沸騰したお湯の入った鍋にもう一人の息子メリケルテースを入れて殺し、その遺体を抱いて海に飛び込んだという[2]。別の伝承では狂気に駆られたアタマースはレアルコスの体を八つ裂きにした。イーノーはメリケルテースを抱いて逃げたが、アタマースに追いつめられ、母子ともに海に身を投げた[4]。またディオニューソス自身も狂い彷徨うことになるのだが、キュベレーによって狂気を解かれたともいわれる。ゼウスはディオニューソスを育てた恩義に報いてイーノーを女神レウコテアーとし、メリケルテースは海神パライモーンとなった[私注 2]

布教の遍歴[編集]

その後、ディオニューソスは、ブドウ栽培などを身につけて、ギリシアやエジプト、シリアなどを放浪しながら、自らの神性を認めさせるために、信者の獲得に勤しむことになる。彼には踊り狂う信者や、サテュロスたちが付き従い、その宗教的権威と魔術・呪術により、インドに至るまで征服した。また、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖される存在ともなった[私注 3]

ワインの伝来については、次のような神話がある。各地を遍歴したディオニューソスはアテーナイの近くイーカリアー村で農夫イーカリオスのもてなしを受けた。ディオニューソスは大変に感謝し、返礼としてイーカリオスに葡萄の栽培と、ワインの製法を伝授した。イーカリオスは出来上がったワインを山羊皮の袋に入れ、村人たちに振舞ったが、初めて酒を飲んだ村人[酔いが理解できず、毒を盛られたと誤解してイーカリオスを殺害してしまった。その死体を見た娘エーリゴネーは悲嘆の余りその場で首を吊った。事の次第を知ったディオニューソスは怒り、村の娘全員を狂気に陥らせ、集団縊死に及ばせた。やがて誤解と知った村人たちの手で哀れな父と娘は供養され、ここにディオニューソスの怒りも収まり、同地は葡萄の産地として名を知られるようになった[私注 4]

エウリーピデースの悲劇『バッカイ』の中では次のような物語がある。ディオニューソスは故郷であるテーバイで、叔母にあたるアガウエーアウトノエーイーオーが母セメレーを中傷していることに怒り、信女たちを引き連れてテーバイを訪れ、現地の女たちを狂わせて山中で生活させていた。それを知った王ペンテウスはディオニューソスの神性を信じず、また彼の祭儀を淫らでいかがわしい物に違いないと決めつけた。彼はディオニューソスを捕えて問答し、その結果、その「いかがわしい」祭儀を覗きたい欲求に駆られて、唆されるままに山へと赴く。そしていざ盗み見ようという時、ディオニューソスの指示で一斉に飛び出した信女達の手によって、八つ裂きにされてしまうのだった。彼を八つ裂きにした女達の指揮を執っていたのは、ペンテウスの母アガウエーであった[私注 5]

また、彼は海賊に捕らえられたこともある。ディオニューソスを高貴な生まれの貴公子と勘違いした海賊に捕らえられ、船上に連れて来られた。海賊達は彼を縄で縛ろうとしたが、自然と緩くなってしまい、何度試みてもうまくいかない。ここで海賊の一人ヘカトールがディオニューソスの神性に気付き、助け出そうとしたが、時既に遅し、海賊船に葡萄酒が満ち、葡萄の蔓が絡みついて、房がたわわに実ったのである。その上、ディオニューソスは獅子へと変じ、船の中央にを召喚した。それに度肝を抜かれた海賊たちは海へと飛び込み、そのままイルカへと変貌させられてしまった。ただし、いち早くディオニューソスに気付き、助けだそうとしたヘカトールだけは助かり、彼はその後ディオニューソスの熱心な信者になった[私注 6][私注 7]

こうして熱狂的な信者を獲得し、ディオニューソスは世界中に自分の神性を認めさせた。更に、冥界へと通じるとされる底無しの湖に飛び込んで、死んだ母セメレーを冥界から救い出し、晴れて神々の仲間入りをしたという[5]

神となった後[編集]

神に仲間入りを果たした後、ディオニューソスはヘーラーとも和解している。ヘーラーは息子ヘーパイストスの罠に掛かり、黄金の椅子に拘束され身動きが取れなくなっていた。神々はヘーラーを解放させるため、ヘーパイストスをオリュンポスに招待するが、母に捨てられた憎しみから、彼は応じない。そこで、ディオニューソスはヘーパイストスに酒を飲ませ、彼を酔わせた状態でオリュンポスに連行しようと考えた。この功績により、彼らの和解が叶うところとなった。

また、彼はオリュンポス十二神の一柱として数えられることもある。これは、元々十二神だったヘスティアーが、彼が十二神に列せられないことを哀れんで、その席を譲ったためとも言われている。

オルペウス教[編集]

ディオニューソスの神話には、オルペウス教の基礎となる次のような異説もある。ゼウスはヘーラーの実の母レアーと交わりペルセポネーを産ませた。そして、蛇に化けてペルセポネーに近づき、跡継ぎとしてザグレウスを産ませた(ザグレウスは単にデーメーテールとの間に産まれた子という説もある)。ところが、ザグレウスは嫉妬に狂ったヘーラーが仕掛けたティーターン族に襲われ、数々の動物に変身して闘うもになったとき捕らえられ、八つ裂きにされ食われてしまった。アテーナーがその心臓を救い出し、ゼウスがこれを飲み込んだ。後に生まれたセメレーとの間の子の心臓は、本来ザグレウスのものであった。この神話はディオニューソスがかつて農耕神であったことを反映していると考えられる(死と再生の神)[私注 8]

ティーターン族はゼウスの雷霆によって焼き払われ、その灰が今の人類になったという。この灰にはティーターンの肉とザグレウスの肉(喰らったため)が混ざり合っており、そのため、ディオニューソス的要素から発する霊魂が神性を有するにもかかわらず、 ティーターン的素質から発した肉体が霊魂を拘束することとなった。すなわち、人間の霊魂は「再生の輪廻(因果応報の車輪)」に縛られた人生へと繰り返し引き戻されるのである。この輪を脱するには、ディオニューソス的な神性を高める必要があったとされる。

信仰[編集]

本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していた。この信仰はその熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていたが、民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニューソスをギリシアの神々の列に加える事となった。この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に反映されている。またザグレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにもディオニューソス信仰の形成過程をうかがわせる。

しかし、実際にはミケーネ文明の文書からゼウスやポセイドーンと同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼる。ギリシア人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようである。

アテーナイを初めとするギリシア都市ではディオニューソスの祭り(ディオニューシア祭)のため悲劇の競作が行われた。悲劇の起源はディオニューソスに関する宗教儀式であり、そこに叙情詩の会話形式が加わって、悲劇が大成したと考えられる。

狂気について[編集]

月はまた,英語lunatic(ラテン語で月を意味するlunaに由来する)などの語に見えるように,しばしば精神の異常と結びつけられるが,これは月の霊気が人間に流入して狂気におもむかせるという伝統的な観念にもとづく。【有田 忠郎】[6]

哲学[編集]

フリードリヒ・ニーチェは、ディオニューソスを陶酔的・激情的芸術を象徴する神として、アポローンと対照的な存在と考えた(『音楽の精髄からの悲劇の誕生』もしくは『悲劇の誕生』)。このディオニューソスとアポローンの対比は思想や文学の領域で今日でも比較的広く知られており、「ディオニューソス的」「アポローン的」という形容、対概念は、ニーチェが当時対象としたドイツ文化やギリシア文化を超えた様々な対象について用いられる[私注 9]

劇場[編集]

ギリシアのアテーナイのアクロポリスの南斜面には、ディオニューソス劇場がある。1万5千人以上を収容できる、すり鉢状の野外劇場で、[紀元前6世紀]頃の建造物とされる。紀元前4世紀(ローマ時代)に改築された当時のものが現在でも残っており、ディオニューソスの生涯をモチーフとしたレリーフなども見ることができる[7]。この劇場は、毎年春の大ディオニューシア祭において、ディオニューソスに捧げる悲劇(ギリシア悲劇)を上演するために用いられたことで特に知られる。

私的考察[編集]

ディオニューソスは月に住んでいるわけではないのだが、月の女神であるアルテミスの化身の熊を使役したり、アルテミスの巫女ともいえるマイナデスを信徒としている。人々を狂気に落とし入れる神でもあり、「月」と非常に関連が深い神である。他者を殺す神である点は、日本神話の月読命と類似している。その点は黄帝型神、といえるかもしれない。また、彼の「殺戮」には人身御供の意味も伴うように思う。植物神であるところは「炎帝型神」といえる。

また、ディオニューソスは「二度生まれた者」と言われており、インド神話のヴィシュヌに類似した神といえるように思う。また、北欧神話のオーディンにも通じる神ではないだろうか。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:ディオニューソス(最終閲覧日:22-10-16)
    • アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波書店、1953年。ISBN 4-00-321101-4。
    • エウリーピデース『バッカイ―バッコスに憑かれた女たち』逸身喜一郎訳、岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-321063-5。
    • 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店、1960年。ISBN 4-00-080013-2。
    • 周藤芳幸・澤田典子『古代ギリシア遺跡辞典』東京堂出版、2004年。ISBN 4-490-10653-X。
  • lunatic、コトバンク(最終閲覧日:22-10-16)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

私的注釈[編集]

  1. その誕生が「母の死」と関連するところは、中国神話の、日本神話の火之迦具土神に似る。
  2. 子供を鍋で似て殺すところは河姆渡式の幼児供犠を思わせる。
  3. 西洋では月が人間を狂気に引き込むと考えられ、英語で "lunatic"(ルナティック)とは気が狂っていることを表す。(Wikipedia:より(最終閲覧日:22-10-14))
  4. 酒の産生も人身御供と関連していたことが示唆される。
  5. 身内を殺す点も中国神話のと類似している。
  6. 自らを信仰しない者に死や罰を与える、という苛烈な思想がディオニューソス信仰にはあることが分かる。その一方で信者に対しては酒を与えて、「狂気」に陥らせる神であるともいえる。みな、酒ほしさに身内でも殺す、ということはあったかもしれないと思う。
  7. ディオニューソスには「」を召喚し使役することができる神とされている。熊はアルテミスのトーテムである。
  8. <これはミーノータウロスの物語と対になる神話であると考える。ミーノータウロスは悪の相といえる存在だが、ザグレウスは善(無垢)相なのである。どちらの「死」と「生」にもアテーナー関連の女神が関係する。そして、ディオニューソスもザグレウスも、いったん死んで再生された、中国神話で述べるところの「鬼」であることが分かる。植物神でもある。
  9. ディオニューソスとアポローンは「芸能神」という枠の中で対照的であるだけなので、元は「同じ神」といえる。

参照[編集]

  1. 『ギリシア・ローマ神話辞典』pp.151-153
  2. 2.0 2.1 アポロドーロス『ギリシア神話』3巻4・3。
  3. 逸身喜一郎訳『バッカイ―バッコスに憑かれた女たち』訳注(p129)
  4. オウィディウス『変身物語』4巻。
  5. ディオニューソスの境界神としての性質を示す。
  6. lunatic、コトバンク(最終閲覧日:22-10-16)
  7. 『古代ギリシア遺跡辞事典』p80