共工

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共工(龔工、きょうこう)は、古代中国神話に登場する神。四罪のひとりにあげられている。

概要[編集]

姿は人面蛇身、洪水を起こす水神とされている。『管子』「揆度」の描写では朱色の髪を持つとされる。『路史』での記述に従えば、祝融(しゅくゆう)の子供であり、炎帝の一族にあたる[1]

九首人面蛇身の家来である相柳(そうりゅう)を従え天下を乱し、不周山を破壊することで大地の崩壊をも引き起こした悪神として伝説では描写されるが、乱を起こした時代は文献ごとに定まっておらず、年代順に並べると以下の時期が並んで存在している。

女媧の時代
『史記』「三皇本紀」では女媧(じょか)氏の時代の末年に、共工が天下の覇権を狙い反乱を起こすが祝融に敗れ、不周山に頭突きを喰らわせ破壊する。女媧はこれを補修し天地が崩れるのを防いだ。『国語』では共工こそが至上帝として天地を治める神であったが、治世に失敗し、これを伏羲と女媧が修復したともある。
顓頊の時代
『淮南子』「天文訓」や『楚辞』「天問」では、顓頊黄帝の子孫)と帝の地位を争い敗れたとあり、その際、怒りにまかせて暴れ周り、天を支える柱がある不周山を破壊。そのため天柱が折れ、天が西北に傾いてしまった。中国の河川がすべて東南方向に流れるのはこのためとされている。『淮南子』や『論衡』「談天篇」では女媧による修復もこの時であるとされる[2]。康回という名で歌われている。
堯・舜の時代
『史記』「五帝本紀」や『尚書』「堯典」では堯(ぎょう)の時代には驩兜(かんとう。堯の息子である丹朱)の紹介で共工が登場しているが、両者ともに堯からしりぞけられた。幽州[3]の地において処刑されている。『韓非子』(外儲説)では堯が舜へ天下を譲ることを決めた際にそれに反対したために幽州で誅されたと語られている[4]。『淮南子』では舜(しゅん)の時代に洪水を起こして暴れ、幽州へ追放されたとある。『史記』舜本紀には、共工の子孫たちが北の方角にすむ北狄たちになったと記されている[5]
禹の時代
『山海経』の「大荒西経」には共行国という地域が登場しており、(う)の時代に共工国を攻めたとする記述がある[6]

神話学者の袁珂は、数ある共工の伝説のうちでは顓頊の時代とする文献が古いかたちのものであろうと考察しており、その存在は黄帝に属する系統と対立する者(炎帝に属する系統)の代表と目された為に四罪の代表格・悪神のような扱われ方をされているものであると見ている[1][私注 1]。女媧の時代から神話上に時を越えて千年近くに渡り執拗に登場し続けては敗北をする悪神として描かれているのは、中原(ちゅうげん)を本拠とした政権と長期にわたって敵対し羌(きょう)族が共工を信奉していたためではないかとも考えられている[私注 2]

共工の子[編集]

『風俗通義』などに「共工之子」とされる記述が見られる。

  • :天下の各地へ車や舟をつかって移動するのを好んだとされる。徂神(旅の神)としてまつられた[1][7]
  • 勾龍:顓頊を補佐し大地をととのえた后土[8]
  • (無名):死後に暦鬼になって人々にわざわいをもたらした[1]

洪水の語源[編集]

洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。

私的解説[編集]

伝承では、「黄帝と炎帝が水と火で戦った。ついで、(炎帝の子孫である)共工が反乱を起こした。」とされているようである。共工と戦った者には諸説あるようだが、包括的に考えれば炎帝側の神々は「火」を尊び、黄帝側の神々は「水」を尊ぶ傾向があると感じられる。祝融には「黄帝の子孫」とする説もあるが、炎帝の子孫ともされている。兵主神の蚩尤が「火を用いて作った武器の神」、祝融が「火の技術の神」、彼らの先祖である炎帝が「火の神」だとすれば、原則的に「火の属性」で固められているのが炎帝とその派生神と考える。同じように考えれば、黄帝とその派生神は「水の属性」である「水神」で固められている可能性がある。

管理人は、上記のように考え、共工とは黄帝からの派生神と考える。大渓文化(紀元前5000 - 3000年頃)の頃に、祝融という火神が台頭して、黄帝の地位が低下したという歴史があったように思う。黄帝は、その名前のままのものは神格化され、現代まで神として扱われるようになったが、その一部は「共工」と名を変えさせられて悪神、特に「悪い蛇神」として扱われたのではないだろうか。

大渓文化の頃より、人身御供があったと考えられており、以後、「火神の加護を求めるために人身御供を捧げる」とか、「河伯を満足させるために人身御供を捧げる」とか、そのような人身御供の風習が盛んになったのではないだろうか。共工とは人身御供を正当化するために意図的に「黄帝」から作り出された神だったと考える。共工も洪水を起こす「河伯」の一種といえる。

また、共工が作り出され、善神から悪神へと変化する移行期には共工が「善神」と考えられた時期もあったと推察される。三苗に関連して、三苗の子孫である羌族は苗姓であるとされている。一部では共工は中原の黄河文明と対立した羌族の神ではないか、とする説があるようである。この説を取れば、共工と戦った祝融は黄河文明の神のように思えるが、これは祝融を「南方の神」とすることと矛盾するように思う。共工が長江流域の神であり、羌族・苗族の神だったと仮定すれば、これは長江流域の神々の中での「火の氏族」と「水の氏族」との争いだった、ともいえるのではないだろうか。そして「火の氏族」が勝ちたいがために「善神であった黄帝を共工に変換して共工を悪神とした」のではないだろうか。黄帝も古くから長江流域で信仰されていた水神の一種だったと考える。このように考えれば、逆に「共工を悪神とした理由は、それを信奉していた羌族を悪者にしたいため」であったとも言えなくはないだろうか? 人は神をただ敬い信じるものではなく、神を政治的な目的の道具としても利用してきた歴史があるように思うからである。

現在の羌族は天神(太陽神)信仰が強い多神教で、神々を白石で表すとのことだ。「白い太陽神」が黄帝のことを指すのであれば、羌族の先祖の敵であった者たちは、これを「共工」と名をつけ、悪しき水神を拝む輩である、として羌族を攻撃したかもしれないと思う。何故そのようなことをしたかといえば、「水神である黄帝は人身御供を廃止した」けれども、人身御供とは敵を始め邪魔者を排除する有効な手段である、と考え、黄帝を正当に信仰する羌族が邪魔だったからではないだろうか。

ミャオ族は楓を神格化しており、これはまさに蚩尤の象徴だ、といえる。彼らの先祖が炎帝信仰だったとすれば、その先祖と争った雷神とは、まさに「水神である黄帝」といえる。黄帝雷神は大洪水を起こす神でもある。洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。共工は大洪水を起こす黄帝雷神だったのではないだろうか。彼が天で暴れないときには、穏やかに輝く「白い太陽神」ともなり得ただろう。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:共工(最終閲覧日:22-10-13)
  • 中国神話伝説大辞典「共工(p127-128)」「祝融(p312-313)」、袁珂著、株式会社大修館書店、1999

関連項目[編集]

私的考察[編集]

  1. 顓頊の系譜の神話は、黄帝の事績を改変するために作られたものである、と管理人は考えるので、単純に顓頊と敵対したから、炎帝側である、とはいえないと管理人は感じる。後代に作られた神話ほど、黄帝なのか炎帝なのか、それぞれの性質が入り交じってしまって判別できない神が増えていくように思う。
  2. だから殷は羌族の神を悪神とすることで、羌族そのものを「悪神を信じる悪者」ということにしてどんどん人身御供に捧げたのだろうか?

参照[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 161-165頁
  2. 出石誠彦 『支那神話伝説の研究』 中央公論社 1943年 37-39頁
  3. 古代において中国の東北にあった燕のこと。
  4. 金谷治 訳注 『韓非子』 第3巻 <岩波文庫> 岩波書店 1994年 178-179頁
  5. 『史記』舜本紀「流共工於幽陵 以変北狄」
  6. 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 233頁
  7. 『風俗通義』祀典「謹按『禮傳』≪共工之子曰脩,好遠遊,舟車所至,足跡所達,靡不窮覽,故祀以為祖神。≫祖者、徂也」
  8. 『風俗通義』祀典「『春秋左氏傳』曰≪共工有子曰勾龍,佐顓,平九土,為后土,故封為上公,祀以為社,祇。≫」