太昊型神

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太昊型神とは中国神話の太昊に類する神である。太昊は現在の山東省付近で活動したという伝承のある神である。中国神話の伏羲に非常に似ているし、同一視する者もいるが、別神と考えることが多いように感じる。おそらく、この神は「首がなく、人を襲い、貪欲に人肉を含めた食物を求める悪霊」のようなものが原型だったと考える。

  • 欠損型:台湾原住民の伝承に、「兄弟で狩りに出かけ、留守にしていた兄が狩小屋に帰ってみると弟が首なしの化け物になって襲ってきた。兄は必死に逃げてなんとか助かった。」という伝承がある[1]。体の一部が欠損している型。逆に首だけの場合もある。
  • 化け物の姿になっても「何でも食べる」ことに一生懸命な場合がある。饕餮型

この神のモデルとなった者は、特に事績が乏しく、

  • 生まれ変わることができる者である。:転生型:前世と後世の姿が混同されて語られることがある。前世の姿を優先する場合:前世優先型、後世の姿を優先する場合:後世優先型、とする。
    • 前世で妻に殺され、妻の子供に生まれ変わって復讐のため母親(燃やされた女神)を殺した。殺害の口実が復讐以外の場合がある。母殺害型
      • 逆に死んだ母を蘇生させる場合がある。母蘇生型
      • 母を別のものに化生させる場合がある。母化生型
      • 母が娘に変化して娘を殺害する場合がある。娘殺害型
      • 娘を別のものに化生させる場合がある。娘化生型
      • 泣きわめいたり、逆にしゃべらなかったりする場合がある。取り替え子型
    • 父親は前世で自分を殺したため、父親も殺した。父殺害型
      • 逆に父親を蘇生させる場合がある。父蘇生型
    • 前世の姿と後世の姿が混同されて、浮気妻とその夫を殺す場合がある。:呉剛型
      • 桂男として表される場合、月神(月神型)とみなされたり、月を食べる天狗(天狗型)とみなされる場合がある。古代中国における月は神々に捧げる食物である「」を表すこともあるのでトーテムは豚とされる場合が多い。ただし時代が下ると食物のトーテムが増えて、牛、馬、蛇、羊などあらゆる動物が含まれるようになり、いわゆる饕餮と呼ばれるものになっていくと考える(饕餮紋型)。
    • 怨霊を取り扱えるような神官的性質を持つ者である。
  • 野心家であって、母系の時代に男性でありながら首長となろうとした。
    • そのため、首長であった妻かつ妹吊された女神)であった者を殺した。
    • 禁止されていた食人や人身御供の祭祀を行った。:食人型
    • 最終的に、もう一人の妹(養母としての女神)に殺された。一般的に「殺される神」である場合が多い。被殺人型
      • 死して岩と化したり、最初から岩の場合がある。岩型
    • 人のものを欲しがるので窃盗神とされる場合がある。:窃盗型
  • 彼の野心が、父系を支持する子孫に受け継がれ、神格化された。事績が乏しいため、各女神たちの事績や性質を吸収している場合が多い。
    • そのため、天帝のように最高神として扱われる場合がある。:天帝型
      • 自然界のものとシャーマンが一体化した「精霊の王」的な存在とされることがある。人の手伝いをしてくれる場合もある。精霊王型
      • 異形の姿(日本の鬼、天狗など)で表される場合がある。異形型
      • 樹木などの姿で表される場合。樹を植えたり、管理したりする場合がある。樹木神型
      • 憑依型の一種だが専門職的な地位にいることがある。樹木神が昂じて木工の神になったりする場合である。職能神型
      • 動物の王的な姿で表される場合がある。蛇型ブタ型イヌ型鳥型烏型)、ウマ型など。
      • 「死んだ神」として冥界神として扱われる場合がある。冥界が月の場合は月神、冥界が山の場合は山神、冥界が地下世界であれば地下冥界神など、「冥界」がどこにあると考えられているかによって、その「場所の神」も兼ねる場合がある。:冥界神、月神(エスス・呉剛など)、山神(東岳大帝など)、地下冥界神(ハーデースなど)。冥界神型
      • 矢神:冥界神あるいは上位の神の意を伝える境界神として、病などを送る「矢」、人身御供を定める「矢」、戦争の際の標的を定める「矢」を放ったり、矢そのものと考えられる場合がある。いわゆる「白羽の矢」を放つ神であり、矢そのものでもある。この神のトーテムはおそらく「熊」であり、台湾タイヤル族の「射日神話」の熊神が起源的と考える。「矢」のモチーフの起源は「太陽女神」のアイテムである「針」であるかもしれない。善神とされる場合には「土地を定める神」のようにも扱われる場合がある。矢神型
    • 霊としては、神々の世界と人界を仲立ちするような境界神として扱われる場合がある。:境界神型
      • 人間の世界では来訪神とされる場合がある。病を持ち来たるなら疫神も兼ねる。
    • その偉大さを示すためなどから巨人神とされる場合がある。:巨人型
    • 人としては、高位の神官、シャーマン、魔術師のような存在とされることもある。占いを行って人身御供を定めることもある。:魔術師型
    • 父系の「始祖王」とされる場合がある。:黄帝型
    • 半神半人の「英雄先祖」とされる場合がある。:英雄型
      • 軍神型:兵主神など、軍事に関する神。
      • 文化英雄型:農耕を教えるなどの、文化英雄。
  • 家庭内では息子とされる場合がある。息子型
    • 姉妹と争って勝つ場合。:姉妹殺害型
      • 妻を殺す場合。妻殺害型兄妹始祖婚の場合もある。
      • 他の神々などと争って勝つ場合。勝者型。殺したりする場合は殺害型
    • 姉妹などと争って負ける場合。敗者型
      • 他の神々と争って負ける場合。悪神とされることが多い。:悪神型
    • 反語的に善良な息子とされる場合。善良息子型
  • 地位が高くなっている場合には「父親」として表される場合がある。グローバルで天帝型とされることの家庭版といえる。:父神型
  • 兄や弟として表される場合がある。強い立場の場合「兄」、弱い立場の場合「弟」とされることが多いのではないだろうか。:兄弟型
    • 性質に他の神を取り込んでいる場合。性別も含める。邪視など。:性質憑依型
    • 名前に他の神を取り込んでいる場合:名前憑依型

生き霊である

「生まれ変わることができる」とみなされていたのであれば、「生まれ変わっている間」は「生きている人間だった」とするしかなく、それでも恨みの気持ちを持っていて、前世の復讐を行い、そこに霊的な作用があるのであれば、これは死霊の一種である「怨霊」とすべきではなく、「生き霊」とするしかないと考える。フィクションからの引用ではあるが、源氏物語の「六条御息所」が嫉妬のあまり生き霊となって恋人の妻である「葵の上」を殺してしまう、という例がある。生きている人間が、そのままの姿で殺したい相手を殺してしまえば、現代であれば「殺人罪」として罪に問われることになるが、「霊」となって証拠も残さず、霊的な目に見えない作用だけで相手を殺してしまったとしたら、それは裁くことができない、といえる。ともかく、この太昊型神は「強い恨み」を持って転生するが故に、生きていても怨霊のような霊的作用をもたらす場合がある、と考えられていたし、それ故に恐れられたり、敬われたりしたのではないか、と考える。しかも「生きている人」なので、どこまでが彼の「霊的作用」であって、どこからが「人として彼が実行していること」なのかが、わかりにくいといえる。

生霊の代表的な例としては、ケルト神話の「取り替え子」が挙げられる。泣きわめいたり、逆に何もしゃべらなかったり、年齢相当の成長を行わなかったりする。

疫神である

例えば、彼が誰かを「貧乏になってしまえばいい」と思って、呪ったとする。霊的には、相手に取り憑いて散財したくなるよう精神を操作する、とか、相手が誰かを害して多額の損害賠償を支払わなければならなくなるような精神状態にしてしまう、とかそういうことを行うかもしれない。誰かに呪われると病気になる、とか精神に変調をきたす、という話は多い。須佐之男と蘇民将来のように、もてなしてくれる者に手厚く、そうでない者に厳しい、ということが多い、この場合「来訪神」でもあることが多い。

その一方で人として、相手の家に盗みに入って、相手の財産を盗んでしまう、とか何か詐欺的な計略を用いて相手に金を支払わせてしまう、ということも行ったとする。そうしたら、こちらは霊的な作用ではなく、生きている人としての犯罪である。

この2つを組み合わせて、相手ができる限り自分を信用させるような精神状態になるよう霊的に呪いをかけ、詐欺で相手の金をむしり取ってしまっても、相手の方はそのことにすら気づかずに喜んでお金を支払う、となるよう人間として実行する、とする。これはいわゆる現代的には「洗脳と詐欺」という言葉がぴったりだと思うのだが、洗脳されている者は霊的弱者であって、強者に支配されているから、その強者が「怨霊的生き霊」だと逃げ出すこともできず支配され続けるだけ、ということになる。だからこの太昊型神は「恐ろしい神」とされるし、現代社会で生きた太昊型神の類例というのは各地で後を絶たずに日々生まれ、存在し続けるのではないだろうか。

鬼神信仰との関連

鬼神信仰の中でも、自らを「鬼神」になぞらえて、鬼神のように生きて富貴を得たい、という考え方があるように思う。例えば夏の孔甲のような存在である。「生きた鬼神」というものが現代的な「洗脳と詐欺」を行う「怨霊的生き霊」だとすると、それに倣ってそのように生きたいと思う者も後を絶たずに世の中に登場することだろう。こうして、「怨霊的生き霊」の神は、祖神としての地位から離れ、一部では「憧れの存在」ともいえるような凡神に変化したと思われる。彼を信奉し、そのおこぼれに預かろうとする者達にとっては、善神であり憧れの神だが、そうではない人々にとっては迷惑の極みで窃盗神としかみなせないと考える。この神は、鬼神の一種であり、強力な2面性を持つ神として、表されていくように思う。

特に飛騨地方や長野牛蒡種の力は妬みや羨望の念がもとになるといわれており、この家の者に憎まれて睨まれた者は頭痛精神疾患を患うという[2]。牛蒡種、両面宿禰、魏石八面大王といった神々が、太昊型神に相当するように考える。

鬼神信仰と子育て

種牛蒡の力は妬みや羨望の念がもとになるといわれており、この家の者に憎まれて睨まれた者は頭痛や精神疾患を患うという[3]。例えば「この家の者」が子育てをする場合、子供に対して人をうらやましがったり、妬んだりするようなことを日々発言し続け、それを「当たり前の思考」「当たり前の日常会話」と思い込ませて育てたらどうなるだろうか。労せずして、生きた「種牛蒡」、生きた「怨霊的生き霊」を作り出すことができるのではないだろうか。しかも、普通に気持ちの上で、妬んだりそねんだりするだけでなく、実際に「相手は金持ちなんだからちょっとくらい持っているものを盗んだっていいや」という思考に育て、万引きを繰り返すような悪童に育てるようなこともできるかもしれない。また、呪うだけでなく、仲間で徒党を組んで、標的を取り囲み、いやがらせやいじめを繰り返せば、相手は精神的に患うこともあるだろう。このようになってくると、「呪い」とは「集団的ストーカー」とか「組織的ないじめやいやがらせ」を発動させるための「合い言葉」みたいなものである。誰か強者が「俺はあいつを呪う」と言ったら、部下や仲間達はその標的を集団でいじめたり、いやがらせしたりしなければならないのである。それが「当たり前のこと」だと思って、そう育てられてきているのだ。

このような子育て法と、行動の理論の根源には「怨霊的生き霊」を敬い、従い、そのように生きなければならない、という先祖代々のしきたりとか子育て論まで含むような「鬼神信仰」があるのではないだろうか。

魂の姿

この太昊型神はのトーテムで表される場合が多く、特に「境界神」などの「下位の神」とされる場合、古代中国においてほぼだったと考える。大汶口文化(紀元前4000〜2600年頃)の墓葬では、の下顎骨や頭骨が共に埋葬される場合が多く、特に「下顎骨」に霊的な作用があったと考えられていたようである。古代日本の弥生文化でもの下顎骨に棒を通して飾るなどして、霊的な意味があると考えていたとされる。なぜ「下顎骨」にこだわるのかといえば、彼の現実の姿は「生きた人」であっても、その魂は「顔が崩れて下顎骨くらいしか明確でない」とみなされていたのではないだろうか。体の他の部分も崩れていたとみなされていたかもしれない、と考える。それは一番最初の「」が、食人という悪事を働き、自らを殺した相手を恨み、憎むあまり、魂が変容してしまって転生しても「生きた怨霊」と化してしまった、と人々が考えた証拠でもあるかもしれないと思う。肉眼で見える姿は人であっても、その魂は「もう人ではない」と考えられたのだろう。

代表的なもの

馬家浜文化の頃には盛んに巨人神として考えられていたようである。

伏羲

台湾原住民の巨人神ハールスを始め、伏羲に類する名の神は各地に多い。蛇型の神も多い。台湾原住民ではタイヤル族などに語り継がれている名であろ。

グミヤー

グミヤーに類する名の神も各地に多い。台湾原住民の伝承では、クニューという人を飲む巨人がいたとされる[4]

ヤマ

インド神話のヤマ、メソポタミア神話のドゥムジなど。この名は元はダロンという女神と考える。名前憑依型の神である。被殺人型の神であることが多い。死後冥界神となる場合がある。台湾原住民の伝承では、タンアウという巨人がいたとされる。この巨人は陰茎を延ばして鹿を取り巻き狩ったという。弟に陰茎を切られて死亡した[5]

ダクシャ

この名に類する名を持つ神は独特であって、食人を行ったり、子供をさらって食べたりする場合が多い。岩そのものをトーテムに持つ場合も多い。父親を殺すタイプも多い。台湾原住民のチモ族、日本の葛城氏・賀茂氏に関係する神と考える。台湾原住民の伝承では、タガラウソクソクという巨人がいたとされる。この巨人は常に流浪していて飢えた時には嬰児を丸呑みした。陰茎が大きく、大雨で川が増水した際には陰茎を橋として人々を渡した[6]

脚注

  1. 北ツォウ族、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p297-299
  2. これは御嶽信仰と関連していて、御嶽山の行者に加持祈祷を頼むと癒やせるもの、と考えられていたようである。要は「行者のための病」と言えなくもないと考えるが、邪視的な概念は古くからあって、それを流用したものなのではないだろうか。
  3. これは御岳信仰と関連し、御岳山の行者に加持祈祷をしてもらうと癒えるとされていたそうである。御岳行者のための病とも言えなくもないと感じる。ただし「邪視」のような概念は古くからあって、それを流用したものではないだろうか。
  4. パイワン族タラヴァサジ社、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p319
  5. ブヌン族タケトド部族カツト社・バクダツ社、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p315
  6. ブヌン族タケバタン部族アサンバタン社、神々の物語、台湾原住民文学選5、神村徹編、草風館、2006年8月1日出版、p314