柳花夫人

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柳花夫人(りゅうかふじん/ユファブイン)は、中国の河伯の娘[1][2][3][4]。高句麗の建国者朱蒙の母。夫は解慕漱金蛙王

好太王碑』には「(朱蒙は)天帝の子、母は河伯の女郎」とある[5]。『魏書』高句麗伝、『三国史記』高句麗本紀によると、河伯の女・柳花が室内に閉じ込められ、日光に感応、朱蒙を生んだ[5]

日本書紀天智天皇7年(668年)冬10月条によると、仲牟王(朱蒙)は高麗(高句麗)を建てた時、国の千年の存続を願ったが、母夫人(柳花)は「善く国を治めても700年でしょう」と言った。の大将軍・英公(李勣)が高句麗を滅ぼしたのはまさに700年目であったという。 テンプレート:Quotation テンプレート:Wikisourcelang

続日本紀延暦9年1月15日(790年2月3日)、皇太后(高野新笠)の葬式の箇所に「(遠祖の都慕王は)河伯の娘が日光に感応して生んだ」とあり、高野新笠の諡号「天高知日乃子姫尊」はこの伝説に因んで贈られた[6]テンプレート:Quotation テンプレート:Wikisourcelang

家族

関連項目

参照