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2024年11月18日 (月) 23:14時点における最新版
羿(げい、ピン音, Yì, イー)は、中国神話に登場する人物。后羿(こうげい、ピン音, Hòuyì, ホウイー)、夷羿(いげい)とも呼ばれる。弓の名手として活躍したが、妻の嫦娥(姮娥とも書かれる)に裏切られ、最後は弟子の逢蒙によって殺される、悲劇的な英雄である。
羿の伝説は、『楚辞』天問篇の注などに説かれている太陽を射落とした話(射日神話、大羿射日)が知られるほか、その後の時代の活躍を伝える話(夏の時代の羿の項)も存在している。名称が同じであるため、前者を「大羿」、後者を「夷羿」や「有窮の后羿」と称し分けることもある。その大羿は中国神話最大の英雄の一人である。
日本でも古くから漢籍を通じてその話は読まれており、『将門記』(石井の夜討ちの場面)[1]や『太平記』(巻22)などに弓の名手であったことや9個あった太陽の内8個を射落としたことが引用されているのがみられる。
目次
堯の時代の羿[編集]
天帝である帝夋(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた[2]。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をつかわした。帝夋は羿に紅色の弓(彤弓)と白羽の矢を与えた[3]。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる[4]。
『淮南子』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。
その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣(窫窳・鑿歯・九嬰・大風・修蛇・封豨)を退治し、人々にその偉業を称えられた[5]。
不老不死の薬[編集]
自らの子(太陽たち)を殺された帝夋は羿を疎ましく思うようになり[5]、羿と妻の嫦娥(じょうが)を神籍から外したため、彼らは不老不死ではなくなってしまった。羿は崑崙山の西に住む西王母を訪ね、不老不死の薬を2人分もらって帰るが、嫦娥は薬を独り占めにして飲んでしまう。嫦娥は羿を置いて逃げるが、天に行くことを躊躇して月(広寒宮)へしばらく身をひそめることにする。しかし、羿を裏切ったむくいで体はヒキガエルになってしまい、そのまま月で過ごすことになった[6][7][私注 1]。
なお、羿があまりに哀れだと思ったのか、「満月の晩に月に団子を捧げて嫦娥の名を三度呼んだ。そうすると嫦娥が戻ってきて再び夫婦として暮らすようになった」という話が付け加えられることもある[私注 2]。
逢蒙殺羿[編集]
その後、羿は狩りなどをして過ごしていたが、家僕の逢蒙(ほうもう)という者に自らの弓の技を教えた。逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、ついに羿を撲殺してしまった。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」(逢蒙殺羿[8])と言うようになった[9]。
夏の時代の羿[編集]
別に伝えられているのは、『路史』夷羿伝や『春秋左氏伝』などにあるもので夏王朝を一時的に滅ぼしたという伝説である。こちらの伝説ではおもに后羿(こうげい)という呼称が用いられている[10]。堯と夏それぞれの時代を背景にもつ2つの伝説にどういった関わりがあるのかは解明されていない部分がある[11]。白川静は、後者の伝説は羿を奉ずる部族が、夏王朝から領土を奪ったことを示しているとしている。
后羿は子供の頃に親とともに山へ薬草を採取に出かけたが山中ではぐれてしまい、楚狐父(そこほ)(『帝王世紀』では吉甫)という狩人によって保護される。楚孤父が病死するまで育てられ、その間に弓の使い方を習熟した。その後、弓の名手であった呉賀(ごが)からも技術を学び取り、その弓の腕をつかって羿は勢力を拡大していったとされる。 太康(夏の第3代帝)の治世、太康は政治を省みずに狩猟に熱中していた。羿は、武羅・伯因・熊髠・尨圉などといった者と一緒に、夏に対して反乱を起こし、太康を放逐して夏王朝の領土を奪った。羿は王として立ち、諸侯を支配下に置くこととなる。しかしその後の羿は、伯封を殺し、その母である玄妻を娶り[12][13]、寒浞(かんさく)という奸臣を重用し、武羅などの忠臣をしりぞけ、政治を省みずに狩猟に熱中するようになり、最後は玄妻と寒浞によって相王の8年に殺されてしまった。
天狗食日[編集]
古来、中国では日食は「天狗が太陽を食べる」ことで起こると考えられていた。日食が起きると、人々は太鼓や爆竹を叩いて犬を追い払う。
伝説によると、后羿が民のために9つの太陽を撃ち落としたとき、王母娘娘(西王母)は褒美に霊薬を与えたが、后羿の妻である嫦娥はそれを食べて一人で天に昇ってしまったという。門の外から后羿の猟犬・黒耳が吠えながら家の中に飛び込み、残りの霊薬を舐めてから上空の嫦娥の後を追った。嫦娥は黒耳の吠える声を聞くと、あわてて月に飛び込んだ。そして、髪を逆立て、体を大きくした黒耳は、嫦娥に飛びかかり、月を飲み込んだ。
月が黒い犬に飲み込まれたことを知った玉皇大帝と王母娘娘(西王母)は、天兵に命じて犬を捕らえさせた。黒い犬が捕まった時、王母娘娘(西王母)は后羿の猟犬と認め、南天の門を守る天狗にした。黒耳は役目を得ると、月と嫦娥を吐き出し、それ以来、月に住むようになった。
私的解説・羿とギリシア神話[編集]
そもそもなぜ管理人は羿と黄帝が同一人物である、と考えているのか、である。
第一段階として、人身御供に関わる問題がある。ギリシア神話にはテーセウスという英雄がミーノータウロスという牛形の怪物を倒して同胞を人身御供の儀式から救う、という話がある。テーセウスを助けるのはアリアドネーという女神的な能力を持つ女性であり、ミーノータウロスの姉妹、というやや特殊な立場にいる。彼女はテーセウスの同胞ではない。そして、身分的にはテーセウスの同胞を人身御供に求め得るような強い権力を持っている立場なので、テーセウスよりは上とせざるを得ない。だから本来はテーセウスと敵対する立場なのだけれども、テーセウスと愛し合ってしまうので、テーセウスを助けるのである。ところがミーノータウロスを助けた後の恋人達のその後は必ずしも幸せには描かれない。テーセウスがアリアドネーを故意に捨ててとある島に置き去りにしてしまった、とか、事故でアリアドネーが置き去られてしまったとか、ともかく二人は別れてしまうのである。
これをもっと簡略化した簡単な話にペルセウスとアンドロメダーの話があり、これは海の怪物の生贄にされそうになっていた王女アンドロメダーをペルセウスという英雄が助けて、二人は結ばれ、めでたしめでたし、となるというものである。「アリ」という言葉も「アン」という言葉も接頭辞とすればアリアドネーとアンドロメダは元々「同じ語源」の「同じ名前」の女神と思われる。テーセウスとペルセウスの物語はどちらも人身御供に関する同じ話が2つに分岐したものといえる。そして、テーセウスもペルセウスも最終的にはどちらも「偉大な王」となる。
古代の思想には「兄妹婚姻」というものがあり、これには伝承的には「実の兄妹」の結婚までもを指す。文化的には、日本のように異母兄妹であれば結婚が認められたものや、バビロニアのように形式として兄と妹が結婚して家系を守り、近親相姦の弊害を避けるために子種のみは余所の男性に求めるものも含む。また、古代の「人身御供」の思想には「死者に妻や夫を与えて」その命と引き換えに死者の死後の世界での立場を良くしよう、という意味が含まれるものがある。エンリルの死に対して、冥界で彼の子を産むために妻として生贄に捧げられるニンリルや、川の神をなだめるために河伯に生贄にされた娘達も妻として捧げられた、という事例がある。とすれば、伝承的にアリアドネーとミーノータウロスが兄妹あるいは姉弟であったと語られた場合、アリアドネーはミーノータウロスの姉妹でもあったが、妻でもあったかもしれない。また、ミーノータウロスに対する生贄であったかもしれない、という可能性が生じてくる。アリアドネーが生贄であったとすれば、彼女の立場はまさにアンドロメダーと同じである。そして、アリアドネーはいったんは生贄から逃れたものの、最終的にその運命は何かの悲劇にみまわれている。
物語の全てがフィクションであれば、人々、特に庶民は「ペルセウスとアンドロメダー」のように単純で、そして最後にはハッピーエンドで終わるような物語を求めるものだと管理人は思う。わざわざ複雑な構成にして、しかもアリアドネーの最後が明確でなく、かつ悲劇であるのは
彼女にはモデルとなる実在の人物がいて、その人物の最後が悲劇だったからではないのか
というのが管理人の出発点である。管理人は、若かりし頃に今昔物語とギリシア神話とグリム童話から伝承学の世界に入ったので、中国の神話はつい最近まで知らなかったし、今でもそれほど詳しくは知らない。管理人の神話学の知識の根本にあるのは、神話といえばギリシアか日本、なので。羿の話を読んで、その夫婦生活の最後が別離であるから、これは「テーセウスとアリアドネー」、羿が王になったから「これはテーセウス」、黄帝も牛形の敵(炎帝)を倒して王になったから「これもテーセウス」、だからギリシア神話との比較を介せば、羿と黄帝は同じものである。という単純なところが、中国神話を理解するにあたっての管理人の出発点である。ギリシア人を含む印欧語族の先祖の一端ではないか、と目されるスキタイの人々は古代においてはシベリアすなわちモンゴルの北西に住んでおり、中国東北部で生じた文化の影響を受ける機会は、古代においては多いにあったと思われる。だから中国神話とギリシア神話を始めとする印欧語族の神話は類似性があり、起源が同じであっても全く不思議ではないと思う。また、中国の南部は古代よりガンジス川流域と交流があり、互いに文化的影響を与え合う存在であって、インド方面とは先住民とも、侵略者といえる印欧語族とも文化的な交通性があったと思われる。日本の神話と中国の神話の類似性なんて言わずもがなである。そもそも漢字だって中国の言葉なんだし、古代において日本の文明は全て中国からやってきたもの、と言っても過言ではない。日本の月にも兎が住むし、桂の木が生えているのである。ということで、日本の神話と中国神話とギリシア神話は、3点で比較研究でき得るものなのである。まずは、そこが大事である。
私的解説・羿と日本の猿神退治[編集]
日本の伝承で人身御供に関する物に「猿神退治」がある。『今昔物語集』巻26「美作國神依猟師謀止生贄語」のように、生贄を求める猿神(実は神と言うよりは猿の化物)が猟師と犬の組み合わせに倒される、というのがその粗筋で、猿神を倒すのは「猟師と犬」の組み合わせの場合、猟師のみの場合、犬のみの場合がある。猿神を倒して、人身御供になるはずだった娘と結婚する場合も多い。倒し方は生贄の身代わりになって猟師が人身御供の祭祀の場に入りこみ、猿神を捕らえるパターンが多い。羿の物語よりは、ギリシア神話のテーセウスの物語に非常に近い。
「猟師と犬」の組み合わせは羿の物語でも「羿が黒耳という犬を飼っていた」という形で登場する。この黒耳は中国の「天狗」へと変化していわゆる射日神話とか、人身御供に関する化け物退治から外れた独立した月に関する妖怪物語へと移行していく。犬は一番最初の「羿という英雄が太陽を射落とした」というシンプルな物語には登場していなかったが、日本の伝承にもギリシア神話にも「猟師(狩人)と犬」という組み合わせが出てくる。よって羿の「飼い犬」は羿の射日神話成立後、かなり早い時期に羿にまつわる存在として羿の射日神話に挿入され、それが「猟師(狩人)と犬」の組み合わせパターンとして各地に伝播したと考えられる。
日本の猿神退治譚を見ると、「猟師(狩人)と犬」は必ずしも必然のパターンではないことが分かる。それどころか早太郎の物語のように犬が単独で猟師と同等の活躍をするものがある。羿の物語に戻って、何故「犬」が羿の物語に挿入されたのかを考えた場合、日本の猿神退治と比較すると、そもそも「羿と犬は同じもの」であったのが二つに分けられたのではないか、という可能性がまずあるように思う。そのため2つに分けられても彼らは一体のように行動するし、日本の猿神退治のようにどちらか片方しか登場しない物語でも同じように行動するのである。「羿と犬は同じもの」とはどういうことか。一つの可能性としては羿のトーテムが犬であったのではないか、ということである。「犬族の羿」が二つに分けられた結果、犬と羿とに分離して伝承の世界で活躍するようになる。
また、「犬トーテム」の発展形で誰か羿に親しい人物を、羿に類する存在にするために敢えて「犬」という役割を割り振って羿の物語に意図的に挿入した可能性があるように思う。前の項に書いたが管理人は
アリアドネーには実在の人物のモデルがいたのではないか
と考えている。ということは中国神話でアリアドネーに相当する嫦娥にも実在の人物のモデルがいたのではないか、と管理人が考えている、ということであるし、彼女の夫の羿、彼らが倒したミーノータウロスあるいは炎帝にも、実在の人物のモデルがいたのではないか、と管理人が考えている、ということにもなる。中国の人々の多くも「自分達は炎黄の子孫である」と考えているそうなので、炎黄のモデルとなった「実在の人物」が存在しなければ、その子孫になりようもない。現実には人間は大気とか雷から発生したりはしないからである。
そして、炎黄神話においては炎帝と黄帝は兄弟であった、と言われる向きもある。しかし、ギリシア神話ではミーノータウロスとテーセウスが兄弟であった、とは言われていない。日本の猿神退治でも、仲の悪い者どうしを「犬猿の仲」とことわざで述べるとおり、犬と猿の対立であって、それぞれは血縁的に近しい間柄ではない。一方、アリアドネーとミーノータウロスは兄妹であるし、猿神退治の猿神が特定の集落や部族の神でもあったとするならば、立場としては生贄となる娘の方が、旅の猟師よりはずっと猿神に血筋として近いといえる。つまり、炎黄神話も、黄帝が羿と同じものであったとするならば、炎帝、すなわち「射落とされた太陽」と親しく近い間柄であったのは羿の妻の嫦娥の方であって、それがなにがしかの事情で、神話の発生源である中国では炎帝と黄帝が兄弟であるかのように置き換えられてしまったのではないか、と思われるのである。置き換えられる前の神話が各地に伝播したものがテーセウスの物語であり、猿神退治である。とすれば、中国ではなく伝播先の方に本来の形式の物語が残されている、といえる。すなわち、本来は炎帝と黄帝は、赤の他人であった、ということになる。神話や伝承は、このように誰かの都合や意図によって書き換えられてしまうものでもある。正確な歴史を記録するのが神話の目的ではないからである。
羿の物語に戻ると、本来存在しなかった「犬」が挿入されることになった。この犬は月を飲み込む魔物である。月を女性として、かつ嫦娥だとするならば、黒耳は嫦娥を生贄に求めて殺そうとする彼女の兄の化身とはいえないだろうか。だからこそ月に逃げる嫦娥を追いかけて飲み込んでしまうのである。そして、ギリシア神話で女性を生贄に求め、殺そうとするアリアドネーの兄とはミーノータウロスのことに他ならない。つまり黒耳とは、牛の怪物である炎帝のことであって、古代中国において「炎帝と黄帝が兄弟である」という神話の書き換えがあったのと同じ理由で、「炎帝と黄帝(羿)はト-テムが一致しているほぼ同じ存在である」としたいがために炎帝のトーテムを犬に変えて、羿の物語に挿入したのではないか、と思われるのである。要は黒耳とは蚩尤(饕餮)のことであり、不老不死の存在となった、とは、炎帝であった蚩尤が殺されたことを意味するのではないか、と管理人は考える。蚩尤の神話では彼は死後楓の木に化生したこととされているが、羿の物語では蚩尤(黒耳)は死後天に昇って月を食べる天狗とされたのである。中国では散逸してしまっているのかもしれないが、本来はそのような神話があったのではないか。インド神話には不老不死の薬を盗んで罰のために首を切られて殺されたアスラがラーフ(首)とケートゥ(胴体)という怪物になり、彼らが天に昇って日月食を起こすようになった、という話がある。彼らは不老不死の薬を飲んでいるために死ぬことはないのだが、切られた首は元に戻せなかったらしい。ケートゥは星になったが「暗黒で普段は見ることはできない」ともされている。羿の犬が黒耳という名前なのも、夜空では「黒くて見えない」という意味が含まれているのではないだろうか。首を切られても別のものに化生したり、そのまま何か霊的な存在に変化するところは、ラーフはまさに中国神話の饕餮に相当するように思える。インド神話では、ラーフとケートゥは「犬である」とはされていない。インドにも日月と関連する犬の神話は存在するのだが、その犬たちは直接羿のような英雄に関わっているわけではない。おそらく、中国でも当初は羿の物語とはやや離れた話として、殺された蚩尤が天に昇って悪霊のようになり、(蚩尤に味方してくれなかった)日月を食らう、という話だったのかもしれないと思う。羿の話の方は、まず羿とそのトーテムが分離して、日本的な「猟師(狩人)と犬」の形式になったものがまず誕生しており、その「犬」の位置に「黒耳」という天狗を押し込んで置き換えてしまったのではないだろうか。インド神話のラーフ(首)とケートゥ(胴体)は犬形ではないため、中国神話の中でラーフ(首)とケートゥ(胴体)に相当する怪物を、犬に書き換えた上で羿の物語に挿入したといえる。そのため、一方の日本では変更される前の、元の「猟師(狩人)と犬」が悪しき神を倒す、という形の話が伝播して残されることになったのだろう。
ただし、ラーフ(首)とケートゥ(胴体)の組み合わせは、印欧語族の神話の中でも、その姿は一致しない。北欧神話では、日月食を起こすのはスコルとハティという狼である。管理人は名前の子音から、おそらくスコルとハティの組み合わせがインド神話のラーフとケートゥに相当すると考える。彼らは黒耳のように明確に犬型を取る。ただし、誰か狩人の主人を持っているわけではない。ただ彼らの上位に来る神としてロキという狡猾な神が存在する。またマーナガルムという母狼を持つ。この母狼の名には「gm」という子音が含まれ、印欧祖語の「火」に関連した名前ではないのか、と管理人は考える。ギリシア神話のアリアドネーやアルテミスに繋がる名前である。
またギリシア神話では、ラーフ(首)とケートゥ(胴体)の組み合わせは子音よりオーリーオーンとアクタイオーンに相当すると管理人は考える。いずれも犬ではなく「狩人」として現され、アルテミスに関連して罰を受け死ぬ。中国神話の黒耳が嫦娥に関連して天に昇る(すなわち人外のものとなり、人としては死ぬ)点と類似している。オーリーオーンは好色で粗暴な巨人として描かれる。アクタイオーンは鹿の姿に変えられ、自らの猟犬に食い殺される。その点は飼い犬の黒耳に裏切られて妻を飲み込まれてしまう羿にも似るように思う。中国やインドの神話では明らかに人とは区別される怪物であったラーフ(首)とケートゥ(胴体)が何故ギリシア神話では人形として語られるのだろうか。もしかしたら、古代中国の段階で、蚩尤という死者を、その死後神格化するにあたり、様々な試行錯誤がなされたのかもしれないと思う。その過程で
- 死した蚩尤が「不老不死」であるとして、それまでの精霊神と同格のものとして生きているかのように扱うこと。
- 蚩尤(すなわち炎帝)が悪者になり過ぎないように、英雄である黄帝に寄せた人物とすること。(黄帝との兄弟説など)
- 黄帝を英雄にしすぎず、上意(神の意)に逆らった者、としての性質を強めるため、羿という「反逆者」を黄帝から分離して創設すること。
- 黄帝の事績の内、人身御供を抑制する、という事績を削除し、逆に炎帝系の人身御供を伴う治水を正当化すること。
- 嫦娥は本来アリアドネーのように炎帝と黄帝の双方に妻的立場として存在していたはずだが、黄帝と炎帝の神話からはその存在が消去された。
- その代替として、黄帝の側には黄帝を助ける九元天女の存在が付加された。嫦娥は一族の中で「神の代理人」とされるような「現人神」のような立場の女性だったのではないか、と管理人は考える。
- 黄帝と炎帝を類似した存在とするために、神話的な嫦娥の立場は3分された。一つは人身御供を行うような悪者を助ける「悪しき女神」あるいは、兄弟を助ける一族郎党に忠実な女神としての嫦娥である。ギリシア神話的には、兄と仲が良く、兄を助けるアルテミス女神が相当する、といえる。
- もう一方は本来の、人身御供の抑制を目論む夫を助ける嫦娥である。この場合は九元天女のように英雄を助ける女神として現されたり、夫を助ける心優しい女神としての嫦娥となる。まさにギリシア神話のアリアドネーである。
- 3つめは、アンドロメダーのように「人身御供」とされる嫦娥である。あるいは、子供の火之迦具土神に焼き殺される伊邪那美命として表現される。
等の作業が必然とされた、と推察される。そのため、黄帝と炎帝の性質を混ぜて、どちらともつかないような神や英雄が作り出されて各地に伝播しているようにも思う。日本の猿神退治も全体の趣旨としては人身御供の抑制を求めるテーセウス的な物語なのだが、中国神話では悪しき猿神を倒すのは啓とされている。日本の猿神退治はテーセウス的な牛神退治の「牛神退治」の部分を「猿神退治」に置き換えて黄帝と啓を合成したものなのである。
ギリシア神話のオーリーオーンとアクタイオーンが「狩人」として現されているのは、蚩尤を黄帝のような人物とするために意図的に合成して作られた神話が伝播したものなのではないだろうか。しかし、結局彼らが何らかの罰を受けて殺されてしまうのは、彼らの本来の姿が蚩尤であったからではないか、と思う。蚩尤を死後も神霊的存在として扱うために、神話的な蚩尤もまた死なねばならぬ必然性を生じたと思われる。(死なねば神話の上で「死者が変化した神」として扱えないからである。)
そのため、日本の早太郎は羿と「同じもの」であり、羿のトーテムといえる。中国神話の天狗である黒耳は羿のトーテムを借りただけの蚩尤(饕餮)であって、早太郎と黒耳ではその行動も異なるのである。
私的解説・羿と犬他[編集]
日本には早太郎のように羿のトーテムと考えられる伝承があるのだから、中国にも類似した伝承があるのではないだろうか。これがこの項の出発点である。中国神話には盤瓠という霊犬が敵を倒し、王女を妻とした、という逸話がある。「敵を倒す」という点は羿にも黄帝にも通じる。また「王女を妻とする」点はギリシア神話のテーセウスに似る。日本の猿神退治でも、助けた娘と結婚するという物語がある。よって、ギリシア神話を併せて考えれば、羿は黄帝でもあり、盤瓠もある、となる。そして日本の伝承の早太郎が盤瓠に相当する「犬」なのである。
羿の物語の「黒耳」が、インド神話のケートゥに相当して、「暗黒で普段は見ることはできない」ものだとすると、ラーフに相当するものは何なのか、ということになる。中国の天狗(中国)も本来は彗星や流星を指す言葉であった。インド神話のケートゥには彗星としての性質もあったようである。もしかしたら、古代の人々のイメージとしては、彗星や流星は規則的に現れるものではないので、姿が見えている時は「明るく輝くもの」なのだが、それ以外の時は「暗くて見えないもの」であって、天空を不規則にさまよっているもの、と考えていたのかもしれないと思う。姿が見えていない時に存在していないのではなくて、人知れず存在して日や月を襲う隙を窺っているのである。とすれば、「見えてない」ときの姿がケートゥで、「見えている」ときの姿がラーフでも良いのではないだろうか。この2つはスイッチが切り替わるように入れ替わるもの、と考えられていたのかもしれない、と想像する。天狗(中国)にも目に見える彗星のように「白く輝く姿」と、目には見えない「黒耳」のような姿があったのではないだろうか。
参考文献[編集]
- Wikipedia:羿(最終閲覧日:22-10-30)
- Wikipedia: 天狗 (中國)(中国語版、最終閲覧日:22-10-30)
- 龍と鯉・馬・牛・羊・鹿・犬の関係、李国棟、広島大学大学院文学研究科論集 62巻、2002-12-27、p13
関連項目[編集]
- 嫦娥
- 玄妻
- 天狗(中国):羿の飼い犬の黒耳のことを指すことがある。月と太陽を食べて日食と月食を起こす、9つの太陽を撃ち落とした羿の飼ってた猟犬。嫦娥の残した薬を舐めて巨大化・狂暴化し嫦娥を追いかけて天に上った。日食と月食を止めさせるため地上では爆竹や銅鑼や太鼓を打ち鳴らすこととしている。
羿と類似した神[編集]
私的注釈[編集]
参照[編集]
- ↑ 梶原昭路 校注 『将門記』 平凡社<東洋文庫> 1975年 227-228頁
- ↑ 袁珂著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 289-296頁
- ↑ 『山海経』広注 巻十八「帝夋賜羿彤弓素矰」郭璞云:「彤弓、朱弓。矰、矢名、以白羽羽之。外伝:『白羽之矰、望之如荼』也」
- ↑ 松村武雄 編 『中国神話伝説集』 社会思想社<現代教養文庫> 1976年 15頁
- ↑ 5.0 5.1 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 298-302頁
- ↑ 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 314-320頁
- ↑ 松村武雄 編 『中国神話伝説集』 社会思想社<現代教養文庫> 1976年 17頁
- ↑ 『孟子』に「逢蒙殺羿、羿也有過」という文がある。
- ↑ 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 322-325頁
- ↑ 市村瓚次郎 『東洋史統』1巻 冨山房 1940年 50頁
- ↑ 内藤虎次郎 『支那上古史』 弘文堂書籍 1944年 66-67頁
- ↑ 『春秋左氏伝』昭公二十八年「昔有仍氏生女、黰黒而甚美、光可以鑑。名曰玄妻。楽正后夔取之、生伯封。実有豕心、貪惏無饜、忿纇無期、謂之封豕。有窮后羿滅之、夔是以不祀」
- ↑ 『楚辞』天問「浞娶純狐、眩妻爰謀、何羿之射革、而交呑揆之」