多満留姫
多満留姫(たまるひめ)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の女神。
概要[編集]
洩矢神の娘で、建御名方神の出速雄神に嫁いだとされる[1][2]。『神長官守矢氏系譜』では出早雄命の后となっているが、一方別の史料では建御名方神に嫁いで出早雄神を生んだともされる[3]。
多留姫命との記述もあるが[4]、通常多留比売神は建御名方神の御子神とされる[5]。
系譜[編集]
建御名方神と八坂刀売神の子・伊豆速男命に嫁ぎ、可毛羽神、若木比売神、草奈井比売神、伊都速比売命、佐和恵多良六老彦神などの子がいる。
神社[編集]
- 多留姫神社:長野県茅野市玉川にある神社。祭神は多留姫神(多留の御前)。
伝承[編集]
- 椀貸伝説
- 多留姫が村人に膳椀を必要な分だけ貸してくれる、というもの。『長野県史』に紹介されているものを要約して以下に記す。
- むかし、働き者で仲むつまじい夫婦が子供を授かった。出産のお祝い事をしようとしたが、貧しかった彼らは客を迎え入れるだけの数の膳椀を持っていなかった。ある日のこと、土手で休んでいると夢の中に多留姫が現れ、紙に必要な膳椀の数を書いて滝壺に落とすよう告げた。夫婦二人とも同じ夢を見たので言うとおりにすると、翌朝には滝壺に膳椀が用意されていた。夫婦はお祝い事をすることができ、使った膳椀を洗って滝壺に返した。この話を聞いた怠け者が、同じような方法を試して膳椀を手に入れた。返すとき、一つくらいなら分からないだろうと思って全部を返さなかったため、以来多留姫は貸すことをやめてしまった[7]。
- このほか、貸した膳椀が壊されてしまったために貸さなくなった、という話もある[8]。
- 抜け穴伝説
- 多留姫の滝に流した物が別の場所で発見される、というもの。滝壺に椀や糠を流したところ、それが茅野市上原にある葛井神社の池に浮かんでいたという[8]。なお、この葛井神社の池にはさらなる抜け穴伝説が存在しており、諏訪大社大晦日の神事のあと、お供え物を投げ込むと遠江国(静岡県)にある池に浮かぶとされ、諏訪大社七不思議の一つに挙げられている[9]。
私的考察[編集]
椀貸伝説については台湾原住民のバルン神話が変化したものと考える。女神が入水する時に家族に渡した形見の品の中に「水瓶」といった器が見える。形見の品だった「器」が貸し出される椀類に変化したのだろう。「貸し出された椀を返さなかった」というくだりに「禁忌の女神」の性質の片鱗が見えるように思う。「借りたものを返さなければならない(盗んではならない)」というのは禁忌というよりは一般的な常識だと思うが、本伝承では禁忌的な作用をもたらし、禁忌を破ると女神の恩恵は受けられなくなる。
ただし、女神の名前はバルンではなくミャオ族の神ダロンの方に近いようである。
縄文系の女神かもしれないが、なんとも言えないと感じる。岐阜県不破郡垂井町には南宮大社の近くに「垂井の泉」という有名な湧き水の泉がある[10]。鹿児島県垂水市の地名は林之城の崖下から清水が湧き出し、岩層から滴る水の様子から垂水という地名がおこったともいわれている[11]。古くは水や湧き水のことを「垂(たる)」と呼ぶ習慣があったようである。
蛇頭松姫大神とは伝承の起源を同じくしていると考えるが、伝承の趣はだいぶ異なる。諏訪信仰の方が、入水した気の毒な女神に好意的といえる。ただし、現在多留姫神社は橋の下にあるような感じであって「橋姫みたいな扱い」と感じるのは管理人だけだろうか。
参考文献[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 「神社紹介、諏訪支部洩矢神社」『長野県神社庁公式ホームページ』
- ↑ 「神長守矢氏系譜」『諏訪史料叢書.巻28』諏訪教育会、昭和11年、31頁。
- ↑ 延川和彦「修補諏訪氏系図」『諏訪氏系図.続編』飯田好太郎、大正10年、19頁。
- ↑ 「神長守矢氏系譜」『諏訪史料叢書.巻28』諏訪教育会、昭和11年、34頁。
- ↑ 守矢実久「健御名方命御系圖」『諏訪神社略縁起』中村甚之助、明治53年、10頁。
- ↑ 「神長守矢氏系譜」『諏訪史料叢書.巻28』諏訪教育会、昭和11年、33、34頁。
- ↑ 『長野県史 民俗編 第二巻(三) 南信地方 ことばと伝承』589 - 591ページ。
- ↑ 以下の位置に戻る: 8.0 8.1 『茅野市史 下巻 近現代 民俗』1069 - 1070ページ。
- ↑ 『日本歴史地名大系 第20巻 長野県の地名』346 - 347ページ。
- ↑ 垂井の地名由来、weblio辞書(最終閲覧日:25-02-01)
- ↑ 垂水市の地理歴史、垂水市HP(最終閲覧日:25-02-01)