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48 バイト追加 、 2026年1月29日 (木)
とのことである。「ワンという青年」とは名前から見て'''「[[バロン]]」を男性化したもの'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]]には、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承がある。よって、いつの時代からか、伝統的なブタに加えて、大渓文化にあるようにウシなどが供養のための犠牲獣に加えられるようになったと考える。苗族の中ではこれが更に水牛に変わったと考える。そして、ブタ、ウシ、スイギュウは主に「男性の象徴」のように考えられ、神格化された。神格化された場合には、文化によって、配偶神である女神もトーテムを合わせてブタ、ウシ、スイギュウとされる場合があったのではないだろうか。インド神話のプリティヴィー、カーマデーヌ、ビルマーヤなどは「ウシ」の女神として現されるので、その夫も「ウシ」とされているのだろう。
* '''女神の男性化と怨霊化女神の男性化と怨霊化そして社会の父系化'''</br>もう一つ、犠牲獣のトーテムが増えるにつれて、太陽女神であった女神の「男性化」が進んでいるように思える。「ワンという青年」がその例である。彼は「船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。」とされている。これはおそらく「大洪水」の神話と関連していて、「大洪水」の別の表現である。バロン・ダロン神話では二人の子供は生き残った、とされているので、ワン青年の名は「バロン」が変化したものと考える。別に誰か死んだ「バロン」がいて、彼女が災厄を引き起こした、とみなされている場合があるのだろう。これはバロン女神を男性に置き換えているように見える。もう一つ、犠牲獣のトーテムが増えるにつれて、太陽女神であった女神の「男性化」が進んでいるように思える。「ワンという青年」がその例である。彼は「船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。」とされている。これはおそらく「大洪水」の神話と関連していて、「大洪水」の別の表現である。バロン・ダロン神話では二人の子供は生き残った、とされているので、ワン青年の名は「バロン」が変化したものと考える。別の伝承では、誰か死んだ「バロン」がいて、彼女が災厄を引き起こした、とみなされている場合があるのだろう。この話ではバロン女神を男性に置き換えているように見える。</br>
ただし、大洪水に限らず、生きている人はいつかは必ず死ぬ。例えば、特に人間的な人格神に「生きた人」のモデルがいたとしても、その人自身は既に死んでいるか、生きていたとしてもいつかは亡くなる。とすれば「ワン青年」は一般的な「人間」の代表的な象徴であって、先祖一般の供養の起原伝承ともいえる。母系社会から父系社会に移行して、女の先祖よりも男の先祖が重要視されるようになったので、バロン女神は男性に置き換えられてしまったのではないだろうか。</br>
そして、「神に対する供犠」が「先祖の供養」でもあるのなら、「神を祀る」とは「死者をなだめ鎮める」ことでもある。死者とは中国では「鬼」と呼ぶ。死んだものを祟らないように神として祀ることを中国では「鬼神信仰」というし、日本では「怨霊信仰」というのではないだろうか。

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