[[ファイル:Raijin3.png|thumb|300px|太陽神石刻。1999年湖北省秭帰県東門頭遺跡出土。高さ105cm、幅20cm,厚さ12cm。湖北文物考古研究所蔵。<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007071401.html 考古学用語、太陽神石刻]</ref>。紀元前6000年頃?(石刻の右側の絵文字のようなものの詳細は不明)]]
[[ファイル:Anonymous-Fuxi_and_Nüwa3.jpeg|thumb|300px|伏羲氏と女媧氏。<br />女媧が天、伏羲が地を示す。]]B7000?~B6000?。揚子江中流域の古代文化。'''[[大渓文化]]'''の前身。
当初は遺物の類似性から彭頭山文化に包括されていた。 当初は遺物の類似性から彭頭山文化に包括されていた。 土器胎土中からイネの籾殻が検出された。 湖北省襄樊市宜城県で1983年に発見された標式遺跡の城背渓遺跡は前期に属し、宜昌市枝江県の枝城北遺跡は後期の遺跡とされる<ref>[http://home.t02.itscom.net/izn/ea/index.html 風篁堂、中国、先史時代、長江]</ref>。
== 太陽神石刻 ==
* 蛇:'''[[伏羲]]'''には蛇の尾がついている。大洪水を生き残った神である。
* 男根:台湾の伝承には巨大な男根を持つ巨人が出てくる。大洪水に関連している巨人である。
いずれも「大洪水」の神話に関する存在なので、元は一つの「同じもの」なのだけれども、ウナギと蛇と男根では、少なくとも現代的な感覚では乖離が大きいと感じるので3つに分ける。現代の中国神話から見れば「'''伏羲の蛇の尾'''」というのが一番の正解と考える。」というのが一番の正解と考える。頭上に太陽を頂き、周囲に星々が散りばめられている構図は、神話に見られる伏羲・女媧図に非常に似ているのではないだろうか。「太陽神石刻」は「天の太陽と地のダロン(後の伏羲)」と考える。そしてこの頃はまだ「'''[[女媧]]'''」という概念が発生していなかったと思われる。彼女の原型は人物像の頭上に輝く「太陽」であって「'''白(バイ)'''」と呼ばれていたのではないだろうか。図の太陽そのものが後のミャオ族神話の「'''[[バロン]]'''」であり、そこから中国神話の[[女媧]]が発生していると考える。この頃はまだ母系の文化だったので「男性の上位に女性(太陽)がきて、男性が女性を支える」と考えられていた社会だったのだろう。
<blockquote>ここに刻まれた人物は「太陽神」であると考えられ、城背渓文化の人々はこの石刻を使って、天に祈りをささげていたのであろう。中国における太陽崇拝の起源を探る上でも興味ふかい。出所:「世界四大文明・中国文明展」<ref>[http://abc0120.net/words/abc2007071401.html 考古学用語、太陽神石刻]</ref></blockquote>
との説があるが、この次にくる'''[[大渓文化]]'''で楓の木が重要視されるようになり、この巨人神がギリシア神話のアトラースのように「世界を支える岩の神」から「世界樹(楓香樹)」へと、その頃に変化したように思う。「世界樹(楓香樹)」の神と言えば'''[[蚩尤]]'''(デーヴァ)なので、この巨人神の名はまだ伏羲には移行しておらず、'''[[蚩尤]]'''(デーヴァ)、すなわち苗族敵には「(デーヴァ)、すなわち苗族的には「'''ダロ'''」とでも呼ばれていたのではないかと思う。名前に「白(バイ)」という言葉が含まれなければ、彼はまだ時代的には「太陽神」とみなされる立場ではなかったと考える。」とでも呼ばれていたのではないかと思う。名前に「白(バイ)」という言葉が含まれなければ、彼はまだ時代的には「太陽神」とみなされる立場ではなかったと考える。タイのミャオ族の精霊信仰では、精霊は基本的に'''ダー (Dab)''' と呼ばれる、とのことなので
資料が乏しくて良く分からないのだが、城背渓文化がある程度社会の階層化が進んだ社会であれば、「軍事専門職」のような階級が発生しており、それに熊トーテムが伴っていた可能性があるが、正確なところは分からない。
苗族にはということで、「太陽神石刻」の人物は「'''コ蔵節ダロ'''という祭祀があり、そこでは水牛を犠牲獣とする起源が語られている。」という名で、アトラースのように「死して岩となり世界を支える巨人」とするのが一番正解に近いと考える。熊トーテムが発生していれば、彼の名は「ダロン」と考えられ、後の苗族の祖・'''[[ダロン]]'''へとつながるだろう。よって「太陽神石刻」は「'''太陽女神(バイ)とダロの図'''」であって、後の中国神話でいうところの「伏羲・女媧図」と考える。
<blockquote>ワンという青年が、船に乗っていた時に暴風雨に遭い、命を落とした。彼の家族は、ブタを一頭殺しただけで簡単に葬式を済ませたが、立派な副葬品を添えなかったので、ワンの霊は死者が通る関所を越えることができなかった。しばらくすると、ワンの母親が奇病に罹り、長期間の治療を施しても治らなかった。<br>そこでゴウサ(占い師)を呼んで治療を施してもらったところ、ゴウサは、死んだワンのために、もう一度盛大な葬式を開き、もっとも大きな水牛を殺し、彼が好きだった歌舞を行うよう勧めた。ワンの家族が、ゴウサの言い付け通りにすると、母親の病はまるで奇跡のように良くなった――。<br>このことがあった後、ミャオ族は、「コ蔵病」という病があり、水牛を殺して先祖を祭ることではじめて、疫病や災害から逃れられると信じるようになった。<ref>[http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/jieri/200208/200208.htm 貴州・ミャオ族のコ蔵節 10数年に一度、水牛の首を捧げる]、高氷、人民中国(最終閲覧日:24-12-07)</ref></blockquote> とのことである。「ワンという青年」とは名前から見てそして、また資料が少ないので分からないのだが、この神が「'''「[[バロン]]」を男性化したもの赤ん坊を食べた'''と考える。苗族の始祖とされる[[チャンヤン]]には、大洪水の後水牛を犠牲とした、という伝承があるので、いわゆる「大洪水」の後に、犠牲獣は豚から水牛に変更されたのだと考える。でも、厳密には城背渓文化にあるように「牛」に変更され、その後苗族の中で水牛に変更されたのだろう。すなわち、'''城背渓文化は伝説的な神話の「大洪水」よりも後の文化'''である、と古代の人達は考えていたと思われる。 豚を犠牲にして効果がなかったかどうかはなんともいえない。ヴェマーレ族の伝承では、ラビエという女神が亡くなった際に、豚を犠牲に捧げたら彼女は「月」となって復活した、とあるので一定の効果があった、と考えていた人達もいたし、そういう人達の中では豚は重要な犠牲獣であり続けたと思う。おそらく、当初は'''ダロン・蚩尤は犠牲獣的な存在に過ぎず、「そのトーテム」が豚だった'''ので、彼らをより上位の神としたい人々が、犠牲獣(豚)のトーテムを嫌って、犠牲獣を牛に変更してしまってダロン・蚩尤とは関係のない獣を犠牲にする、としたのではないかと思う。でも、この試みは失敗してしまって蚩尤のトーテムに「牛」が定着することになったので、牛を犠牲獣にすることに変更しても蚩尤は引き続き「犠牲神」であり続けることになってしまった。だから更にそれを「水牛」に変更して、「蚩尤は犠牲獣なんかじゃない」としたのが苗族なのだと考える。 == 民俗学的私的考察 ==纏められるときに、備忘録的に残しておかないと後で後悔しそうなので、このページを作りました。ほぼ、多サイトの内容を纏めたメモといえます。 人物の頭の上に太陽が描かれていたからといって、それをすぐに「太陽神」と決めつけてしまって良いのだろうか、とやや疑問に感じる。候補としては、'''太陽神、雷神、あるいは後の盤古となるような巨人'''が考えられ得ると思う。梅原、安田の説によると、後の大渓文化で、王というものが登場したのではないか、とのことである<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、p110-111</ref>。支配者としての世襲の男性の王の出現と身分の階級化の開始は、古代中国の父系化の開始ともいえる。 城背渓文化が'''母系文化'''であって、「太陽神」=「女神」であれば、石刻の人物は、'''太陽神の下位にくる雷神、樹木神、盤古のような世界の基礎となる巨人'''が考え得る。'''父系文化'''がすでに開始されていて、男性が支配者であれば石刻の人物は人々や神々の頂点に位置する'''王(帝)'''、'''太陽神'''の可能性が高くなる、と考える。'''母系文化'''の場合、頂点に来る「太陽」は後に[[西王母]]と[[女媧]]に分裂・分化する女神のことと考える。盤古的巨人の腰についている[[ヒョウタン]](要は陰嚢あるいは陰茎のこと)が[[伏羲]]なのであろう<ref group="私注">[[瓠公]]も参照のこと。</ref>。[[ヒョウタン]]で作る杓は北斗七星に例えられたと思われる。北斗七星は大地を潤す「星の杓」として農耕の神のシンボルでもあった<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%A4%A7%E5%B8%9D 天皇大帝](最終閲覧日:22-09-26)</ref>。そのため、巨人の腰部の星は北斗七星を示しているとも考えられる。巨人は太陽女神が治める北斗でもあったと思われる([[西王母]]、'''季節型豊穣神'''の項を参照のこと)<ref>男性原理である[[ヒョウタン]]が北斗であり、地上に水をもたらすものである、という思想は、田縣神社(愛知県)のご神体の思想そのものといえる。</ref>。 ただし、個人的には巨人そのものは'''王'''の象徴で良いのではないか、と思う。何故なら石刻の人物は、髪の毛がほとんどなく、「'''弁髪'''」であるように見えるし、それは中国北東部の住人の文化だからである。人物は、'''北方から攻め込んできて人々を征服した支配者の象徴'''ではないだろうか。とすれば、'''王'''とみなすことが妥当であり、太陽よりも大きな姿はその偉大さを現しているともいえる。しかも支配者による父系文化がすでに開始されていた証拠ともなる。そのため、「太陽信仰」といった自然現象を精霊神として崇拝するいわゆるアニミズムの他に、王やその先祖を精霊神と同列にして崇拝の対象とする、いわゆる殷型の「'''祖神信仰'''」も発生しており、その証拠が「太陽神石刻」ではないのだろうか。その場合には後の殷と同様、王が自ら祭祀者(シャーマン)となって祖霊を祀った可能性も高いと考える。 後に、「'''弁髪文化'''」である夏家店上層文化を中国東北部で作り上げた人々のY染色体のハプログループはハプログループO2やハプログループC2だった。ハプログループO2はミャオ族に関連すると共に、日本人にも見られる。長江文明の父系の支配者層に、中国東北部出身の遺伝子が入りこんでいる、と考えてみれば、興味深い、といえなくはないだろうか<ref>ただし、日本人に多いのは中国東北部発(夏家店上層文化)のハプログループO1b2とのことである。これはごくわずかではあるが中国南部でも認められ、やはりその起源と意味は興味深い。ハプログループO-M176(系統名称ハプログループO1b2)は日本人及び朝鮮民族に30%程度みられ、満州族では34~4%でみられる。また、モンゴル、ブリヤート、ウデヘ、インドネシア人、ミクロネシア人、ベトナム人、タイ人、そして中国国内に居住するダウール族、ナナイ、エヴェンキ、シボ族、漢族、四川省カンゼ・チベット族自治州新龍県のチベット族(カムパ)、新疆昌吉地区の回族、湖南省の瑶族・苗族・カム族でも低頻度にみられる。</ref>。 また、石刻の人物が'''全身'''の姿で描かれていることも興味深く感じる。 そして、この石刻が「太陽神」であった場合、長江文明は稲作の文明でもあるため、この人物像は後に「'''[[炎帝神農|炎帝]]'''」と呼ばれた太陽神と関連があるのではないだろうか。[[炎帝神農|炎帝]]は農耕との関連が深い神ともされている。もし、この石刻が「原始炎帝」とも言うべき「太陽神」を現しているとすれば、「'''人でもある男性の太陽神'''」の存在と、それが「'''崇拝の対象である'''」という概念は9000年前には発生していた、といえる。しかも、その「神」が北方の遊牧民の象徴である「弁髪」であったとすれば、それは略奪文化の主人公であり、「農耕を発明した神」というよりは「'''農耕文明を支配する神'''」と述べた方が正しいのではないだろうか。管理人が[[炎帝神農|炎帝]]を「特許神」と述べることがあるが、それはこの神が「農業を発明した神」というよりは「'''農業に関わる技術や収穫を(略奪して)独占した神'''」だったからではないのか、それが古代の王権(皇帝という概念)の発生に繋がるのではないか、という管理人独自の考察から述べている。」りしていたかは謎である。どうもこの後くらいから赤ん坊を中心に「人肉食」の文化が台頭してきたように感じる。それはいったん禁じられたものが、再び復活してきたものなのではないだろうか。
== 参考文献 ==
* [[ハプログループO1b2 (Y染色体)]]
** [[苗族]]
* '''[[大渓文化]]''':タイの苗族の伝承について** [[炎帝神農城頭山遺跡]]* [[有熊氏ダロン]] == 私的注釈 ==<references group="私注"/>** [[蚩尤]]
== 参照 ==
[[Category:長江文明]]
[[Category:遺跡]]
[[Category:牛]]
[[Category:豚]]
[[Category:熊]]
[[Category:巨人]]
[[Category:考古学]]